悪役、でも……

 たった一晩牢に居ただけで、随分薄汚れたものだと思う。
 いつもきれいにまとめられていた髪はぼさぼさで、抵抗があったのか、ドレスがいくらか擦り切れている。民衆の視線には目もくれない。憎しみの目も、好奇の目も、何の興味もないかのように王女はゆっくりと処刑台に上る。赤の戦士の述べる口上も、耳に入っている様子はなかった。
 やがて、教会の鐘が鳴る。3時。民衆の興奮が大きくなった。
 そのとき、王女がふと思いついたように呟いた。
「あら、おやつの時間だわ」
 小さな声。だが興奮していたはずの民衆の耳にもはっきりと届く。一瞬、場が静まった気がした。
 促され、王女が膝を付く。俯いて、顔に影が出来る。
 側にいた女戦士と、青い髪の男だけが気付いた。
 王女は、満足げな顔で、少し笑った。





「あら?」
 異様な空気に気付いて、MEIKOは足を止めた。
 撮影スタジオの隅で椅子に座って何かを読んでいるリンとレン。明かりもほとんど届いていない場所だが、この2人の視力なら問題はないだろう。目が悪くなるわけでもない。リンは机に両腕を付いて、薄い冊子のようなものをを見つめている。レンは椅子ごと壁際に移動して、同じように俯いてそれを見ていた。
 先ほど、撮影待ちのMEIKOに向かって、レンは嬉しそうにそれを見せていたはずだった。レンメインの曲だと、家まで待ちきれないから、ここで読んで帰ると。
 あれから既に30分以上が経過している。
「リン。レン」
 呼びかけに、顔を上げたのはレンだけだった。複雑な表情でしばらくMEIKOを見つめ、やがて少し口の端を吊り上げた。笑おうとしたのだと思った。
「どんな曲?」
 今の二人の表情の原因はそれだろう。だから聞いた。レンはしばらく考えるように宙を見て、やがてぽつりと言う。
「前の…リンが悪役やった奴あるだろ?」
「うん」
 小さな声が聞き辛くて、MEIKOはレンに近づく。
「あれの続き。……っていうか別視点?」
 言われてMEIKOも思い出す。あれのプロモは5人全員で参加したのだったか。MEIKOは女戦士の役だった。一部には評価が高かったものの、あまり話題にもならなかったため、続編が出たのは意外だった。
「レンメインってことは…召使の?」
 ただ突っ立ってるだけで何もしてないと散々言われていた。MEIKOは椅子を引き寄せて聞く体勢になる。レンが小さく頷いた。
「……リンと双子だって」
「そのまんまじゃない」
「……死んだの、おれだった」
「は?」
 疑問の声を上げたと同時だった。こちらに近づいてくる2人の声に気付く。
「やっと見つけたー」
「こんな暗いとこで何やってるんだよ」
 ミクとKAITO。撮影中だったのか、いつもと衣装が違う。KAITOの首元が見えるのは珍しいなと思っていたら、歩きながらマフラーを懐から取り出し巻いていた。やはりないと落ち着かないらしい。
