報復も程ほどに

「ただいまー……」
 ドアが開く音と、同時に聞こえてきた小さな声にリンの帰りを待っていた全員が即座に反応した。声のトーンが低い。暗い。こんなはずではない。
 その判断が全員を立ち上がらせ、玄関へと足を向けさせていた。





「で、何があったの?」
 リンの部屋の中。MEIKOは椅子に座ってリンに問いかける。リンはベッドに腰かけて俯いたままだ。ミクは床に座り込んでそんなリンを見上げている。レンとKAITOは居ない。二人は来るな、とリンから言われたのだ。部屋に兄や弟が入ることを今まで拒否したことなどなかったのに。
「MEIKO姉は、ね…」
「……うん?」
 自分のことを話すのかと思えば質問の姿勢になっている。それでもMEIKOは続きを促すように頷いた。
「セクハラにあったこと、ある?」
「…………!」
「…………?」
 MEIKOは思わず立ち上がり、ミクは首を傾げた。そして。
『セクハラ!?』
 扉の外で聞こえてきたユニゾンにリンもぱっと立ち上がった。MEIKOより早く扉に向かって、その扉を蹴りつける。開きはしなかった。どおんと大きな音と揺れが響く。そのまま扉が完全に静まるまで誰も発言しなかった。扉の外にはKAITOとレンの気配。二人とも動いていない。立ち聞きに来ていたらしい。 しばらく待っているとやがてがちゃりとドアが開いた。鍵はかけていない。外からKAITOが開けたのだ。少し真剣な顔で扉の前に立っていたリンと目を合わ せる。
「………ごめん」
 KAITOの謝罪にリンが俯いた。気まずい雰囲気にどうするべきかと思っているとKAITOの脇からレンが顔を出してくる。そちらは顔に反省ではなく怒りの色を浮かべていた。
「リン、お前さっきのどういうことだよ!」
 突っ立ったままだったリンの腕を掴む。リンが驚いたように顔を上げた。MEIKOも少し驚いた。ここまでの反応は予想外だったのだ。
「リンちゃん、セクハラされたの?」
 そこでミクの呑気な声が響く。一瞬で全員の視線がミクに移動した。リンがふっと力が抜けたように笑う。
「セクハラって言うかねー……セクハラかな」
「されたのかよ!」
「何であんたが怒ってんのよ」
 リンがベッドに戻った。腰掛けたあと面白がるような口調でレンを見上げる。言葉に詰まったレンの肩にKAITOが苦笑いしながら手を置く。気付けば扉が既に閉じられていた。
「……聞いていい?」
 KAITOは答えを待たずにレンと一緒に座らせる。リンも答えず、MEIKOの方に視線を送ってきた。
「今日のプロデューサー、MEIKO姉も前に仕事したよね?」
「え、あの人なの!?」
 リンが頷く。ミクが「誰?」とMEIKOの方を向く。そういえばミクとは仕事をしたことがなかったか。
「……いい人そうに見えたけどねぇ。一緒に飲みにも行ったし。逆にあの年で全然そういうセクハラ染みたこと言ってこなくて珍しいと思ったぐらいなのに」
「めーちゃんには興味なかったんじゃない」
「珍しい人も居るものね」
「だね」
 MEIKOが涼しい顔で答えるとKAITOも普通に流してきた。慣れてる。
「……でも、そーかも。何かっ……胸のこととか、言われたし……!」
 リンが無意識だろうか、手を胸の辺りに当てていた。俯いて目を逸らす様子からあまり言いたくないことだとはわかる。そこでレンが唐突に立ち上がった。
「……何よ」
「……何か、むかつく!」
 レンは直ぐ側のKAITOの肩を握り締めている。かなりの力が入っているのは見ればわかった。KAITOは気にした様子もないが。
「……そうね。私も何かむかつくわ」
「めーちゃんにはしなかったことも含めて?」
「好みの問題をどうこう言う気はないわ」
 多分からかいの意図など欠片もないであろう弟の言葉は適当に切り捨ててMEIKOは言う。そしてMEIKOはまずリンに目を向けた。
「明日の仕事の予定は?」
「明日はレンと一緒にレコーディング。でも午後から。夜までかかるかも」
「ミクは?」
「えーと、朝はF局で宣伝でー、ロケやったあと昼からライブのゲストに行って、夕方から夜まで新曲打ち合わせ」
 あほの子ではあるが自分の予定はきっちり把握している。すらすら答えたミクに頷いてMEIKOは最後にKAITOに目を向けた。
「ロケはミクと一緒。そのあとN局でテレビの収録。夕方には終わるよ」
「結構みんなばらつくわね。そのプロデューサーの方とは誰か会う?」
「明日は…Tスタジオに居ると思う…。終わった頃来いって言われた…」
 リンがぼそぼそと呟くように言った。MEIKOがリンから顔を逸らすとKAITOと目が合う。
「終わった頃?」
 何かを促されてると思ったのか、KAITOが言った。リンが頷く。
「私の収録が夜までかかると思うし、向こうも夜までだって。収録、レンと一緒だって言ったら、じゃあレンくんも連れてきていいよって」
「レンも?」
「それじゃ変な意図はないのかな」
「…いや、おおありでしょ」
 KAITOの呑気な言葉にはため息をつく。よし、とMEIKOは声を上げて立ち上が った。
「明日の夜は全員Tスタジオ集合! レンはリンについてなさい。絶対一人で来ちゃ駄目よ」
 二人は神妙な顔で頷く。そこでミクも立ち上がった。
「私は?」
「……あんたは私と一緒。それと」
 MEIKOはまだ座り込んでいるKAITOに近づくとその肩を抱いて小声で言う。
「あんたが一番上がりが早いのよ。夜までに探り入れといて」
「了解」
 リンたちには聞こえなかっただろうその言葉に、KAITOは普通の声で返し てきた。3人の不思議そうな目線には曖昧に返すしかなかった。





