理想

 スタジオ隅の長机で、3人揃って話しているときのことだった。
「こことここと……あと、これも意味わかんない」
「はあ? これはそのまんまだろ、金がないっていう」
「でもこれ10円だよ?」
「そーだよ、10円ぐらい大した違いじゃないじゃん」
「……いや、待て待て、じゃあ小銭なかったとか」
「お釣り貰えばいいんじゃないー?」
 渡された歌の解釈。
 それなりに言葉も学んでいるはずだけど、略されたり肝心の部分をぼかされたりの歌詞はなかなか意味が取れないことも多い。レンとリンとミクの3人で、わからない部分にチェックをつけていた。
「じゃあここは全部お姉ちゃんたちに聞くってことで」
「姉ちゃん今日居る?」
「あ、夜まで仕事って言ってた」
「私たち帰るのも夜だからいいんじゃない」
「あ、それとね」
 ミクが歌詞カードではなく楽譜の方を机に並べる。
「ここ、コーラス足りない」
「あ、ホントだ」
「え、レンがやるんでしょ?」
「おれ……えー、でもこのあとすぐ歌入るし」
「レンくんの声じゃちょっと合わないかなぁ」
「お兄ちゃんに頼めばいいじゃん。ここと、ここのも」
「あ、そこはリンがやるとこだろ」
「でもお兄ちゃんの声の方が良くない?」
「うん、ここはお兄ちゃんの高音欲しい」
「で、こっちはお姉ちゃんね」
「あ、それはおれもそう思った」
「ミク姉よりいいと思うんだ」
「私もー。じゃあこれも帰ったら頼もう」
 次々と書き込みが増え、頼むことが決まっていく。
 その様子を眺めていたスタッフの一人が含み笑いをしたのに、リンが気付い た。
「……何ですかー?」
 馬鹿にしたような笑い。それに対してリンも僅かに挑発的に。それでもしっかりと笑顔を作って問いかけた。スタッフは一瞬笑いを消し、無理矢理苦笑いのような顔を作って言う。
「……何でもかんでもお兄ちゃんたちに頼るんだなって」
「え……」
「でないと何にも出来ないんだろ? やっぱり子どもだなって思っただけだよ」
 早口にそう言うと、反論は聞きたくないとばかりにスタッフはその場を離れていった。
 呆然とした3人が残される。
「頼ってる……」
「子ども……」
 何となく、楽譜に目を落とした。





「あれ?」
 ただいま、の声にいつもの返答がなく、疑問に思いつつリビングに行ったKAITOを迎えたのはソファに座ったMEIKOだけだった。
「ミクたちは?」
「上」
 上、は二階だろう。その言葉に何となく天井を見上げる。ついでに、時間の確認をした。みんな帰ってる時間のはずだった。
「どうしたの?」
「さあ。降りてこないのよ」
 私が帰ったときから閉じこもったまんま。
 MEIKOはそういって手にしたワンカップを揺らす。あまり心配した様子はなかった。なら、それほど深刻な話でもないのだろう。
「あ、これもう一個持ってきて」
 KAITOがソファに腰を下ろそうとすると、そのままワンカップを一気飲みして手渡される。
 はいはい、と空になったビンを受け取りながら台所へ向かう。何気なく廊下から階段に目をやって、流れてくる歌声に気が付いた。
「歌ってるみたいだね」
「そー。ちょこちょこ聞こえてくるわ。いつもならここでやるのに何こそこそしてんのかしらね」
 気にはなってるのだろう。結局MEIKOも台所までやってきた。
「見に行ったらいいじゃない」
「……わざわざ部屋に閉じこもってるのに行ったら怒られない?」
「何でだよ」
 KAITOは笑うが、自分も行くつもりはなかった。何となく、子どもだけの空間を邪魔してはいけないような気がする。
「あー、でもあの3人居ないとリビングもこんなに静かなのね。ゆっくり本が読めるわー。寂しいー」
 高らかに言うMEIKOに吹き出しそうになりつつ、2人でリビングに戻る。
 MEIKOの酒に加え、しっかり自分のアイスも持ってきた。ソファに座り、早速食べ始めるKAITOをMEIKOがじっと見つめる。
「前から思ってたんだけどさ。それ、喉渇かない?」
「? 水は足りてるよ」
「……喉にこう、張り付いちゃう感じしない?」
「いや、アイスは溶けるし?」
 何を言ってるのかわからず、きょとんとして返す。
 だが次の瞬間に気が付いた。
「……姉さん、アイス食べた?」
「…………」
「…………」
 見つめあう2人。
 MEIKOが、ゆっくりと視線を逸らした。
「……おれのか」
「ごめん」
「全部?」
「下手に残したらばれるじゃない」
 確かに。
 常に大量に詰め込んでいる冷凍庫から1個2個なくなったところで直ぐには気付かないだろうが。
「あっ、ちょっと待ちなさいよ!」
「姉さんが先にやったんだろー!」
 姉のワンカップに手を伸ばす。飲もうとすれば腕にしがみつかれた。酒が揺 れる。
「ちょっ、こぼれるから!」
「だったら手離しなさいよ! 今日はそれで最後なんだから! あんたのアイスと違って高いんだからね」
「一個全部食べたんだろ、一口二口一緒じゃんか」
「………でも駄目!」
 ほんの少し沈黙したMEIKOだったが、すぐに思い直したようにKAITOの手からワンカップを奪った。
「姉さん!」
「駄目ったら駄目ー」
 どたばたとリビングを走り回る。ぶつからないよう、こぼさないよう走るので妙に動きがぎこちなくなる。ああ、結局弟妹が居なくても騒いでいる。
 酒自体はどうでもいいKAITOは、アイスが溶ける前に戻るタイミングをなんとなく見失っていた。





