見られてる

 何やらざわついた気配を感じて、レンは顔を上げた。
 思わず辺りを見回すが、自分の周りで特に何かが起こっているわけではない。主婦たちがちらちらと目を向けてくるのは、レンの後ろの商品を見ているのだろう。目深にかぶった帽子はレンの特徴的な髪を完全に隠している。ちょっと長い時間立ち止まりすぎたか。
 レンはゆっくりとその場を離れる。スーパーの一角は通り道でもあるので塞いでしまっていたのだろう。レンが居た場所をすぐに数人が通っていく。
 レンは歩きながら先ほど感じたざわつきに聴力を集中した。
 予想はされていたことだが、ところどころ聞きとれる言葉には頭を抱えたくなる。
 つい早足になりながら着いた場所は、野菜コーナー。
 ネギの前で腰を曲げてじっと立っているのはレンの姉、ミク。いつもと違う髪形、服装で眼鏡までかけているが、今にもよだれをたらしそうな顔でネギを凝視する人物は彼女以外ありえない。ミクは既に数人に遠巻きに囲まれ、初音ミクじゃないか、という呟きも漏れ始めていた。
「……おい」
 ミク姉、と呼びそうになり、それはとりあえず留まる。どうせ完全にばれているのだからあまり関係はないのだが。
 手を伸ばしてミクの腕を掴もうとした瞬間、ミクがぱっと顔を上げた。
「あ。レンくん! ねえ、このネギ見て! すっごい美味しそう!」
「わかんねぇよ。ってかちょっと離れろ、ここ」
「ええええ」
 あの大量のネギの中、やはり美味しそう、なんてものがあるのか。バナナならわかるのだが。……やっぱりあるのか。
 ミクの腕を引きずると悲鳴のような声が出てくる。目立つからやめてくれ。
「何でっ、もう買い物終わり? まだネギ買ってないよ」
「だから後にしろ。……見られてんぞ」
 後半は小さく呟く。ミクでなければ聞こえないぐらいに。そこでミクはようやく自分を囲んでいた人たちに気付いたようだ。反射だろう。笑顔を浮かべて手を振る。小さな笑いが起こった。
「別にいいじゃん見られたってー」
「騒ぎになったらどうすんだよ」
 以前店の前で歌いだして人だかりが出来てしまい、警察まで駆けつける騒ぎになったのを思い出す。あれ以来人の多いところでの歌は禁止されているが。歌わなければいいというものでもないと思う。
「そんなに人居ないのにー」
 大人しくレンの隣を歩きながらもミクはぼやく。ネギから離されたのが不満なのだろう。戻りたそうにしているミクに、レンは思わず握った手に力をこめる。
「せめてもうちょっと普通にしてろよ」
「え、普通だよ」
「いや、人間あんな顔でネギ見てないから」
「それは……それは好みの問題だよっ。レンくんだってバナナ見るときは目つき違うよ?」
「……それはない」
「あるよ!」
 そりゃあバナナを買うときはしっかり選んでる。出来るだけいいものを買いたいと思ってる。だけど、あんな異様な目つきで見ているはずがない。そもそもレンはミクにとってのネギほどバナナに執着はない。一日一本ないと死ぬ! なんて騒ぐことだって絶対ない。
「……ない」
「えええー」
 考えた末もう一度断言する。ミクは今度写真に撮ろうか、とか呟いていた。しばらくバナナを見に行けない気がした。
「あ、リンちゃん」
「ん?」
 スーパーには家族全員で来ていた。ミクの言葉に思わず足を止めると、真剣な顔でみかんを見ているリンの姿。
 ……ほら、自分だってあんなもんだ。確かに異様と言えるほどには真剣な目をしているかもしれないが、ミクほどではない。
 近づいて声をかけると大げさに驚かれた。
「れ、レンっ。何よもう、声かけるなら声かけるって言ってよ」
「無茶言うな」
 本気で膨れるリンにはさすがに呆れた声が出る。ミクが隣で頷いているが、リンに同意してるんだったらどうしよう。
「決まったのか?」
「みかん? うん、買うのはこれ」
 リンの手には既に袋に詰まったみかんがあった。ミクは目ざとくそれを見て声を上げる。
「あれ、この前買ったのと同じじゃない?」
「うん。やっぱ安くて量あるのが一番」
 切れたらやだしねー、と笑うリンにだよねーとミクも返す。まあ突っ込むところでもない。
「っていうか決まったなら何いつまでも真剣に見てんだよ」
