求められて

「お兄ちゃーん」
 『KAITOの部屋』と書かれた札が下がった部屋。リンはいつもの如くノックもせずに扉を開ける。ちょうど正面に居たKAITOと目が合った。
 ベッドにもたれかかって音楽を聴いているKAITOが、少し驚いたような顔をしたあと、ヘッドフォンを外す。微かに音楽が聞こえてきた。
「何?」
「ご飯。さっきから呼んでるよ」
「ああ、ごめん。今行く」
 音楽が消えた。立ち上がったKAITOを見て、リンも踵を返す。部屋を出る前、ちらりと積み上げられていたCDに目がいった。





「ホントに? 全部が?」
「全部見えたわけじゃないけど、多分そうだと思う」
 夕食後の自室で、リンはレンに話す。KAITOは食事が終わるとそそくさと部屋に戻り、また音楽を聞いているようだった。そのとき見たCDも、僅かに聞こえてきた歌も、全て同じ女性歌手のもの。かなりの大物、と言われているその女性は、ワガママで口が悪いことでも有名で、一度仕事をしたことのあるリンとレンはあまりいい印象を持っていない。歌は、確かに上手いと思うのだけれど。
「多分お仕事の分だと思うよ。今度お兄ちゃん、その人とデュエットするか ら」
 二人の会話に入ってきたのはミクだった。MEIKOは夕食後仕事に出ていて、見たいテレビもなかったらしいミクは双子の部屋で転がっている。
「デュエット? マジで?」
「ええー。あの人デュエットとかしないんじゃなかったの?」
「だよな、あのプライド高い女が人とあわせるとかありえねぇ」
 レンが顔をしかめて言った言葉にリンも思い切り頷く。とにかく自分が一番で、周りの人間全てを見下しているような女性なのだ。少なくともリンはそう思っている。
 リンたちと同じく、その歌手と一緒に仕事をしたことのあるミクはそれに苦笑いのような表情を浮かべた。
「うん……。だから、『私のレベルに合わせられないならこの話はなし』とか言ってたみたい。プロデューサーさんたちは、絶対売れるCDだから出したいし……みんなお兄ちゃんにプレッシャーかけてるんだもん。だからずっと聞いて勉強してるんじゃないかな」
 相手の歌手の歌を。
 そう続けられてリンとレンは顔を見合わせる。
「何それ! 向こうはお兄ちゃんの歌とか聞いてるの?」
「……わかんない」
「どうせ聞いてないだろ、自分が兄ちゃんに合わせる気とかねえじゃんか、それ」
「お兄ちゃんが合わせてくれて当然、って思ってるんだよ。その人も。プロデューサーさんも」
 ミクがちらりと部屋の外に目をやる。正面のKAITOの部屋からは何の音も聞こえてこない。
「……それ、いつやんの?」
「明日。……だと思う」
「どこで? 私たち見にいける?」
「え、行くの?」
 リンの言葉にミクが驚いたような顔をするが、レンは当然という顔をしていた。明日も仕事はあるが、短時間なので時間と場所によっては行ける。本気を出しているのは確かな、兄の歌を聞いてみたいというのもあるが、どうにもKAITOに味方が居なさそうな雰囲気が許せない。そう言うと、ミクは困ったように笑っ た。
「うん……私も行こうと思ってるんだけどね」
 でもこっそりだよ、と付け加えられて2人も真剣に頷いた。そしてリンはそっとレンの手を握る。
「……レン」
「……何だよ」
「……暴走しそうになったら止めるのはレンの役目だから」
「……期待すんな」
 小声のやりとりだったがミクにも当然聞こえている。ミクはいつの間にか手にしていたネギを握り締め、そんなレンに目を向ける。
「レンくんが暴走してたら、暴走してもいいんだよね?」
「いや、勝手に決めんなよ!」
「だよねー。レンの判断なら間違いない!」
「……おれらが暴走して困るのは兄ちゃんだからな……?」
 盛り上がるリンたちにレンは冷めた目でそう言った。だから、止めてくれと言っているのに。
 正直もしもの場合に抑えられる自信なんて全然ないのだから。





