興味

 台所からワンカップを一つ。
 ついでに冷蔵庫からストローがささったままよく冷えているシェイクを取り出した。 そのままリビングに向かい、机の上に散らばる紙の山にため息をつく。ソファに座り、紙を手にしていたKAITOが、その音に顔を上げた。
「どう? 今回は」
 MEIKOが問いかけるとKAITOは苦笑いのような笑みを向けてくる。
「また増えてるねー。先月はちょっと少なかった分一気にきたかな」
 ソファに腰を下ろし、シェイクを渡すと、早速口をつけながらKAITOが束になった紙をMEIKO突き出してきた。
 それをそのまま膝の上に乗せ、ワンカップを開ける。
「最近ね」
「うん」
「マネージャー欲しいって思うわ」
「おれも」
 仕事の選り分け。
 全部やります何でもやります、と言えてた頃はある意味で良かったけれど。
 いつの間にか全てを消化するのが困難になり、ミクが出来てからは毎回選り分けの作業。MEIKOやKAITOの仕事依頼も以前より圧倒的に増え、さすがに処理がきつくなってきていた。
「よくわからない仕事も増えたしねー。前提無視する奴も多いし。裸OKですか、じゃないわよホント」
 一口飲んで愚痴をこぼせばKAITOが驚いたような顔を向けてきた。
「え、言われたの」
「ま、ただのセクハラだけどね。こっちの商売道具が歌だってわかってない奴が多過ぎって言うか……」
 MEIKOはワンカップを机の上に置き、膝の上の書類を手に取った。既にKAITOの手でいくつかのチェックがある。ざっと目を通しながら喋っていたMEIKOは、途中でふと手を止めた。
「KAITO」
「何?」
「なに、この『VOCALOIDはジェットコースターに乗ったまま正確に歌いきれるか』ってのは」
「何かバラエティの企画?」
「見ればわかるわよ、何でこれにOKつけてんのよ!」
「やるのおれだから大丈夫。イロモノ系は全部おれが引き受けた!」
「あんたジェットコースター乗りたいだけでしょうが」
「VOCALOIDの名に恥じない歌は歌ってくるよ」
「話聞け」
 言いながらもMEIKOはそのまま自分もOKのチェックをつけて机の上に送る。
 まあKAITOの仕事だし、本人が何を選ぼうと文句を言うところでもないのだが。
「ジェットコースターねー……」
「あ、姉さんもやりたい?」
「何でそうなるのよ、やりたいけど!」
 思わず叫んだMEIKOに、KAITOが目をぱちくりさせる。
 しばらく考え込むように沈黙したあと、はっきり目を合わせてこう言った。
「……譲らないよ」
「……そうくるとは思わなかったわ」
 あんたも大概阿呆な企画好きね、と呟いて次の書類に目を通す。あんたも、と言った時点で何かを暴露している気がするが気にしない。それより階段の方からどたばたと聞こえてきた音の方が問題だった。
「……ミクたちかしら」
「起きちゃったかな?」
「KAITO相手してあげて」
「ちょっと待って、これ飲んで──」
 KAITOが手に持ったままのシェイクのストローをくわえた瞬間、リビングに騒々しい声が飛び込んできた。
「絶対おれだって!」
「私に決まってるじゃん! ああいうのは女の子がやる方が可愛いんだよ!」
「じゃあ私でもいい?」
「えー、ミク姉、前にも似たようなの歌ったじゃんー」
 仕事の話だろうか。リビングに入った3人はすぐさま机の上にある書類に目を向け た。
「KAITO兄ィ! おれの仕事どれ!」
「私の、私の見せて!」
 床に座り込み、書類を眺めたあとKAITOを見上げるレン。リンは既にチェック済みにしていた書類を手に取った。
「何? 何かやりたい仕事でもあった?」
「ほら、前におれたちが二人で歌った奴の続編…」
「曲は聴いたけど、まだ誰が歌うか知らないの。レン、タイトルなんだっけ」
「ええと……」
 タイトルも思い出せないまま書類をめくっていくリンとレン。せっかく仕分けたものがぐちゃぐちゃになりそうだったので、MEIKOは一度それを取り上げた。
「まあ、待ちなさい。あとで見せてあげるから」
「ええ、でも今見たい」
「あ、レン、そっちはおれの仕事、」
「ねー。私の仕事どれー?」
「あーもうミクもちょっと待って触らないで!」
「あっ!」
 言われて体を引いたミクが、そこから動こうと立ち上がりかけたリンにぶつかる。半端な体勢で衝撃を食らったリンは、そのまま机の上に倒れこんだ。
「リン……!」
 倒れかけたリンに手を伸ばしたレンの膝が机にぶつかる。机が揺れて、上にあるワンカップが倒れた。酒が広がる。慌てて立ち上がったMEIKOの膝の上の書類が、床に散らばる。動いたミクがそれに足を滑らせる。KAITOがミクを支えようと立ち上がり、間に座っていたレンに躓く。その拍子に、右手に持っていたシェイクをぶちまけた。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
 惨事。
