アンドロイドとアンドロイドの

 その日は一日落ち着かなかった。
 同じ教室内。意識しているせいかどうかやたらと視界にその子が入る。相手もこちらを意識しているのがわかるのに、何も言ってこない。目が合うこともない。レンは表情を見られないよう机に突っ伏したまま、考えていた。
 学校に来れば、何かしら状況の変化があるかもしれないと思ったけれど。これは、自分から行動するしかないのだろうか。でもどうやって。わざわざ断りに行くのか。そもそも……断るのか?
 そう、レンはいまだに決め兼ねている。今もう1度、彼女がここに来て付き合って、と言われれば多分ごめん、と言える。ごめん、以外で返せない言い方をされたら……また何も言えなくなる気がした。
 レンは少し顔を上げて教室にかけられた時計に目をやる。まだ3時間目が終わったところ。
 放課後までが、果てしなく長い。
「鏡音ー」
「ん……?」
 横から突然クラスメイトに揺さぶられてレンは仕方なく体を起こした。まだチャイムは鳴っていない。何かと思えば言われるより先に理解する。廊下にMEIKOの姿。レンが立ち上がるとクラスメイトは邪魔するようにその前に立った。
「な、誰?」
「先輩」
「何の用?」
「おれが知るかよ」
 興味津々のクラスメイトを押しのけて廊下に出る。ざわついた教室で、自分のことを話題にされてるのを感じた。ちょっとした優越感を感じつつ、レンは聞く。
「何?」
「……忠告」
「は?」
 少し笑って言われたその言葉に驚いたあと、何のことか理解する。
「……えと、KAITOさんから聞いた?」
「口止めしなかったら言うわよ、あいつは」
「……忘れてた」
 聞かれたくない話とは思わなかったのか。何のためにあのとき教室から離れたと思っているのだ。まあそれでも…MEIKOならからかってくることもないだろう。特に気にせずそう思ったあと、MEIKOの最初の言葉を思い出した。
「……忠告?」
「うん」
「……付き合うなってこと?」
「そうは言わない」
 止めた方がいい、と言ったのはKAITOだった。MEIKOはそれを否定する。しっかりと、レンを見つめたまま淡々と言い放つ。
「付き合いたいなら……試してみたいなら止めはしない」
「試す……?」
「あなた、その女の子が好き?」
「…………」
 レンは目を見開いた。
 驚いたのは、自分にだった。
 何故ならそれまで、全くそこを考えていなかったから。だって、彼女のことはよく知らない。今の興味は「自分に恋人が出来るかどうか」であって彼女に対する興味ではない。俯いたレンにMEIKOは同じ調子で続ける。
「相手を傷つけない。……自分も、何があっても傷つかない。そういう覚悟があるのなら、」
「いや」
 最後まで聞く必要はなかった。
 MEIKOの言葉を遮ってレンは顔を上げる。
「……そこまでの覚悟ないし。わかった、ちゃんと断る」
「……断れって言いに来たんじゃないわ」
「……何なんだよ」
 少し苛立ってそう言うと、MEIKOが目を伏せる。ごめん、と小さく返されて焦 った。
「あ、いや…」
「……やっぱり押し付けるもんじゃないわよね」
「へ?」
 焦っていたせいか変な声が出た。MEIKOは笑いもせずに顔を上げる。
「……試してみたいのは私なんだわ。ごめん、あんたは好きにして」
 軽く手を振って、MEIKOはその場から去った。
 何かを言いに来て、勝手に一人で結論を出してしまったらしい。残されたレンは呆然とそれを見送る。同時に、それまで背後のクラスメイトたちの声がレンの中で大きくなった気がした。
「おい鏡音……!」
 待っていたかのように出てくるクラスメイトたち。ちょうどそのとき、チャイムが鳴った。





