仲間3

「ふむ……いい歌だな」
「でしょでしょ。後ね、これとこれも。前にみんなで歌った奴なんだけど……」
 がくぽの隣でミクは次々と楽譜を取り出しては渡す。病院までの道のりを歩きながら、ミクは少しでも時間を無駄にしまいと必死だった。KAITOから電話を貰ったとき、慌てていたにも関わらず用意してた楽譜を持ってこれたのは上出来だったと思う。
 がくぽは嬉しそうに楽譜を眺めていた。
「私は、最初に数曲デモソングのようなものを歌った後は、あの曲だけだったからな。一つの曲を仕上げていくのは楽しいが、こんな風にいろいろな曲を覚えるのも楽しい」
 がくぽは、そういう感覚を知らなかったのだろう。本当に楽しそうな様子にミクも思わず笑顔になる。ついでに、がくぽの口が歌詞を追って動いているのにも気付いた。
「どうせなら歌おうよ。楽譜見るのと歌うのじゃ大違いだよ」
「……そうだな。だがあまり大きな声を出すと誰かに聞かれるかもしれない」
「あ……」
 そうだ。がくぽは追われている。見つかれば、病院に向かうことなく連れ戻される。事情を話せば少しぐらい許されるのじゃないかと思ったが、そう言うとがくぽは首を振った。
「言ってみたが駄目だった。余計なことはするな、とはっきり言われてしまったな」
 寂しそうに笑うがくぽにミクも悲しくなってくる。だけどそのとき、前を歩くMEIKOが驚いたような声を上げて振り返った。
「がくぽ、言ってみたって? そのマネージャーだか開発者だかに言ったの? その子に会いに行きたいって」
「ああ」
「…………」
 何だろう。
 MEIKOの真剣な表情に思わずがくぽもミクも立ち止まる。後ろの双子も当然立ち止まった。MEIKOはもう1度前に目を向ける。
「……じゃあ、待ち伏せの可能性もあるのね」
「あ」
「その手紙、マネージャーは読んでるの?」
「読ん……でる。手紙の類は全て一度チェックされているのだ」
 がくぽも気付いたのか、固い声で言った。手紙の中には、その子の入院する病院の名前が書かれている。
「そっか……。がくぽの目的はその可能性が高いってことぐらいはわかってるだろうから……」
 KAITOもまた、MEIKOと同じ方角に目をやった。病院はもう近い。
「……どうするんだよ」
 レンが会話に割り込んでくる。リンも不安げにがくぽを見上げていた。
「…………」
 考え込むがくぽだが、答えは出てこない。MEIKOがため息をついて言った。
「……追っ手は何人ぐらい?」
「おそらく2人。どんなに多くても3人だ。3人しか、私のことは知らないはずだ」
「それはがくぽをアンドロイドとして追ってるのは、ってことでしょ。芸能人なら別の協力もあるかもしれないわ」
「とりあえず……おれたちだけで行ってみるか」
 人間相手なら力尽くで排除も出来るね、とKAITOが言ってレンがそれに呆れた目を向けた。
「いいのかよ。人間相手に力尽くとかして」
「友達のためならいいよ」
 KAITOはあっさりそう言った。いつの間にか随分融通が利くようになったようだ。何となくそれも嬉しくてミクは頷く。リンが拳を振り上げた。
「じゃあ先に行って邪魔者はやっつけちゃおう!」
 話がまとまっていく中、MEIKOだけはまだ少し考え込んでいるようだった。





