解決法

「お姉さん? おねーさん、大丈夫ー?」
「起きてるかなー? おうちの人呼ぼうかー?」
 笑いのこもったからかいの声に、少しずつ酔いが冷めてきた。
 MEIKOはぼんやりと手にした伝票を見つめる。
 打ち上げで飲んだあと、どうにも飲み足りず辺りを彷徨い入った何件目かの 店。
 どれだけ飲んだかはよく覚えていない。1人になると途端にペースが早くなるのも自覚している。だが、無闇に高い酒は飲まない。そういうものは1人で飲むものじゃないと思っている。
「……何、この値段」
 ぼそっと呟いた言葉に、目の前の男たちは笑みを深くしただけだった。
 営業スマイルとは違う、どこか小馬鹿にした笑み。
 ああ……。
 MEIKOはため息をついた。
 このあとのことを考えると頭が痛い。
 MEIKOは、ぼったくりバーに引っかかっていた。





 電話が鳴っている。
 既に眠りについていたがくぽだったが、慌てて飛び起きて受話器に手を伸ばす。狭い部屋なので移動距離はそれほどない。電話を取る瞬間、ちらりと見えた時計の時刻は、既に真夜中過ぎを指していた。
「はい、神威……」
『もしもし? がくぽ?』
「MEIKO?」
 驚いて思わず大声が出る。がくぽは慌てて室内を振り返った。今日はリンとレンが、自宅でチャンネル争いをした挙句泊まりに来ているのだ。
 深いスリープモードに入っているらしい2人は、全く身動きもしなかった。
『ええと、がくぽ……今時間ある?』
「どうしたのだ? 2人に何か用か?」
『2人?』
「リンとレンが……ああ、知らぬのか」
『ああ、泊まってるの? うん、2人じゃなくてね……』
 MEIKOの語尾が言いにくそうに消える。MEIKOらしくない話し方に、がくぽは首を傾げる。
「私に用か? こんな真夜中に」
『……ごめん、ちょっとお金持ってきて欲しいの』
 そして用件はさらりと告げられた。一瞬そのまま普通に頷きそうになる。
「……は?」
 だが、さすがに聞き返した。
『ごめん! 後で返すから!』
「……何があったのだ」
『……ええと、ぼったく……いや、ちょっとお店で飲んでたらお金足りなくって。 あ、お酒……飲むとこだからリンたちとか連れて来ちゃ駄目よ?』
 既にがくぽが行くことは決定となっている口調でMEIKOは言う。電話口の先が少し騒がしかった。MEIKOの言葉が不自然に途切れたのは向こうから何か言われたのだろうか。
「KAITOは? KAITOも一緒なのか?」
『KAITOは……多分家だけど。ごめん、KAITOには言わないで来てくれる?』
「…………」
 申し訳なさそうな、こちらの機嫌を伺うようなその声。覚えがある。リンがいたずらで何かを壊したときなど、よくこういう声を出す。
「……叱られるのが怖いのか」
『怖くないわよっ!』
 返答は早かった。
『だけど、ほら、2回目だから…ああ、もうとにかく面倒なのよ、あいつに言うと! お願いがくぽ! 今度ナス奢るから!』
 必死の声にはつい笑いが浮かんでしまう。しかし、金が足りないなどとはMEIKOらしくないミスだ。しかも2回目とは。財布を落とすかなくすかでもしたのだろ うか。
「……分かった。いくら持っていけばいいんだ?」
 失敗を隠したい気持ちはわからなくもない。それぐらいでKAITOが怒るとも思えないが、こんな真夜中まで飲んでいることも含めてなのだろう。
 MEIKOが言った金額が思ったよりも多くてさすがに驚いたが、何とかはなりそう だ。複数で飲んでいたのだろうか。MEIKOは飲むと気が大きくなるので全員に奢るとでも言ってしまったのか。
 いろいろ予想しながら、場所を聞き、受話器を置く。
 さて急いで着替えを……と、振り返ったところで目の前に見えた顔にがくぽは驚いて後ずさった。
「お前ら……!」
「なーに、がくぽ、何の話ー?」
「今の姉ちゃんだよな?」
 いつの間に起きていたのか。どこまで聞かれたのだろうか。
 驚かせたことが嬉しいのか、2人はにやにや笑いながらがくぽに迫ってくる。
「おれらに電話ってわけじゃないのか」
「うわ、凄い真夜中じゃん。お姉ちゃんどうしたの?」
 リンが時計を覗き込んで声を上げる。
 KAITOには言うな、と言われた。
 ……この2人には、どうなのだろう。
「……実はな」
 どうせ話さない限り解放はしてくれないだろう。がくぽは嘘が苦手だ。
 簡潔に用件だけ話して、未成年の入る店じゃないので着いて来るなと言おうとしたとき、レンが言った。
「……がくぽ、ひょっとしてそれって」
 僅かに苦笑いの含まれた表情。
 次の言葉に、がくぽは思わず立ち上がっていた。





