一年

 画面の中に広がる、海の中の世界。
 近づくカメラマンに、逃げる魚たち。銛が魚に向かって伸びる様子をミクは食い入るように見つめていた。がっ、と銛は岩に当たり魚は逃げる。いつの間にかミクはテレビを両手で掴んでいる。自分が、海の中に居るような気がした。
「ミクー」
 背後から突然かかった声に現実に引き戻される。ちょうどテレビも画面が変わり、陸の様子が映し出された。ミクはゆっくりとテレビから離れ息をつく。随分集中してみていたらしい。何度か瞬きしてから、ミクは振り返って返事をした。
「はーい。何ー?」
「あ、テレビはいいわよ、見てて」
「っていうかミク姉、離れて。私らテレビ見れないじゃん」
「あ、ごめん!」
 いつの間にかリビングには全員が揃っていた。ミクがテレビを見始めたときは、まだ誰も帰ってなかったのだが。ただいま、の言葉にも返事を返せなかったのだとちょっと自分に驚く。床に座り込んでいたミクはそのまま膝でテーブルの方まで移動した。
「みんなお帰りー。あ、何これ?」
 テーブルには筒状のものがいくつか転がっている。一つ取って中を覗き込むが、影になっていて見えない。
「カレンダーよ。私たちの。夏ぐらいに撮影したでしょ。さっきリンが貰ってき たの」
「ようやく出来たって。もう予約販売してるのにねー」
 リンがその一つを手に取った。よく見れば覆ってるビニールにマジックで名前が書いてある。ミクが手に持っていたものにはメイコ、と片仮名で書かれていた。
「っつーかもう忘れてたな、これ」
「どんなの撮ったっけ? 結構撮ったよね。どれが使われてるのかな」
「お姉ちゃん、開けていいの?」
「KAITOがもう開けてるじゃない」
「…あ、ごめん、気になって」
 ミクが律儀に聞いている間に既にKAITOはビニールを破っていた。KAITOの分だ。テーブルに広げられたので全員一斉に覗き込む。
「普通の格好だねー」
「まあ表紙だから。表紙はみんないつもの衣装じゃない?」
 めくっていく。季節ごと、その季節に合わせた衣装でKAITOが写っている。カレンダーは1月から始まり、6月で半袖のKAITO。
「……マフラーは、あるんだ」
「当然でしょ」
 ホントに当然のように言い切ったKAITOに誰も突っ込まない。7月も似たようなものだった。そこで横からめくっていたミクの手が止まる。
 何となく視線を上げれば、全員がミクを見ていた。
 多分、同じことを考えている。
「……私、8月は水着だった」
「おれも」
「私もー。8月かどうかは知らないけど、夏の分だよね」
「おれも水着は撮ったよ、使われてるかどうかは知らないけど」
 KAITOもさらりとそう続ける。KAITOがカレンダーをめくる。8月分。水着ではなかった。普通のズボンをはいている。だけど上半身は裸で……
「裸マフラー…」
 レンがぽつりと呟いた。
「……でも何か、かっこいいね?」
 ミクがおそるおそる言うと双子が一斉に反発した。
「はぁ!?」
「ええー、どこがー!」
「……リン、そんなこと言っちゃ駄目だよ」
 かっこよく撮ろうと頑張ってくれたんだから、とKAITOが主張する。怒るところが何かおかしい。何故そんな無駄な努力をしているのだ。マフラーを取ればいい話だと思うのに。MEIKOが横から自分の方向にカレンダーを向けた。
「まぁ、KAITOのファンならありじゃないの。別にもっとネタに走ってても良かったと思うけどねー」
「カレンダーでそれは止めた方がいいってさ」
「…あんた、まさかやる気だったの」
 MEIKOの呆れた声にKAITOは曖昧な笑みを向ける。どっちだ。
「秋からは普通だなー。ってか何か似たようなのばっかじゃん、面白くねぇ」
「……だからレン、それはおれじゃなくて撮影した人けなしてるから」
「それでいいんだよ、兄貴ならもっと面白く撮れるだろ」
「……うわ、喜ぶとこかどうか本気でわからない。面白いってどういう、」
