冬服

 ごうごうと遠くで唸る風の音が耳に響く。昼前になっても薄暗い空の下、スタッフが苛々と時間の確認をしていた。
「おい、天気予報晴れだろ? これ雪降るんじゃないか!?」
「晴れは市街地の方の予想なんで…山の方は降りますよ、そりゃ、この時期」
「あほかっ、山の撮影なんだから山の天気を確認しとけ!」
 怒鳴るスタッフから逃げるようにミクは足を速める。きょろきょろ辺りを見回しているせいか、2〜3人のスタッフにぶつかった。忙しそうに歩き回るスタッフは、ミクのことを振り返りもしない。
「あ!」
 ようやく目当ての人物を見付けて、ミクは足を止める。
 吹きすさぶ風の中、屋外に出されたストーブの前にうずくまり、両手を前に突き出しているのは、ミクの兄、KAITO。
「お兄ちゃーん!」
 駆け寄って叫びながらその背に飛びつく。勢いでKAITOの体が前に傾いた。
「うわっ!」
 慌てたようにKAITOがストーブに手を付く。檻の様な銀色の棒を掴み、じゅぅ、という小さな音と、僅かに焦げ臭い匂いがした。
 一瞬の空白。
 ……まずい。
 ミクは瞬時にそう判断する。
「ミク! 何を、」
「ごめんなさい! 急に飛びかかったら危ないの! ごめんなさい!」
 慌ててその背から飛び降り、顔を伏せたまま先回りして謝ったミクに、KAITOがきょとんとした顔を向けた。怒鳴りかけていた口が開いたまま止まる。おそるおそる視線を上げたときに見えたその顔が面白くて、ミクはつい噴出してしまった。
「ミク!」
「ご、ごめんなさ……」
 謝ろうとするのに震えて声にならない。
 振り向いたKAITOに対して、ミクはしゃがんだままKAITOと向き合った。ため息をついたKAITOの手がミクの額に触れる。
「あ、熱い」
「そりゃそうだよ、ストーブ触ったんだから。人間なら火傷してるよ?」
「うん……ごめんなさい」
 ようやく目を合わせ、ちゃんとした言葉で謝るとKAITOが改めてミクの頭をなでるように手を置いた。やっぱり熱い。
「……でも、どうしたの? お兄ちゃんは寒くないよね?」
 わざわざストーブの前に陣取っていた兄に対して疑問を投げる。ストーブは人間が温まるためにあるものだ。ミクたちVOCALOIDは寒さも暑さも気にならないのに。
 うん、と返したKAITOの声は、もういつものように優しかった。
「寒くないよ? でもこれから撮影だからね」
「……裸マフラーだっけ?」
「違うよ、っていうか裸マフラーでも別に寒くないって」
 KAITOが笑いながら首を横に振った。そして目で示すようにミクの背後を指す。今、ミクが出てきた建物。今日共演する出演者たちがそこに居る。準備が終わった者は外に出されてしまうから、だらだらと時間を稼いでいるものが多い。ミクは髪だけ整えてもらってさっさと出てきたが。
「人間と一緒に仕事するでしょ。あんまり冷たいとみんな嫌がるから」
 ほらミクも、とKAITOが右手でミクの肩を抱く。そのまま前に押し出されて、ミクはストーブに向き合う形になった。KAITOが後ろからコートの両端を持って覆うようにかぶさってくる。
「外の仕事だとどんどん冷えちゃうから。体は温めといた方がいいよ。特に手とかね。おれはポケットの中にカイロ入れてるけど……ミクは、入れるとちょっと目立っちゃうかな」
 一応スカートにはポケットがついている。だけどミクはそこに、ほとんど物を入れない。仕事中は携帯も外に出す。上着で覆われているとはいえ、動き次第ではスカートの変なふくらみが目立ってしまうことがあるのだ。
「手を暖かくする機械とかないの?」
「うーん、今のとこストーブが一番確実かな」
 ミクがかざした両手の横に、KAITOの手も並ぶ。
「マスターに作って貰えないの?」
「……それは考えたこともなかったな」
 帰ったら聞いてみようか、と言いながらKAITOの大きな手がミクの手を包み込むように握ってきた。既に温まっていたKAITOの手から熱が移るのを感じる。
 ミクはKAITOの言葉に頷きながらも、こういう暖め方もいいなと思う。
「あーっ、寒い。どいてどいてー!」
 そのとき背後から、準備の終わったタレントたちがぞろぞろと出てきた。狭い場所なのでいい加減出てけと追い出されたのだろう。
 さすがに人間を押しのけてストーブの前に居るわけにはいかない。
 その場から離れながらも、ミクはKAITOのコートの中に一緒に包まっていた。まだ全く温まってない気がしたが、それでも少しでも、これ以上冷やさないように。
「私もお兄ちゃんみたいなコート欲しいな」
 KAITOのコートを内側から引っ張ってみる。マフラーは首元を冷やさない役にしか立たないだろうが。コートならむき出しの腕も、太もも辺りも覆うことが出来る。
「ああ、そういえばミクは冬服はないんだよね。もうその格好が定着しちゃってるからなぁ」
「お姉ちゃんはあるの?」
「あるっていうか……コートは買ってるね。まあ、ほとんと着てないけど。変な目で見られるから、って言っても結局気にしないからね姉さん」
「でも……冷えるんだよね」
「うん」
「着てたらあんまり冷えないよね」
「そうだねー。本番前なら着てても問題ないか。今日買いに行く?」
「うん……欲しい!」
 見上げて言ったミクに、KAITOは笑って頷いた。