「さっきの、姉さんの彼氏ー? カイトってのは? ひょっとして二股? やる ねー」
 男たちの言葉は適当に聞き流す。
 以前こういった店に引っかかったときは、どちらかというと金よりもMEIKO自身が目当てだったようで、結局存分に暴れてしまったのを思い出す。今回は、金さえ出せば大人しく帰してくれそうな雰囲気があったのでMEIKOは諦めることにした。金で解決できるならいい。下手に揉め事を起こすよりは。
「で、彼氏はいつ頃来るの?」
「……ここならタクシーで30分ぐらいかしら」
 もうずっと黙っていようかとも思ったが、あまり無視し続けても相手を怒らせるだけだろう。怯えてる演技でもすれば良かった。今更どうしようもないが。それでもさすがに笑顔を作る気にはなれず、淡々とMEIKOは言う。
 KAITOには言わずに、来てくれるだろうか。
 わかった、とがくぽは言った。一度そう言ったからには、その約束は必ず守る。その辺は律儀で誠実だ。だがその分、嘘が下手でもある。万一KAITOと遭遇したら──いや、そんなことは決してないとは思うが──上手くごまかしてくれるかどうかわからな い。
 そういえばそもそもがくぽは、MEIKOがぼったくりに引っかかったということに気付いただろうか。
 男たちの目の前で電話をさせられたので、さすがに堂々とぼったくりとは言えなかった。普通はわかるだろうが、がくぽがどうかはわからない。がくぽはミクと同じく妙なところで純真だ。悪人の存在をあまり考えに上らせない。
「……ねえ、外で待ってもいい?」
「お姉さん、ここは金払わないと外出られないよ?」
「……よねー」
 男たちに囲まれてるMEIKOを見てどう思うだろうか。精一杯笑顔で、思い切り酔ってる振りでもするか。
 店に入れずに金だけ渡してもらうという方法もあったが、さすがにそれは許してもらえそうにない。
 MEIKOは大人しくソファに身を沈ませた。
 まあ、なるようになる。
 KAITOにばれないまま平穏に終わってくれれば、それでいい。
 その思いは、30分後、砕かれることになる。