「リンちゃん! お待た……せ…」
 スタジオの外。レンと一緒に門にもたれかかっていたリンにプロデューサーが駆け寄ってきた。嬉しそうな声が途中で詰まる。リンから少し離れたところに居るMEIKOを目ざとく発見したらしい。
「お久しぶりです。プロデューサー」
 にっこり笑ったMEIKOに男は少し引きつりながらも笑顔でそちらに向かった。
「おお、久しぶりだな! そういえばリンくんは君の妹だったね。今日はどうしたんだい?」
「妹が誘われたと話してましたから心配で。プロデューサーさん。リンはボーカロイドと言っても未成年ですよ」
 こんな夜中に何するつもりだったんですか。
 MEIKOはからかうような口調で男を肘で突いた。男は苦笑いをしながら頭 をかく。
「そうだったなぁ。いや、普通の子どもだとこんな時間まで付き合えないからついね。リンくんは大人っぽいから忘れそうになるよ」
 いくら何でもそれはないだろう。
 聞きながらリンはつい不満げに唇を尖らせる。横のレンをちらりと盗み見ると……暗い中でもはっきりわかるほど……怒っていた。
「れ、レン?」
 MEIKOと楽しく談笑中の男にレンは無言で向かっていく。MEIKOが気付いた。そして何か言うより早く……レンが男の尻を蹴り飛ばした。
「痛あぁっ……い……い、痛いじゃないかレンくん」
 飛び上がった男は尻を押さえて、それでも何とか落ち着いた声を出した。大人の余裕で流すつもりらしい。それはそれで好都合だ。リンもレンの隣に駆け寄ると全く同じ場所を同じように蹴り上げた。今度は身構えがあったのか、先ほどよりも男の動きは少なく、声も上げなかった。
「な、ど、どうしたんだいリンくん」
 笑ってはいるが冷や汗が出ている。そろそろ気付いているだろう。リンたちが何をしに来たか。にやりと笑ったリンを見てMEIKOがため息をついた。
「全く……。喧嘩っ早いわね、あんたら」
 MEIKOのその言葉に男は少し希望を持ったのか、ぱっとMEIKOの顔に視線を移す。MEIKOは相変わらず笑顔だったけど……。
「せっかくいろいろ追い詰め方考えてたのに」
 僅かに残念そうな声にリンは思わずごめんなさいと言いたくなった。ああ、いろいろ考えてくれてたんだ。
「あの、MEIKOくん?」
「まあね。この世界に居てセクハラぐらいでどうこう言うつもりはないのよ。 私は」
「…………」
 男は黙っている。少し後ずさって探るような目でMEIKOを見ていた。この展開からいって油断は出来ないと思ってるからだろう。
「でも妹たちに関わってくると話は別よね」
 ぽん、とMEIKOの手が男の肩に置かれた。男がびくっと肩を揺らす。MEIKOが拳を握り締めた時点で逃げにかかった男をリンとレンが飛びついて抑えた。
「こ、こら、どきなさいっ……!」
 触れるのも嫌だった男だが、こうなってくると楽しい。レンも機嫌が直ったのかどうかリンと顔を見合わせて笑っていた。
「少し反省しなさい」
 MEIKOの声と同時に頭上で聞こえてきた音に、リンとレンは「あーあ」と声を出す。何だ。良かったんだこれで。