 病室の外が騒がしい。
 少年は読んでいた漫画を閉じて、裸足のままぺたぺたと廊下への出入り口へと向かう。そのとき、窓の方で音がした。
「?」
 振り返る。そしてぎょっとした。
「えええ」
 窓の外に誰かが居た。笑顔で手を振っている女の人。ここは2階。普通の人が入ってくる場所じゃない。思わず逃げかけたが、すぐに思い直す。確か、足をかける場所はあったはずだ。
 少年は廊下の騒ぎよりそちらが気になって向かっていく。怖い感じはしなかったが、窓を開ける前にとりあえずその女性に足が付いているのは確認した。
「こんにちは」
「こ……んにちは」
 最初の声は挨拶。緊張して次の言葉を待つ。
「入っていい? がくぽさんも来るよ」
「え」
 髪の長いその女性は返事も待たずに上がりこむ。呆然とそれを見ていると再び窓の外に人が現れた。
「あ……」
「待たせたな。こんなところからすまない。他に手段がなかったのでな」
 がくぽだった。
 髪の色も服装も、いつもとは違うけれど、その顔は、声は間違いなくがくぽの もの。
「がくぽだ……!」
「ああ。お主がこの手紙の主だろう? ありがとう。おかげで私にも目標が出来た」
「え?」
「よし、それじゃあ歌いましょう!」
 がくぽの気になる発言に突っ込む前に、女性が明るい声で窓を閉めながら言った。廊下の声は、少し遠ざかった気がする。
 がくぽがちらりと何かに目を落とした。腕時計だ。
「聞いてくれるか。そして、一緒に歌ってくれるか」
 そう言ってがくぽは少年の名前を呼ぶ。まだ夢の中に居るような気持ちで居た少年は慌ててそれに何度も頷く。この病室には今は自分しか居ない。本当に、自分だけにがくぽが歌う。
 少年は胸に手を当てた。興奮している。抑えようもないぐらい顔が緩むのを感じていた。
 がくぽがすうっと息を吸い込む。伴奏も何もない。だけど、テレビで聞いたそのままの……いや、それ以上の歌声。一緒に歌いたいのに口を挟む余裕すらない。だけど最初のサビに入る前に、そこに女性の声が入ってきた。
 驚いて女性に目をやると、女性もこちらを見ている。目が合って微笑まれた。楽しそうに歌うその女性に少年はつられるように口を開く。
 サビは覚えている。
 自分の歌が、がくぽの歌に乗る。
 廊下からの音がまた激しくなっていたが、少年はそれに気付かなかった。