 これだから、こういう作業は全員でやりたくはないのだが。
 何のダメージもなかったMEIKOは、最初に我に返ってそう思う。
「……とりあえず……みんな立って」
 机の上のリンが体を起こす。
 KAITOの上に乗る形になったミクが立ち上がる。KAITOが動くより早く、レンがKAITOを下から突き上げた。書類は酒とシェイクにまみれ、破れているものもある。
「……どうする、これ」
 床に座り込んだKAITOが机の上に手を伸ばす。書類を取った瞬間、水滴が散った。
「まだ読める?」
「酒の方は乾けば問題ないかな。それより破れてる奴が…あ、まずい日付読め ない」
「内容は? 断る奴?」
「ええと…あ、これミクのだ」
「え、何なに?」
 ミクが飛びついた。シェイクまみれの髪より、気になるのはやはりそれらしい。
「VOCALOIDはお化け屋敷で途切れることなく歌い続けられるか」
「それ、あんたの仕事じゃなかったの?」
「微妙に違うね」
「それやりたい!」
「はいはい、ミクは何でもやりたいんでしょ」
 最早仕事をする気にもなれず、MEIKOも再びソファに腰を下ろし、その話に乗る。リンが嫌そうな顔でミクを見ていた。
「何でお化け屋敷なのー。それだったら絶叫系の方がまだいいな」
「あ、そっちおれ」
「え、お兄ちゃんもやるの?」
「同じ企画かな? 別々に出てるけど。ええと……」
 KAITOが机の上を眺めるが、酒に濡れた書類は机に張り付いて、下手な持ち方をしたら破れそうだった。
 さすがにこのままではいけない。
 MEIKOは台所からタオルを取ってくるとそのまま机の上に広げた。ある程度は吸い取ってくれるだろう。これで。
「同じ企画だとしたら何でわざわざ2人使うのかしらね。こういうのKAITOで十分じゃない?」
「お化け屋敷は女の子の方が面白いんだろ」
 答えたのはレンだった。なるほど、と頷いてすぐに首を傾げる。
「でもミクは悲鳴上げないだろうからつまらないんじゃない」
 お化けの苦手なリンの方が良さそうだ。リンはそれをひた隠しにしているのでおそらく依頼した側は知らないのだろうが。ミクは企画の趣旨をわかっているのかいないのか、自信満々に言い切った。
「私、お化け屋敷でもちゃんと歌うよ!」
「うん、それ多分完璧に歌いきっちゃったらつまんない企画だと思う」
 ぼそっと呟くのはレン。反応したのはKAITOだった。
「えー、じゃあおれも歌いきっちゃ駄目?」
 こちらもきっちり歌いきる気は満々だったらしい。それはMEIKOも同じだが。
「私は最近ファンがあんたに何求めてるかわかんないわ」
 とりあえずそう言うと、KAITOは何を馬鹿な、という視線を向けてきた。
「おれのファンはおれを求めてるんだよ!」
「お兄ちゃんかっこいい!」
「そりゃ言ってることはかっこいいけど…」
 ミクの感想は素直だ。レンは呆れた顔でミクを見ていた。
「私も絶叫系の方やりたいー。ジェットコースター?」
「うん。同じ撮影現場なら一緒にやってもいいんじゃないかな。頼んでみる?」
「うん!」
「ミクも引き受けることは決定なわけ」
「ミクが決めたらいいじゃない」
「……それおれらにはないのか?」
「何レン、やりたいの?」
「……やりたいっていうか」
 レンは何故か唇を尖らせて、ちらりとKAITOを見る。
「……兄ちゃんが失敗したらVOCALOIDの恥じゃねぇ?」
「えっ、おれが失敗すると思ってんの!」
「兄ちゃんジェットコースター乗ったことないよな?」
「ないけど、大丈夫だよ!」
「根拠ないじゃん、それ!」
「っていうかさぁ」
 リンが床に座ったままずりずりとレンに近寄る。
「素直に遊園地行きたいって言えばいいじゃん」
「……行きたいんだ」
「行きたいよねー」
「そりゃ行きたいけど」
「ねー。行ってみたいわよね」
 最後のMEIKOの言葉には何故か全員が一斉に目をやってくる。
「……じゃあ、行こっか」
 KAITOの一言で、全ては決定した。





 撮影現場は慌しかった。
 何故か5人揃っている兄弟に、スタッフたちは最初ぽかんとした目を向けていたが、突っ込んでる時間もないのだろう。KAITOとミクが連れて行かれるのをMEIKOはじっと見ている。すぐ後ろに、リンとレンが居た。
「これ、撮影終わり何時?」
「さあ。そう何回も撮り直すもんじゃないし、すぐじゃない?」
「リン、先にお化け屋敷行こうぜー」
「嫌だー! 絶対嫌!」
「さすがにお化け屋敷はみんなでぞろぞろ行ってもねー」
「じゃあ一人ずつ?」
「そっちの方が嫌ー!」
 MEIKOは手に持った園内マップを見つめる。既にいろんな場所にチェック済みだ。
 仕事が一番楽しくて、仕事ばかりしてる兄弟だが。
 今の興奮を考えるなら、たまにはこんな日があってもいい。
 歌以外に興味を持つことも、きっと悪いことじゃない。


 

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