『もしもし、レン?』
「兄ちゃん? 何?」
『もう仕事終わった?』
「今帰ったとこだよ、何で誰も居ないんだ?」
『買い物。レンも来てよ』
「は? 何で。ってかどこで」
『一応レンの分も買おうってことになってるから。レンもコート居るでしょ?』
「……はぁ?」
 仕事を終え、誰も居ない家に首を傾げていると、携帯へ兄からの電話が入った。
 そして会話の内容にも首を傾げてしまった。
「また何かあったのか?」
『また? いや、ミクがコート欲しいって言い出してさ。家帰って言ったらリンも欲しいって言い出すし。レンも欲しいでしょ?』
「……まあ買うってんなら買うけど。何、買ってくれるの?」
『姉さんが奮発するって言ってるから。今が買いどきじゃない?』
 笑って言われたKAITOの言葉に、わかったと頷いてレンは場所だけ聞いて電話を切った。
 もう1度家の外に出ると、途端に強い風がレンの髪を乱す。
 寒い、とは感じないけれど。
「……やっぱ変だよなぁ、冬に半袖は」
 言いたくても言えないことではあったので、ちょうどいいと思った。





「ねー、お姉ちゃんこれは、これ?」
「だから、それ変だってー。それよりこっちのがいいって! ねぇMEIKO姉!」
「はいはい、ちょっと待って」
 いつものノースリーブの服を着た3人が、騒ぎながらコートを選んでいる。ミクはコートと言えばKAITO、というイメージがあるのか、KAITOのようなコートを探してはリンに駄目だしを食らっている。お揃いにしたいと言われるのは悪い気分ではないが、正直あまり似合うとは思えない。そもそもこのコートはマスターの手作りなので同じものはないだろう。
 そうか、マスターに作って貰うという手もあったな。
 そんな余裕はないかな、一応聞いてみた方がいいか、とKAITOはつらつらと考え る。おかげで近づいてくる足音に気付くのが遅れた。
「……おい」
「あ、レン、早かったね」
 コートを引かれる感覚に振り向けば、いつもの半袖姿で立っているレン。そういえば自分以外は全員夏寄りの格好なんだな、と思いつつ、ふと側でコートを選ぶもう1人に目を向けた。こちらもいつもの衣装を着た、神威がくぽ。
「……ねぇ、あれって冬服かな?」
「何であいつも居るんだ」
「どうせならがくぽの服も買おうってことで?」
 撮影時は普通の服を着てることもあるがくぽだが、私服はKAITOたちと同じように決まった衣装しかないらしい。撮影後に見かけて前々から気になっていたから、とがくぽを呼んだのはリンだった。確かにあの格好は夏冬関係なく目立つだろう。
「KAITO、やっぱり私は……」
 コートを見ていたがくぽは、何やら難しい顔で考え込んでいる。
「ん? 何か問題ある?」
「……せめて和服でないとイメージを壊すことにならないか?」
「……あー……」
 見た目のインパクトが強いがくぽはそこにも随分こだわっている。あまり今風の格好をするわけにもいかないのだろう。それはプロデューサーからの要望でもあ る。
「おい、おれは勝手に選んでていいのか?」
「あ、うん。何かいいのあった?」
「いや、これから見るんだけど…」
「好きに見てていいよ。おれ一応審査役らしいけど、役に立たないだろうし」
 ファションセンスなんてものは組み込まれちゃいない。マスターもあまり男の服には興味がないようだった。コートとマフラーというのは単純に生まれが冬だったため選ばれたものなのだろう。
 それでも女性陣は一応男の立場であるKAITOにも見てもらいたいらしいが。
 レンが奥の売り場に向かっていくのを見送りながら、KAITOは他の兄弟たちに視線を移す。
「じゃあリンはそれでいいの? もう1枚ぐらい買う?」
「んー……それより中は? コートだけしか駄目?」
