ファン

 ない。
 カバンの中にも、楽屋の中にも見当たらない。
 机の下を覗き込む。座布団を一枚一枚めくる。座布団のチャックを開けて、その中まで覗き込んだ。それでも、見つからない。
「リン? 何やってんだよ」
 先ほどから楽屋の中をばたばた動き回るリンに、ようやくレンが声をかけた。ばっ、とリンは泣きそうな顔で振り返る。レンが一瞬ぎょっとしたように体を引いた。
「な……何だよ?」
 レンも途端に不安げになって問いかける。リンは搾り出すように言った。
「楽譜が……ないの」
「は?」
「昨日貰った楽譜が……どこにもない……」
「はああっ!?」
 レンが立ち上がる。びくっとリンは体を縮めた。
「お前、あれは絶対持ち歩くなって言われてただろ! 持ってきてたのか!」
「だって、早く覚え……たくてっ……」
 涙なんて出ないのにしゃくりあげるような声が出る。まずいことをしてしまった自覚はあった。
 VOCALOID、5人で歌う新曲。絶対に誰にも教えないようにと、楽譜の管理も厳重にするようにと、確かに念を押されていた。最近楽屋荒らしやスパイが横行しているとも聞かされていた。それなのに。
 俯いてしまったリンを見て、レンがゆっくり息を吐いて座る。それから、落ち着いた声で問いかけてきた。
「カバンに入れてたのか?」
「うん……。来たときちょっと見たけど、外には出してないよ」
「じゃあ……収録前は確実にあったんだな?」
「うん……」
 しばらくの沈黙。
 レンが再び立ち上がった。
「レン?」
「こうしてたってしょうがないだろ。探すぞ。まだ犯人ここに居るかもしれないし」
「でも、居たとしたって……」
 楽譜をむき出しで持っているわけもない。盗んだ相手だとわからなければどうしようもない。
 そう言いかけたとき、外で何やらばたばたと騒ぐ音が聞こえた。
 リンもレンも一瞬顔を上げて廊下を見るが、今は外の騒ぎには構っていられない。
 そう思った次の瞬間、聞き覚えのある声が2人の耳に響いた。
「とにかく中に入れて! ゆっくり話聞かせてもらおうじゃないの」
 その後の声は、また小さくなる。2人は顔を見合わせた。
「今の……お姉ちゃん?」
「だな……行ってみるか」
「え」
「どっちにしても姉ちゃんたちには言うぞ。先帰ってろとか言うわけにいかないし」
「……うん」
 リンも渋々立ち上がる。少し離れたところにある楽屋に向かうと、鍵がかけられていた。
「……お姉ちゃん?」
 小さくノックをしながら問いかけると中から扉が開く。
「あ、お兄ちゃ……」
 開けたのはKAITOだった。2人の頭を超えて廊下を見回す。誰も居ないことを確認してから、KAITOは2人を中に招きいれた。
「な、何?」
 がちゃ、と鍵がかけられる。
 何だよ、と言いかけたレンの言葉が止まる。
 部屋の中央に誰か居た。見覚えのない黄色い髪の女が正座で俯いている。その目の前にはMEIKOが居る。
「……ええと?」
「これから話聞くとこだから。2人とも座って」
「あ、うん……」
 よくわからないまま上がりこむ。KAITOは立ったままだった。





