ゲーム
外が明るくなってきた。
鳥の声が聞こえて、ミクはようやくそのことに気付く。のろのろと立ち上がってカーテンを開ける。明るくなってきた、どころか、もうすっかり明るい。
何時間リビングの床に座りっぱなしだったのか。ミクは人間のように一つ伸びをして、同じく床に座ったままのレンに目をやった。
真剣な目で見つめるテレビ画面。一晩中かかっていたゲーム音楽。ようやくやってきた、ボス戦だ。
レンの右手がボタンを叩く。右へ左へ、コントローラーに目を落とすことなくレンがプレイヤーを操っている。一晩眺めて、何となくは理解できるようになったゲーム状況だが、何故ああも器用にプレイヤーが攻撃を避けるのかはわからない。ミクにはどうしてもあれが出来ない。
ミクは今度は時計を見上げた。もうすぐレンは仕事に出る時間。兄姉が泊まりの仕事だったのをいいことに徹夜してゲームをしていたレンだが、さすがにもう限界だ。そろそろ支度をしないと間に合わない。だが、今のレンには何となく声をかけづ
らい。
ミクが迷っていると、ちょうどもう1人、家に残っていた人物が階段を降りてくる音が聞こえた。ミクはそれにほっと息をつく。
寝癖の付いた髪でリビングに入ってきたのは、リンだった。
「おはよー」
「おはようリンちゃん」
「……2人とも早い……ってわけじゃないのか」
リンがどさっとソファに座った。レンは振り向きもしない。
「一晩中やってたの?」
リンはミクの方に目を向けてきた。ミクが頷くとリンが呆れたように笑った。
「ちょっとお姉ちゃんとか居ないとこれなんだから。そんなんで大丈夫? 今日の仕事」
「大丈夫」
いつも言葉に余計な一言をくっつけるレンの答えは短い。集中しているのだろう。リンは何か言いたげに口を開いたが、結局そのままリビングを出て行った。
「でも……準備は? もう時間間に合わな……」
「あっ」
「あっ!」
レンのプレイヤーがやられた。
画面が薄暗くなり何かの選択肢が表れる。
「げ、ゲームオーバー?」
「まだだよ、まだ二人残ってる!」
レンがすぐさま再開する。かなりのダメージを与えたはずのボスが、また完全回復している。ミクも思わず画面に見入る。しばらくして入ってきたリンが、真後ろに立っているのにも気付かなかった。
「はーい、そこまでー。もう行くよ、レン」
「もうちょっと待てって」
「待てない。もうぎりぎり」
「あとちょっとで倒せるんだよ!」
「それよりレンがやられるのが先じゃないー? どっちにしても時間切れです、ほら行くよ」
「ちょ、ちょっと待て!」
腕を引っ張られ、レンが慌てて画面にポーズをかけた。ボスもプレイヤーも、どちらも瀕死。確かにあと少しだろうが。
「あああっ、これ絶対やられる!」
ちょうど攻撃が、プレイヤーに当たる直前だった。
「ちょうどいいじゃん。じゃ、リセット」
「待てって!」
リセットボタンに手を伸ばすリンの腕をレンが掴む。必死の顔で説明を始め
た。
「ここでリセットしたらこの面最初からやり直しなんだよ! こいつ! こいつ倒せばセーブできるから!」
「だからもうやられるじゃん。もう一戦とか待ってられませんー。ミク姉、手伝って」
「え、ええー」
リンとレンが腕を取り合って押し合いをしている。確かに今ミクが手を伸ばせばリセットボタンは押せるのだが。
「ミク姉、頼む! ここまでの苦労知ってるだろ!」
「う、うん」
「あーっ、もうホントに時間ないんだってば! いいじゃん、またやり直せば」
「う、うん、レンくん、もう時間過ぎてるって」
間に合わないかもしれない。
レンがそこでようやく時計を見てがっくり肩を落とす。
「髪も服もそのまんまでいいでしょ。ほら立ってー」
一気に力の抜けたレンをリンが無理矢理立たせる。さすがに気の毒だな、と思っているとレンがばっと顔を上げてミクを見る。
「ミク姉、これこのまま置いといてくれるか!?」
「え?」
