火傷
「おれに惚れると、火傷するぜ」
人差し指を立て、にやりと口の端を上げて言ったその言葉に、目の前のリンは無反応だった。
「…………」
数秒…いや、数十秒続く沈黙。
更に言葉を続けようとして口を開くが、何も出てこない。
気取った顔の中、視線が揺れる。
耐え切れなくなったレンはついに表情を崩して肩を落とした。
「……何か反応しろよ……!」
「……だって絶対笑うなって言ったじゃん……!」
リンがようやく顔を歪ませてそう言った。
笑いそうになるのを堪えて、の反応だったらしい。
それにレンは益々落ち込んで頭を抱えて座り込んでしまった。
「多分誰が言っても笑っちゃうと思うけど?」
「だよね、それを言って普通にかっこいいと思わせるのはなかなか難しいと思
うよ」
「……だよな」
部屋からリビングに降りてきたレンが、先ほどのことを話せばMEIKOとKAITOはそんな反応をしてきた。
当然といえば当然の言葉だが、それを予測できていなかった自分が少し情けなくなる。いっぱいいっぱいだったのだ。多分。
「っていうか何なの、それ。次の仕事?」
落ち込むレンにMEIKOが首を傾げながら問いかけてくる。兄弟たちの仕事はほぼ把握しているMEIKOなので心当たりがないのが不思議なのだろう。確かに、それが直接仕事に関係あるわけではない。
「まあ……そうかな。なあ、兄ちゃん姉ちゃんは女垂らしの男ってどういうイメージある?」
レンはソファに座りながら2人を見上げて言う。2人は顔を見合わせた。
「複数の女の子と付き合ってる子?」
「女なら誰でもいいとか」
ほとんど同時に出てきた言葉は微妙にずれている。だが、ほぼ
似た答えになった。
「要するに恋人を1人に絞らないってこと?」
「かなぁ。あ、でもおれ前に姉さんとやったPVでやたら女垂らしって言われたな。恋人役姉さんだけだったのに」
「そういえばそうねー。あの場合……私、っていうか女に対する態度じゃない? 本気で愛してるって感じじゃなかったでしょ」
「あーなるほど…確かに遊んでる感じだったね。そうか、本気かどうかも関係あるのかな」
「なるほど……」
レンが考え込んでるのを見て、MEIKOがその顔を覗き込んで来る。首を傾げながら無理矢理その顔をぐいっと持ち上げられた。
「で、それがどうしたの?」
「女垂らしの男の役作り? 歌詞や台本にもよるんじゃない」
「いや、っていうかさ」
レンはそこでソファから飛び降りるように立ち上がる。MEIKOが体を引いた。
何か言われる前に、息を吸い込みすぐさま歌に入る。始まってしまえば、2人は邪魔をしてこない。大人しく聞いている2人を眺めながら、1番を全て歌いきった。
「……愛の歌だね」
終わったあとKAITOがぽつりと言う。
好きだ、愛してると何度も歌詞に出てくる。うっとうしいほど情熱的な愛の歌。
「……おれらってさ、これを何人もの人に歌うんだよな」
しかも本気どころか、相手の顔も名前も知らない。
聞いている方の気持ちはどうなのだろうか。本当に、本気の愛の歌だと伝わるのだろうか。
「……なるほど、そう考えちゃったか」
「まあ確かに不特定多数に歌っといて本気だよ、は言いにくいかなぁ」
KAITOはやたらおかしそうにそう言う。正直KAITO辺りなら既に通過した悩みかと思っていたので意外そうに言われて却ってびっくりする。
「兄ちゃんは今まで思わなかったわけ? ライブのステージとか、すげー客居る中で誰に歌っていいかわかんなくなんないか?」
「おれ、そういう歌少ないしね。普通に全員に歌えばいいんじゃないかなぁ」
「あんたはそんなんだから情熱的な部分が出ないんじゃないの? 一人の女に対する狂おしい程の愛とか、あんたから聞いたことないわ」
「……おれもそんな気がしてきた」
あれ、そんな歌あった気がするのに。
KAITOがぶつぶつ呟いているのは歌の歌詞だろうか。どうやらKAITOは参考にならないようだ。
「それで、それが女垂らしに結びついたわけ?」
「……まあ、色んな女全員に本気の愛を歌うなら女垂らしじゃないかってリンが言って……」
「でも、あれやれって言ったわけじゃないからね!」
「何やってるのみんなー」
会話の途中に入ってきたのはリンとミクだった。ミクは仕事から帰ったばかりだろうか。手にしたバックをソファに放り投げて、いつものようにKAITOの隣に
座る。
俯き気味だったKAITOが顔を上げた。
