悪役、でも主役

「私のものになりなさい」
 幼い声は自信に満ちている。跪く男を見下ろす視線はどこか勝ち誇ったように。男の震える手には目を向けない。俯いたまま、表情を見せない男が気に食わなくて、その両端に立つ男たちに指先だけで命じた。側の男は理解し、男の青い髪を掴むと無理矢理顔を上げさせる。男と、目が合った。
 黄色い髪の幼い女は一瞬その視線に怯んだように顔を引く。すっ、とその表情が消えた。
「…………あの女は、もう死んだ」
 赤い血の海の中に沈む緑の髪の女。そんな映像が脳裏に浮かぶ。直接目にしたわけではない。それでも何度も想像して、頭に焼きついた光景。
 青い髪の男はぎりっと歯を食いしばった。俯きかけた顔を、自分で戻し、目の前の女を睨む。
「……何で、こんな……!」
「……わからないようね」
 女が視線を逸らした。もういい、とでも言いたげに。青い髪の男は両端の男に抱えられるように立ち上がった。そのまま、何の言葉もなく引きずられていく。
 もう1度、牢にでも入れておけ、と。
 女が言うまでもなかった。
 男が何か叫んだが、女の耳には届かなかった。





「終わったぁああああ!」
「まだだろ」
 楽屋に入るなり大声で叫んだリンに、背後のレンが冷たい声で突っこみを入れる。リンは不満げな顔で振り向いた。
「あのシーン終わっただけでいいの! ああ、もうきつかった!」
「NG数新記録だな」
「言わないで!」
 どさっ、と机の上に倒れこむ。こういうとき畳敷きの楽屋だったら良かったのに、と思う。大きな机の上は冷たくて気持ちいいが。だけど、それすら許されなかったらしい。レンに直ぐに引きずり下ろされた。
「何やってんだよ、衣装に皺付くだろ。まだ撮影あるんだからな」
「えー。休憩時間でしょー」
「寝たいなら衣装脱いでこいよ」
「やだ、これ面倒くさいんだもん」
 リンは自分の背中を指した。ファスナーは後ろ。届かないわけではないが、体にぴったりしたサイズのためきついのだ。大きく広がったスカートも、動きの邪魔にしかならない。却っておしとやかに歩けていいんじゃないかとレンは笑っていたが。
 仕方なく椅子に座り、上半身だけ机の上に突っ伏した。
 楽屋の外から、ノックの音が聞こえる。
「はい」
 答えたのはレンだった。すぐに開いたドアから出てきたのは先ほどまでの撮影の相手。青い髪に衣装を中途半端に脱いでるKAITO。
「お疲れ。あー大分参ってるみたいだね」
 苦笑したKAITOが投げて来たのは水だった。片手で受け取って一気に飲む。
「こいつのは自業自得。KAITO兄こそ大変だったろ、こいつのNGに付き合わさ れて」
 レンの言葉にはむっとするものの、事実だから仕方ない。リンはKAITOに体を向けると、そのまま頭を下げた。
「ごめんなさい」
 とりあえず、といった謝罪にKAITOが笑った。
「いや、そんなことでいちいち謝ってたら大変だよ。今回のは難しいしね」
 KAITOが側の椅子を引いて座る。KAITOはもうこれで上がりだ。あとはゆっくりできるのだろう。
「難しいー。お兄ちゃんたち何であんなに出来るの」
「何でって言われてもなぁ」
 KAITOが首をひねってるとまた楽屋の扉が開いた。ノックもなしに入ってきた人物に、リンは一瞬悲鳴を上げそうになる。
「あ、みんな居る?」
「ミク、」
「ミク姉! ちょ、ちょっと待て!」
「ん?」
 立ち上がったのはレンだった。リンと同じようなドレスをまとったミクは…血にまみれている。
「……ミク、まだ着替えてなかったの」
「私の服が見つからないんだって」
 出歩くなって言われたからみんなのとこに居ようかと思って。
 ミクはそう続けてそのままその場に座り込む。……床の上に。
