忘れたい

 道行く人が振り返る。
 側を通り過ぎた後のひそひそ話も、VOCALOIDの耳にははっきり届く。
 今更気にすることでもないので、目が合った人には適当に愛想笑いをしながらKAITOは隣を歩くがくぽと会話を続けていた。
 その気になればいくつもの声を聞き分けることは出来るが、頭が熱くなってくるので意識的にがくぽの声以外をほとんど遮断する。だが、がくぽは突然何かに反応するかのように足を止めた。
「……何?」
 僅かに後ろを気にしたがくぽに、KAITOも目は向けずに意識を向ける。女子高生らしき2人の会話が遠ざかっていく。
「……いや、レンがどうとか言ってたからな」
「聞いてたの?」
「聞こえてきたんだ。今日のテレビで何とか…」
「あー、そういえば今日はお昼の生放送に出るとか言ってたなー。なんて? レンかっこ良かったって?」
「そういう話題じゃなかった気がするが。私たちを見て会話を止めてたからな。よくわからん」
「がくぽ、よく見てるね」
「聞こえてくるんだ。お前こそよくあそこまで周りを気にせず話せるな」
「遮断しちゃえば問題ないだろ、っていうか全部聞き分ける方が無理」
 そっちの性能は旧型だから、とKAITOが頭を指して言えばがくぽにはため息をつかれた。
 まあこれは、話を聞いてなかったときの言い訳にも使う言葉だけど。





