送る
家に入る直前、電話の音が響いてきたのにKAITOは気付いた。ドアを開いた瞬間、切れるコール。一瞬焦ったが続いて聞こえてきた声にKAITOはほっと息をつく。そういえば今日はMEIKOが居る。落ち着いたMEIKOの声に安心して部屋に入るが、途端、MEIKOの声が鋭くなった。
「どういうこと? ちゃんと説明しなさい!」
思わずびくりとする。MEIKOが怒鳴りつけているのは電話の相手。だが、仕事の電話にしては口調がおかしい。まさか。
KAITOは聴覚機能を高め、電話の音に集中する。MEIKOはKAITOが帰ってきたのには気付いたようだが、それどころではないのかこちらに目も向けてこない。
「……落ち着いて。それで、今どうなってるの?」
電話口から聞こえてきた相手の声。
これは……レン?
KAITOはふとそこでリビングにかかったカレンダーに目をやる。兄弟全員のスケジュールが簡潔に書かれている。今日はミク、リン、レンの3人が朝から仕事。KAITOよりも早かったため、朝はほとんど顔を合わせていない。確か、珍しく個人依頼の仕事だったか。結婚式で友人に祝いの歌を送りたいという男からの依頼で、男自身が作詞作曲した歌だということだった。新婦がミクのファンだということだったが、わざわざ3人も呼んでオリジナルの祝いの歌を聞かせたいということでミクたちも興奮していたのを覚えている。
ついでKAITOは時計に目をやった。結婚式は……まだ途中か。それとも終わったくらいか。歌はもう終わっているだろう。緊迫感のあるMEIKOとレンの声に、何かあったのだとは思うが内容の想像が付かない。やがて、MEIKOが受話器を置きKAITOに目をやってきた。
「……何?」
全てを問う意味で聞けばMEIKOは深刻な顔をして呟いた。
「……ミクが、歌わなかったんだって」
「………は?」
意味が理解出来ずKAITOは瞬きを返す。歌わなかった? 歌の仕事で?
「……何で」
「……わかんないわよ」
MEIKO自身も戸惑いが強いのだろう。そういえば、聞こえてきたレンの声も、自信なさげな頼りない声だった。
ミクが歌わなかった。
それは確かに、混乱する。そんなことは、ありえない。
「……とにかく今帰って来てるみたいだから。今日はもう仕事ないわよね?」
「ないよ」
あってもキャンセルだ。多分これは、非常事態だ。
MEIKOはどこかへ電話をかけ始めた。依頼人だろうか。
立ったままだったKAITOはそこでようやくソファに腰を下ろす。既に帰ってる途中ということは、遅くとも1時間後には帰ってくる。何を言えばいいのだろうか。
戸惑うリンとレンの姿は浮かぶ。だけどミクは、どんな顔をしているか全く想像がつかなかった。
「ミクー?」
部屋をノックして呼びかけても、何の反応もない。家に帰ってからすぐに部屋に駆け上がり、そのまま閉じこもってしまったミクに、KAITOは何を言う暇もなかった。俯いたまま走ったミクの、表情も見ていない。もう1度ノックをしようと右手をあげると、ぽんと左肩を叩かれた。
「姉さん?」
「……一旦降りましょう。……聞かせてくれる?」
MEIKOは背後のリンとレンに声をかける。レンが少し俯いた。頷いたのかもしれ
ない。
リビングに向かいながら、もう1度KAITOはミクの部屋を振り返る。さっきの会話は聞こえただろうか。リンとレンの口から話されるのは問題ないのか。2人も、何か知ってるようには見えなかったけど。
「そういえば姉さん」
「何?」
「依頼人は? 連絡しなかったの?」
「電話に出ないのよ。怒ってるのか、それとも……逃げてるのか」
「逃げ……?」
双子が顔を上げてMEIKOを見た。KAITOと同じく戸惑っている。
「ま、とりあえず最初から聞かせて」
リビングについたMEIKOは明るい表情で3人を振り返った。双子が顔を見合わせながらソファに座る。KAITOは何となく、入り口付近に立ったままだった。これではまるで尋問みたいだと気付いたのは随分後になってからだったけど。
「……話してって言われても…」
「私たちもわかんないよ。楽譜渡されて、いきなり3人で歌わされて…それでOKって言われて…」
「楽譜は?」
「もう覚えただろって回収された」