「ああ、おれの服も言われた。衣装さんがどっか行っちゃったらしいね」
「そうなの?」
「車ごとね。場所間違えたか何かでちょっと帰ってくるの遅くなってるって」
 KAITOが立ち上がってミクに椅子を勧める。ミクは大人しくそれに座った。
「それにしても凄いな、それ…」
 最早元の衣装の色がわからないぐらいだ。ほとんど乾いているようだが、血の色だと思うとやはりいい気持ちはしない。
「だってずっと倒れっぱなしだったんだもん。死体役って暇ー」
「あのシーン、すげぇ遠くからとってたし人形でも良さそうだったよなー」
 レンの言葉にリンは思い出す。朝早くに撮影されたシーンはただただ血の海に倒れたミクを遠くから映しているだけだった。殺されるシーンはなかったらしいが。
 あんなものを朝に見てしまったのも、今回の撮影不調の原因だと思う。
「でも…ミク姉の死体…役、何か凄いハマってた…っていうか、えっと」
 言い方が悪い気がしてリンが急いで訂正しようとするがミクは普通に微笑んでいる。
「そう! ちゃんと目開けて、絶望感を感じさせなきゃ駄目だって言われた」
「わかってんのか?」
「よくわかんないけど、突然滅ぼされちゃった王国のお姫様なんでしょ?」
 だからその気持ちでやったの、とミクは当たり前のこのように言う。ミクが言うからには、本当に、そのまんま入り込んでやっているのだろう。
「私もそれが出来たらなー」
「出来たでしょ、ちゃんと」
「ミク姉たちほどじゃないよー」
 かろうじてOKはもらえたが。
 自分はあの場でKAITOに恋焦がれる役だった。そしてそのために、恋敵のミクの国を滅ぼしたのだ。そこまで壮大な話にさすがに心から入りこめてはいない。
「KAITO兄は…何か入ってたよな」
 ぼそり、とレンが言う。KAITOはよく聞こえなかったのか首を傾げたが。リンは代わりに大きく頷く。
「そう! KAITO兄怖かった!」
「あれはおれもびびった」
 リンの同意が得られたからか、レンが普通の口調で返してくる。
 今回のNG、おそらくKAITOにも原因があると思うのだ。まさかホントにあんな、軽蔑と憎しみの視線を向けられるとは思わなかった。あれに怯むなという方が無理だ。正直少しショックだったのだ。演技とはいえあんな目を向けられたことが。
「でもそういう役だし…」
 二人の視線に非難が入ったのに気付いたのかKAITOが僅かに拗ねたように返す。その姿には思わず笑ってしまったが。
「レンはいいよねー。ずっと立ってるだけだし」
「は? お前、台詞もなしでずっと無表情とかどんだけ疲れると思ってん だよ!」
 レンは召使役だ。常にリンの側に居る。といって召使が何かする場面もないので、本当に側に立ってるだけなのだ。
 先ほどリンがNGを連発したときだって、ずっと後ろに立っていた。確かに、本当に楽だと思ったわけでもないが。
「そうだよねー。私もそういうのが一番疲れる」
 答えたのは何故かミク。その辺は多分性格の問題もあるだろう。
「そう? おれはそういうのが一番楽だな」
 やはりというか、続けたKAITOはそう言った。
「私は…目立つ方がいいけど、悪役嫌だな」
 今まさに自分がやっている役。だから言わなかったことなのに、リンはつい本音をもらす。全員が、リンに目を向けたのに気付いた。
「えー、私やってみたいのに!」
「ミク姉は何でもやってみたいだけだろ」
「そういえばおれも悪役はあんまりないなぁ」
「これ悪役なのか?」
「悪役じゃんー。しかも最期処刑だし。あー、明日処刑シーンだ! 嫌だなー、どんな顔してやればいいんだろ…」
 思い出してしまって頭を抱えているとコンコン、と強めのノックの音が響いた。そういえばそろそろ時間か、と慌てて立ち上がる。
「はーい」