「あ、リンちゃんこんにちはー」
「こんにちはー」
「どうしたの。暗いよ?」
「月曜なんてそんなもんでしょ」
「これから部活なのにー」
 部室に行く前の廊下でリンはミクと会った。少し後ろで、友達と会って話していたレンが追いかけてくる。レンとは教室を出るタイミングがちょうど一緒だったのでそのまま2人で向かっていた。
「レンくんこんにちは」
「こんにちは」
 律儀に挨拶を返しながらミクが続ける。
「昨日のテレビ見た?」
「見たに決まってるでしょー。がくぽさんの歌、またよくなってたよね!」
 土曜の朝から向かった病院。結局昼前にはがくぽは連れ戻されることになった。とにかく歌えればいいと、数分でいいから追っ手をくらませればいいというのが、がくぽの意見だった。だからそれに協力した。派手に暴れたのは、がくぽが回り込んで窓に向かったのをごまかすためだ。歌えさえすれば、連れ戻されても良かったので。本当はずっと一緒に歌いたかったけど、そういうわけにもいかない。ミク以外の4人は病室には入らず追っ手の相手をしていた。歌声が響いてきたときは思わず動きを止めそうになったほど、がくぽの歌は今まで聞いたことがないほど素晴らしかった。追っ手も一緒だったようで、結果的に3曲ほどがくぽたちが歌う余裕は出来たのだけれど。
「私も歌いたかったなー。ミクだけずるいよ」
「えええ、でも、みんな私が付いてけって言ったじゃん!」
「子どもの緊張ほぐすにはミクが一番良さそうだからな」
 リンだと子ども怖がるんじゃね? とレンが余計なことを言ってくるのでとりあえず蹴っておく。まあ、言ってることには同意なのだけど。
「それに、がくぽさん、また絶対来るって言ってた」
「まあね……。問題は監視も絶対強化されてることだけど」
「むしろおれたちの方でテレビ局とか行ったらいいんじゃね?」
「そう簡単に……」
 がらっ、とそこでミクが部室の扉を開けた。部室と言っても相変わらずの社会科教室。ミクがそのまま入り口で立ち止まってしまった。
「何してんの? あ、MEIKOさんたちもう先に……」
 リンはその隙間から中を覗き込んで、同じように動きが止まる。
「え、もう来てんのか? 珍しいな。って何やってんだよ」
 後ろに居たレンがリンの頭を押さえつけて同じように覗き込む。MEIKOとKAITOは同じクラスだから、大抵は一緒に来る。先に来ていることは珍しいが、全くないというわけでもない。それよりも。
「やあ。こんにちは……で、いいのか」
 聞き慣れたと言ってもいい低い声が、3人の耳に響いた。
 部室に入るときは、部員に会ったときは、挨拶。
 それはミクが主張していたことで、誰も反対はなかったのでしっかり定着はしている。いや、そんなことは問題じゃない。
「が、がくぽぉおおお!?」
「ええええええ!」
「何で、お前っ……」
 教室になだれ込んで叫び声を上げる3人にがくぽは愉快そうに笑った。椅子に座ったMEIKOとKAITOも、笑っている。
「私にはこちらの方が向いていると言われてな!」
「高校生やるんだってさ」
 KAITOは少し呆れた声を混じらせながらそう言った。まだ、3人は固まっている。
「今週中には転入だそうよ。ほんと呆れるわよね」
 MEIKOはそう言いながらも楽しそうだ。ようやく驚きから解けたミクが満面の笑みを浮かべる。
「じゃ、じゃあじゃあ合唱部にも入るよね!」
「お前、最初がそれかよ」
 レンも突っ込みで我に返ったようだ。リンもそれには苦笑いをする。
「当然だ。むしろよろしく頼む」
 長い髪は黒に染めただけで、そのままに。最初制服かと思われたその服は、それっぽいシャツとズボンを着ているだけだ。だけど、高校生だ。
「……びっくりしたあ」
 リンがようやく搾り出した言葉はそんなものだったけれど、みんなの共通の思いだろう。
「じゃあ話せばわかる人だったんじゃん、がくぽの歌を良くしようとちゃんと考えてくれてたんでしょ?」
「というより……病室で聞いた歌がきっかけだったようだ」
 がくぽは照れ臭そうに笑う。自分の歌が人の心を動かしたのだ。それほど嬉しいことはない。
「あれっ、でも歌手は? 止めちゃうの?」
 急に不安げになったミクの声にはがくぽは首を振る。昨日もテレビ出てたでしょ、とMEIKOが付け足した。どうやらMEIKOもようやくテレビでのがくぽを見たらしい。
「高校生アイドルぐらい普通に居るしね。睡眠はそんなに要らないし、両立できないこともないんじゃない?」
 既にある程度の話はあったのか、KAITOがそう言ってがくぽが頷く。レンはそんな2人を見ながら意地悪げに問いかけた。
「勉強はどうなんだよ? 両立って勉強ちゃんとやるってことだぞ」
「あああ、レンくんそれ言わないで!」
 レンの言葉はがくぽではなくミクに突き刺さった。リンにも突き刺さったが。そしてがくぽもまた、表情を翳らせた。
「ど、努力はする……」
「……同レベルっぽいな」
 おれらと、とレンは小さく呟く。
 でも、どうせならそれも、経験した方が強くなる。歌うだけじゃないいろんな楽しみを、増えた仲間と経験できたらいい。
「とにかく今日は! お主たちと歌いたかったのだ。私のCDもまだ発売前だが持ってきた」
「嘘……!」
「うわぁ…うわぁ! ホントだ!」
 机の上に置かれていたのだが、目に入っていなかった。それは確かに、がくぽのデビューシングル。
「この歌はきっと、大勢で歌った方が良い」
「うん。私もそれ思ってた!」
「じゃ、じゃあじゃあまずは発声練習! 今日はこの曲いくよ!」
 ミクがそう叫んで、がくぽ以外の全員が窓際へと向かった。
「ほら、がくぽさんも」
 一人増えた仲間が、ミクとMEIKOの間に。
 リンはにやける顔を抑えながら、発声練習を開始した。


 

戻る