納得できないことがある

「……何やってるの?」
 疑問の言葉に、二人はびくりと震えて同時に振り向いた。そしてミクを見てほっと息をつく。
「……あれ」
「あれ?」
「ミク姉、声小さく…!」
「え?」
 レンが顎で部屋の中を指す。それに疑問を返せばリンは慌てたようにミクの口を押さえてきた。リビングへの扉の前で立ち尽くしていたリンとレン。中に原因があるのだろうとは思ったが、実際に覗き込むまでその事態は想像していなかった。
「……どうしたの」
 二人に習って小声で呟く。
 リビングのソファにはKAITOとMEIKO。それぞれ端と端に座っている。KAITOは何やら音楽雑誌をめくり、MEIKOはじっとテレビを眺めていた。二人とも、全く表情は変わらない。集中しているようにも見えなかった。
「……わかんない…帰って来たら、何かこんな空気で…」
 空気。
 違和感の正体にミクはそれでようやく気付く。二人の空気が、おかしい。
「3人とも入ってきたら? こそこそしてないで」
 そこへ突如聞こえてきたのはMEIKOの声だった。視線はテレビから動かない。淡々とした声に顔を見合わせる。
「そんな冷たい声出さなくてもいいでしょ、みんな怖がってるよ」
 次の声はKAITO。こちらも雑誌から視線を動かさない。MEIKO以上に、冷たい声だと感じた。
「……人のこと言える声じゃないわね」
「おれは姉さんに話しかけたからね」
 MEIKOがようやくKAITOを向いた。KAITOはそれでも顔を上げない。ミクは無意識に前に居る双子の袖を握り締める。
「喧嘩売ってるの?」
「買ってると言った方が正しいんじゃない」
「あぁー、そう」
 MEIKOの声が低くなった。その瞬間、リンとレンが揃って体を引く。同時に、ミクも走り出していた。
 ばたばたばた、と3人で2階へ駆け上がる。
 わからない。
 何だかわからないけど。
 怖かった。





「喧嘩だよね」
「喧嘩だー」
「珍しいよね」
「おれ初めて見た」
 何だよ、何があったんだよ。
 レンが頭を抱える。リビングは、とても入れる雰囲気じゃない。その気になればミクたちの耳は1階の声を聞き取ることも出来るのだが誰も試そうとはしなかった。聞きたくない。
「今日の朝は普通だったよね?」
 リンがミクを見上げてきた。ミクは少し考えて、頷く。
「多分…。今日はお兄ちゃんに髪、やってもらったし」
 髪に手を触れながら言う。自分でやることもあるが、朝はKAITOやMEIKOにやってもらうことが多いのだ。だけどそういえば、MEIKOの姿は見ていない。
「……朝、おれらが出たときはMEIKO姉、まだ寝てなかったか?」
「そういえば…」
 昨日の仕事が夜遅くまであったのだ。言われて思い出す。今朝は確かにKAITOしか居なかった。
「でもお兄ちゃん、別に普通に…」
「ああ…。今日は起こすなって言ってたよな」
 昨日が遅かったから。
 それも確かにKAITOから聞いた。
「じゃあやっぱりその後…だね」
 リンが今度は下を見下ろした。1階に居る二人。今どうなってるかはわか らない。2階へ上がる直前の雰囲気では言い合いを始めそうな気はしていたが。とりあえず、それほど派手な音は…と思った瞬間、扉の開く音がした。玄関だ。しばらくして、車が走り出す音。聞き慣れた音。これはタクシー。3人は 顔を見合わせる。
「……出かけた?」
「どっちが?」
「あ!」
 突然大声を上げたのはレン。立ち上がったレンを2人は首を傾げて見上げた。
「そうだ。夜から兄ちゃんたち仕事じゃん」
「……あ、そっか」
 ワンテンポ遅れてミクが理解する。2人でデュエットをするのだと言っていた。だから夕食は一緒に取れないと。数日前にも、そして今朝にも聴いた言葉だ。いつの間にか、そんな時間だったらしい。
「じゃあ…二人とも仕事行ったんだ」
「だなー。良かった、テレビ見れる」
「は? あんた、それ気にしてたわけ?」
「だってあんな空気で見れないだろー!」
「そういう問題じゃないよ、あの2人があのまんまでもいいの?」
「別に2人ともガキじゃないんだから放っといても…」
 3人で階段を下りながらの会話。もう遠慮がない。だけど、玄関に居る人物を見て、レンがまず凍りついた。
「お、お姉ちゃん?」
 そこに居たのはMEIKO。玄関で靴を履いている。今まさに出るところのよう だった。
「何? 今日は遅くなるわよ」
「あ、うん、それは…」
 わかってる。
 言いながらミクは玄関を見る。KAITOの靴はない。
「お、お兄ちゃん…は」
 馬鹿、と横からレンに突っ込まれた。触れるな、という意味だったのかもしれないが気になったのだから仕方ない。MEIKOは表情を変えることもなく言い放つ。
「先行ったわよ?」
「……同じ、場所だよね?」
「そうよ」
「一緒に行かなかっ……」
 ミクの言葉はついに途切れた。MEIKOの視線に、止められてしまった。
「何で一緒に行かなきゃいけないの」
「え…」
「子どもじゃないんだから。いつも一緒に居る必要もないでしょ」
「………」
 一度そらされた視線は戻ることはなく、MEIKOはそのまま出て行った。ミクたちもただ呆然と見送る。
「……大丈夫かな」
「……だ、大丈夫だろ、仕事は…」
 レンの声も、少し自信なさげになった。
 そして数時間後。家に電話がかかってくる。
 2人が喧嘩を始めてしまった何とかしてくれという電話が。