「んー、目の保養?」
「わかる! 好きなものはいつまでも眺めてたいよね!」
「ねー」
 ミクはちらりとレンを見た。僅かに恨みがましい目をしているようなのは気のせいじゃないだろう。それにしてもわからない。食べ物が目の保養になるのか。バナナは食べてこそだ。見てたってちっとも美味しくない。
「……そういやがくぽは?」
 レンは話題を逸らそうと、辺りを見回す。茄子のところに居るかとも思ったが青果コーナーからも見渡せるそこに、がくぽの姿はない。
「さあ? 私は見てないよ」
「ミク姉はネギ以外見てないだろ」
「だよねー。ミク姉、真っ先にネギのとこ行ってずーっとそこ見てんだもん。話しかけられなかったよあれ」
「お前見てたのかよ」
「だって一緒にここに来たんだもん」
 だが、がくぽは来てないらしい。
 まあ店内どこかには居るだろう。ざわつきも感じるし、ミクを眺めていた人も居ることだし、そろそろ買い物は終了だ。
「とにかく探すぞ。ばれてるみたいだし、変なファン来たら面倒だろ」
「えーもう終わり? まだネギ買ってないってば」
「最後にしろ最後に」
 ミクを引きずればリンも着いて来た。
 とりあえずここから近い酒のコーナーにでも行ってみよう。





「うーん……」
「決まったか?」
「あ、うん。これとこれお願い」
「両方買うのか……」
「今日は買いだめ日だからいいのよ」
 MEIKOはぽんぽんとがくぽの持つ買い物かごに酒を放り込む。既に何本もの酒が入ってるかごは随分重そうだが、がくぽはそれほど力を入れた様子も見えなかった。一応力だけならMEIKOの方が強いと思うのだが、こんな見るからに重そうなものを一人で持ってたら側のがくぽに非難の目がいきそうだと遠慮している。これがKAITOならばそんなこと気にしはしないのだけれど。
「本当に大丈夫か? 他の者には今日は一つだけだと言ってただろう」
「買いだめしろって言ったのKAITOだもの。スーパーの安酒で済ませて欲しいんでしょー」
 ホントはMEIKOだって酒屋に行って買いたいが。そもそも一家全員が働いているこの家庭はそれほどお金に困ってはいない。ただどうしても、何かあったときのためにお金は貯めておく必要がある。アンドロイドが自ら入れる保険はない。
「あ、あの」
 そろそろ買い物は終わろうかと思ったとき、突然真横に女性がやってきた。近づいてる気配すら感じてなかったMEIKOは少し驚いて体を引く。
「あ、ご、ごめんなさい。あの、め、MEIKOさんですよね?」
 小さな声は地声か、気を遣っているのか。悪意はなさそうだったのでMEIKOは少し微笑んで「そうよ」と言い切る。既に確信はあったのだろう、女性はその言葉にはあまり表情を変えなかった。
「何か用?」
「あ、さ、サイン……」
 お願いします、まではほとんど聞こえなかったが一応口は動いていた。突き出してくる色紙に苦笑してMEIKOはそれを受け取る。この店で買ったのだろうか。女性の右手にはぐしゃぐしゃになった包装紙があった。
 MEIKOがサインをする間、女性がMEIKOの歌った曲で好きなものや、その感想を述べる。興奮しているのか、だんだん声が大きくなっており、ちらほら振り返る人も増えてきた。
「はい、これ」
「あ、ありがとうございます!」
 お礼は今までで一番の大声。
 それはそれで好感を持ったが、さすがに数人が立ち止まってしまいMEIKOは慌てて挨拶だけしてその場を後にした。じっと後ろで見守っていたがくぽも着いてくる。
「こんな場所にも居るもんなんだな」
「何が? ファン? そりゃそうでしょ」
「こういった場所は、もっと自分の買い物に夢中になってるものかと」
「まあ人それぞれじゃない。がくぽはこういうとこでサイン求められたことないの?」
「私はあまりないな。そもそも遠巻きに騒がれることはあっても近寄ってくるものが……」
「何か近寄りがたい雰囲気出してんじゃないの、それ」
 MEIKOが笑うとがくぽは何やら考え込んでしまった。それはそれで不本意なのだろう。まあがくぽは普段からあの衣装を着ているせいか、見かけても撮影中か何かと思われることが多いようだ。今日は髪を隠して普通の服を着せてあるが、それはそれで気付かれなくなっているかもしれない。
