秘密

「絶対おかしいでしょ!」
 リンが拳でだんっ、と机を叩いた。机の上に置かれたコップが僅かに揺れる。ミクとMEIKOは何気ない仕草で自分の目の前のコップを手にした。
「まあリンがおかしいって言うならおかしいんだろうけど」
 MEIKOがコップに口をつけながら言う。勿論中身は酒だ。
「でもレンにだってそれなりの事情があるんじゃない?」
「そうだ、それぐらい見逃してやれ」
 台所に居たKAITOとがくぽがソファの後ろから顔を出す。リンはそれにぶんぶんと首を横に振った。
「嫌っ。私に内緒ってのが何か嫌!」
 事の発端は、レンが週に何度か決まった時間に部屋を抜け出す、というリンの報告。と言っても真夜中というわけじゃない。まだリンもレンも起きている時間帯。確かに子どもが出歩く時間ではないが、VOCALOIDで、その時間まで仕事をすることも多い身。それに何よりレンなら特に問題は起こさないだろうという信頼感が、全員の真面目に聞く気をなくさせていた。
「じゃあ聞けばいいんじゃない? どこ行ってるのって」
 呑気にそう言うのはミク。だがリンより先にその隣でルカが言った。
「いいえ、それじゃはぐらかされる恐れがあるわ。ここは後をつけるべきよ」
 ね? 姉さん、とルカはMEIKOに振る。MEIKOは苦笑いで目を逸らした。
「あ、それいいー。あとつけようよリンちゃん!」
「……レン、鋭いから駄目だよ」
「リン、既にやったのか」
 途端にしゅんとするリンにKAITOが笑う。リンはそんなKAITOをきっと睨みつけた。
「お兄ちゃんやってみてよ! 全然声とか出してないのにレン、すぐ気付いちゃうんだから!」
「リンが気付かれるのにおれがやってどうするんだよ」
「そうだぞ、こんな目立つ男」
「がくぽにだけは言われたくないな」
 確かにKAITOやがくぽではそもそも通行人が反応しそうだ。いや、その点は誰であっても同じかもしれないが。
「でもそれって凄い気を付けてるってことだよねー。知られたくないんじゃない?」
「それは……わかってるけど」
「それでも知りたいか、ここはお姉ちゃんになって黙って見守ってあげるか、どっちかでしょ」
 唇を尖らせるリンにMEIKOが優しく言う。リンが「お姉ちゃんかぁ」と呟いて俯いた。次の瞬間ミクが叫ぶ。
「私。お姉ちゃんになる!」
「ミクは最初からお姉ちゃんでしょう」
 そんなミクを笑って見てるのはルカだった。他は誰も突っ込もうとしない。
「お姉ちゃんだと何も言わないの?」
 そしてルカはそのままMEIKOに視線を向けた。真面目な目で聞かれてMEIKOも悩むように唸る。
「うーん、そう言われるとどうかしら。……KAITO、どう思う?」
「まあおれなら堂々と目的地まで真後ろに引っ付いていくかな?」
「あんたに聞いた私が馬鹿だった」
「MEIKOは馬鹿ではないぞ!」
「そんなフォロー要らない」
 大真面目にふざけた答えを返すKAITOと、また大真面目にずれたフォローをするがくぽ。どちらも本気なのが性質が悪い。
「ま、あんたが口出すなら私は出さない、でいいんだけどね」
 そういう役割分担だった。だから勝手に頷いているとリンは不満げに言ってくる。
「結局お姉ちゃんとお兄ちゃんの場合じゃん。私は? 私はやっぱり気にな る!」
「もう直接聞けばいいじゃん」
「だから聞いても答えないんだってば!」
 ついにリンは叫ぶように言った。段々苛々してきているのがわかる。目的の言葉を得られないからだろう。
「あ、そうだわ」
 そこでルカが何か思いついたように手を打つ。
「レンの体のどこかにこっそり糸をつけておくというのはどうかしら」
「おお。それいいね」
「なるほど、それなら遠くからでも尾行できるな」
 KAITOとがくぽが賛成した。
 その答えを聞いてルカが満足げに頷く。
「……なるほど……それいいかも」
 リンが低く笑う。既にミクは立ち上がって近くの戸棚を漁っている。
「はいリンちゃん! 糸!」
「おっけー、よーしレン。じゃあこの糸つけるわよ」
 そこでようやくリンが……部屋の隅に居るレンに目を向けた。
 変わらないゲーム画面をずっと見つめたままだったレンがゆっくりと顔を上げる。
「……っていうかな」
「うん」
 リンは糸を両手で引っ張りながら笑顔で近づいてくる。
「……その相談をおれの前でするな」
「うん!」
 リンの笑顔は崩れない。リンの後ろで、他の奴らもみんな笑っている。
 突っ込んで欲しいのはわかった。
 ぎりぎりまで我慢した。
 だけど、これは、どうしたらいいんだ。おれ。