「ただいまお兄ちゃ……」
「ミク」
真剣な顔をしたKAITOに、ミクの言葉が止まる。そんなミクの肩にKAITOが軽く右手をかけた。
「……?」
ミクがきょとんとした顔を向けた瞬間、KAITOが歌い始めた。
愛している、世界でお前だけを、という歌。
「……わー」
小さなリンの呟きが聞こえた。今KAITOは、ミクに対してそれを歌っている。思わずレンも口を閉ざし、その歌に聞き入る。
ミクはどう反応するかと見ていると、歌が終わりに近づいたとき、ミクの口が少し笑みを形作ったのに気付く。
そしてKAITOの歌が終わったと同時、ミクは歌を返した。
愛している、あなた以外何もいらない、と。
KAITOの歌に答える素晴らしい歌だったと思うが、終わったとき何故かKAITOは凹んでいた。
「……ミクの方がうわてね」
MEIKOがおかしそうにそう言ってKAITOがため息をつく。
「え、え? 駄目だった?」
「いや正解。だけど……出来ればもっと聞き惚れて欲しかったなぁ。ミク、おれの歌の間も次にどうやって返そうかって考えてたでしょ」
「だ、だって愛にはちゃんと応えなきゃ……!」
「うん、ありがとう。あ、でもおれ以外にそんな簡単に答えちゃ駄目だよ?」
真面目な顔をするKAITOと、それにしっかり頷くミク。レンは思わず突っ込
んだ。
「それ何か別の意味に聞こえんぞ」
「あはは、ミク姉、歌で愛の告白されたら簡単に受けちゃいそうだね!」
リンがミクの隣に無理矢理割り込んで笑うと、ミクは頬を膨らませて言
った。
「返したくなるほどの歌を歌う人だったらいーもん」
「そうきたか」
「何か安心していいのか不安になった方がいいのか微妙だわー。KAITO、負けないでよ」
「それをおれに言うか」
「KAITO兄ィは一人へ愛を歌うの苦手なんだねー。レンは逆に大勢に歌うの苦手っぽいけど」
「そういえばそういう話だっけ」
「え、何? 何の話?」
KAITOの歌には乗ったものの、話にはついていけていなかったミクがきょろきょろと辺りを見回す。立ったままだったレンもそこでようやくもう1度ソファに座った。
「どうやったら女垂らしになれるかな、と」
「待ってレン、それじゃおれが女垂らしみたいだ」
「色んな人に愛を歌うのは女垂らしだよねー」
「ねー」
リンの言葉にMEIKOが悪乗りする。ついていけていないミクだけが真面目に返した。
「えええ、でもそれが私たちの仕事だよ!」
「そうだミク、いいこと言った」
「だからそれが出来なくて悩んでんだろ!」
レンがついに叫ぶように言うと、一瞬辺りが静まり返った。
「……あ、悩んでるんだ」
ワンテンポ遅れたミクの声には、ため息しか出なかった。
「いやっ、私を捨てないで!」
「お前とは所詮遊びだったんだよ」
「遊びでもいいの! あなたの側に居たいのっ!」
「し、しつこい女だ……し、しつこい女は嫌われるぜ!」
「レンー、それかっこ悪い」
「ちょっと待てよ、そんなスムーズに台詞出てくるか!」
「レンって結構アドリブに弱いよね」
「だったらお前やってみろよ!」
レンはすがり付いていたミクを振り払うと観客に徹しているKAITOの腕を無理矢理引っ張る。位置が交代して、ミクはすぐさまKAITOにすがりついた。
「お兄ちゃん! お願い捨てないで!」
「……ミク姉が一番凄まじいよね」
「あの子も役の幅広いもんねぇ」
MEIKOも感心したように頷いている。
KAITOと入れ替わりにMEIKOの隣に座ったレンは、KAITOの対応を逃すまいとじっとそれに見入る。
「捨てないよ。おれはミクを絶対捨てない。それは約束する」
「……ホント?」
「だから待ってて。絶対帰ってくるから」
「……でも…でも、あの子のとこにいくんでしょ!?」
ミクがきっ、と視線をやった先は……リン。
リンがさすがにちょっと慌てて姿勢を正した。振られたら何か返さなければならない。
「……でもミクは待てるよね? おれのこと、信じられない?」
KAITOはあくまで優しい声でそう言う。ミクがしばらく固まった後、ゆっくりと首を振った。
「……信じる。お兄ちゃん、絶対…絶対帰ってきてね!」
「うん、わかってるよ」
KAITOがミクの頭を撫でて……リンの隣に座った。
「はい、終了ー」
「くっそ、そうくるか……!」
勝ち誇ったようなKAITOの顔が悔しい。一人に語る愛なら絶対負けないのに!
