本番

 リビングの中に響き渡る歌声。5人分の綺麗なハーモニーは盛り上がり、またぴたりと止まる。正確なリズムで重なり合う音は、最後に静かに消えていく。
 歌が止んでしばらくして、沈黙を破る明るい声が聞こえた。
 真剣な表情の5人がそれぞれに表情を崩す。
「はい終了。じゃーみんな、気になったところは」
「兄ちゃん」
「KAITO兄ィ」
「お兄ちゃん……」
 MEIKOの言葉が終わらない内に、レン、リン、ミクが口々にそう言ってKAITOを見る。KAITOは情けない表情でそれに答えた。
「やっぱりわかった?」
「当たり前だろ」
「出だしで音外すんだもん」
「私びっくりして声止まるかと思ったよー、一瞬私が間違ったのかと思っちゃった」
 ミクが机の上に重ねられた本の一つを手に取った。5人で行う音だけのミュージカル劇の台本。全員覚えたところで最初の通し稽古を行った。防音設備のない場所なので声は抑え気味だったが、流れの確認はそれで問題ない。だが、ミスはあった。
 ミクがぱらぱらと台本をめくり、その箇所を見つけ出す。歌の部分は楽譜が付いているので、芝居の長さの割に台本は厚い。
「ここ! ここだよ。いきなりドの音だった!」
「うわぁ……そこまでわかるか」
 ほとんど発音もしなかったんだけどなぁ、とKAITOが呟くように言う。
「そりゃそうでしょ。私たちの耳をなめるんじゃないわよ。まあ上手くごまかしてたから人間にはそう気付かれることはないと思うけど」
「確かにすぐ戻ったけど……あれは目立っただろ」
 MEIKOのフォローにレンが納得いかない顔を向ける。隣でリンも大きく頷いたあと、少し首を傾げた。
「っていうか何でそんな間違いしたわけ? 歌覚えてなかったわけじゃないよね」
 一度覚えた歌は忘れない。だから、音を間違えるなんてことは普通ないはずだ。そう視線で問いかけるリンたちに、KAITOが言葉に詰まる。
「あれは音外したんじゃなくて、次の歌を歌おうとしたんでしょ」
 MEIKOがずばりと言って、KAITOは苦笑いになった。ミクが納得したように頷いた。
「そっか。次の曲はドで始まるもんね」
 ミクが確かめるようにその歌をKAITOのパートで歌う。聞いたあと、レンとリンもそれぞれ納得の声を上げた。KAITOがそこで漸く言葉を出す。
「うん、ごめん。間にもう一曲入ったんだよね。すっかり忘れてた。でもほら、本番は一発勝負だからごまかしの練習も必要だよ!」
「ごまかすんじゃないわよ」
 拳を握り締めて堂々言い放ったKAITOにMEIKOが冷たい目を向ける。そしてミクの手から台本を奪い取ると、それで軽くその頭を叩いた。
「集中してなかったわね? はい、その理由は」
「いや、そんなことは、」
「あ、でもその辺りだけお兄ちゃんの歌おかしかった!」
「えええええ」
 KAITOが驚いた顔を向けると、ミクがにっと笑う。ちゃんと気付いたよ、とでも言いたげな誇らしげな顔にKAITOは思わず笑いを漏らす。
「……はい。いや、ここのフレーズが前のときに話題になった奴でしょ? つい思い出しちゃって」
「何の話かわかんねぇよ」
「一から説明してくださいー」
 リンが手を挙げて発言するとMEIKOとKAITOが顔を見合わせた。MEIKOは一つ息をついて「じゃ、ちょっと休憩」と言うとさっさとソファに座る。習うように全員がいつもの定位置に座った。
「今回芝居に行く場所だけど……私とKAITOとミクは前に一回行ったことあるのよね」
「うん」
 ミクが頷く。リンとレンもそれは知っていたのか、特に言葉は挟まず聞く体勢にな る。
「ミク覚えてる? あのときのこと」