「帰ったら続きやるから! ミク姉今日仕事ないだろ」
「ないけど……」
「じゃあ頼む!」
リンに引きずられながら、レンが必死の形相でそう言ってきた。思わず頷いて見送る。
ミクはもう1度テレビ画面を見た。
レンたちが帰ってくるのは夜中。
それまで、この画面を死守しなければならない。
「ただいまー、って何やってんのミク」
「え? 本読んでる」
床に広げた本を読んでいると、先に帰ってきたのはMEIKOだった。一応テレビは消して、なるべくゲーム機からは離れないよう直ぐ側で本を読んでいた。普段からソファに座らず、床の上に居ることの多いミクの行動には特に疑問は抱かなかったようだ。MEIKOはふうん、と軽く返事してソファに腰を下ろす。
「あっ」
「……何よ」
続いてテレビのリモコンを手に取るのを見て思わず声を上げる。慌てて何でもない、と首を振った。チャンネルは変えた。今付けてもゲーム画面は出てこない。
MEIKOがテレビを見始め、ミクはドキドキしながら再び本を読み始める。テレビがついたおかげで、ゲーム機が僅かに音を立てているのには気付かれないかもしれ
ない。
「ミク、昼ご飯食べた?」
「あ、まだ」
「食べる? ネギあるけど」
「食べる!」
反射的に立ち上がって、ゲーム機にぶつかりそうになった。
危ない危ない。
「ただいまー」
「あ、KAITO」
「お帰りなさいお兄ちゃん!」
「何買ってきた……ってやっぱりアイスなのね、あんた」
「だって期間限定だし」
そういえばKAITOとMEIKOは同じ仕事で家を開けてたはずだが、KAITOの方が遅かった。コンビニにでも寄っていたのだろう。KAITOが下げた袋には見慣れないアイスがいくつか。
「これから昼ご飯だから、それ仕舞っときなさい」
「え、昼これじゃ駄目?」
「昼ご飯がアイス、は普通の生活じゃないわよ」
「じゃあ先に言っとくけど、昼間っからお酒もあんまり健全じゃないからね」
「……う……」
わ、わかってるわよ、と小さく呟いたMEIKOは何だか拗ねたような顔をしていた。飲むつもりだったのだろう。
ミクの好物は朝昼晩いつ食べてもおかしくなくて良かった、と思いながらミクはMEIKOに続いて台所に入った。KAITOが冷凍庫にアイスを突っ込んでいる。家の冷凍庫は完全にKAITO専用だ。
「食前のアイスはありかなぁ」
「食後ならありだと思うよ」
「うーん……じゃあ我慢するか」
ミクの言葉にKAITOはそう言ってリビングへと入る。MEIKOがそれを見送ってぽつりと言った。
「……食前酒、ってのもあるわよね」
「昼間からお酒は駄目だよ!」
「……わかったわよ」
KAITOを真似して言ってみたらMEIKOが苦笑いで頷いた。
MEIKOが手を洗うために蛇口を捻り、流れる水の音でしばらく気付かなかった。
「あれ? ゲーム付けっぱなしじゃん」
背後でのKAITOの行動に。
「あっ、お兄ちゃん駄目っ……!」
「え?」
振り返ったときには、KAITOの手は既に電源に。
「あああっ!」
声とほとんど同時に、消されていた。
「……え、ごめん、やりかけだった?」
「ミク、本読んでたわよ?」
焦るKAITOにMEIKOがフォローのつもりか、そんなことを言う。
確かに。テレビは消して本を読んでいた。MEIKOがテレビを見始めても何も言わなかった。
……怒られるかもしれないと、思ったから。
「……レンくんが……やりかけで……」
ゆっくりとゲーム機に近づく。
電源ランプが、確かに消えていた。微かな作動音も、もう聞こえない。
「レン? レンは朝から仕事じゃなかった?」
そんなミクの後に続いてMEIKOもリビングに戻ってくる。
徹夜でやっていた、とまでは言えなかった。それでもミクの泣きそうな顔を見たせいか、心配げな視線を向けてくる。
「約束してたの?」
頷く。
「……KAITO、それもう駄目なの?」
「やりかけだったんなら……一度消しちゃったらねぇ。セーブとかしてなかったの?」