「なるほど、あんたの妙に本気っぽくないとこは女垂らしに持ってこいってわけね」
「姉さん、それ褒めてない」
「褒めてないわよ。あんたは本気の愛をもうちょっと頑張りなさい」
「ねえねえ、じゃあ次男女逆やろー」
「え?」
結局何も演じなかったリンがぴょん、と立ち上がるとMEIKOの腕を取る。
「お姉ちゃん悪女、KAITO兄ィ弄ばれる役で」
「待ってよ、今回のこれはレンの」
「おれもそれ見たいな。男垂らしだとどうなんの?」
「私も見たいー!」
「ミクは出来るでしょーが」
リンに引っ張られMEIKOが立ち上がった隙に、その席にミクが滑り込むように座る。MEIKOがため息をついた。
「……やるからには、何か学びなさいよ?」
迫力ある声で言われて思わずレンも頷く。
言われずとも、複数へ語る愛の形は、しっかり勉強させてもらうつもりだ
った。
ざわついた客の声がよく聞こえる。薄暗い舞台袖で、レンは頭の中だけで今日の客席を想像する。いつも通りの満席、若い女性が多め。早い時間帯だからか、子どもの声はいつもより若干多い。
「レン、何やってんの。出番まだでしょ」
「いいだろ別に。ここのがよく聞こえるし」
楽屋には客席を映すテレビもあるが、生の声を聴く方が熱気を実感出来る。テンションを上げるにはここが一番だ。
「そうだな、客席からは見えんだろうし」
「ってがくぽ! がくぽは駄目だよ、サプライズなんだから! もっと奥!」
「見えぬと言っておろう」
「声聞こえるかも!」
「いや、人間には無理だろ」
さすがにレンがフォローを入れる。リンの真後ろに顔を出していたがくぽは、リンに押されて随分奥へと押しやられていた。
何となく、レンの方でそちらに向かう。
「それだ、レンは女垂らしにはなれたのか」
「……がくぽ、何聞いた」
「レンが女垂らしになりたいと言っていたと」
「……KAITO兄ィだな」
「がくぽはどうなのー。大勢の人に愛を歌える?」
「大勢にでも一人にでも。望まれれば何でも歌うのが私たちだろう」
「口で言うのは簡単だけどな」
結局『女垂らし』らしい言葉やら行動やらを練習しまくって、何か違うと途中で気付き、その後それっきりだ。
というか気付くのが遅すぎた。結局真夜中までみんなで遊んでしまった。
「がくぽならどういう風にやるー? あ、じゃあ私ががくぽに遊ばれる女役ね。がくぽ、捨てないでー!」
「ふっ、リン、私がお主を捨てるなどと思うのか? 私がお前に語った愛の言葉、よもや忘れたとは」
「待て待て待て! それじゃ昨日と同じだ、っていうか何ここでやってんだよ、がくぽも乗るな!」
一気に突っ込むとさすがに2人の言葉が止まった。
ライブはもう始まる。
「そもそも……悪い男になっちゃ意味ねぇだろ」
ああ、昨日からの疑問がようやく形になった。そうだ、自分はファンを騙したいわけではないのだ。
「……ならばそのままのお主で良かろう。今は一番上手く歌えるやり方でやればいいのだ」
「……だな」
がくぽの言葉に苦笑して返す。
「そーそー。大体、どんな歌い方したって、聞いてる人は自分に歌ってくれてると思うもんよ」
「……お前、それを先に言えよ」
「それじゃ満足しなかったでしょ?」
確かにそうかもしれない。
結局は聞き手の気持ち次第。いつかは、その気持ちも一緒に揺さぶれるようになればいいのだけれど。
目指すところが女垂らし、ではなかったのは間違いない。
そもそも最初にそれを言い出したのはリンのはずなのだが。
「……何よ?」
レンの視線にも強気で返してくるリン。レンは別に、とだけ返して笑った。
遠回りも勉強だ。
レンは無理矢理自分を納得させ、一人で満足げに頷いておいた。
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