「今日は部活なし!」
 MEIKOとKAITOが入ってきた瞬間、リンが大声でそう言った。驚いたように足を止める二人。反応に迷うような様子に、ミクが慌ててフォローに立ち上がる。
「あ、あの…私ら明日追試で…ごめん、今日は勉強教えてもらえる と……嬉しい」
 最後の方は語尾が消えたが、理解したのかMEIKOは笑って入ってきた。MEIKOは成績がいい。あまり目立たないようにとトップクラスの成績まではいっていないが、テストになるとどうしても空白を埋めてしまうらしい。おかげで大学も推薦だ。
「あ、KAITOさんはいいよ今日は」
「酷いなぁ、それ」
 早速ノートを広げたリンはMEIKOについて入ってきたKAITOをぞんざいに扱う。KAITOは突っこみながらも笑って、その側に座った。
「置いといた方がいいんじゃない? 私、教えるの下手よ」
「え」
「そーなの?」
「……みんなそう言うから」
 苦笑いをするMEIKOにリンとミクは顔を見合わせる。歌の指導なら完璧だから、教えてもらうという発想に抵抗なく行き着いたけど。そういえば、数学の得意な人は駄目な人が何故わからないか理解できないと聞く。だから、教えるのには向いていないと。ミクはゆっくりと視線をKAITOに移した。
「……KAITOさんは」
「ん?」
「数学…得意?」
「……他の教科よりは」
 それは、どういうことだ。
「……1年の数学ぐらいは出来るよねー?」
 リンが探るように言うとKAITOは首を傾げる。
「忘れてるってことはないと思うけど…」
 1年のときの高校、一応ここよりレベル高かったし。KAITOがそう言った瞬間、リンはノートを手にKAITOへと向かった。
 これはこれで失礼な反応だと思う。まだMEIKOがどう教えるかわからないのに。それともどちらにせよ2学年分いっぺんには教えられないからか。
「じゃーMEIKOさん、2年の数学教えてください」
 考えても仕方ないのでミクは改めてMEIKOに向き直る。MEIKOは優しい声で言 った。
「……どこがわからないの?」
「ええと」
 ミクは前回の数学のテストを取り出す。○の付いた問題、自体がほとんどない。MEIKOはそれを眺めて固まっている。ああ、やっぱり呆れられてる。居た堪れなくて、ミクはKAITOの方に視線を移す。同じようにリンの答案を眺めているところだった。こちらは何だか──首を傾げている。不思議そうに。
「MEIKO」
 KAITOはその答案を持ったままこちらにやってきた。MEIKOが答える前にミクの答案を覗き込む。ああ、恥ずかしい。ミクの点は、リンより悪い。
「…………」
「………どう思う?」
「……これって…」
 MEIKOが驚いている。何だろうと思って覗き込む。だけど、二人が何に反応しているのかはやっぱりわからない。答案を見つめる二人の顔をミクは見つめる。やがてぱちっ、とKAITOと目が合った。
「ミク」
「うん」
「計算できる?」
「? 出来るよ、計算ぐらい!」
 四則ぐらいは最初からインプットされている。と思ったのにMEIKOとKAITOは答案の隅を見つめたままだ。
「筆算って……」
「……ある意味凄いな」
 どうやら見ていたのは計算途中のメモ書きのようだった。九九はわかるが、二桁以上になると筆算。それは当然のことだと思っていたけれど。
「こんにちはー」
「遅いよレン」
「レン、今日部活ないからね」
「え」
「あ、レン、昨日の」
 ようやく顔を出したレンに全員が振り向く。KAITOが何か話しかけたときMEIKOが思い切りその耳を引っ張った。
「ちょっ、MEIKO……!」
 その間にレンも勢い良くKAITOの前に来ている。何か言おうとしているのはわかるが、言葉になってない。口をぱくぱくさせたあと、昨日のようにまたKAITOを引きずっていった。
「あ、ちょっとー!」
 KAITOに教えて貰う予定だったリンが立ち上がる。同時に、MEIKOも立った。
「? MEIKOさん?」
「ちょっとここに居て。すぐ戻るから」
「えー」
「何かあったの?」
「すぐ戻る」
 後ろ手に手を振ってMEIKOが駆けて行く。残されたミクは、リンと顔を見合わせ た。
「……気になる」
「うん」
「……レンのことかな」
「関係はしてるよね」
「あ、そういやレンね、昨日告白されたみたい」
「ええっ! ホントに!?」
「あっ、ひょっとしてその相談? レンの奴、私には何も言わない癖に…!」
 ミクが驚いている間にもリンの思考は進む。ついでに、足も進んでいた。
「……行くの?」
「はい、ここから先絶対音立てないこと!」
「………うん!」
 こっそりゆっくり。二人は教室を後にした。