「コートがあれば十分でしょ、あくまで体冷やさないためのものなんだから」
「えー! お洒落もしたいよ! ねぇ、ミク姉?」
「え? う、うん。でもよくわかんない…」
 男と女の違いというよりは、旧型との違いなのだろうか。MEIKOはあまり興味なさげに機能性で選んでいた。
「そういえばさ、姉さんは言われないの? 腕冷たいとか」
 ミクやリンたちにはまだアームカバーなどもあるが、MEIKOは一番露出が高い。今までそれに対する不満を出したことはなかったはずだ。第一せっかく買ってあるコートを仕事に着ていくことがほとんどない。
 そう気付いて思わず会話に口を挟めば、MEIKOは考えるように僅かに視線を宙にやった。
「んー、屋外とかあんまりなかったしねぇ。見てるだけで寒いから寄るなとか言われたことはあるけど」
「あっ、それ私も言われた!」
 MEIKOの言葉にはリンも元気良く返す。
「ええ、リンも?」
「言われるよー。ミク姉より言いやすいんだよ、私たち」
 リンはそれについての不満はないのか、普通の声でそう言った。そういえばKAITOも、あまり気にしてはないが夏には似たようなことを言われている気がする。
「それミクが言われたらどうすればいいのかなぁ…。2人はどうしてる?」
「睨む!」
「ほっとけばいいのよ。勝手に人間が自己防衛してくれるんだからそれでいいじゃない」
 2人とも対応が違った。側で聞いていたミクはそれでも、それを聞いて大きく頷く。
「うん、わかった!」
「いや、ミクわかっちゃ駄目……でしょ、これ」
「まーアイドルミクは睨むのは止めた方がいいわね」
「えー、私もアイドルなんだけど!」
 KAITOとMEIKOの言葉にリンが不満げに唇を尖らせる。そこに後ろから声がかかった。
「変に作らずに自然に返せばいいだろう。ミクはそう言われたら何と言う?」
 がくぽの言葉にミクは即答する。
「ごめんなさい!」
「……間違ってはないのかなぁ」
「でも私ら悪くないのに」
「はいはい、だからこっちもせめて撮影前はコートぐらい着てようってことでしょ。で、ミクはそれでいいの?」
「あ、えーと、お兄ちゃん、がくぽ、これでいい?」
「ああっ、ミク姉! それ私が狙ってたのにー」
「え、そうなの? もう1個なかったかな…」
「えー、同じのは嫌だよー、ミク姉だったらこっちの方がさ、」
 またはしゃぎだしてしまったミクたちから次が決まるまでひとまず一歩引く。気付けばがくぽも隣に並んだままだった。
「がくぽ? 服決まったの?」
「……全く決まらん。そういうセンスは組み込まれておらんのだろうな」
「それはおれもそうだなぁ」
「後でMEIKOたちに選んでもらっていいか?」
「……姉さんよりリンの方がいいかも」
 小声で付け加えたが、聞こえたのかMEIKOには軽く睨まれた。
 仕方ない。
 多分これはマスターのセンスの問題だ。
「KAITO兄ィー、おれ、これ」
 考えていると、レンがコートを片手に戻ってきた。もう決まったらしい。
「……早いな、レン」
「は? 悩んだって仕方ないだろ。リンー、おれのコートこれでいいか?」
「え、ちょっと待って私のとも合わせてよー」
 すたすたとリンの元に歩いていくレンが会話に加わる。
「……レンでもいいよ」
「私も今そう思った」
 奥の方で、ようやく決まったのかリンとミクがコートを手に駆けて来る。どれも可愛いとしか思えないKAITOは、何を持ってこられても可愛いと言うことが決まっていた。
「……可愛いってのはおれが言う」
「待て。私もそれ以外の言葉は言えん」
 がくぽと小声でやりとりすると、何故か側に居たMEIKOが笑い出していた。


 

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