宣言
「私の番まだー」
「ちょっと長引いてるみたいね」
「あー、早く歌いたいのにー」
ミクがじたばたと落ち着かなげに体を揺らしている。MEIKOはそんなミクをなだめるように肩を叩く。動きは止まったが、今にもこの場で歌いだしてしまいそうだ。それで落ち着くのなら、それでもいいのかもしれないが。
「本番前にあまりテンション上げすぎない方がいいかもよ」
今日はある有名な作曲家に、歌を聞いてもらうためにやってきていた。精力的で、いろんな相手に曲を書いているその人がVOCALOIDに興味を持ったらしい。自分たちとしても願ったり叶ったりの相手だ。是非にと承諾したところ、自分が曲を贈る相手の歌は生で聞いておきたいと呼び出された。お互い忙しく、話がついてから実際に会うまでに随分時間がかかってしまった。ようやく取れた時間の中、まずはKAITOが歌っている。一人一人呼び出すということはソロをくれるのかもしれない。そんな話すらまだ出来ていない。
「じっくり聞いてくれてるって考えたらいいんじゃない。結構長く時間取ってくれてるしね」
だからこそなかなか都合がつかなかったのだが。
それでも5人揃って、とのことだったので最終的にはやはり全員で歌うのか。
MEIKOは考えながら、ふと正面に座るリンとレンに目をやった。
「レン、どうしたの?」
ちょうどそのとき、リンがレンに向けてそう言う。
いつになく静かだった2人に、緊張しているのかと思っていたが、どうもそうではなさそうだった。
「どうしたって……何が?」
「何かおかしいよ」
「何もおかしくないだろ」
「いつもと違うの」
「だから何がだよ」
「だからー……えーっと……」
リンが言葉に困るように眉を寄せて、ぱっ、とMEIKOの方を見上げてきた。助けを求められている、とわかったがMEIKOにも何が何だかわからない。
「どうしたの?」
「何かレンがおかしいの」
「だからおかしくないって言ってんだろ」
「ほら、元気ない!」
「はぁ?」
反射的に発言したらしいリンは、自分で自分の言葉に納得したように頷いた。
「そうだよ、元気ないよレン」
「いつも通りだろ」
「違うー、絶対違うって。ねぇ、違うよね?」
リンが勢い込んでMEIKOに聞くが、MEIKOは咄嗟に答えられない。隣のミクを見ると、ミクもきょとんとした顔でリンを見ていた。
「ほら、お前だけだってそんなこと思ってんの」
「私が思ってるなら正解だよ」
リンは強い目でレンを見てそう言う。
レンが怯んだように目を逸らした。
その様子を見てMEIKOも表情を変える。
「……そうみたいね。レン、どうしたの。調子悪いの」
「普通だって言ってるだろ」
「絶対違う!」
がちゃっ、とリンの叫びと同時にドアが開く。防音室から出てきたKAITOが目を丸くして、その声を聞いていた。
「レンー」
「……何だよ」
「機嫌悪いね」
「当たり前だろ」
タクシーの後部座席で。そっぽを向いて窓の外を眺めるレンにKAITOは苦笑する。注意深く見れば、歩き方が少しおかしかったのには気付いたが、こうしているとやはり不調なようには見えない。ごまかせると思ったのだろう。だから、不満なのだ。
結局作曲家の人には謝って、レンとKAITOだけメディカルセンターに行くことになった。何ともなければレンの番までに帰ってこられる、とは言ったが多分無理だろう。往復だけでもかなりの時間がかかる。何より「何ともない」わけではない。
「今日の……」
「ん?」
呟くような言葉を聞き返すと、レンは発言を後悔するように顔を歪めた。だが、直ぐに思い直したのかもう1度言葉を続ける。
「今日の仕事、今日、しかなかったんだろ」
「……ああ。そうだね。次はいつになるかわからないし、あの人がもう1度呼んでくれるかはわからないけど」
KAITOの言葉の途中で、レンがまた顔を逸らした。どんな表情を浮かべたのかは見ることが出来ない。
「でも、レンの体の方が大事でしょ」
「…………」
