仕事

「ミクー。明日時間空いてるわよね? 急な仕事頼まれてるんだけど大丈夫?」
「え……?」
 台所でリンとじゃれていたミクに、リビングから声がかかった。2人揃ってぴたりと動きを止めて、ミクは呟きのような言葉だけを漏らす。そろそろ日が沈みかける時間帯。先ほど電話が鳴っていたのには気付いていたが、MEIKOが取るだろうと気にしていなかった。会話の内容も聞いてない。用件は、それか。
「ミクー? 明日ね、」
 電話の元に居るMEIKOの位置からミクは見えない。いつもは直ぐに返事をするミクなので、聞こえなかったのかともう1度言葉を出している。ミクは一瞬後、息を吸い込んでそれを遮るように言った。
「大丈夫ー!」
「わかった」
 大した距離のない場所での不必要な大声に、MEIKOは軽く返して電話に戻る。リンが眉を寄せて、ミクを見上げていた。




「ミク姉ー、ホントにいいの?」
「何がー。お仕事だもん、しょうがないよ」
「断ったっていいじゃん! ミク姉は仕事しすぎだよ」
「好きだからいいの。リンちゃんだってお仕事好きでしょ?」
「好きだけど……」
 階段を上がるミクの表情は、後ろから追いかけるリンには見えない。声は淡々としていて、その感情も掴めない。リンはその背を見つめながら、ちらりと階下を見た。MEIKOはもう電話を終えたのか。詳しい話があるはずだから、部屋に戻らない方がいいのに。
「ミク姉ー」
 ミクは自分の部屋に戻っていく。リンはそれに付いて行った。ミクはMEIKOと同室、リンはレンと同室だ。だけどお互い部屋を行き来することは多いし普段からノックなしで遠慮なく開けている。ミクもちらりと後ろを振り返っただけで何も言わなかった。
「どうしたのミク姉」
 部屋の入り口付近で立ち尽くしたリンに、ミクは首を傾げて微笑み返す。
「え? だって、明日の仕事の準備しなきゃ。それに、明日、みんなで買い物いく用意、しちゃってたから、片づけて」
 笑顔のミク、だけど僅かに言葉が途切れる。不自然な声の震えに、リンが気付かないはずはない。リンは一気に興奮して、ずかずかと部屋に踏み込みミクの腕を取った。
「片づけなくていいよ! ミク姉楽しみにしてたんでしょ! MEIKO姉に言えばいいじゃん! 今からでも断ろうよ、私が断ってくる!」
 叫びながら自分の中で結論が出て、リンは踵を返す。だがその腕を再びミクが取 った。
「待って、もう引き受けた仕事だから」
「今なら間に合うよ! 向こうだってこんな急な仕事駄目もとでかけてるって!」
「私なら! 時間が空いてたら絶対断らないって思ってるよ!」
 ミクの叫びが泣きそうに掠れて、リンは動きを止めた。今まで、仕事上の演技以外で聞いたことのないその声に、目を丸くする。ミク自身も驚いたようで慌てて手を離すと無理矢理のような笑顔を浮かべた。
「あ、ご、ごめん。何か変な声出たね」
 えへへ、と笑うミクに、リンは笑顔を返せない。今すぐ、1階に下りて仕事を撤回させたい気持ちと、今ミクの側から離れたくない気持ち。
 動けない。
「……明日、買い物行こうよ、ミク姉居ないと意味ないよ」
「……仕事だもん。リンちゃんたちだけでも大丈夫でしょ。お兄ちゃんもレンくんも居るし。それに…お姉ちゃんに理由言えないじゃん」
 明日はMEIKO以外全員が同じ時間に仕事を空けている。MEIKOはおそらくそれを偶然だと思っている。仕事を空けたのは、みんなでMEIKOの誕生日プレゼントを買いに行くため。まだ先のことだけど、店の空いている時間に無理なくスケジュールを組めるのはその日しかなかった。ミクに仕事が入っても、延期するわけにはいかない。
 そして、MEIKOにそれをばらすわけにも。
「みんなと遊びに行くとか言ったらお姉ちゃん仲間外れだし。やっぱり不自然だよ、私が仕事断るの」
 ミクの声はもう明るい。震えもない。笑顔に曇りもなかった。それが強がりの結果なのかどうかリンには分からなかった。ただ、リンの表情は晴れない。
「適当に…ごまかせばいいじゃん。明日はみんなと…みんなじゃまずいんだったら…私と遊びに行く予定だって言ってさ。そうだよ、私のわがままだよ。私がミク姉と一緒に行きたいの! し、仕事と……」
 リンはそこで浮かんだ言葉を名案のように言い切った。
「仕事と私とどっちが大事なのっ!」
「え」
「う……」
 何か、おかしかった気がする。
 でも今浮かんだ本心ではあった。
 ミクが笑い出す。これは、多分、本当の笑顔。
「……わ、笑うとこじゃないでしょー! ミク姉、仕事、」
「うん…。ごめんね」
 お仕事行きたいから。
 翻さないミク。リンはもう何も言えなかった。





