慣れてみれば

「愛している……リン」
「私もよ……がくぽ」
 優しく微笑むその視線を受けて、リンは両手をいっぱいに伸ばす。がくぽのその首に腕を絡めようとして……途中で止まる。
「がくぽ、がくぽ、縮んで縮んで」
 口は動かさないようにリンは小さく声を出す。がくぽが「縮んで?」と戸惑ったように言ってきたので、少し強めの口調で返した。
「しゃがんでってば! 届かない」
「あ、ああ、すまん」
 ようやく気付いたようにがくぽがゆっくりとその顔を近づけるように腰をかがめる。リンは伸ばしたままの両手を見つめながらその腕が届くまで待っていたが、やがて待ちきれないようにその首に飛びついた。
「うおっ!?」
 思わずがくぽがもらした呻き声は、とても不恰好で。突然がくぽの顔が近づくことになったリンも、慌てて顔を逸らし、がくぽにぶら下がったまま不安定な体勢になる。
「カット!」
 まずいな、と思った瞬間、予想通りの監督の声が聞こえた。





「……可愛かった、って評価だな」
「……だよねぇ」
 はぁ、とリンは頬杖を付いたままため息をついた。撮影は一旦休憩に入っている。スタジオの隅に座り込んでいたリンは、そのままずるずると膝に顔をうずめた。隣に座るレンがそんなリンを見て続ける。
「まあ、可愛かったんじゃねぇ?」
「それじゃ駄目なのもわかってるでしょ」
「あれはがくぽも悪いだろ」
「違うよ、その前に私が飛びついちゃったからだよ」
 しっとりとした大人の雰囲気で告白しあい、抱き合う2人。そんなシーンだったはずだ。勿論、リンが抱きつくのを突っ立ったまま待ってしまったがくぽも悪いが、その時点ではまだ繕うことは可能だった。だけど待ちきれなかったリンがつい飛び上がってしまい……結果NGとなったのだ。あそこはあんな子どもの無邪気さを出す場面じゃない。
 がくぽの装いのせいもあってか、がくぽの相手を演じるときは少し古い時代が設定されることが多い。リンは「いつもの14歳」でいるわけにはいかないのだ。
「大人の雰囲気か……どうしたらいいのかな」
「リンはいつも自分で仕切り過ぎなんだよ、もうちょい相手に任せてみてもいいんじゃね?」
「だって遅いと苛々するじゃん」
「それだ、早過ぎだ。大人はもっとこう…ゆっくりというか…うん、お前せっかちなんだな」
「……ああ。そうかなのかなぁ」
 リンは唇を尖らせ、ああこれも子どもっぽいと思い直す。そして膝を落として正座の体勢になると、そのまま体をレンに向けた。
「? 何だよ」
「レン、愛してるわ」
 ゆっくりと両手を伸ばす。一瞬レンが嫌そうな顔をしたので思わず睨みつける。いいから乗れ、と無言の訴えをするリンにレンはあからさまなため息をついたあと、表情を切り替えた。
「おれもだよ、リン」
 片膝立てた体勢のレンがそのまま右手だけリンに伸ばす。しかもやたらに、ゆっくりと。
「…………」
 待つ。ここは待たなきゃならない。
 いつもならとっくに手が届いているのに。今の課題にあわせて演じてくれているのはわかる。だけど、こんなのレンらしくない。
「……無理」
「早ぇよ」
「考えちゃってる時点で駄目だもん」
 どうしても集中が切れてしまう。ため息をついたとき突然背後から手が肩に触れてきて、リンは変な声を上げながらその手を払ってしまった。背後から驚いたような気配が伝わってくる。
「ミ、ミク姉」
「あ、ごめん、びっくりした?」
「び、びっくりしたけど。こっちこそごめん。ええ、いつから居たの、全然気付かなかった!」
 焦って妙に早口にまくしたてる。ミクは一瞬きょとんとした顔をしたあと、笑顔で「いいよー」と返した。多分何で謝られたかわからなかったんだろう。
「練習してるみたいだからこっそり近づこうと思って」
 ミクがしゃがみ込んで目線を合わせてきた。
 それで終わった瞬間声をかけたということか。リンもようやく落ち着いて笑顔を返す。
「全然練習になんない。やっぱがくぽとやんなきゃ意味ないよね」
 レンにはレンのタイミングがある。それで慣れてしまっている。違和感ばかり感じる練習じゃ意味がない。リンが覚えるべきは、がくぽのタイミングだ。
「がくぽ、さっき出て行ってたよ?」
「え、そうなの!」
 休憩時間なので外に出ることは問題ないが。携帯も持ってないリンでは呼び出すことも出来ない。
「どこ行ってた?」
「KAITOたちはいるか、って聞かれたからお兄ちゃんたちの楽屋教えたけど」
「ひょっとしてがくぽも相談してるんじゃないか。リンみたいなじゃじゃ馬相手にどうしたらいいか」
 リンの後ろでレンが皮肉気に言う。リンは一瞬レンを睨みかけたが、すぐに表情をほぐした。
「それならレンに聞くのが一番じゃんー」
 予想外だったのだろう。レンが目を見開いて口をぱくぱくさせる。言葉が出ない様子にしてやったりと思っているとミクが続けた。
「でもレンくんだと身長とかあんまり変わんないし、大人の色気ならお兄ちゃんたちの方だよね」
「…………」
「…………」
「……まあね」
「……そうだな」
 何だか一緒に肩を落としたリンとレンを、ミクは不思議そうな目で見てい た。