「で。何なんだよ原因は」
 スタジオを出て数分。レンがまず二人を振り返った。同時に、両端にいたミクとリンも足を止める。MEIKOとKAITOは、並んで歩いているにも関わらず距離が妙に 遠い。
「……あんたたちには関係ないわ」
「仕事中喧嘩しといてか」
「………」
 さすがにMEIKOが言葉に詰まる。拗ねたように顔を背けるのにレンはため息をついた。続いてKAITOに目を向ける。
 目が合ったKAITOは聞かれることがわかったのかレンより先に答えた。
「仕事はちゃんとやったよ? あれは仕事終わってからのことで…」
「でもプロデューサーの前だったんだろ」
「ええと…」
 ばちっ、とそこでMEIKOとKAITOの目が合った。お互いそのまま自然に逸らしたが、意識したのがばればれだ。お互いに答えを求めたのだ。何だかんだで本気で相手が嫌になったわけじゃないな、とレンは一人頷く。頷いて、少しむなしくなったが。
「……言えないわけ、喧嘩の原因」
 そう言うと二人が一瞬同じ方向に目をやった。本当に一瞬だったがじっと凝視していたレンはそれに気付く。思わず視線の先を追って……首を傾げた。
「原因なんていいよ、それより仲直りしようよ」
 発言したのはミク。今まさに、レンが視線をやった相手。レンが何か言う前に、そのミクの腕をリンが取った。
「そうだよ、じゃあ帰ったらすぐ仲直りパーティーってことで! ミク姉、スーパー寄って帰ろ!」
 この近く24時間営業のとこあるんだー。
 リンはわざとらしく声を上げて、そのままミクの腕を引っ張っていく。ミクは戸惑いながらも逆らいもせず連れて行かれている。
「おいっ、リン……!」
 思わず伸ばしたレンの手も誰にも届かなかった。リンが少し振り返っ て舌を出す。ついでに顎でMEIKOたちを指し示した。
 ……おれが聞けってことかよ。
 レンはため息をついた。ため息をついて…もう1度原因の二人に目をやった。睨めば視線をそらされる。とりあえず逆ギレされないことには安心してレンはもう1度強めの口調で聞いた。
「原因……ミク姉なわけ?」
「…………」
「…………」
 沈黙。
 この返しは一番きつい。
 目を逸らされているため促すにはこちらが何か言うしかない。それでも答えがなかったらさすがにどうしていいかわからない。
 考えていると、漸くMEIKOがぽつりと言った。
「この間…KAITOとミクが一緒に仕事したでしょ」
「……うん?」
 二人が揃って仕事をすることなど珍しくなかったので頷きながらも疑問符をつける。MEIKOは更に続けた。
「二人で。歌ってプロモとって。仮面を付けた…」
「ああ」
 そこで漸く思い出した。本当に、つい最近の仕事だ。
「あのエロい奴」
 思ったままを口にすれば、それが火種となってしまった。
「でしょ!? やっぱりレンも思ったでしょ!?」
「え、ええ?」
 MEIKOが我が意を得たようにレンの肩を掴んで叫んだ。
「見なさいよKAITO、レンがエロいって判断したのよ! あれ見た人がどう思うかぐらいそれでわかるでしょ!」
「……それぐらいの反応はあってもいいじゃないか! ミクだってそろそろあれぐらいの仕事あったって」
「そうやって言いくるめられたわけね」
「どういう意味だよ」
「この馬鹿! あんなセクハラプロデューサーの言うこと間に受けたわけ!?」
「問題ないだろ! ミクだってやりたいって言ったんだ」
「あの子は何でもやりたがるじゃないの! あんたが止めないで誰が止めるの よ!」
「止める必要ないと思ったんだよ!」
「それがおかしいのよ、こんなことやったら調子乗った奴らに何言われるかわかんないわよ、撮影中だって何か言われたんじゃないの!」
「言わせてないよ、おれが居るんだから」
「あんたの言葉なんて当てにならないわよ!」
 喧嘩が。
 また始まってしまった。今度はレンの目の前だ。原因は漸くわかった。わかったが……これはどうにもフォローがしにくい。
 ミクとKAITOのデュエットソングのプロモ。レンは今まさにエロい、と言ってしまった。そうは思わないというフォローは出来ない。そもそも嘘になる。とはいえミク自身はそれほど露出をしていたわけでもない。大きく背中の開いた衣装はミクには珍しく、新鮮だと騒がれてはいたけどあれぐらいなら…ありだとは思うのだ。問題はどちらかというと…KAITOとの絡みにあるわけで。
 やはり実際に男と絡めばそういう発想は生まれる。KAITOは兄である自分なら問題ないと判断したのだろうが、兄妹とかそんなことは関係ない。いや、むしろその禁忌のイメージが余計に問題となっている気はした。
「私がセクハラ受けてたって何の反応もないじゃないのよ!」
「姉さんなら自分で何とかできるだろ!」
「その考えがむかつくのよ!」
 レンが考えている間にも喧嘩は続く。
 段々、原因から離れてきているのにも気付いた。
 とにかく何とか止めたいとは思うものの、入り込めない。お互いへの不満がミクのことをきっかけに噴出したのだろう。レンは耳を塞ぎたくて仕方なかった。むしろ逃げたい。
 いや、いっそ逃げるか。
 思考が逃避に向かい始めたレンを我に返したのはMEIKOの、今までに聞いたこともない低い声だった。
「……わかったわよ」
 ずっと怒鳴りあっていたその空間に最後の声は妙に響く。MEIKOがKAITOたちに背を向けて歩き始めた。追おうともしないKAITOにはさすがに腹が立つ。それともこういうことは時間を置いた方がいいのか。そんなことわかるわけがない。
 レン自身も苛々してきているのに気が付いた。二人の言い合いはほとんど右から左へ流したがその感情だけは受け取ってしまっていて。
「何よ!」
 そこへ、少し遠くから聞こえてきたMEIKOの声には2人同時に反応した。
「MEIKO姉?」
 遠目に見えるMEIKOの影。すぐ側に男が2人居た。ナンパでもされてるのか絡まれてるのか。MEIKOのイラついた声は喧嘩の直後だからか、男の態度が悪いからなのかはわからない。レンはちらりとKAITOを見た。
 いつもなら放っておく。MEIKOは自分で何とか出来るからと。
 だけど。
 レンが何故か確信していた通りに、KAITOはMEIKOの元へ向かった。