「覚えてるよー。まだ生まれてあんまり経ってないときだったよね。子どもがいっぱい座ってて、みんなこっち見てた」
 子どもたちに向けたその芝居は、小さな教室のような場所で行われた。ギャラは少ないが、いい経験になるからという理由でMEIKOが取った仕事だ。実際は、経験云々ではなくその仕事が楽しいからだとKAITO辺りは思っているが、MEIKOには言わない。ミクの言葉は更に続く。
「声のお芝居だけど、子どもって結構みんな素直に笑ったり突っ込んだりしてくれるよね。何か凄く楽しかった」
「突っ込んだりって……邪魔だろ、それ」
「そんなことないよ? 面白いこと言われて私もつい笑っちゃったりしたし」
「駄目じゃん」
 リンの突っ込みにはミクは唇を尖らせる。でも、と言い掛けて上手い言葉が思いつかなかったのか、助けを求めるようにMEIKOを見た。リンとレンの視線もそちらに移動す る。
「まあ子どもは自由だからね。でも席を立った子は誰も居なかったわよ? 本当に真剣に聞いて楽しんでくれてるってのがわかるだけで楽しいもんよ」
「へぇ……」
「よくわかんないなぁ……」
「そういうときは相手のノリにこっちも合わせちゃうんだよ。アドリブ入れたりしてね。やり過ぎると子どもも悪ノリするから戻せなくなっちゃうけど」
「ああ、あんた最初のときそれやってたわね」
「あれはもう忘れたい……」
 KAITOが目を逸らして落ち込んだ表情を見せたので、ミクが少し緊張気味に背を正 す。
「でも、アドリブ入れるのって凄いよ! 私この前は全然出来なかったから今度はちゃんとやりたいなぁ」
「それで落ち込みたくはねぇなぁ」
 レンは続けてそう言った。リンも隣でうんうんと頷く。
「私たちにはまだ難しい! というわけでお兄ちゃん頼むね!」
「何言ってんのよ。リンとレンはミクと違って生まれた直後でもないでしょうが。しっかりやりなさいよ」
「えええー」
「そんなの……ノリもわかんねぇんだから、最初は様子見だろ」
「よし、あとでそれ特訓しよう! おれが子ども役やる」
「あんたふざけすぎるから駄目」
「じゃあ姉さんやる?」
「やってもいいわよ?」
「お姉ちゃんの子ども役かぁ……」
「何よ?」
「いや……」
 思わず呟いたリンにMEIKOが突っ込むと、リンは苦笑いで顔を逸らす。話題がそれたのに気付いたのか、もう1度話題を逸らすためか、レンが少し大きな声を上げた。
「で、それより前のとき何があったんだよ? KAITO兄ィ」
「ん? ああ」
 一瞬何のことかわからなかったのか、KAITOはきょとんとした顔を向けたあと、思い出すように言う。
「劇のあとはちょっとした交流会みたいなのもあってね。まあそのときちょっと盛り上がった話の一部がこの台本に使われてるんだよ」
「お兄ちゃんの物真似の奴だ!」
「そうそう」
 ミクが嬉しそうに言うとKAITOが頷いた。まだ首を傾げるレンにMEIKOが言う。
「脚本書いた人もこの前のとき居たからね。KAITOがあのときアニメのキャラの物真似やって、まあ大うけだったのよ。そのアニメキャラの台詞」
「あっ、そうだ。私今回はアニメ勉強して行こうと思ってたのに!」
「おれはもう2〜3キャラ仕入れてる」
「お兄ちゃんずるい!」
「何やってんだお前ら……」
 レンは呆れた顔を向けるが、その顔には笑いが広がっている。リンも感心したように呟いた。
「そっかー。子どもだから、それはウケるね。レン、私たちも何か考えよう!」
「何でおれとなんだよ」
「レン以外誰とやるのよ!」
「一人でやってろ!」
「あ、じゃあ私がリンちゃんと組むー。レンくんは一人ね」
「ちょ、ちょっと待て」