「次のシーン行くわよー」
「MEIKO姉…!」
 顔を出したのはMEIKOだった。そうだ、次の撮影はMEIKOと一緒だ。きっちり衣装を着込んだMEIKOは、午前中は別の場で撮影していたはずだった。こちらのシーンがNGで押してた割に今まで顔を見なかったが。
「ミク、何て格好してるのよ」
 入ってきたMEIKOは、やはり最初にミクが気になったようだった。少し一緒に居るだけでリンは慣れてしまっていたが。
「着替えがないんだもんー」
「衣装さんの車? さっき探してたわよ、KAITOも」
「あ、来たんだ」
「じゃ、そろそろ行くか」
 レンが立ち上がり、ミクも続いた。結局何の構えもないままに次のシーンだ。ミクとKAITOと別れ、現場に向かいながら「無礼者」と呟くとMEIKOが少し驚いたようにこちらを見てきた。
「あ、台詞…」
「ああ、次のシーンのね。あそこは歌とあわせるから難しいわよね」
「ああっ、そうだ! 無礼者! …うーん、違う、無礼者…!」
 いろいろ試すリンを何やら微笑ましそうにMEIKOが見ていたが、リンは気付かない振りをした。そしてふと、聞いてみる。
「ねえMEIKO姉」
「何?」
「MEIKO姉は今回正義の戦士だよね」
「うーん…まあ、そうかな」
「……かっこいいよね」
「え?」
 一歩引いてMEIKOの格好を見渡してみる。赤い鎧はデザイン優先なのか、腕どころか腰まで露出していて、あまり鎧としての役目を果たしているようには見えない。腰に下げた剣はMEIKOの体には少々大きい気がしたが、これを振り回せばかっこいいだろうなとは思う。
「私もそんなのがやりたいなー」
「いつかあるんじゃない? 頼んでみるって手もあるし」
「あるかなぁ」
 リンが何か言いたそうにしているのに気付いたのか、MEIKOが足を緩めて覗き込むようにリンを見る。リンは何となく、後ろを歩くレンを振り返った。
「……何だよ」
「レンは悪役似合いそうにないね」
「何だいきなり」
「私は似合うからこういうの来るのかな…?」
 そう言うとMEIKOがついに足を止めた。目を丸くしている。驚かせたことに、リンの方がびっくりした。
「似合うからって言うより…やれるから、じゃないの?」
「やれる?」
「私、撮影見てたわよ。KAITO見下ろす表情なんて最高だったじゃない」
「あれは何度もNG出して…」
「最終的に出来れば問題ないわよ。大体主役はあんたなのにKAITOの演技がやりすぎなのよね」
「あ、やっぱり…」
 本当はそんなこと思っちゃいけないだろうが、つい頷いてしまった。レンも同時にやっぱりと呟いた気がしたが、MEIKOは何も言ってこない。
「私たちはあくまで脇役だし、主役を食う演技なんていらないのよ。まあミクにしてもKAITOにしても常に全力なのは悪いことじゃないんだけど」
「悪役とかでもあんな感じかな」
「兄ちゃんこそ、悪役似合わなさそうだよな」
 ようやくレンが口を挟んでくる。それに頷いているとMEIKOが言った。
「卑怯者ならやってたわね」
「あー…」
 そうだ。
 それでも兄は全力だった。全力過ぎた。
「それもそれで…かっこいいかな」
「いいのか?」
「いいじゃん」
 リンが笑うと、レンは少し不満げに、それでもそうか、と頷いた。
「これも完成したらかっこいいことになるわよ。主役なんだから胸張りなさい」
「……うん!」
 悪役。でも主役。
 全力でやれば、かっこいい。

「この、無礼者!」
 倒れたレンには目もくれず。
 睨み付けるMEIKOを強く、だけど冷たい視線で見下ろして。
 午後の撮影は、順調だった。


悪ノ娘より

 

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