「昨日からいろいろ考えて。断ろうって思ってて。でも実際学校来たら言えなくて。MEIKOさんが来てから、おれは考えるべきところを間違ってたって思ったんだよ。だからその日ずっとその子のこと見てたらさ」
「……好きになった?」
「付き合ってみたくなった」
 堂々とレンは言い切った。好きになった、は肯定せずに。
 少し緊張気味に聞いていた二人はふうっと息を漏らす。
「まあ、それがレンの結論ならいいと思う」
「人間だって結構その程度で付き合ってるもんよ。ただ前にも言ったけど、覚悟は必要よ? 本当にちゃんと付き合うってなったらいろんなことをごまかしていかなきゃならないし、それに、」
「あのさ」
 MEIKOが一つ一つ挙げようかざしていた手を、レンが静かに包んで下ろす。きょとん、としたMEIKOにため息をついて言った。
「……付き合うことになったとは言ってない」
「え、まだなの」
 部に顔を出すのが遅いから、てっきりもう言ってきたのだと思っていた。だけど、それならその日一緒に帰るぐらいはするか、とKAITOは思う。
「……振られた」
「は?」
「え?」
「ええっ!?」
「何で!」
 予想外のレンの言葉。目を丸くして、ついでに声も出る。しばらくして気 付いた。
 声が多い。
「お前ら……!」
「ミク、声出しちゃ駄目じゃん……!」
「先に出したのリンでしょー!」
 レンの話に集中していたせいで気付かなかった。どうやら最初から居たらしい。校舎の影に座り込んでいたリンとミクが言い争いを始めている。レンは怒鳴ろうとしたのか息を吸い込んで──すぐに吐いた。二人から視線をそらして何事もなかったかのように先ほどの位置に戻る。無視することに決めたらしい。耳が赤いが。
「振られたってどういうこと?」
「振られたっていうか……MEIKOさんが今日教室来ただろ」
「うん」
「……付き合ってると思われたとか?」
 そこで思いついてKAITOがそう言うが、レンはわからない、と言う。
「付き合ってるなんて言わなかったし、言われなかったし…でも何かMEIKOさんのこと持ち出されて」
「……付き合えないって?」
「……そんな感じ」
 少し迷ったあとレンがそう答えた。そしてわざとらしくため息をつく。
「でも、まあいいよ」
「え、何で」
「……何かほっとしたし」
「ほっとした?」
 突っこんだのはKAITOでもMEIKOでもなかった。普通に話を再開されたためか、隠れる意味がなくなったためか、リンとミクがこちらにやってきている。レンはちらりとリンを見て眉を上げる。
「何か、振ったらそのあと気まずいし。そうだよ、それが嫌だったんだよ多分」
「ほんっとに考えまとまってなかったのね」
 言うことがころころ変わっている。どれも、その時点での真実なのだろうけど。MEIKOの突っこみにようやくレンは柔らかく笑った。
「悪かったな、初めてなんだから仕方ないだろ」
「……そっかー…振られたのか」
「? 何だよ」
 話がまとまってきたところでリンがぽつりと言う。覗き込んでみると、リンの顔は少し不満げだった。
「何っか、嫌だなー」
「何が」
「レンが振られるって。私まで振られたみたいじゃん!」
「いや、何でだよ」
「レンに彼女出来たほうが良かったー?」
 口を出したのはミク。リンはそれにも思い切り首を振る。
「それもむかつく!」
「お前な」
「……私らに恋とかまだ早い! そういうこと!」
「……高校生だよ、私たち」
「生まれて5年だよ! まだ5歳でしょ!」
 リンの言葉にミクとレンが笑った。確かに、という言葉にKAITOは思わずMEIKOに目をやる。MEIKOも、同じようにKAITOを見ていた。
 生まれて22年。普通に、人間が成人するレベルの自分たち。
「……年や経験の問題じゃなさそうね」
「そもそもおれたちとレンたちっていろいろ違うみたいだしね」
 小声で言い合ったためか、3人には聞こえなかったようだ。
「……大人しく過ごすのが馬鹿らしくなるわよね」
 普通に、人間のように、経験を重ねていく彼ら。
「あの方が楽しそう?」
「あんたも彼女作る?」
「MEIKOが彼氏作るなら作ろうかな」
「面倒くさい」
「おれも」
 分かり合っている気楽さ。だけどそのせいで、外に目を向けられなかったのかもしれないと思う。自分たちと同じ、だけど少し違うアンドロイドとの出会いは、きっと貴重だった。
「ま、とりあえず今は……勉強でしょうね」
「あっ!」
 MEIKOの声が聞こえたのかミクとリンが一緒に固まった。
「勉強ももうちょっと真面目にやってみようかな」
「あんた真面目にやってあのレベルだと思ってたわ」
「……いや、そうかもしれないけど」
 教室に戻りながら、そんな会話をする。
 恋や勉強はともかく。それでこうして騒ぐのは楽しいかもしれないと思った。


 

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