「レーンー、もういい加減起きてよー」
「…………」
「レンくん、今日はリンちゃんと歌う約束でしょ? もう夕方になっちゃ うよ」
「…………」
 ソファに突っ伏したままレンは黙っている。寝ているわけではない。ぴくりとも動いてはいないが、スリープモードのときには聞こえないはずの体内活動の音はしっかり響いていた。それもテレビもつけていない静かなリビングの中だからこそわかるものだが。
 仕事から帰って以来この調子のレンに、リンとミクはソファの前の床に座り込んだままずっと話しかけていた。
「放っときなさいよ。どうせ今の調子で歌ったって上手くいかないでしょ」
 一人別のソファに足組みして座り、ワンカップを飲んでいるMEIKOは、それでもそんな3人の様子を窺うように視線だけよこしてくる。MEIKOは、今日の生放送をここで見ていたはずだ。
「だって、せっかく、休み……」
 リンは言いながら唇を尖らせて俯く。それにレンが、少し反応をした気がした。
「別に今日じゃなくてもいいでしょ。復活したら一度ぐらい夜更かし許してあげるわよ」
 定期的な休息は必要だが、人間ほど毎日眠る意味もない。それでも人間と同じ生活をさせようとしているMEIKOがそんな融通を利かせる。だけど、そういう問題じゃない。楽しみに待っていた時間は、先送りにしたら意味がない。
「……あ」
「? ミク姉?」
 そこで同じように俯いていたミクが突然顔を上げる。
「お兄ちゃん帰ってきた」
 言葉通り、次の瞬間には玄関のドアが開く音がした。ミクが立ち上がってばたばたと迎えに走る。いつもなら付いていくリンも、今日は動く気になれなかった。
「ただいまー」
「お兄ちゃんお帰りー! あ、がくぽだー! お帰りー」
「ああ、ただいまミク」
「ただいまじゃないだろ、何か最近住み着いてるけど」
「一人寝は寂しいからな」
「おれの部屋で寝てその発言はどうなんだ」
 わいわい騒ぎながら廊下を歩く音が聞こえる。リビングに入ったKAITOたちは、やはりまずレンの姿に目を留めたようだった。
「ただいまー……ってレン?」
「どうしたんだ? 泣いてるのか?」
 うつ伏せで手が顔の方にあるのでそう見えないこともないだろう。VOCALOIDが泣けるわけではないが。そして、それはある意味的確だった。
「凹んでるのよ、今日の失敗で」
「今日? ああ生放送?」
「お兄ちゃんたち見てないの?」
「見れるわけないじゃん、撮影終わったの昼過ぎだし」
「録画はしてないのか」
「まあいちいちするほどのもんでもないかなーって。一応歌うから迷ったんだけど」
 ミクがKAITOと一緒にソファに腰を下ろすのを見ながらMEIKOが言う。
 がくぽはリンの隣に座り込んだ。
「……してなくて良かった」
 そこでぼそっと、ようやくレンが発言する。騒がしくなってきた部屋の中、自分が話題の中心になったならやっぱり無視は出来ないのだろう。レンがのろのろと顔だけこちらに向けた。
「あんなもん残されたら一生の恥だ……」
「そこまで言うことないじゃん」
「そーだよ、私だって失敗ぐらいいっぱいしてるよ?」
「失敗……失敗じゃないだろ、あれは……」
 レンは思い出したのか、顔を歪めてまたソファにうずめてしまった。KAITOとがくぽが首を傾げながらMEIKOを見る。何があったのかと問う視線に、MEIKOは少し迷ってから答えた。
「……まあちょっと恥ずかしいこと、かな? 間違った知識を堂々と言っちゃったというか」
「私、そんなことしょっちゅうだよ!」
 ミクはフォローというよりは自分自身の主張のような気がする。確かにあれで凹まれては普段から似たような失敗を繰り返すミクとリンは立場がない。とはいえ、レンにとっては珍しい……いや、初めてとも言える失敗だ。慣れがない分、きついのだろう。
「へぇ〜。……何言ったの?」
 今一番聞いて欲しくない、思い出したくもないだろうことをKAITOが平気で口にする。レンを除く全員から一斉に睨まれてさすがにたじろいでいたが。
「もー、そんなのいいじゃん。忘れようレンくん! ほら、みんなで歌って気持ち良くなったら気にならなくなるから」
 失敗の「先輩」であるミクが、少しお姉さんぽい口調で言う。レンの返事はない。KAITOが何か言いかけたが、絶対に余計なことだと判断してリンは先に声を出す。
「そうだよ、そうやってたらずっと考えちゃうんじゃない? 何度も何度も思い出してたらそれが…何か、忘れられなくなるって言ってなかった?」
 曖昧なリンの言葉にレンがびくりと反応したのがわかった。リンは発言の自信のなさから、MEIKOを見ていて気付かなかったが。
 視線を向けられたMEIKOが言う。
「そうよ。再生されない記憶はその内奥に仕舞われてよっぽどのことがない限り思い出さなくなるわ。下手に何度も考えてたらいつまでも新鮮な記憶として残っちゃうわよ?」
 人間もその点似たようなものだ、続けられる。
 リンよりもはきはき言い放ったMEIKOに説得力を感じたのだろう。レンが再び顔を上げた。
「……っていうか、おれら機械なんだしさ…むしろ、その部分の記憶消去とか出来ねぇの?」
「出来ない」
「即答かよ」
「姉さんも前に聞いたことあったもんねー、研究所の人に」
「MEIKOも忘れたい記憶があったのか?」
「……私じゃなくてね」
 MEIKOが少し言い辛そうに口ごもるのに対し、KAITOは笑いながら続ける。
「おれの記憶をいじれないかって聞いたんだよ。酷いでしょ、弟の頭いじろうとするとか」
「だってあれ知ってるのあんただけでしょ! 私は忘れたいのに平気で口に出すし! 大体あんたこそソロデビューした当時は、」
「わっ、ちょっ、姉さんストップ! 何言う気!? わかった、おれももう言わない! 何も言わないから!」
 2人だけの期間の長かった2人はそれなりにあれな記憶も共有しているらしい。珍しく焦るKAITOが新鮮でそのやり取りに笑っているとレンが大きなため息をつくのが聞こえた。
「……とにかくまあ…無理ってことか」
「そんな丁寧に分けられてるもんじゃないからね。何年分の記憶いっぺんに、なら出来るかもしれないって言われたけど」
「するか」
「だよねー」
「じゃあ忘れるしかないわよ」
「姉ちゃんは忘れたのか?」
「うっ………」
 思い出してしまったのだろう。MEIKOの顔が歪み、そらされる。レンは続いてKAITOにも目をやったが、KAITOもまた目を逸らした。
 静まり返ってしまった部屋の中。リンはゆっくりと言い聞かせるように発言する。
「……レン、でもね、それは覚えとかなきゃいけないんだよ?」
「は?」
 予想外の方向からの言葉に、レンが目を丸くしてリンを見る。ミクも続け た。
「覚えてないと、また同じ失敗をしちゃうんだよ」
 ミクの真剣な目にレンも一瞬怯む。だがすぐ気付いたように言った。
「……お前ら同じ失敗何度もするじゃんか」
「あーっ、もう! 綺麗にまとめようとしてるのに!」
「レンくんひどい!」
「おれが悪いのか!」
 思わず立ち上がったリンとミクにあわせて、レンも立ち上がる。その下でがくぽが相変わらず真面目な顔のまま言う。
「レンなら同じ失敗はしないだろう?」
 当たり前のように言われてレンが一瞬言葉に詰まる。
「がくぽ、それどういうことー!」
「私たちだってっ、ちゃんと覚えてたら大丈夫だもん!」
 今度はがくぽをターゲットに2人で詰めよる。がくぽはきょとんとしてそのままレンを見た。
「やはり、忘れては駄目なようだぞ」
「……よおくわかった」
 あーっ、でも忘れてえ!
 叫ぶレンは、それでも少しは吹っ切れたようで、リンは急いで近寄ってその袖を引く。
「じゃあレン! 歌おう!」
「あ、そうだよレンくん、約束だよ」
「……もうあんま時間ないだろ」
「それでも歌うの! お姉ちゃん夕飯は?」
「もうちょっと後でいいわよ」
「じゃ行くよ!」
 レンを引きずって2階へ駆け上がる。レンがぼそっと呟いた。
「……お前は忘れてくれよ」
「何のことー? 私、馬鹿だからわかんないー!」
 リンの言葉にレンが苦笑する。実際、自分はすぐに忘れるだろうとは思った。レンの失敗なんて、覚えてなくていい。




「っていうかさ」
「ん?」
「レンだけ忘れても意味ないんじゃない?」
 リビングに残された4人は2階から流れてくる歌をぼんやりと聞いていた。この歌声があるときにテレビを付ける気にはなれない。
 途切れた歌の隙を狙って言ったKAITOの言葉にミクが首を傾げる。
「今日の放送、どれだけの人が見たかしらねぇ」
 そしてMEIKOの言葉に納得がいったように頷いた。
「そういえば話題にしてる者も居たな」
 がくぽも家に来る前のことを思い出したのだろう。それにKAITOとMEIKOは苦笑する。
「からかわれるかな?」
「いーんじゃない、あの子も少しはそういうの慣れたら」
 プレイドばっか高いと後でしんどいわよ、とMEIKOが続けた。
「それ経験談?」
「正解」
 MEIKOが笑う。
 ミクとがくぽはそんな2人をきょとんとして見上げていた。


 

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