 ぶっ飛ばしてもいいだろうか。
 目の前のにやけた顔を見ながらMEIKOはそう思う。
 別に悪い奴らじゃない。下心丸出しのナンパなど慣れてる。セクハラ染みた会話を流せないほど子どもでもない。苛々の八つ当たりに人間を使っちゃいけない。それぐらいなら戻ってKAITOを殴った方がいい。正直今は殴りたくもないが。それでも、人間相手は駄目だ。
 MEIKOの理性がそう判断して何とか動きそうな拳を押さえた。適当にあしらおう。そう思ったとき男の手が突然MEIKOの肩に回った。同時に酒臭い息をセンサーが捕らえる。そうは見えなかったが…酔ってるのか。
 これは少々乱暴に扱ってもいいだろう。男の手がMEIKOの胸に伸びたのを見て決意した瞬間、MEIKOはよろめいた。後ろに。誰かが自分の腕を引っ張ったのだと気付くと同時に、目の前の男が背後の壁に吹っ飛ばされるのが目に入った。
「……何やってんのよ」
 背に当たる覚えのある感触だけ確認して、MEIKOは振り向きもせずに言う。
 答えより先に、目の前にいたもう1人の男の怒鳴り声が聞こえた。
「てめえらっ……」
 どんっ。
 MEIKOの足と、後ろから来た足とが同時に直撃して、その男もやはり吹っ飛んだ。綺麗に先ほどの男の上に。
 後ろから伸ばしてるくせに私より長いのか。足。
 MEIKOが肘で後ろをこずくと大人しくその気配が離れる。
「……むかついた」
「……私もよ」
 先ほどの問いへの答えだろう。
 ついでに自分の行動の理由にも答えをつけておく。
 実際は八つ当たりだ。私もKAITOも。
「姉さん」
「何」
「おれはちゃんと姉さんも守ってる」
「……そこに反応するとは思わなかったわ」
「ないがしろにしてると思われたら腹が立つだろ」
「……そうね、それに関しては少し悪かったわ。で、あんたは私の意見をないがしろにしたんじゃないの。あんたは何事も深く考えないにも程がある」
「おれもそう思う」
「頷いてんじゃないわよ!」
 どつく。普通に。
 KAITOが苦笑いを向けた。
「兄ちゃん、姉ちゃん…」
 そこへレンが駆けてくる。恐る恐ると言った様子で二人のことを伺っている。
「……逃げなかったのは偉いわ」
 そんなレンの頭に手を乗せると、驚いたように見上げられた。
「何よ」
「えっと……仲直り…いや、その」
 仲直り、という単語が恥ずかしかったのか言葉を探すように視線を彷徨わせている。MEIKOは気にせずその言葉を取った。
「全然」
「え」
「ゆっくり話し合おうじゃないの。納得はしてないわよ私は」
「それはおれも同じだよ。ま、話し合わないとどうにもならないしね」
 二人の声から冷たさが外れたのに気付いたのかレンはほっと息をついている。気にさせてしまったことは申し訳ないと思う。
 ただ、多分言うわけにはいかない。
 2人とも、八つ当たりでちょっとすっきりしただけだなんてことは。


 

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