「それに、全力出せないなら一緒だよ。レンだけじゃない。リンだってレンがあのままだったらまともに歌えなかったかもよ?」
「…………」
レンはもう何も言わなかった。
レンを覗き込むようにしていたKAITOも、そこでゆっくり背もたれに体を預けて視線を逸らす。バックミラーには、同じ姿勢のままのレンが映っていた。
「前にね」
「…………」
「姉さんも似たようなことがあってね」
「………?」
そこで初めてレンが反応する。興味を持った顔に、KAITOがにやりと笑う。
「まあ、今回みたいに……すんなりはいかなくてね」
レンが聞く体勢に入ったのを見て、KAITOは話を続けた。
「姉さん?」
「なーに」
ライブ会場の熱気の中、被った水を汗のように滴らせてMEIKOが大声で答えを返す。KAITOに近づいて、ついでのようにマフラーでその水を拭った。
「何やってんの」
「いーじゃないの、これぐらい。で、何?」
「大丈夫?」
「は?」
まだライブが始まって30分程。コーラス専門のKAITOはちょこちょこ引っ込んでいたが、MEIKOはずっと舞台に立っていた。袖からずっとその様子を眺めていて、何かおかしいことには気付いていた。
「何か調子おかしいでしょ?」
「はあ? 何言ってんの」
「声がいつもより出てないし動きが悪いよ。たまに足元がふらついてる」
淡々と言い切ったKAITOの言葉にMEIKOが少し真剣な顔をして沈黙する。
「そう思うの?」
「思うっていうか……そうなってるよね?」
確信を持って言うKAITOにMEIKOは悩むような素振りを見せた。調子が悪いなら直ぐにメディカルセンターに、と言いかけたKAITOを遮るように、明るい笑顔を返してく
る。
「まー、少しわね。でも大丈夫よ。誰も気付いてないでしょ」
ひらひらと手を振ってKAITOから離れて行くMEIKO。
「そうかもしれないけど、修理必要なんじゃない?」
それを追いながらKAITOは言う。
「大丈夫だってば」
「本当に?」
「大丈夫」
目は合わなかったが、口調は変わらない。
「……わかった」
言い切ったMEIKOにKAITOは頷いた。
MEIKOが大丈夫と言うなら大丈夫なのだろう。
半ば本気で納得して、KAITOはそれきりMEIKOの不調を気にしなかった。
そしてその約30分後。
MEIKOは舞台で倒れることになる。
「倒れた!?」
「うん。ばったりと」
「……大騒ぎになったんじゃないか、それ」
「まあね。マスコミではちょっと流れたぐらいだったけど。あの時はそれほど有名じゃなかったしねー。コアなファンが居るってぐらいで」
笑うKAITOにレンは唖然とした顔を向けてくる。それはそうだろう。レンには多分想像もつかない姉の失態だ。気付いてないようなので言わないが、同時に、KAITOの失態でもある。
「っていうかそれ、おれに言って良かったのか?」
MEIKOなら隠したがるのじゃないか、という意味だろう。
KAITOはうーん、と視線を宙に彷徨わせ、にっと笑う。
「姉さんは誰にも言うなって言ったけど。おれは言わないとは言わなかったからいいんじゃない」
約束はしてない。
そう言うとレンは呆れたように笑った。こういう屁理屈はレンだってよくやる。あのときはまだミクすら居なかったから、誰にも言うな、の言葉に納得はしていたのだけれど。教訓的な話なら聞かせたっていいだろうとKAITOは勝手に判断する。多分後で怒られるが、この話に関してはMEIKOの方が弱い。諦めてくれるだろう。
「で、この話から得られる教訓は?」
「……不調があったらちゃんと言って直せ」
「正解」
子どもみたいなやり取りが気に食わないのだろう。レンは低い声で不満げな様子だったが、それでもきちんと言い切った。KAITOが頭を軽く叩くと振り払われる。まだ機嫌は直ってないようだ。煽ってるのは自分だが。
「ま、レンの不調なんか最初からリンが黙ってないだろうけどね」