「覚えてるのね?」
「当たり前だろ」
1度歌った歌は忘れない。レンの言葉にMEIKOが頷く。KAITOがそこで口を挟んだ。
「どんな歌だったの? ミクはそのときはちゃんと歌えたんだよね?」
「歌ってた…よ」
「でも…そういえば、ちょっとおかしかったかな」
「………」
双子が思い出すように視線を彷徨わせる。MEIKOの呟くような声は上手く聞き取れなかった。
「歌詞?」
目の前で聞いていたリンが問い返す。すぐさまレンが繋げた。
「覚えてるけど…おれとリンはコーラスだから。歌詞……何かおかしかったっけ」
「……さあ…よくわかんないところもあったけど」
言いながら疑問に思ったのか、レンがリンに問いかける。リンもまた首を傾げて返した。
「ちょっと歌ってみてよ」
歌詞に問題があったのか。だけどミクはどんな下品な歌詞だろうが恥ずかしい歌詞だろうが問題なく歌いきると思うのだが。
KAITOの言葉を止めたのはMEIKOだった。
「待って。歌わなくていいから。ここにそれ書いて」
MEIKOが棚の上からメモ帳を引っ張ってくる。レンが書き始め、KAITOも腰をかがめてそれを覗き込む。
親愛なる友人へ送る、祝いの歌。友人を花になぞらえているのか、花を褒め称える描写が続く。そういえば友人というのが新婦の友人なのか新郎の友人なのかは知らなかったが、これを見れば新婦のことだろうとは思った。主に、新郎との出会いまでを歌われた歌。抽象的な表現も多いが、特におかしなことはない。ミクには、少し難しい言葉もあるかもしれないが、わからなければミクは聞くし、知らなくても歌は歌える。
レンの手が止まり、紙がMEIKOの方に向けられた。正面に座ったMEIKOは、それまでもずっとレンの手元を覗き込んでおり、それと同時に顔を上げる。既に内容は読みきったらしい。
「…………」
「……姉さん?」
「……ミクのとこ行って来るわ」
「姉さん?」
「あんたたちはここに居て」
それだけ言ってMEIKOは階段へ向かっていく。残されたKAITOは少し呆然として、それまでMEIKOが座っていたソファに腰を落とした。レンの書いたメモを手に取る。
「……何か、おかしなとこあるのか?」
不安げに聞くレンにKAITOは何も答えられない。
もう1度、歌詞をゆっくり追ってみる。
芽吹き、育ち、花が咲く。旦那はミツバチか。
「……ん?」
どこか、引っかかった。
『どうしたの?』
KAITOの表情を見守っていたリンとレンは、同時に声をあげた。少しの言葉にも敏感に反応する。二人も気になっているのだろう。
「……ごめん、わからない」
上手く言葉に出来ず、KAITOはただそう返す。
何となく、2階を見上げた。
ミクとMEIKOは、何に引っかかったのだろうか。
「ミク」
「……お姉ちゃん……」
扉を開けたミクは俯いたままMEIKOの顔を見ようとしない。怒られるときのように身を縮めて、MEIKOの言葉を待っている。MEIKOは何も言わず優しくその肩を抱くと、片手で扉を閉める。戸惑うミクを無視して部屋の中央まで引きずり、そのまま一緒に床に座っ
た。
「お姉ちゃん……?」
「あんたは悪くない」
ずばりと、今ミクが悩んでいるだろうところに答えを出す。ミクがぱっと顔を上げた。驚きに満ちた表情には、僅かに期待が浮かんでいる。だけどそれと同じくらいの──絶望。
「……さっき歌、見せてもらったの」
「…………」
「歌いたくなかったのね?」
「…………」
沈黙。
ミクは小さく頷いた。そして一気に喋り始める。
「歌、最初は、何とも思わなかったんだけど。歌ってたら何か、変な気分になって。何かおかしいって思うようになって。そのときはよくわからなかったんだけど。でも、歌う前になって。これって……これって……」
自信なさげに語尾が窄む。MEIKOはもう1度ミクの肩を軽く叩いた。
「あれは祝いの歌なんかじゃないわ」
「………え」
「それを感じ取ったんでしょ? 本番で歌わなかったのは正解。表現をごまかしまくってるけど、聞く人が聞けば絶対わかるわ。新郎に対する悪意に満ちた歌」
「お姉ちゃん……」