「ねー、お姉ちゃんたちのはどんなのー」
 KAITOの発言をリンがにこやかに遮ってミクの持っているカレンダーに手を伸ばす。リンの手元にあったのは自分のカレンダーのようだった。
「あ、私リンちゃんたちのも見たいー」
「ミク姉のは? あ、こっちか」
 3人がそれぞれ手に取ってビニールを破る。ミクはふと気付いて言った。
「リンちゃんとレンくんって一緒なんだね」
「そうだよー。撮影も一緒。私とレンはセットだし!」
「別に1人ずつても良かったと思うけどな。リンは好きだけどおれには興味ないって奴多いんだよ」
「逆もあるじゃんー。でも両方とも好きって人が一番多いでしょ!」
「そうかなぁ…」
 最初に開かれたMEIKOのカレンダーから、また全員で覗き込んでいく。やっぱり色っぽい、と思っていたら春の場面でピンクの可愛らしい服になっていて驚いた。服装や髪形、表情だけで随分印象が変わる。自分はここまで使い分けられないなぁ、と思っていたら再び夏になった。
「…………」
「…………」
 ミクとリン。沈黙してその水着姿を見つめる。
「……やっぱ凄いよね」
「凄いよねぇ」
「何がよ」
「胸!」
「胸!」
「胸!」
 3人目はレンだった。微妙にずれながらも揃った言葉にMEIKOが苦笑する。少し遅れてKAITOが言った。
「腰」
「何か言おうとしなくていいから」
 MEIKOが冷たく突っ込んで視線を戻す。つられるようにミクも、もう1度カレンダーに目を落とした。
「あれ、これってどこで撮影したの?」
「ん? スタジオよ」
「でも海見える…」
「合成だろ」
「背景パネルじゃないー?」
「そういえば姉さんのはやたら背景凝ってるね。春も桜並木だったし」
「別に撮影に行ったわけじゃないけどね」
「そうなんだ…。いろいろ行けていいな、と思ったのに」
 ミクが呟くとすかさずレンが突っ込んでくる。
「プロモ撮影ならいろいろ行ってるだろ。雪山で半袖とかな!」
「私ら悪くないのに視覚の暴力とか言われたよねー」
「それ、おれも夏によく言われた」
「KAITO兄ィはいい加減改めたら」
「えー、でもマフラーないのもお兄ちゃんじゃない気がする…」
「だよねー」
「お前が同意すんな」
 可愛くミクにあわせてきたKAITOにもいつも通りの突っ込み。
 騒がしくなってきた部屋の中で、ミクはカレンダーから目を離さない。
 MEIKOの後ろの、海。
 結局夏の間1度もそこに行くことはなかった。
 ミクたちは海水に浸かれない。海辺での撮影もあまりよくないらしい。自然海のロケは避けるようになっていた。水着は着れるのに。
「そういえば海での撮影ってないよねー」
 考えていると突然リンが思いついたように言った。視線は、ミクと同じくカレン ダー。
「海はなるべく避けてくれって言ってるしね」
「向こうも何か事故があったら嫌なんでしょ。海水浴びちゃったりしたら何ともなくてもメンテ費用はかかるし」
「完全防水もお金かかるし動き辛くなっちゃうんだって。でも1度入ってみたいよね ー海」
 ミクも以前聞いたことがあるので繋げて発言した。ついでに希望も入れれば、リンがそれには首を傾げながら答える。
「うーん、どうせなら水着をちゃんと水着として使いたいな」
「水着なんて持ってないだろ」
「買うの! 今年もすっごい欲しかったんだよ! 意味ないから買わなかったけど」
「その気持ちはわかるわー。せっかくの可愛い水着、スタジオだけで着ててもねー」
「姉さんでもそんな風に思うんだ」
「あんた私を何だと思ってんのよ」
「お兄ちゃんは思わないの?」
「おれ、裸なら結構出してるしなぁ…」
「裸じゃなくて水着の話だっての」
「男の水着なんてどうでもいいだろ」
 レンの言葉に珍しくKAITOが頷いた。
「そっか…私たち海行かないから人の水着もあんまり見ないんだよね。ねぇ、見るのもお勉強だよね、人間の!」
 突然テンション高く叫んだミクにMEIKOがきょとんとした表情を返してきた。そして、思いついたように「あー」と上を見上げる。