「腹切れ貴様ぁっ!!」
「な、何だぁ!?」
 この上もなく聞き覚えのある大声が、店内入り口で聞こえた。思わず立ち上がろうとしたMEIKOだが、すぐさま隣の男に肩を押さえつけられた。
「……お姉さん、知り合い?」
 それまでの猫撫で声とは一変した、冷たい声。MEIKOは睨みつけるようにして少し笑みを浮かべる。
「……みたいね」
「MEIKOっ、無事か!」
 言葉と同時に男が数人吹っ飛ばされてきた。新型はMEIKOたちより人間に近く作られているはずだが、さすがに男性型だけあってか、侍という設定上か、がくぽは 強い。
 MEIKOが何か言うより早く、目の前にナイフが突きつけられた。
「……がくぽ、あんた何のつもり」
「ここはぼったくりバーなのであろう! レンから聞いたぞ! こんなところに金を払う必要などない! 今すぐ帰るのだ!」
 ああ、がくぽの正義感はやはりこういう方向に発揮されるのか。
 たきつけたらしいレンの姿は見えない。さすがに着いては来なかったのか。まあ、がくぽが来させないだろうが。
「……彼氏さん、ちょっとそこで止まって貰えるかな」
 がっ、とMEIKOの肩が捕まれる。
 この状況で、随分と冷静な男だ。がくぽみたいな男がそう居るわけでもあるまいに。素早すぎる状況判断にMEIKOはため息をついた。
「がくぽ」
「何だ」
「……なるべくならね、私は穏便に済ませたかったのよ」
「……そうだろうとは思ってた」
「ああ、だけど許せないってわけね。まあ……」
 MEIKOは自分の肩に乗った男の手を掴むと、目の前にあるナイフを持った手に頭突きをかました。
「なっ……」
 さすがに予想外だったろう。
 ナイフを取り落とした男の腕を捻り上げ、蹴り飛ばす。
「……いいわ、いい加減嫌になってたとこだし」
 でも、KAITOには内緒よ、とMEIKOは睨みつけるようにがくぽに言う。
 説教されるのは面倒だ。
 それだけだ。
 がくぽはもう1度、わかった、と頷いた。
「……で、飲んだ分はどれくらいなのだ?」
「ああ、正規料金は払うつもりなのね? それならもういいわよ」
 財布の中身はもう取られた。それ以上は言う必要もない。
 がくぽの肩を叩き、MEIKOは出口へと向かう。一瞬呆けたように止まっていたがくぽも慌てて追った。
 男たちは追って来ない。追っても無駄だと既にわかっているようだ。馬鹿じゃなくて良かったのかどうか。
「……あー、がくぽ」
「ん?」
「……ありがと」
「……良かったのか」
「良かったってことにしとくわ」
 大人しく金を払って終わった場合、MEIKOは直ぐに忘れるだろうが巻き込まれたがくぽは多分そうはいかない。ならば、これでいい。
 店を出る。まだまだ夜は長い。
「じゃー口直しにもう1件行くか!」
「……今すぐ帰らないとKAITOに言いつけるぞ」
 呆れた声のがくぽに腕を捕まれ引きずられる。振り返る暇もなかったので思い切り後ろ向きに引っ張っていかれた。
「……ウチの男どもはどうしてこう融通が利かないのかしらねー」
 ぼそっと呟いた言葉には、答えが返って来なかった。





『……うん、わかった、言わないよ』
「……ありがとう、ミク。起こしてごめんね」
『お兄ちゃん大丈夫?』
「大丈夫だよ。じゃあ、おやすみ」
『おやすみなさいー』
 電話を切る。
 はらはらとそれを見守っていた数人が不安げな顔でKAITOを見ていた。
「……あの」
「ごめんなさい、姉さん居ないみたいで」
 さすがに妹をここに来させるわけには行かないんで。
 そう言ったKAITOに、男たちの間に絶望が走る。
「だから、暴れていいですか?」
 KAITOはそう言って立ち上がった。
 スタッフ数人との飲み会。KAITOは飲まないが、結局何次会まで付き合わされたのだったか。ぼったくりに引っかかり、一気に酔いの冷めたらしい男たちは、やはり払えるだけの金を持っていなかった。奥さんにばれても困る、という人たちばかり だ。
「……KAITOくん?」
「姉さんには内緒ですよ」
 以前ぼったくりバーで暴れた姉に説教をしたのを思い出す。
 怒られるのを覚悟でかけた電話だったが、MEIKOが居ないことで逆に腹をくく った。
 ……ばれなきゃいいんだ、ようするに。
 とりあえず、名刺だの財布だの取られる前に。
 KAITOは力尽くで、スタッフの逃げる道を開けた。


 

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