KAITOが言いながらもう1度電源を入れた。ついでにチャンネルをゲームに合わせる。久しぶりに見る、オープニング画面。
「……セーブは1面クリアごとにしか出来なくて…1面が5つぐらいあって…6面の5つめのボス戦だった」
言いながらよくわからないかな、と思ったがKAITOは理解したようだ。コントローラーを手に取り、ゲームの続きを表示させる。
「あー……6面最初からになってるね。これのボス戦までいってたんだ?」
「うん」
「そこまでいけないの、KAITO」
「……おれアクションゲームは苦手だなぁ」
「私も無理」
「やってあげなさいよ、出来るとこまで」
「簡単に言わないでよ……」
あまりゲームをやらないMEIKOの言葉にKAITOがため息をつく。
それでも一応プレイをし始める。
「……ま、KAITOに任せて昼ご飯にしましょうよ」
MEIKOがミクの肩を叩く。
台所に向かいながら心配げに振り向くと、既に一機消滅。
そういえばアイテムも取らなきゃ行けないんじゃなかったっけ。
「ああっ、待ってそこ! そこ戻って! そっちいっちゃ駄目!」
「えええ、どこ!? あ、駄目だ行き止まり……」
「ああ挟まれたー」
日が沈んできていた。
KAITOの隣でミクは精一杯レンのプレイを思い出しながらアドバイスを送るが、全然進まない。
「そこ、敵来てるじゃない、早く避けなさいよ!」
「いや、だから避けようと……」
「あー死んだー!」
昼食後、結局MEIKOも隣で一緒になって応援している。
理解してくるとKAITOのプレイはもどかしいのだろう。一度強引にコントローラーを奪っていたが、ゲーム慣れしないMEIKOのプレイはKAITO以上に下手だった。
「……これ、無理じゃない?」
何十回目かのゲームオーバーで、KAITOがぽつりと言う。
「で、でも、さっきはラスボス戦まで行ったじゃん!」
「何回やっての一回かなぁ」
「しかも2人残して、お互いライフぎりぎりまでいかなきゃいけないんだよね」
ミクの説明した状況の再現に、KAITOは諦めのため息をつく。
隣のMEIKOも同様のようだった。
「……そもそも、朝から仕事のレンがここまで行ってたって? いつからやってたのよ……」
ぎくりとする。
ついにそこに触れられた。このまま流してしまえるかと思ったのに。
「……早起き……じゃないだろうねぇ」
「徹夜でゲームってどうなの」
「おれたちはあんまり仕事に支障は出ないと思うけど……まあ人間の子がやったら怒られるね」
「支障は出るでしょ。一日数時間はスリープモードに入らないと。連続稼働にも限界あるんだから。仕事でもないときに何やってんのよ」
休めるときに休まなきゃ、とMEIKOが少し強い口調で言う。
何だかまずい展開だ。
「あー……じゃあ、怒って消したってことにする……?」
KAITOの言葉にMEIKOが頷きかける。ミクは慌てて言った。
「でも! 私、見てるって約束したし……」
「ミクに見張り押し付けてるのもそもそもどうかと思うのよね」
「でもレンくん頑張ってて…あと少しでいけそうだったのに……!」
どちらかと言うとこの気持ちが大きい。
なにせ一晩中レンのプレイを見ていたのだから。
そうだ。先ほどまでのアドバイスを考えれば、ミクが起きていたこともばれ
る。
しまった。
ミクが気付いたように焦った顔をしたので、KAITOとMEIKOは顔を見合わせ、苦笑いになる。
「あー…まあ」
「いけるとこまで頑張ってみようか」
KAITOが再びコントローラーを手にした。
「ただいまー」
「ただいまー! みかんあるー?」
仕事は思ったより早く片付いたが、それでも帰宅は日付が変わる直前にな
った。
ゲーム画面は無事だろうか、と仕事中もそればかり気になってしまった。本当はもっとキリのいいところで止めるつもりだったのに。面白いゲームは性質が悪い。