「あれ、もう終わった?」
 しばらくして聞こえてきた呑気な声はKAITOのものだった。隣にミクを連れている。そしてアスファルトの上に転がった男に目を落とす。
「あんたの仕事は終わりじゃないわよ」
「……みたいだね」
 何でここで叩きのめしちゃってんさ。
 KAITOが呆れた声を上げて男を担ぎ上げた。確かに。レンが抑えられずにいきなり攻撃を仕掛けてしまったが、終わってしまうとこれはこれで物足りない気分にもなる。リンがレンを見ると同じことを思っていたのか、気まずそうに顔を逸らされた。
「リン」
「何よ」
「……こんなの、これでいいんだからな」
「………ちゃんと文章喋ってよ」
 言いたいことはわかったけど。遠慮があったのは確かだし、それに……自分がそういう対象になると思ってなかったのかもしれない。
「レンもね」
「は?」
「レンもセクハラされたら遠慮しないように!」
「何でおれがセクハラされるんだよ」
「えー……」
 レンは私以上にわかってないのかもしれない。でも説明するのも微妙な気分だ。なるべく離れないようにしよう。リンは心の中でそう決めて頷く。そしてふと側に立つミクに目を向けた。
「ミク姉ちゃんはさ」
「何?」
「……セクハラ、されないの?」
 されても気付かないかもしれない。この姉は。だがミクは平然と答えた。
「されるよ。されたら殴ってもいいってお姉ちゃん言ってた!」
「………」
 唖然としてMEIKOを見たリンとレンにMEIKOが苦笑する。
「リンたちに言うのはまだ早いかと思ってたんだけどねー。世の中いろんな趣味の奴がいるの忘れてたわ」
 ごめんね迷わせて。
 MEIKOに謝られたのにびっくりして二人は何となく言葉を返せない。
「めーちゃん」
 そのときKAITOが少し離れたところから声をかけてきた。男を片手で脇に担いでいる。結構恰幅のある男なのに。力がどうこうより担ぎにくそうだ。
「何? そいつならタクシーに放り込んどいたんでいいわよ。どっか遠くまで」
「おれも殴っていい?」
「……目が覚めてからにしなさい」
 わかった、と素直な返事をしてKAITOは去っていった。
 何か。
 とてつもなく今更だけど。
 私たち兄弟は敵に回すと怖いらしい。


 

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