「あれ? 珍しいねがくぽ」
 楽屋の扉を開くと真正面に居たKAITOと目が合った。ノックはしたのだが、ドアを開けに来たのだろうか。KAITOが、がくぽを通すように横にずれたのでそのまま中に入る。畳敷きの楽屋でMEIKOが両手で楽譜を広げていた。よく見ればKAITOの右手にも楽譜がある。
「練習中だったか?」
「いや? 見てただけ」
「ちょっと合わせようかってとこだったけど」
 MEIKOは楽譜から目を離さないまま言う。ならば邪魔か、とも思うがKAITOが座るよう促してきたのでとりあえず大人しくその場に座り込んだ。隣にKAITOが回 る。
「どうしたの? 収録中じゃなかったっけ」
 そこでようやくMEIKOが楽譜を机の上に置いた。話を聞いてくれる気はあるようだ。
 手早く済ませようと、がくぽは現在休憩中であること、そして撮影での失態を語った。
「……なるほど」
「KAITOも前にやられてなかった? 飛びつかれて変な声出してたわね」
「あれはあのままOKだったからいいんじゃない。声はどうせ入らないし」
 元々歌のPVとしての撮影だ。台詞は喋るが実際には流れない。もっとも、それでもきちんと感情を込めないとなかなか上手くは進まないものだが。
「私はどうすれば良かったのだろうか」
「そこは……ふらつかないよう堪えて、声も抑える?」
「いや、リンが飛び上がった時点で失敗でしょ」
 あんたが気に病むことじゃないわよ、とMEIKOに続けられた。だがそもそもの原因は自分にある。リンとの距離感が上手くつかめていなかったのだ。
「リンに飛びつくような演技をさせてしまったのは私だ」
「リンはそれが魅力だからなー」
「女の魅力を引き出すのは男の仕事だろう」
「がくぽ、どこで聞いたんだそれ」
「まー、あんたならそれで行くのがいいかもしれないけど」
 何故か真顔で聞いてくるKAITOに、苦笑いをするMEIKO。何か間違っているか、と聞いても曖昧に笑われる。
「KAITOは違うのか? 恋愛ものでは男が引っ張るべきだろう」
「まあものによるかな。逆に引っ張られてることも多いよ。特にミクとかね」
「あの子はねー、リードしてるつもりでいつの間にかリードされちゃってたりするのよねー」
 MEIKOは嬉しいのか悔しいのかよくわからない表情でそう言っていた。だがその表情を見ればミクは喜ぶだろうとも何となく思う。
 演技に入ったときのミクは凄い。散々聞いていたし、目の前でも見ていたことだったが、実際一緒に合わせるとまた違うのだろう。まだがくぽはミクと二人きりで歌った経験が少ない。
「あんたはキャラ的に引っ張れるのも合わないのかな? 難しいわね。リンとのやり取りならレンに聞くのが一番だけど……」
「二人揃うと中学生っぽくなるから駄目なんじゃない」
「あんたとやってもリンは無邪気な感じが多いでしょ」
「……ああ、そうか」
「それだ。リンはそういったところが魅力だとは思うのだが……その、もっと……色気を」
「がくぽ、それ以上は言うな」
 言い淀んでいるとKAITOに止められた。真面目な顔だが、真面目に見えな い。