「なーんか、意外になごやかだねぇ、雰囲気」
「そうか? 顔は笑ってるけどぴりぴりしてんぞ、みんな」
「マジで。レン、いつからそんな人の顔色読める子になったの」
「嫌な言い方すんな」
 収録室の外。こっそりドアの隙間を開けて中を窺う。スタッフたちが入るまでは外で隠れていた。当然のように一番遅れてきたのは女性歌手だったが、準備を考えるなら当然だろう。先に来ていたKAITOは何だかスタッフの邪魔になっていた。
「でもさー。そもそも何でこの2人でデュエットってなったの?」
 腰をかがめていたリンがミクを見上げて言う。ミクは部屋の中から視線を外さずに言った。
「あの歌手の方からの指名だって。デュエットやるならお兄ちゃんがいいって言ったみたい」
「え、じゃあ結構評価されてるんじゃ……」
 リンも、そしてレンも驚いた顔でミクを見る。ようやく視線を合わせてきたミクは、複雑な表情で頷いた。
「……でも、合わせてくれることに、だよ。さっき言ってたじゃん。私の言う通りに歌えって」
「ああー……」
 楽譜を真剣な目で見ていた歌手は、確かにKAITOにそう言い、KAITOもまた、固い表情のまま頷いていた。プレッシャーをかけてる、と感じたがひょっとしたらそんな意図もないのかもしれない。自分に合わせてくれる楽器、程度の認識なのだろう。
「だよな、下手に他の人間の歌手使うと個性がぶつかり合いそうだしな」
 KAITOだって癖のある個性を持ってはいるが、他人とあわせるとき、それは完全に消せる。元々それが主力でやってきた仕事なのだから当然だろう。
 ならば、収録自体は問題なく進むか。
 そう思いながら3人は誰からともなくゆっくりとドアを閉めた。
 後はドアにくっついたまま聴力だけで中の音に集中する。指示と共に、歌が流れ始めた。初めは女性から。力強い声量を持った声に一気に引きこまれる。下手な歌手では付いていけない。リンはドキドキしながらKAITOの声を待つ。
「……うわ」
 そして、歌が流れた次の瞬間には、声が止まった。止められたのだろう。
「何だよ、今の駄目なのか?」
 レンが思わず部屋の方を振り返る。
「……駄目だったんだろうね」
 女性歌手の怒鳴り声。さすがに声の商売だけあってか、無駄な金切り声ではないが、その分重い。
 それに対するKAITOの声は聞こえてこなかった。
 リンは拳をぎゅっと握る。
「……まだ怒るとこじゃないぞ」
「わかってるよ」
 その拳を包み込むようにレンの右手が軽く置かれた。3人はそれからずっと、交互に続く歌と嫌味を聞き続けていた。





「……何やってんの、あんたら」
 収録室の前に俯いて座り込んでいるミク、リン、レン。
 何かに集中していたのか、MEIKOが声をかけてもすぐには反応しなかった。そろそろと顔を上げ、MEIKOの顔を見て驚いたように目を見開く。
 MEIKOが近づくと、すぐさまリンが立ち上がった。
「今日ここで仕事……はないわよね。あ、KAITOの?」
 同じ建物内でMEIKOも収録がある。一緒に歩いていたスタッフには先に行かせた。どうせまだ時間には余裕がある。
「……お兄ちゃんは、今収録中」
「歌がずっと途切れてるから休憩中かもな」
「凄い時間かかってるの……」
 ミクは泣きそうな顔でそう言った。MEIKOはそんな3人に首を傾げる。
「確かデュエットでしょ? 相手の人、こだわる人だって聞いてたし、そりゃ時間かかるんじゃないの」
 MEIKOなら、むしろ適当なところで見切りを付けられる方が嫌だ。どうせならとことんまでやって欲しい。そう言うとリンが不満げに口を尖らせる。
「そりゃそうなんだけど」
「うん……間違ったことは言ってないんだよな」
「良くなってるもんね」
 言いつつ、複雑そうな顔のまま。言葉を探している様子に、あることに気付いてMEIKOは思わず笑ってしまった。
「あっ」
「何笑ってるのお姉ちゃん!」
「笑うとこじゃねぇだろ、ここ!」
 そして一斉に責められる。MEIKOはごめんごめん、とやっぱり笑いながら謝ってしまう。
「つまり、相手の人責めたいけど、責めるとこがないから悔しいんでしょ」
 MEIKOが言うとレンは顔を逸らした。リンとミクはきょとん、としている。多分自覚がないのだろう。
 あの女性歌手は、性格の悪さで有名だ。仕事はきっちりやる人なのでMEIKOなどは好感を持っているが、歌以外のところで最初に接してしまうとなかなかその悪印象は拭えない。嫌な奴でもいい歌は歌える。頭ではわかっていても自分を納得させるのは難しい。心情的な「嫌い」が、多分相手の欠点を探す方に向いてしまっているのだ。
「あ、始まったんじゃない?」
「え?」
「あっ」
 歌がMEIKOの耳にも微かに聞こえてきた。我慢できなかったのか、リンがうっすらとドアを開ける。廊下にもほとんど声が漏れないレベル。覗き込んだ3人に苦笑しながらも、MEIKOも後ろからその隙間に目をやった。
「……あ、ちょっと繋がってる」
「でも何かいつもの兄ちゃんの歌い方じゃねぇよ」
「相手に合わせちゃってるよねー」
「それでいいんじゃない」
 最後のMEIKOの言葉に、3人が一斉に振り向いた。その勢いに、さすがに少し驚いて顔を引く。
「何で?」
「あの人ずーっと文句ばっか言って、お兄ちゃんの歌い方にケチつけるんだ よ」
「そうだよ。やっぱりおかしいよ……」
 ミクの声が沈んだので、MEIKOは笑みを浮かべながらもその肩を軽く叩く。
「まーあんたらが落ち込むのは勝手だけど。KAITOはどうなのよ。嫌がって る?」
「え?」
 ミクが顔を上げた。ちらりとリンを見て、リンが慌てたようにもう1度扉の隙間に目を向ける。
 先ほどMEIKOも見たからわかる。
 敢えて表情を消しているようだけど、抑えきれない気持ちが僅かに表れている。KAITOは、楽しんでる。
「……笑って……る?」
「……笑ってるか、あれ?」
「でも何か、微妙に」
「楽しそう……」
 ミクが言って、扉がまたゆっくりと閉められた。
 説明を求めるかのようにMEIKOを見上げてくる3人に、MEIKOはどう言ったものかと考える。
「あれが、今日のKAITOの仕事でしょ。徹底的に個性を殺して、相手に合わせる。相手がそれで満足してるなら、今日の仕事は大成功。それにあの歌手、言い方はきついけど、間違ったことや矛盾したことは言わないでしょ?」
 MEIKOの言葉には、リンやミクが渋々といった感じで頷く。
 聞いてはいなかったが、多分そうだろう。
 まあ、KAITOは矛盾した指示だろうが何だろうが、その場その場で言われた通りにはやるのだが。
「確かに嫌な奴かもしれないけど、実力は確かよ。KAITOなら出来ると思ってくれたんなら、光栄に思うところじゃない?」
 最初からキャラクターを求められたミクたちには納得しにくいかもしれない。だけどMEIKOやKAITOはずっとそうだった。それが誇りでもあったのだ。完璧に相手の望みにあわせること。それのスペシャリストだと思われたなら、KAITOが喜ばないはずがない。
 勉強として相手の歌を聞いているときのKAITOは、楽しそうだった。
「……そっかぁ」
「そうだよね。お兄ちゃんたちじゃなきゃ出来ないもんね、これも」
「でもやっぱあの言い方はねぇだろ」
 既にそれをわかっていた様子のレンだったが、やっぱりあの物言いには納得できないらしい。気持ちはわかるので笑うだけにしておいた。