「ねえさーん。姉さん姉さん? 聞こえてる?」
「……聞こえてるわよっ……」
 ソファの座ったまま膝に頭を乗せて顔を見せないMEIKO。その体勢は辛くないだろうかと思いつつも、自分より柔らかく作られているから大丈夫かとKAITOは勝手に納得する。言われて持ってきたワンカップも、MEIKOは手を付けようとしていなかった。
「ええと、聞こえてるってのはおれの声じゃなくて」
「上の会話でしょう。あれだけ叫んでればわかるわよ」
 ようやくMEIKOが体を起こした。はぁ、と長いため息をついて額に手をやっている。
「……何で言ってくれないのかしらね」
「何を?」
「嫌なら嫌って。もー、遊びに行くなら仕事なんか後回しでいいのに」
 ミクたちが2階に上がったのと、ほぼ入れ違いでKAITOは帰ってきた。MEIKOからミクの仕事の話を聞いて驚いて断らせたのだ。同時に2階で叫び声が上がった。ミクの今まで聞いたこともない悲痛な声には、思わず2人もそのままミクの下へ向かいかけたほどだ。
「嫌じゃないんだよ。ミク、仕事好きだしね」
「でもこういうときは最初の約束優先するもんでしょうが。約束あったんでしょ?」
「うーん…まあ」
「はっきりしたもんじゃなかったの? それでも…もうちょっと…あー、もう自分が情けないわ」
「何で」
「嫌なのに気付かず仕事押し付けるとか! そういうのやりたくなかったのに!」
「ミクはそういうとこ見せないからねー」
「何で嫌なもんは嫌って言わないのよ」
「……それで褒められるから」
「は?」
 KAITOの言葉に呆気に取られたMEIKO。KAITOは少し迷いつつ、続けた。
「……リンとレンは結構仕事に文句言うでしょ。あれは嫌だ、こっちがやりたいって。だけど、ミクはそれがないからみんなから『ミクは仕事選ばなくて偉いね』って言われる。そうなると…もうワガママ言いたくないし、褒めてくれるならその方がいいって思う。一回でもワガママ言っちゃったら……もう褒められなくなるって思うでしょ」
「ちょっと待って、それまさかそのまんまあんたにも当てはまったりしないでしょ うね」
「……おれ、呆れられることはあっても褒められることってなかった気がするけど?」
「……ごめん」
 即座に謝ってきたMEIKOにKAITOは笑う。MEIKOは今いろいろ反省中のようだ。頭を抱えてしまったMEIKOにはとりあえずそれ以上言わない。そもそもミクに関して言えばKAITOも同じ反省がある。ミクが仕事を好きなのも仕事を選ばないのも本心だと思うが、知らず知らずプレッシャーをかけてはいたのだ。
 それにたった今気付いたところだったが、とりあえず今は以前から思っていたような顔をしておこう。
 KAITOがいい加減な気持ちでそう決めたとき、廊下から音がした。
「あ、お帰り」
「……ただいま」
 レンだった。玄関が開く音はした覚えがない。いつの間に帰っていたのだろうか。廊下を歩く音は聞こえなかったから立ち聞きしていたのもしれない。
「ええと、どこまで聞いた?」
「何が」
「……あれぇ」
「レン、お帰り」
 MEIKOはその点は気にしないのかレンに声をかけて続ける。
「ミクとリン、呼んできてくれる?」
「は? おれが?」
「今立ってるんだからいいでしょうが。明日の仕事は……やっぱいいことになったとでも言って」
「明日の仕事? ってどれだよ」
 話を理解していない。やはり帰ってきたばかりだったのか。
「言えばわかるわよ。ああ、それとレン。あんたもね、嫌な仕事ははっきり嫌って言いなさいよ」
「言ってるだろ」
 レンはいぶかしげに、それでも即答する。
「言ってるけどやってるじゃない」
「最近レンも面白い仕事多いもんねー」
「面白いですませられるのかよ、あれ…」
 レンが顔を歪めた。確かにそうかもしれない。正直一応未成年であるレンにやらせるのはどうかと思うきわどい仕事もある。レンがやるからこそ面白いのだとも思うが。
「ほら嫌なんじゃない。いいのよ、断ったって?」
 MEIKOはそんなレンに真剣な目をして言った。元々言いたいことは何でも口に出すMEIKOにとって嫌なのに言えない、という状況がピンと来ていなかったのだろう、今まで。
「……おれはな」
 レンはリビング入り口に突っ立ったまま、迷うように視線を彷徨わせる。珍しく自分のことを喋ろうとしていると感じ、2人は先を促すように首を傾げた。
「何?」
「仕事を選ばない男になりたいんだよ!」
 何故か叫ぶように言い切るとそのまま走って2階へ駆け上がってしまった。照れてるような感じだったが……何に?
 リビングに残された2人はぽかん、とその様子を見送る。
「……レンまで仕事選ばなくなってどうするのよ」
「まあなんだかんだでみんな選んでないけどねー」
 おれにイロモノが集中してるだけで。
 KAITOはそこは口に出さず呟く。
 しかし実際、ミクやKAITOが仕事を選ばないと言われる中、一応後輩でもあるレンたちが仕事を選ぶというのは難しいだろう。心情的にも。
 これも知らず知らずのプレッシャーだ。
「ま、あんたらが仕事選ばずにやってるのをかっこいいと思ってくれてるなら、それでいいんだけどね」
「……ああ、それいいなぁ」
 MEIKOの思わぬフォローにはちょっと嬉しくなる。
 考え方は人それぞれだ。一度、もう少し話し合ってもいいのかもしれない。


 

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