本当は、曲を作ったものの悲しみも、MEIKOは感じ取っていた。ミクの絶望は、それが正しかったからだ。歌われている「花」は新婦のことではない。新郎の昔の彼女か何か。曲を作った人の大切な誰かを捨てて別の花のもとに行った男の歌。
「……よく気付いたわね」
MEIKOのその一言で、ミクは顔を歪ませてMEIKOにしがみついてきた。不安で仕方なかったのだろう。
それが、新郎新婦に聞かせてはいけない歌だとわかったところで、確信もなく、誰にも言えず。おそらく結婚式の雰囲気は台無しになった。歌っても、誰も傷つかなかったかもしれないのに。だけどミクは正しかったと、MEIKOは間違いなくそう思う。泣いているような声をあげるミクをじっと抱きしめていると、ふと扉の外に気配を感じた。少し迷うが、MEIKOは声をかける。
「KAITOでしょ。リンとレンも?」
ゆっくり、扉が開いた。覗き込むように目だけ覗かせたのはKAITO。
「……気付いたの?」
問いかけると、KAITOは少し目を伏せる。
「わからない……けど」
この花、悲しい目に合ってるんだよね。
KAITOの言葉にMEIKOは頷いた。上出来だ。本当はもう一歩進んで欲しいけど。
そこでKAITOを押しのけるようにリンとレンが入ってきた。
「これ! この歌詞どういうことだよ! ひょっとしてあの男、昔の女を、」
「レン」
レンを止めたのはKAITOだった。ゆっくりと、MEIKOの胸に顔をうずめていたミクが顔をあげる。
「……ミク姉」
リンが進み出てしゃがみこみ、ミクと視線を合わせる。
「……ごめん。私たち、気付かなかった」
ごめん。
言いながら、リンは唇を噛み締める。悲しいよりも、悔しいのだ。ミクの不安と悩みに、気付けなかったことが。
「でも……私のせいで、結婚式……」
ミクが呟いた言葉にリンがはっとする。
実際どういったことになったかは想像しかできないが。祝いの歌を歌うためにきたVOCALOID。周囲の期待も大きかっただろう。だけど、嫌な話だけど、機械だから、故障があったのかもしれない運が悪いと、多くの人間は思ってくれる。
「……兄ちゃん」
「ん?」
そこでレンがKAITOに目を向けた。何を言う気かと全員が注目する。
「何か……祝いの歌教えてくれよ。結婚式の。オリジナルじゃなくてもいいか
ら……」
もう1度歌いに行こうぜ。
レンの言葉に一瞬、全員の時が止まる。最初に反応したのはミクだった。
「うんっ! 歌おう! 歌いに行こう!」
笑顔で立ち上がる。これだ。ミクは、結婚式を台無しにしてしまった夫婦に、何かがしたかった。
「そうだね。どうせなら完璧にしていこうか」
KAITOが頷く。リンも、MEIKOも立ち上がった。
気になることはある。
歌詞に書かれた新郎の過去らしき描写。
先ほどレンが言った通りの解釈も、出来ないことはない。だけど、それは私たちが気にしても仕方ない。大切なのは、ミクが夫婦の幸せな気持ちを壊してしまったかもしれないこと。改めて、幸せな歌を送ることだ。
歌の練習が始まったとき、レンがさりげなくミクに寄って行ったのにMEIKOは気付く。レンは、小さな声で……それでも、聴覚機能を高めたMEIKOの声にも届くはっきりした発音で、言った。
「ミク姉」
「うん? 何?」
「……今度から、おれらにも言えよ。……ああいうことあったら」
「あ……」
「そりゃ、姉ちゃんたちほど頼りにはなんないけど。一緒に……考えることぐらいできるんだし」
馬鹿なんだから一人で悩んでんなよ。
最後の言葉は取ってつけたように乱暴に。だけど、ミクは嬉しそうに頬を緩めた。
「うんっ! ありがとう。ごめんね。リンちゃんも!」
「あっ、ばかっ」
ミクの大声で、結局リンとKAITOも振り向いた。二人とも会話には気付いていたのか、ただ笑っただけだったけど。
「じゃ、あわせてみましょうか」
ミクとリンとレンと。
3人の声が揃う。幸せを願って、歌を紡ぐ。
VOCALOIDは、歌に気持ちを乗せて送る。悲しい歌も切ない歌もその感情を込めて
歌う。
結婚に嘆く者は居るだろう。泣くものだって居るだろう。
だけど、今幸せになろうとしている二人には、この笑顔を送りたい。
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