そんな勝手なことを思いながらレンはリビングに入る。先に台所にいったリンはみかんを漁っていた。
リビングには、ソファにだらりと寝そべるKAITOと、その下でソファにもたれかかって眠っている様子のミク。
MEIKOはその正面のソファに座っていた。
「? 姉ちゃん?」
「どうしたの?」
「……何でこんなとこで寝てんの、この2人」
「力尽きたんじゃないかしら」
「……?」
疑問に思いながらゲーム機に近づく。作動しているようだった。思わずほっと息をつく。
「MEIKO姉ー。今日の仕事ね」
みかんを手にしたリンがリビングにやってくるとMEIKOの隣に飛びつくように
座る。
一日の報告にMEIKOが気を取られている隙に、ゲームを起動する振りをしながらテレビをつけた。
さて、どうなっているだろうか。
「レンなんかぼーっとしててさ。私の役名呼ぶとこで『リン』って2回も言っちゃって!」
「へぇ……」
MEIKOの声が低くなった気がする。
余計なことを言うな、と思いつつゲームの方が気になる。
付いた画面は、レンがポーズをかけたときのままだった。
「よしっ!」
「何がよしなの?」
「あ、いや、何でも」
「ゲームするの? もう寝なさいよ、朝早かったんだから」
「これだけ! すぐセーブできるから」
言いながらポーズを解いた。
動き始めるゲーム画面。が、すぐに死ぬ。やっぱり駄目だったか。
レンはため息をつくが、あと1人残ってる。出来るはずだと思ってた。
「……あれ?」
戦いながら妙なことに気付いた。
取ったはずのないアイテムが表示されている。セットしていた武器もこれじゃなかったような。
だが深く考える余裕もなくゲームに集中する。
「……さすがだわねぇ」
MEIKOがそんなことを呟いていたが、レンの耳には届かなかった。
「よっしゃー!」
ついに、撃破。
思わず片腕を上げるとようやく起きたのか、背後でミクの声がする。
「あ、レンくん帰ってたんだ。お帰りー」
「ミク姉、私も」
「リンちゃんお帰りー」
スリープから解除されたばかりだろうに、何だか疲れた声をしている。
セーブしながら、再び違和感に気付いた。
まさか。
レンは後ろを振り返る。
ソファの上で伸びてるKAITO。疲れた顔をしたミク。
思わずコントローラーに目を落とす。
ああ……やり直したのか、これ。
「あ、クリアしたの? やったね!」
気付いてしまったレンは、ミクの声に反射的に答える。
「ああ……ありがと」
「? 何でありがと?」
「いや、えっと……応援してくれて?」
ごまかすように言うと笑顔を返された。
セーブが終わり、画面を切る。クリア、とは言っても6面のクリア。最終ステージがまだ残ってる。それは次のお楽しみだ。
「終わったー? じゃ、遊ぼうー」
「寝なさいってば」
「今日ずっと仕事だったんだもんー! 上行こ、上」
「引っ張んなよ!」
リンに引っ張られてレンが怒鳴り声を上げる。
「いってらっしゃーい」
ミクはやっぱり疲れた顔で手を振っていた。
自分の無茶な願いでそうなったのだろうか。
謝りたいと思いつつ、気付かなかった振りをした方がいいのだろうかとも思
う。
どちらにせよ、今日は気になって仕方なかったしリンの言った通りNGもした。
……ゲームはほどほどにしよう。
「良かったぁー!」
「……ごまかせたのかしらね」
「お兄ちゃんホントありがとうー!」
ぶっ続けでプレイしていたKAITOはまだ目を覚まさない。
ミクたちに運ぶのは無理なので、毛布でも取ってこよう。
そう思ってミクは立ち上がる。
ついでに出しっぱなしのゲーム機も片づけた。
「ミク、今回はあんたに免じて許すけど。今度からは、」
「大丈夫!」
レンは同じ失敗はしない。
ミクはそう信じている。
それでも次のときはちゃんと止めよう。「お姉ちゃん」として。
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