「ね、ね、どうだった?」
 ミクはのんびり歩くKAITOを早足で置き去りにしてリンの元まで駆けつけた。椅子に座らず見下ろしてきた視線にリンが慌てたように頭を起こした。だがミクと目が合うと、すぐにまた俯いてしまう。
「ん……うん……」
「……びっくりした」
 何故か答えたのはレンだった。ミクがレンの方を向く。
「死んだのはレンって言ってたっけ?」
「えっ、どういうこと?」
「ラスト、覚えてるだろ?」
 レンの言葉にミクとMEIKOは顔を見合わせる。ラストは処刑台。撮影でもラストカットだった。最後にリンが処刑されて──ああ、そういうことか。
 ようやくMEIKOは納得する。ミクはわかったのかわかってないのか、少し神妙な顔で頷いた。
「へー……」
 そこに背後から入ったのはKAITOの呑気な声。いつの間にかリンの正面に座り、リンの前にあった楽譜を手にしていた。
「ぼくの服を貸してあげる、これを着てすぐお逃げなさい」
 KAITOが読み上げたのはその歌の歌詞。リンがびくっと反応したのがわかった。
 KAITOは間を置いて、首をかしげながらレンに聞く。
「……レン、女装するの?」
「なっ」
「あっ」
「あー……」
 レンが立ち上がった。ミクとMEIKOも気付いて声をあげる。
 そうだ、処刑台。そこに上るのは間違いなく擦り切れたドレスを 着た、王女。
「それはっ……それは、別にいいだろ、撮影なんだからリンがやるだろ普 通!」
「じゃあ入れ替わってるシーンは女言葉か」
「………!」
 KAITOの淡々とした突っこみにレンが言葉も出せなくなる。慌てている様子につい笑い出してしまった。ミクも笑っている。
「姉ちゃん! ミク姉! いや、っていうかもしそうだとしてもちゃんと……っていうかリン!」
 最後にレンが矛先を向けたのはリン。
 暗い顔をして俯いたまま固まっていたリンが、肩を震わせている。……笑 いで。
「お前っ! そこで笑うか!」
「だ、だって……!」
 振り向いたリンの笑顔にレンはがっくりと肩を落とす。俯いた顔は、笑っていた。ほっとしたのだろう。
 MEIKOもほっとした。
 話に感情移入して、ショックを受けていたリンに、何て声をかけていいかわからなかったのだ。ようやく我に返った、というところか。MEIKOは立ち上がると机を回り込み、KAITOが手にしていた楽譜を取る。
「ま、撮影のことはまた今度でしょ。それより歌、練習しときなさいよ」
「うん!」
「はーい」
 リンとレンも立ち上がり、ミクも続いた。ぞろぞろと帰る体勢になり、MEIKOは最後尾のKAITOに並ぶ。
「あんたの深く考えない発言は、役に立つこともあるのね」
「役に立つことも多いよ」
「その発言も考えなしよね、間違いなく」
 慣れた会話のやり取りをしながら、5人はスタジオを後にした。