「誰かに頼まれたの?」
「違う……」
「誰かに売るつもりだった?」
「違うって!」
 女がようやく顔を上げた。意外に強い目をしていて、リンは少し驚く。そして会話の内容にはまだ首を傾げていたのだが、すぐにレンが気付いた。女と、MEIKOの間に置かれたもの。
「楽譜!」
「ああっ!」
 同時に視線がいって、リンは思わず手を伸ばした。
 間違いない。右上には確かに「リン」と鉛筆で書かれている。配る前に殴り書きで書かれたものだった。
「お前が盗んだのか」
「………」
 レンの言葉に女はそっぽを向く。MEIKOがはいはい、とたしなめるようにレンの前で手を振った。
「それ聞いてるのよ今。この子、さっきまで私たちの楽屋に居たのよ。出てきたところを鉢合わせしてね。調べてみたらあんたの楽譜持ってたの」
「……ごめんなさい」
 リンは楽譜を外に持ってきたことを思わず謝ったが、それについては何も言われなかった。それどころじゃないからだろう。目の前に居るのは、ひょっとしたら最近騒がれている楽屋荒らしかもしれない。
「で、続きだけど。この楽譜をどうする気だったの?」
「別に」
 女の言葉は短く素っ気無い。短気なリンはそれにむっとして言葉を返しかけたが、それより先に背後から呑気な声がかかった。
「歌いたかったとか?」
「はっ?」
「何でよ……」
 KAITOの言葉に、女は目を丸くしてMEIKOは呆れたため息をつく。だが、一瞬のちに女はにやりと笑って頷いた。
「そう。歌いたかったの。だってこの人の作る曲っていい曲じゃん? ずっとファンなんだよね。そりゃあ誰よりも早く歌いたかったに決まってるよ」
 大げさにそう言い放つ女を見て、MEIKOがKAITOを睨みつける。KAITOの言葉に乗っただけなのは明らかだった。KAITOはわかってるのかいないのか、ふうん、と軽く返しただけだった。
「他には? 他に取ったもんないのか」
 レンは女の言葉など聞いてないかのように女の隣にあったバッグに手を伸ばす。女が慌ててそれを抑えた。
「こら! プライバシーの侵害だろ!」
「泥棒が何言ってんだ! 他にも取ったものあんだろ、見せろ!」
「ないってば! あの人の曲以外興味ないの!」
「あ、でもそのCDも一緒に……」
 リンはふと思い返して楽屋から持ってきた自分のバッグに手をやった。楽譜がないことに慌てていて、それ以上の中身の確認はしていない。
 中を見ると、持っていたCDはきっちり入っている。財布もある。だけど、何かが足りない気がする。
「あっ、ストラップがない!」
「ストラップ?」
「この間貰った、全員の名前書いてある奴。カバンに入れっぱなしだったはずなのに……」
 リンがそう言って、視線をゆっくり女に向ける。全員の注目が集まっても、女は視線を返して来ない。
「取ったのか」
「とっ……てないよ。そんなもん取ってどうすんのさ。私はあの人のファン……」
 言葉が終わらない内にレンが再びバッグに手を伸ばす。女が抑える間もなく手元に引き寄せると、そのまま立ち上がった。
「ちょっ、待て、この」
「はいはい、ちょっと黙っててねー」
 追いかけようとした女を今度はMEIKOが抑える。レンがバッグの中身を漁り、顔をしかめた。
「あった?」
 側のKAITOが覗き込む。同時に目を丸くした。
「どうしたの?」
「……いやぁ……いっぱいあるね」
「ストラップが?」
「ストラップっていうか……」
 レンは何故かバッグをそのままKAITOに押し付けた。KAITOが苦笑いをしてその中身をいくつか取り出す。
「……おれたちのグッズ関連、かな。5人揃ってるの以外は……レンのだね」
「…………」
 思わず沈黙する。リンの、MEIKOの視線がゆっくりと女に向かう。固まっていた女は少し間を置いて、はっとしたように叫んだ。
「か、関係ないだろっ! 返せ!」
「このストラップも、こっちの奴も非売品だろ! やっぱり盗んだんじゃねぇか よ! 返してもらうぞ、全部!」
「あっ、違うっ! そのストラップはそうだけど、そっちのはハガキで応募して当たっ……」
 女が言葉を切った。
 何かに気付いたように驚いた顔をして、口をぱくぱくと動かしている。女の後ろで、MEIKOが声を上げた。
「ああ……あんた、レンのファンなのね?」
「ち……」
 否定しかけた女の腕をレンが掴む。そしてにやりと笑った。
「そうか、おれのファンか」
「え……」
「ファンなんだろ?」
 少し唇の端を吊り上げて。
 そう言い切ったレンに女は頬を染めて俯いてしまった。