「お姉ちゃーん! がくぽー!」
「そっち終わったのか?」
「あーっ、いっぱい買ってる。ずるい!」
 生鮮食品のコーナーに向かっているとミクたちが飛び込んできた。既にばれているのか数人の視線がこちらに向かう。MEIKOはそれについては気にせず、がくぽの持つかごに集まるミクたちを見ていた。リンが遠慮なく持っていたみかんの袋をかごに放り込む。
「ミク、ネギは買ったの?」
「まだー。レンくんが最後にしろって言うんだよ! 私ネギ見てたのに」
「だからお前は怪しすぎるから、」
「私も茄子は後にしろと言われた。野菜だから同じ場所だろう。後で一緒に行こうミク」
「うん!」
 がくぽの言葉にミクが嬉しそうに頷く。
 がくぽの方はそもそも、ここには茄子が一種類しか置いてないからと思っての発言だった。後で聞けば大きさやら形やらそれなりにこだわりがあるらしいが。さすがに同じ種類の酒を色合を見て選んだことなどないからピンと来ない。
「そういえばレン、バナナは?」
 レンは手に何も持っていない。決めるのは早いレンだから迷ったということはないだろう。
「おれは昨日買ったからいい」
「レンはこだわりのお店あるもんねー。スーパーのじゃ嫌だとか言うんだよ」
「えー贅沢ー」
「うるせえ、安いんだからいいだろ」
 なるほど、そういうことか。
 しかしやはりレンもバナナに対してはそれなりにこだわりがあったのか。今度その店は教えて貰っておこう。
「じゃ、あとはKAITO兄ィか?」
「KAITO兄ィもアイスだから最後じゃない?」
「こっちから回れば通るでしょ」
 歩き始めるとぞろぞろと5人で移動することになる。視線が集まる。いつもの衣装は目立ちすぎると変えてきたが、やはり揃ってしまうとどうしようもない。早めに店は出よう。
 MEIKOは知らず早足になっていた。





 ざわついている。
 レンはアイスコーナーに近づきながらその空気をしっかり感じていた。
 先ほどミクに集まっていた人数よりも更に多い人の声。ひそひそと囁かれる声は重なり合いながらも一人の人物へ向かっている。
 全員がそれを聞き取っているのか、いつのまにか無言で歩き続けていた。
 問題の人物はやはりアイスコーナーに。
 服を変えてもしっかりとマフラーだけは首に巻いた男が幼稚園ぐらいの少女を腕に抱いていた。
「こっち! こっち!」
 少女は両脇をKAITOに支えられたまま腕を振り回す。遠めに見ると嫌がって暴れているようにも見える。何だかはらはらしながらレンはそちらに近づいた。
 どうやら高い場所にあるアイスが見えない子どものために持ち上げてやっているようだ。優しげで悪意のない声と表情に、微笑ましい顔で見ている人も多いが、それも多分KAITOを知っているからだろう。
 まあ途中から見たなら自分の子どもを抱えているようにも……それは無理か。髪を隠していないKAITOはやはりアンドロイドにしか見えない気がする。
「これ? これがいいの?」
「うー……」
 女の子がアイスに向かって招くように手を振って、理解したのかKAITOがケースを開ける。少し高い場所にあるそれは、お徳用アイス。勝手に取り出していいのだろうか。あの子の親が買ってくれるとは限らないと思うが。
 手に取ったアイスを少女が嬉しそうに抱える。これでやっぱ買えないとか言われたら可哀想だ。まあそれぐらいのことは最初から聞いてるかもしれないが。
 眺めながら思っていたとき、突然レンの後ろから誰かが飛び出した。
 ミク。
 ずんずんとKAITOに向かっていく。
 待て。突っ込みたいのは分かるけど、待て。
 思わず手を伸ばしたが間に合わない。
 ミクがKAITOの側まで来ると、さすがに気付いたのかKAITOもミクに目を向け る。
「お兄ちゃん!」
「ミク?」
 KAITOの腕の中の少女が僅かに怯えたような顔をしている。
 そんな怖い顔しているのかミク。
「私もやる!」
「へ?」
「は?」
 思わず出た間抜けな声に、KAITOの声も重なる。
 ミクは両手をいっぱいに伸ばしKAITOに向けていた。
 ……おい。
「ミクも欲しいの? ちょっと待って」