「とにかく海に行きたいのね」
「行きたい」
「ミク姉、さっきまで海のテレビ見てたよ」
「それか」
「違うよ! ずっと行きたいって思ってたの!」
「勉強なんてテレビや写真で十分だろ」
「レンくん、海行きたくないの?」
「……行ったってしょうがないだろ」
「海行っても泳がない人って結構いるよ? テレビとかでも。大人はずっとパラソルの下とか」
「だよね。行けるよね!」
 リンの言葉にのる。それでは意味がない、という思いもあるがそれでも行ってみたい。期待を込めてMEIKOたちに視線を向ける。MEIKOはKAITOを見た。
「……もう寒くなってるから人居ないんじゃないかなぁ」
「目立たなくていいかもしれないけどね。秋に水着で海、じゃおかしいかしら」
「……姉さんも行きたいの?」
 考え始めているらしいMEIKOにKAITOが驚いて聞く。MEIKOは先ほどのKAITOのような曖昧な笑みを返した。
「おれ、船なら乗りたいな」
「ああ、いいねそれ。姉さん、釣りやってみたい」
 男性陣は方向性が違った。
 だけど、これで全員が一致した。
「決まりだね!」
 これはいつもの流れだ。MEIKOより先にミクが言う。だけど、MEIKOは頷きはしなかった。





「駄目なの?」
「防水とかいろいろあるからって。でも来年は行こうって言ってた!」
「ホントに!?」
「うん。どうせなら水着も買いたいじゃん!」
 もう水着なんてろくに売ってない。それも含めての、来年の約束。MEIKOに言われたときは多少落ち込んだが、希望があるのは嬉しい。ミクが伝えるとリンも同じように喜 んだ。
「あああ、でも一年長いなぁ」
「そんなことないよ、あっという間だよ」
 それは過ぎてみれば、なのだけど。そしてそこまで言って、ミクは思い出したように左手に持っていたカレンダーを出した。
「これに印付けとこうよ! 遊びに行く日とかつけてると楽しいよ」
「あ、カレンダー。あれ? MEIKO姉の?」
「うん。自分の部屋に自分のカレンダーってのも変ってお姉ちゃんが言うから」
 あのあとリンたちは仕事に向かい、カレンダーに関してはアミダで置く場所を決めた。 結果、リビングにはリンとレン、MEIKOとミクの部屋にはKAITO、KAITOの部屋にはミクのカレンダーが飾られることになった。
「リンちゃんたちの部屋はそれね。来年までなくしちゃ駄目だよ」
 姉に言われた言葉をそのまま伝えてみると、リンは気合を入れるようにカレンダーを握り締めた。潰れそうだ。
「一年間使うんだよねー。これが終わったら一年経つんだ…」
 少し感慨深げにリンが呟く。カレンダーを受け取ったとき同じことをミクも思っていたので嬉しくなって頷く。
「そうだ、これもう今から飾っとこうか。1月になったらどうせ表紙は破るん だし!」
 リンが元気良く部屋に戻っていく。なるほど、と思いつつミクもそれに従った。一緒に印を付けたい。
 部屋の中には、先に戻っていたレンと、何故かKAITOの姿。
「あ、お兄ちゃん」
「あー、何見てるの2人して!」
 リンが床に座り込んで本を見ている2人に飛びついた。2人が顔を見合わせて笑 う。
「……船ならさ、いいかなぁって」
「あ、お兄ちゃんずるい! 抜け駆けする気だー!」
「ミク姉たちは水着、着たいんだろー? おれらはこっちだから夏まで待つ必要ねぇもん」
「ずるーい」
「ずるいよー」
   ずるいを連発する2人にKAITOは困ったように笑う。
「……ずるいわねー」
 そのとき背後から僅かに低い声が聞こえて思わず振り返った。
「……お姉ちゃん」
「あー……」
 にやっと笑ったMEIKOにKAITOとレンが視線を逸らす。
 先に、船に乗ることが決まりそうだった。


 

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