「……よし」
「完璧……かな」
「完璧だろ。ほらみろ、おれたちだけで出来たじゃんか!」
「じゃあお姉ちゃんたちに見てもらおう!」
 何度も何度もやり直して議論を重ねて、ようやく完成した歌に喜び勇んでミクが言うと、レンは首を横に振った。
「もう見てもらう必要ないだろ。見てもらわなきゃいけないってのはまだ足りないと思ってる部分があるってことだ!」
「えー、そうかなぁ」
 レンが拳振り上げて解説したが、リンが首を傾げる。ミクも頷いた。
「別にアドバイスとか貰おうってことじゃないし……出来たら見せたいじゃん?」
「だったらミク姉たちだけで行けよ。おれはもういい」
「それじゃ意味ないじゃん!」
「そうだよ、レンくんのパート多いんだし」
「でも絶対聞かせたら、何か言うだろ! アドバイス求められてると思うだろ!」
「……まあ、いつもそうだしね」
「大丈夫だよ。これだけ完璧に出来たんだから。完璧よ、とか言ってくれるんじゃない? 自信ないのはレンくんの方じゃん!」
「う……」
 そうか、そうとも取れるか、とレンがぶつぶつと小さく呟く。リンも納得したような声を上げた。
「よし、じゃあ行こう。歌詞の解釈も大丈夫だよね」
「いや、でもなー。そもそも出来たら兄ちゃん姉ちゃんに見てもらうって考え が……」
「レン、往生際悪いよー」
 立ち上がったリンに続いて3人で部屋を出た。まだぶつぶつ言っているレンにはリンが笑って背中を叩く。レンが苦笑いのように顔を歪めて、決意したように頷いた。
 ミクも真似してその背を叩く。
「でね、終わったら今度はお兄ちゃんたちの歌を聞くの。駄目だったらちゃんとアドバイスすれば対等じゃん!」
「そうだっ、ミク姉それだよ!」
「なるほど……。だよな、歌の面では別におれたち負けてないよな」
「そーだよ。特にレンとか突っ込み得意じゃん。何で今までやってないの」
「そもそもおれたちの前で練習しないだろ、あんまり」
 階段を下りたところでミクはまず廊下から直接入れる台所へ向かった。歌うときはネギを持ちたい。
 そんなミクを苦笑しながら見ていたリンとレンも、台所を通ってリビングへと向かう。
「……何やってんだお前ら」
「あら」
「あ…。降りてきたんだ」
 KAITOが高く上げた手にMEIKOが必死で手を伸ばしている。KAITOの手にはワンカップ。取り上げられたのか? と思うが、MEIKOはまだそれほど酔っているようには見え ない。
「お兄ちゃん、アイス溶けてるよ?」
「ええっ」
「ほらー、だから言ったじゃないの。はいはい、もう終わり。返して、それ」
「……姉さん、原因忘れてるだろ」
 大人しくワンカップを返しつつKAITOがソファに座る。溶け掛けたアイスをちらりと見て、何事もなかったように食べ始めた。
「で、どうしたの? 何かやってたみたいだけど」
「あ、うん」
「あのね、今日渡された曲なんだけど」
「もういいよ」
「え?」
「ええっ?」
 気を取り直して説明しようとしたミクとリンをレンが遮る。呆れたようにため息をついて手を振った。
「こういうのは『大人』に見てもらうべきだな、リン、明日プロデューサーに見てもらおうな」
「えーっ、ちょっとレン待ってよ!」
 そのまま反転して部屋に戻り始めたレンをリンが追う。ミクがどうしていいかわからずその姿を目で追っていると、階段を上り始めた2人の声が聞こえる。
「何でー! ちゃんとアドバイスとかして対等にやるんじゃなかったのー!」
「最初っから対等だろ! ってか同レベルじゃねぇか!」
 それは怒鳴り声。当然リビングにもよく響いた。
 ミクはおそるおそる、ソファに座る兄姉を見る。MEIKOは廊下側に目をやって酒を飲んでいる。KAITOは。
「ん?」
 目が合った。そして少し首を傾げられる。
「反抗期かな?」
 何か違う気はしたが、ミクは頷いておいた。
 大人に頼りたくない年頃なんだよ、とお姉ちゃんっぽく口に出してみようとしたが、状況にそぐわなさ過ぎたので止めた。
「レンくんは、お兄ちゃんたちに求める理想が高いんだよ」
「知ってる」
 代わりに常々思っていたことを言ってみると、KAITOにはあっさりとそう返され た。
「……だったらもうちょっとかっこつけてもいいんじゃないかな」
「嫌よ、身内の前でそれやってたら疲れるじゃない。まー、今日はちょっと油断したわね」
「いいんじゃない。姉さんももうちょっと崩しても」
「あんたはどうなのよ」
「おれは十分崩してるんだけどなぁ。ありのままなんだからいいじゃん」
「でもお兄ちゃんたちって、あんまり私たちの前で練習しないよね?」
 ミクの言葉に2人は顔を見合わせた。KAITOがようやく食べ終わったアイスを机に戻す。
「練習前のは……いろいろ酷いしね」
「そっちの面ではかっこつけさせてよ」
 笑う2人に、ああ、やっぱりこの2人も練習前は自分たちと同じなんだ、とほっとする。同時に、少し残念だ。
「駄目。今度からは一緒に練習しよう? 私たちだってアドバイスできるんだからね!」
 胸を張って言う。レンたちが求めているのだって、これだ。レンたちも、最初は練習前の歌にがっかりするかもしれないけれど。
 自分たちだけで考えて、自分たちだけで完成させることは出来た。
 だから次は、頼られてみたい。


 

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