「……気付かれると思わなかった」
いつの間にかはっきり認めているレンは、やはりそれが一番不満らしい。悔しくもあるのだろう。そういったことに聡いミクですらごまかせていたのに。
「でも、リンの調子が悪かったらレンは気付くでしょ?」
「気付くよ」
「で、絶対黙ってない」
「……まあな」
ついにレンの顔にも苦笑いのような笑みが浮かんだ。結局そういうことなのだ。
「姉ちゃんたちはどうなんだ? MEIKO姉はやっぱりもう不調は隠さないのか?」
「あー、ミクなんかも無茶しちゃうのかもねー。おれたちでちゃんと気付いてやらなきゃ。ああ、この話する方が早いかな? ミクは素直だし。で、姉さんは……」
「MEIKO姉は?」
「……また同じことがあっても、今度はおれが黙ってない」
「……おお」
レンが感心したような声を出す。
そう、ちゃんとあのとき、そう宣言しているのだ。
「………ごめん」
メディカルセンターに運ばれ、修理を受けたMEIKOが起き上がって最初に言った言葉はそれだった。体が動かない間も思考は働いていたのだろう。いろいろ考えた上での台詞だと言うのが表情からわかる。
体の動作を確認しながら寝かされていた台を降りるMEIKOに、KAITOは何も言わなかった。MEIKOはそんなKAITOを気にしつつ、簡単にチェックを終え、KAITOと共に部屋を出た。センターの人間から渡された診断表を手にしたまま、KAITOは一旦廊下にあった椅子に座る。
MEIKOもその隣に腰を下ろした。
「えっと……ライブどうなった?」
「中止」
「……よね」
あー、最後までやりたかったな、と人間なら聞こえないほどの小さな声でMEIKOは呟く。勿論、KAITOの耳がそれを逃すはずがない。
「姉さん」
非難を込めた口調にMEIKOはすぐさま首を振る。
「……嘘よ、ごめん。……いや、嘘じゃなくて。……うん、万全の体調で臨みたかったなって意味」
「でも調子がおかしくなったの今日の朝だろ。どっちにしろ間に合わなかったんじゃない?」
「あんた、そこまで気付いてたの?」
「……姉さんが大丈夫って言うから大丈夫なのかと思ってた」
「……ごめん」
何度目かの謝罪をしながらMEIKOが俯く。
だが、その肩が僅かに震えているのに気が付いた。
「姉さん……笑ってる?」
「え? い、いや、そんなわけないじゃない!」
MEIKOが思わず上げた顔は……笑顔。
「……姉さん」
見られて開き直ったのか、MEIKOは笑顔のまま壁に背をつき、正面を向いたまま言った。
「反省はしてるわよ。ただ、あんたひょっとして……拗ねてる?」
「うん」
「……言い切るわね、ほんと」
既に苦笑いになっていたMEIKOが真顔で返したKAITOの肩を叩く。
間違いではない。
信じてたのに。
面白がるようなMEIKOの口調が不満で口に出してみる。
「信じてたのに」
「……うん」
少し、笑顔が強張った。
「もう姉さんが大丈夫って言っても信じない」
「……それは困るわ」
「信じない」
顔を背ける。
MEIKOの表情は見えなかったし、ちょうどセンターの人間がやってきて、そのときはそれ以上の会話は出来なかった。
「よく考えたら姉さんだってライブ潰しちゃって落ち込んでたんだけどね。追い討ちかけちゃったみたいで随分凹んでたよ。おれが拗ねてる場合じゃなかった。でもまあ、また同じことがあっても……」
KAITOは言いかけて、ふとレンを見る。
相槌を返さなくなっていたレンは、いつの間にか眠っていた。
腕を顔に当てたまま、窓にもたれかかるようにして目を閉じるレンに苦笑する。
苦しそうな様子は見えないが、話の途中で眠ってしまう辺りやっぱりそれなりに辛かったのだろう。
姉だけじゃない、ちゃんと弟妹の不調にも気付けるようにならないとな、とレンの寝顔を見ながらKAITOは思っていた。
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