 早速リンの腕を取ったミクに、レンが慌てて声をかける。笑っていたとき、KAITOが「あ、そうだ」と思い出したようにソファを立った。全員が視線を向ける中、KAITOはテレビをつけて、リモコンを使わずチャンネルを回す。派手な音楽と熱い叫びが突然響いてき た。
「あ、ちょうどOP終わったとこだ」
 KAITOがテレビから離れて全員へ体を向ける。
「これ! 今子どもに一番人気のあるアニメだって。絶対話題に出るから覚えと こう!」
「……あんたのいろんな方向への努力は感心するわ」
「これ何てアニメー?」
 OPが終わったところでCMに入ってしまったテレビ画面を見つめながらミクが言う。KAITOはその隣に戻って嬉々として説明を始めた。
 レンが小さく「あ」と呟く。
「何?」
「いや……何でも」
 リンの問いには首を振り、レンは心の中だけで密かに思った。
 KAITO兄ィ、自分のミスのこと完全にごまかした。
 もう過ぎてしまった話題を振り返る気にはなれなくて、レンは口を閉ざす。アニメが終わった頃には気持ちもリセットだな、ととりあえずレンは画面へと目を移した。





「怖い〜」
「やだ〜」
「あはははははは!」
「ずるいー!」
「違うー! あっくん嘘ついてるー!」
「嘘だー! 絶対嘘だー!」
 芝居の間、ところどころで挟まれるMEIKOの声に、レンたちは詰まりながらも何とか続ける。芝居の方は、出番があまりかぶらないKAITOがMEIKO役も一緒にやっていた。それもそれで集中力が削がれるのだろう。最初の通し稽古とは随分と違った酷い出来になる。終わったあと、レンとリンは大きなため息をついた。
「……ホントに子どもそんなの言ってくるのかよ」
「言うねぇ」
「結構アットホームにやってるとこだからねー」
 ちゃんとした舞台があるならともかく、区切りのようなものも特になく、子どもは全て床に座って芝居を聞く。椅子でもないから動き回るのも自由だ。
 その話を聞いて、レンが嫌そうな顔をした。
「じゃ、近寄ってきたりもするのか?」
「それは今んとこないかなぁ」
「声かけるのだって邪魔してるわけじゃないよ。素直に感想言ってるだけなんだよ」
 ミクがしたり顔で説明してレンは「ふぅん」と小さく返事をする。
「もう一回やる?」
 床に座り込んでいたMEIKOが言ってリンとレンは顔を見合わせた。
「やる……けど」
「出来れば次は子ども役、ミク姉がいいなぁ」
「ええ、私? 出来るかな」
「ミク姉なら出来ると思う!」
「そう! 素直に感想出すだけだから!」
「……何か複雑だなぁ、それ……」
 言いながらもミクは立ち上がったMEIKOに代わり、その場に座り込む。KAITOが台本を持ったまま首を傾げた。
「あれ? ミク役誰がやるの。ミクは出ずっぱりだから厳しくない?」
「頑張って」
「やっぱりおれなんだ……」
 MEIKOがにっこり笑って微笑めばKAITOは諦めたようにため息をついた。元々出番が一番少ないので仕方ない。ミクとKAITOは一緒に喋る場面もあるが、この練習はレンたちのためだ。レンたちにやらせるわけにはいかない。
「あ、それともう一つ。リンは台詞言ってるとき動きすぎ。声劇なんだから動かれると子どもが気になっちゃうわ。なるべく動かず台詞だけで感情込めて」
「はい!」
「難しいな、それ」
 注意されたリンではなくレンが呟く。
「じゃあもう一回行くよー」
 ミクが監督のように手を上げて、スタートの合図を切った。
 本番まで、あと一週間。


 

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