「色気こそ男が引き出してやればいいじゃない」
「うわ、姉さんそうくる?」
「あんたはどうなのよ。どうやって色気出してんの」
 MEIKOが近寄ってきてぐいっ、とKAITOのマフラーを引っ張った。KAITOはしばらくMEIKOの方を見つめていたが、やがてはっとした顔でがくぽを見る。
「がくぽ。色気出す方法ならある!」
「本当か!」
「脱がせ!」
「あ」
 阿呆か、と言いかけた言葉はごんっ、という激しい音に遮られた。MEIKOがKAITOの頭を拳で殴ったのだ。KAITOの頭が机にぶつかり沈む。
 いつも思うことだがMEIKOの突っ込みは激しすぎる。
「私とのPVでやたら脱がせようとするのはそれかっ!」
 どうやらMEIKOにとっての突っ込みどころはがくぽと違ったようだった。KAITOは痛くもないくせに痛そうな顔をして苦笑いで頭をさする。そしてがくぽを 見た。
「で、こっちも脱げ!」
 懲りてない。
「やたら脱ごうとするのもそれか……」
 今度のMEIKOの突っ込みは何だか弱い。KAITOはそれに笑ってMEIKOの方は見ずに言った。
「だって脱いだらきゃーって言われるもんね?」
「お前の言われてるきゃーはたまに違うものが混じってないか」
「大丈夫だ、裸マフラーとの混合はしてない!」
「ああ、全裸はさすがに範疇外だ」
 男は正直全裸がギャグでしかない。いや、そもそも脱ぐわけにはいかない。
「PVの設定は外だし、そんなところではだけるわけにもいかん」
「まあそれやったら何か別のものになるわね」
「エロいのNG? エロくない色気ってどうすりゃいいの?」
「今更私に聞くわけ」
 どうもKAITOは本気で脱げばいいと思っていたらしい。
 仕方なくMEIKOに答えを期待して、がくぽもMEIKOを見つめる。
 MEIKOがため息をついた。
「まあ……表情、かしら」
「表情……」
「リンは集中切れやすいからね。どうせ声は入らないんだし、延々愛の言葉でも囁いてみたら」
「あ、それいいね。今度おれもやっていい?」
「あんた笑わせようとしそうだから駄目」
 KAITOがMEIKOの方に身を乗り出せば、MEIKOは冷めた口調で切り返した。
 KAITOが不満げに唇を尖らせている。子どもか。
「……まあ、それはいいかもしれんな」
「あとはもう間合いに慣れていくしかないわね。慣れてくると相手のやりそうなことも見えてくるし」
「そうだな……。何があっても動じぬようにせねばな」
 よし、とがくぽは立ち上がる。
「今からリンと合わせてこよう。練習中すまなかったな」
「まだしてないって」
「さー、するわよ」
「ええ、もう?」
 MEIKOがさっさと楽譜を持ち上げる。KAITOが畳に置いていたそれを手に取る。がくぽは一礼して扉に手をかける。次の瞬間、二人が揃って歌い始めた。合図も何もない。ぴたりと揃う声。これが、慣れか。
 こうなれば気持ち良さそうだ。
 何だか楽しくなってきたがくぽは急ぎ足でスタジオへと戻って行った。


 

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