「お疲れ」
「あれ、姉さん?」
 MEIKOの収録を終え、KAITOたちの部屋の前を通りかかると、収録はまだ終わっていなかった。本当に時間がかかったのだろう。それでも聞き耳を立ててそろそろかと判断したMEIKOはずっと外で待っていた。真っ先に出てきた女性歌手に挨拶をすると、相手もこちらのことは知っていたようだった。今度はあんたともやってみたい、と言われたのは、多分KAITOが評価されたのだろう。
 抑えきれない笑顔になっているMEIKOに、KAITOが首を傾げている。
「……聞いてた?」
「歌は最後ちょっとだけね。どうだったの」
「厳しかった」
 言いながらKAITOも笑っている。満足はいく出来だったのだろう。
「今日いいの? もう帰って」
「時間かかったからね。凄いよ、向こう2時間前に雑誌取材の予定あったっ て」
「……2時間前……」
「まあ常に歌優先って言ってる人だからねぇ」
 ワガママが通じるのも大御所ならではか。
 さすがにKAITOのように単純に凄い、と感心は出来ないが。
「そうそう、今日ミクたち来てたわよ。知ってた?」
「え、そうなの?」
 目を丸くしたKAITOに、どうやら本当に気付いてなかったらしいと知る。まあブースの外に居るスタッフたちならともかく、ずっと奥に居たKAITOでは声も聞こえなかっただろう。顔を見たときもこちらには全く目を向けていなかった。
「心配されてたんじゃない? というよりまあ、怒ってたのかもね。あの子ら結構正義感強いから」
 理不尽なことを言われてたら、と思ったのだろう。
 ミクたちを見ていると、どうにもMEIKOは懐かしい気持ちになる。昔は自分にも、ああいうところはあったように思う。
「何か嫌なこと言われた?」
 歩きながら問いかける。
 KAITOはそれに一瞬間を置いた。
「……いや。いろいろ言われるのは出来ないから、だしね」
 言われたのだろう。
 MEIKOは扉の前で俯いていたミクたちを思い出す。
「今度、姉さんとも仕事してみたいって言ってたよ」
「ああ、さっき会ったわ。……どうかしらね」
「ええ、光栄でしょ?」
「喧嘩しない自信がないわ」
 言うと、KAITOは笑った。そして軽く、MEIKOの肩を叩いてくる。
「大丈夫だよ。家族の悪口は言わないから」
「……何それ」
 大丈夫、ともう1度言うKAITOは何がおかしいのか、笑ったままだ。
 MEIKOが怒るツボはついてこないという意味なのだろうが。
「……ちょっとね、姉さんに似てると思った」
「はあ?」
「仕事に対する姿勢がね。かっこいいよ」
 その言葉は、MEIKOに言われたのか、その女性歌手に言われたのかわからなかった。だけど、KAITOにはしっかり目をあわせられて、MEIKOは照れ隠しのようにKAITOの背を叩く。
「姉さん、もっと手加減……」
「さ、帰るわよ! あの子ら心配して待ってるわ!」
 KAITOの抗議は大声で振り払う。
 仕事の姿勢はそれぞれだけど、KAITOの仕事も誰かがかっこいいと言ってくれるといいと思った。


 

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