 KAITOが少女を下ろそうとすると、少女がぎゅっとKAITOの服を掴んで抵抗する。ああ、懐かれてる。
 親はどこに居るんだ。
 レンは思わず辺りを見回す。何だか少し注目が集まっているので出てこれないのかもしれない。
 KAITOが少女に何か話しかけている。ミクは両手を突き出したままだ。後ろから見ているのでミクの表情はわからない。
「ねえ」
 そのとき袖を引かれる感覚がしてレンは振り返る。
「何だよ」
「あれ、いいの、あのままで?」
 リンだった。
 顎で示された先は当然KAITOとミク。レンは一度そちらに目をやって、肩を竦めてリンに視線を戻す。
「あそこに出ていくのが嫌だ」
「……まあね」
 MEIKOとがくぽも静観している。なるようになるだろう。
 やがて、少女がようやくKAITOのもとを離れる。真っ直ぐ駆け寄った先にいるのはおそらく母親だろう。アイス買えたの、と小さな声をレンの聴力が聞き取る。優しげな声にほっとして、レンはKAITOたちに視線を戻した。
「どれがいい?」
「あっちー!」
 先ほどの少女と同じように抱えられるミク。
 ミクは子どもっぽいと常々思っていたが、さすがに幼稚園児と同じことをすると……。
 レンは黙ってそちらに向かう。
 後ろでリンが笑う気配がする。
「……おい」
 側まで来たレンの低い声に、KAITOとミクが振り返る。笑顔だったミクの顔が少しだけ引きつった。
「えと……レンくんもやる?」
 無理に作ったような笑み。静かにミクが下ろされた。KAITOがミクの頭に手を置く。
「……まぁ…レンなら普通に立ってても見えるよね」
「うん。私も見えるよ」
「じゃあこのまま選ぼっか……」
「うん……!」
 どうやら。
 突っ込む前にレンのオーラだけで理解してくれたらしい。
 おかしなことをしている自覚は出来たのか。
 それはそれで少し複雑だった。
 黙ってしまったレンを尻目にミクが指したアイスをKAITOが取る。お徳用アイス。
 家族用、とでも言い訳されるのだろう。どうせ食べるのはほぼKAITOだが。人の好物には手を出さない、が家族の暗黙のルールだ。
「……視線集まってるぞ」
「うん、知ってる」
「……あんま変な真似すんな」
「わかって……ああ、そうか。うん」
 多分ミクとのことだと思ったのだろう。
 正直それ以前にやっていたことの方が問題だ。本当は、微笑ましい光景だと思うのだけれど。人間の中にはそう見ないものも多い。
「気を付けるよ。でもKAITOのイメージも大事だよ!」
 小声で言われた言葉には思わず苦笑する。
 子どもに優しい、は確かにKAITOのイメージかもしれない。でもイメージ作りなんかでやっているわけではない。どうせみんな普段から素だ。
「ミク、ネギを見に行くぞ」
 そこでようやくやってきたがくぽがミクに声をかける。MEIKOとリンも後ろについてきていた。
「あ、うん! これ、アイス入れていい?」
「それはKAITOのじゃないのか?」
「あ、おれのはこっち。そっちは家族用ってことで!」
「お前以外誰が食べるんだ」
「あ、じゃあ私食べていいー? みかん味ないのみかん味」
「ないよ。リンが好きな味はないんじゃないかなぁ」
 牽制なのか本気なのか、KAITOは笑ってそう言う。
 何故か自然とKAITOが買い物かごを受け取って、がくぽとミクが小走りに野菜コーナーへと向かって行った。注目の視線が少しばらつく。
「また随分買ったね」
「ここで買えって言ったのあんたでしょ」
「これで一ヶ月は持つ?」
「持つわけないでしょ! 精々一週間ね」
「えええ、それ買いだめになるの」
 後ろでKAITOとMEIKOの会話が聞こえる。
 いつの間にかリンが隣に並んでいた。
「何か家計を暴露してなーい?」
「……もういいんじゃね」
 2人の会話は確実に周囲に聞こえているだろう。
 興味なさげに通り過ぎていく人たちの中で、確実に視線を送っている数人。まあ、別に、知られて困るほどのこともない。
 これが自分たちの日常だ。


 

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