「リン」
 手にした黒いタイをいじりながら、壁に背をついて座っていたリンは、その声にのろのろと顔を上げる。近づいてくる足音には気付いていた。だから、ぎりぎりまで顔を上げなかった。どんな顔をしているか見たくもあったが、どうせなら、側に来てから。
 顔を上げた瞬間、こちらを見ているレンと目が合った。そらされるかと思ったが、きっちり目を合わせてくる。しばらく、時間が止まった。
「………何だよ」
「何だ」
「は?」
 リンが以前着たのと同じデザインのドレス。髪も上げて、飾りをつけて。
「……笑おうと思ったのに」
「どういう意味だよ」
「それ笑ったら、何か自分を笑うことになりそう」
「当たり前だ」
 本当に、当たり前のようにリンに似ていた。まあ、そうでなければこんな撮影もしないだろうが。
 レンがリンの隣に座る。大きく広がったスカートが座りにくそうで、しばらくもぞもぞと動いていた。
「皺付くよ」
「これ、どうやって座りゃいいんだよ」
「正座」
「は?」
 言いながらも、大人しく正座に移行したらしい。完全にスカートで隠れて見えないが、ようやく落ち着いた体勢でレンがリンを見た。
「化粧とかはしてないんだ」
「そんな余裕のある場面じゃないからだろ」
「これだったら別にお姉ちゃんたち居ても良かったんじゃない?」
 撮影所が近かったり、休みだったり、とにかく時間があれば兄弟の収録現場に顔を出すことは多い。だけど、今回はレンが拒否した。集中できないからという理由で。
「……それは絶対却下」
「どうせ処刑シーンで居るのにー」
「え、あれも撮るのか?」
「え、撮らないの?」
「前の使いまわしでいいだろ、同じ場面なんだし」
「えー、私、そんなつもりで演じてないもん」
「でも撮り直しても不自然だろー。台本になかったぞ、そのシーン」
「えー……」
  何せあくまで別視点の話、なので。前回撮ったシーンがそのまま使いまわされる場面もある。実際今回はKAITOとMEIKOの撮影はないらしい。ミクのみ、新たなシーンを撮り直したが。それも、既に先日終わっている。
 リンは撮影機材の様子を見るスタッフを眺めながら、ふと思いついて言った。
「処刑のとこさ」
「ん?」
「私、どこに居るんだろ」
 処刑台に上がるのは、王女の振りをした召使。
 王女は、そのとき逃亡者。
「見てるのかな?」
「いや、とっくに逃げてるだろ。何でわざわざ処刑まで見に来るんだよ」
「……でもさ、自分が知らないところで双子の片割れが死ぬんだよ? しかも自分のせいで」
「……リン」
 レンとは目を合わせずに、なるべく感情も込めずに言った言葉だけれど、レンはため息をついてその言葉を遮った。
「……これは双子の王女と召使で、おれたちの話じゃない」
「そりゃそうだけど」
「大体お前、王女は悪役だっつってただろうが。悪役らしく考えろよ。処刑されるはずが、召使が身代わりになってくれて」
「……ラッキー?」
「……それもどうかな」
 さすがにレンが苦笑いで返した。リンもちょっと笑ってしまう。スタッフがこちらに向かってくるのが見えた。
「……とにかく、お前じゃないからな、これは。召使もおれじゃない。おれなら身代わりなんて考えるかよ」
「えー、じゃあ王女見殺し?」
「一緒に逃げるに決まってんだろ」
「あ!」
 リンの突然の大声にレンがびくっと体を揺らす。
「な、何だ?」
「あ、そうだ!」
「何が」
「一緒に逃げればいいんだ!」
「………お前」
 お話は勿論そうじゃないけれど。
 リンは、ずっと考えていた。こんな結末しかなかったのかと。こうなったらどうすることもできないのかと。召使の気持ちを無にするのか、何の罪もない召使を殺させない方が大事か、と。
「そうだー…。それ思いつかなかったー」
 スタッフに呼ばれて、リンとレンは立ち上がる。レンが呆れた顔でこちらを見ているのがわかった。
「お前、台本忘れんなよ?」
「わかってるよ。私とレンならそうするけど、王女と召使はこうする。これですっきり!」
 多分、こうして分けて考えることが出来なかったのだろう。今までのもやもやは。そういえば、双子という役でプロモを撮ることはほとんどなかった気がする。その役柄との近さで混乱したのだ。
「さ、やるよレン! 今回のはここが最大の見せ場だからね!」
 リンは手にしたタイをレンに投げ渡す。
「はいはい」
 レンが適当な返事をしながらそれを受け取った。
 スタッフがわらわらと動いて、定位置に止まる。撮影開始。
 リンは自分の服装を見下ろした。召使の服。だけど、自分は王女。
 自分は召使の言葉を、そのまま受けてしまうんだ。




 王女の格好をした少年が、召使の格好をした少女の首元に手を伸ばす。
 黒いタイが巻かれていく。少女はただ呆然とそれを見ていた。慌てているためか、手元が狂う。既に王宮は囲まれている。外が騒がしい。足音まで聞こえる。
 少年の手は震えていた。
 身代わりになることの恐ろしさじゃない。
 間に合わなくて、ばれることへの恐怖。目の前の少女が、処刑されることへの恐 怖。
 タイが巻き終わる。少年が何か呟いた。少女の目が見開かれた瞬間、少年は少女を大きく突き飛ばす。
 ほとんど同時に、扉が開いた。
 間に合った。
 倒れた少女は体を起こさない。言った通り、ぴくりとも体を動かさない。
 少年はもう、目を向けなかった。
 これが最後に見る姿だろうけど、目を向けなかった。


 

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