「バイト?」
「……だよ」
「バイトって何よ、中学生で働けるとこあんの?」
 しかも夜中に、とMEIKOが続ける。レンはそんなMEIKOに苦笑いで答える。
「おれら元々夜中に働いてんじゃん」
「そりゃそうだけど」
「えー、でも子どもは保護者の許可ないと駄目なんじゃなかった? そういうのなしに雇ってるとことか危ないよ」
 KAITOが意外に真面目に返してくる。
 リビングの床に座り込んだレンはMEIKO、KAITO、がくぽの3人に囲まれていた。ミクたち残り3人はソファから。姉たちに任せる気か、特にこちらに突っ込んではこない。
「だから普通んとこじゃなくて」
「普通じゃないのか!」
 それはまずいぞ、とレンの言葉を遮るようにがくぽが言う。KAITOたちも反応しそうになったので慌ててレンは立ち上がった。
「最後まで聞けっ。おれは! 仕事で! 歌ってんの!」
 一言一言きっぱり言い切る。座ったままのMEIKOたちがきょとんとしてレンを見上げてきた。ソファの上に転がるリンが首を傾げながら聞いてくる。
「じゃ、いつもの仕事と一緒ってこと…? お姉ちゃん通さないで依頼が来たの?」
「駄目だよレンくん、勝手に受けちゃ」
「…………」
 レンは視線を受け止めて、沈黙する。
 そして大きく息を吸い込んで言った。
「……姉ちゃんたちに言ったら止められると思ったんだよ」
「何それ」
「それは聞き捨てならないな」
「そうだ! 怪しい仕事ではないのか!」
 MEIKO、KAITO、がくぽの目が険しくなる。
 レンはそれに必死に返す。
「……裸ネクタイとか。今のおれのキャライメージ壊すだろ」
「裸ネクタイ!?」
「え、そう?」
 驚きの声を上げるみんなに対し、空気読まない発言はKAITO。
 無視する。
「それは…兄さんはいつものことだけど、確かにレンには珍しいわね」
 ルカが大真面目な顔で頷いた。
 ありがとうルカ姉。
「なるほどねー。それで、あんたもそれ恥ずかしいってわけ」
「当たり前だろ」
「でも仕事は受けたんだ?」
「……当たり前だろ」
 少し笑って言えばKAITOの表情も崩れた。
 なんだ、という空気が流れる。
 レンは安心しながら、それを顔に出さないように全員を見渡す。
「……っ」
 リンが、睨むようにレンを見ていた。
 思わず漏れそうになった声を抑えて必死で目を逸らす。
 リンはそれ以上何も言わなかった。





「嘘つきー」
「…………」
「絶対裸ネクタイどころじゃないことよねー」
「…………」
「さあ! お姉ちゃんたちにレンが嘘付いてるって言うのと私にだけ吐くのとどっちがいい!」
「…………」
 部屋に戻ったリンはレンのネクタイを握りにこにこしながら迫ってきた。
「…………」
「そもそも今ので答えが出たと思ったら大間違いっ! 絶対後で詳しく聞きにくるよ、MEIKO姉たち。ごまかしきれるかなー?」
 何でこんなに楽しそうなのだろう。
 レンはため息をつく。
「……わかった。……話すから協力しろ」
「そうこなくっちゃっ!」
 ようやくリンの手が離された。
 さて、もう1度ごまかすか、事実を言うか。
 リンが先ほどとは打って変わって真剣な目でレンを見つめてくる。
 ……嘘は、通じそうにない。


 

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