 楽屋の中に歌声が響き渡る。多少のたどたどしさはあるが、ミクとよく似た声音が楽しげにレンとハモっている。
 その様子をミクは膨れっ面で見ていた。
「……ミク、ごめんな」
「…………」
 隣に座るKAITOの言葉にもぷいっと顔を背ける。
 楽屋荒らしを捕まえたから誰か呼んで来いと言われてスタッフを呼びに行った。なのに戻ってみれば部屋には誰も居なかった。KAITOが戻ってきたときは安堵から笑顔になっていたミクだったが、忘れられていたのかと思えば機嫌も悪くなる。先ほどからずっと謝っているKAITOに、ミクは返事を返さなかった。
「いつもの楽屋荒らしとは違ったみたいだし、でも盗みに来てるわけだから、スタッフに引き出したらややこしいことになるし、一応ファンって言ってる子だからもうちょっと話を聞いてからって思ってさ。さっきまで姉さんの説教中で……」
「…………」
 覗き込もうとしてくるKAITOからさらに視線を逸らし、ミクは黙っていた。
 そんな話を聞きたいわけではない。
「忘れてたんじゃなくて、慌ててたって言うか…。いや、誰かが残るべきだったんだよ? だからほんと……ごめん!」
「…………」
 よく考えれば。
 その場合悪いのはKAITOだけではないはずだ。
 リンもレンも、そしてMEIKOですら思わなかったのだ。ミクのために誰か残ろうと。
 それに気付いて益々拗ねるミクにKAITOもひたすら困った顔をする。そのとき、ミクの顔に影がかかった。思わず顔を上げると、大きな胸が目に飛び込んできた。これ以上、上を見る必要もない。MEIKOだ。
「ミク、ごめんー!」
 いきなり抱きしめられた。顔が胸に埋もれる。思わずもらした呻きのような声に、少しだけ力が緩まった。
「もー言い訳しないわ! お姉ちゃんが悪かった! ……お兄ちゃんとお姉ちゃんが悪かった!」
「わざわざ言い直さないでよ…」
「あんたも同罪でしょうが。ミク、ほんっとごめん! お詫びに何でも言うこと聞くから!」
 MEIKOの声は申し訳ないというよりも明るくて、多分、顔も笑顔を作っていて。逆にミクはほっとする。切々と謝られても笑顔は向けにくいのだと気付いた。MEIKOの言葉に自然と笑みが浮かんだミクは、「じゃあ」と声を発して、MEIKOの動きを止める。
「私も一緒に歌う」
「え?」
「あー……」
 部屋の中央ではレンと、ファンを名乗った女性とが一緒に歌っている。レンはミクの言葉が聞こえたのか、歌を止めてこちらを見ていた。女性が戸惑ったような視線を向けている。
 そもそも、ずるい。楽譜やストラップを盗んで、レンとデュエット出来るなんて。
「何?」
「ミク姉も一緒に歌うとさ」
 女の問いにレンが答える。ミクは「うんっ」と大きく返事をして立ち上がった。女は、まだ戸惑った視線を向けている。
「ミク? ミクと……」
 微妙に不満そうな女に、少しむっとしてミクは言った。
「私だって歌上手いんだよ!」
「知ってるよそんなの!」
 即座にきっぱり言い返した女に、目をぱちくりとさせる。
 女は何故か慌てたように「いや、違、」と否定の言葉を繰り返す。
 レンに目をやれば、呆れたように肩を竦めていた。
「レン以上だよねー。素直になれない子って世の中多いんだよー」
「こ、子って言うな!」
 ミクの後ろからリンがからかうような口調でそう言う。
 ミクは思わず笑ってしまった。
 なるほど。
 レンもたまに素直じゃない発言をするが、それでもこんなあからさまな嘘をつか ない。
 微笑ましい嘘とはこういうものなのかな、とミクは思いつつ2人の持つ楽譜を覗き込んだ。


 

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