設計

 逃げて、逃げて、逃げ続けたのは何のためだったか。
 目の前に散らばる設計図は、そもそもは何のためのものだったのか。
「マスター」
 じっとそれを見つめていたら、聞き慣れた声に呼ばれた。慌てて立ち上がると、一瞬立ちくらみがした。自分は何時間、これを見つめ俯いたままだったのか。
「……MEIKO」
 ふらついた自分に苦笑いをしながら、自分の生み出したアンドロイド、MEIKOの元へと近づく。明かりもつけていない部屋の中。MEIKOの表情ははっきりとは見えない。目をこらして、僅かな光を見つけたとき、無意識に呟いていた。
「MEIKO、歌って。何でもいいから」
「はい」
 ほとんど間を置かず、MEIKOの歌がアカペラで響き渡る。ああ、そういえばここは自分の家じゃない。この部屋は確か防音は施されていないはずだ。じゃあ近所迷惑だ。止めない と。
 頭の中ではそう考えるが、口に出すことは出来なかった。
 目を閉じ、ただじっとMEIKOの歌を聴く。
 このために作った。
 自分のために、自分の歌を歌ってくれる存在を。
「……そっか」
 小さく呟くとMEIKOの歌が止まった。設計図をかき集め、MEIKOへと視線を向ける。
「……彼、まだ2階?」
「はい」
「呼んで来て」
「決まったの?」
「……決まった。悩むことじゃなかったの。私にはあなたが居て、KAITOが居て、ミクたちが居て、それで十分」
「じゃあ……」
「この設計図は売る。私にとってのあなたのように、自分の歌を歌ってくれる人を求める人が居る。だったら、協力してあげたっていいかなって。私たちの知らないところで、新しいボーカロイドが出来るけど…仲良くしてね?」
「……マスターが言うなら」
「言わなくても仲良くしてよ」
 苦笑すると、同じく苦笑を返された。
 そのままMEIKOは2階へと向かう。それを見つめながら、もう1度設計図に目を落と した。
 初めて作ったアンドロイドは、MEIKOだった。
 発声も動きも感情も、まだまだ上手くは行かなかった。
 歌うときに息を吸い込んで欲しかった。悲しい歌を悲しい顔で歌って欲しかった。
 自分の歌を、一人の人間が歌ってくれていると錯覚するために。
 改良に改良を重ね、ボーカロイドとして完成したと思った矢先、MEIKOが酒を飲んで倒れるという事態があった。普段から酒を不用意に散らばせてたのが悪かったのだろう。嫌なことがあるとすぐに酒に逃げるのは悪い癖だと思っているが、今でもそれは直っていない。それよりもそのときは「マスター」が好んで飲むものに興味を示した、ということが素直に嬉しかった。その後、飲食可能な改造を施し、それが完成版となった。
 KAITOを作ったときのことは、実はあまり覚えていない。夢中で作ったあと、最後に服を作り、男性型を作ったことへの照れがそのときになって出てきた。そっちの印象の方が残っている。
 MEIKOとKAITOが、人前で歌うようになり、多少の賞賛を浴びたときが、多分一番嬉しかったと思う。
 音楽家としては評価されず、作った曲も詩も、つまらないの嵐。それでもMEIKOたちが歌うというだけで、聞いてくれる人が居た。覚えて、口ずさんでくれる人まで居た。
 不審がられるのを分かっていながら、その人の後を追い、MEIKOに止められたのも懐かしい思い出だ。
 設計図をめくる。
 ボーカロイド2。
 MEIKOとKAITOから、更に改良を重ね、より人間に近づけたアンドロイド。
 MEIKOの人気に目をつけた、あるプロデューサーからの依頼だった。
 誰の歌でも、どんな歌でも歌えるアイドル。それに、純粋無垢というキャラクターも求められた。
 最初は少し抵抗もあった。だけど「VOCALOID」を求められることが、MEIKOたちを認められたことのような気がして、随分張り切ってたと思う。もやもやは全て、ミクの笑顔を見るだけで、その歌声を聴くだけで吹き飛んだ。自分の作った曲も歌わせたが、やはりあまり評価はされなかった。
 VOCALOIDに関する依頼は益々激しくなり、家に帰ることはほとんど出来なくなったけれど、ブラウン管から流される「VOCALOID」の歌声だけは、毎日聞いていた。残念なのは、そこに自分の曲がないことぐらいで。
「ハク?」
 2階から静かに下りてきた男が、小さく名前を呼んで来る。
 そこでハクはようやく我に返って顔を起こした。暗いはずの室内で、男が顔をしかめているのがわかる。電気も点けずに何をやってるのだろうということだろう。かつて大学で同じ研究をしていた男の思考は、とてもわかりやすい。
「……これ、売る」
「……MEIKOから聞いたよ」
「いい人だった。曲も…凄く、いいの」
 誰にも歌ってもらえない寂しさはよくわかっている。
 ハクの微笑みに、男も優しく微笑みを返して頷いた。





「新しいボーカロイドかー」
 自宅2階のKAITOの部屋に全員が集まっていた。MEIKOからの通信は、おそらく真っ先にKAITOに来るだろうと思って。そして伝えられたその内容に、レンが呟く。あまり感情のようなものが沸かない。嬉しいとも悲しいともレンは感じなかった。
「ね、男? 女? 年は?」
 興味津々に聞くのはリン。こちらが刺激されたのは好奇心らしい。正直レンにはどうでもいい。男も女も年上も自分の周りには揃っている。年下が居ないが、小学生ぐらいのボーカロイドが来ても微妙だと思う。
「まだわかんないよ。依頼人は男って言ってたけどね」
「じゃあ女かなぁ。あ、でも自分が歌えない代わりに、っていうなら男?」
「だからわかんないって」
「予想ぐらいもうちょっと楽しもうよー」
 膨れて言うリンにKAITOが苦笑を返す。レンは隣で頷いたがどっちに同意したのかよくわからないタイミングだろうと思った。リンがそこで部屋の隅にいる姉に問いか ける。
「ミク姉は? どっちがいいー?」
「え?」
 どこか上の空だったミクがようやくはっきりと目を向けてくる。
「男か女か。ミク姉はいいよねー、年上の男女も年下の男女も揃ってるし。次は…あ、同い年ぐらいの男性型が来たら完璧じゃん!」
「か、完璧って何」
「それは多分ファンが許さない気がするなぁ」
「やっぱそうなのか? おれらなんかソロやると絶対『リンは?』とか聞かれるけどな」
「そりゃあ私たちはセットだし。あ、じゃあミク姉もセットでさ。ミク姉そっくりな男の子でミクオとかどう!」
「えええー」
 戸惑いつつも、一応考えてみてるのだろう。ミクが何かを思い浮かべるように目を閉じる。だがやがて口元がゆがんで眉間に皺が寄ってきた。
「……無理! わかんない!」
 想像できなかった、ということだろうか。リンはそれほど追求する気はないのか、すぐに目線をKAITOの方に向け直した。
「KAITO兄ィは? どんな人がいいー? KAITO兄ィだと居ないのは年上の男の人だよね」
「どんな人でもいいよ、仲良くやれたら」
「何その優等生的答えー。……レン!」
「な、何だよ」
「レンならあるでしょ? どんな女の子がいいか」
「女限定かよ」
「え……男がいいの?」
「いや、そうじゃねぇけど!」
 ああ、でも同世代ぐらいの男ならいいかもしれない。男同士の会話という奴はどうにもKAITOではやりにくい。どうしても自分が年下であることを意識してしまうし。
 反射的な否定はしたものの、満更でもない顔をしたのがばれたのか、リンが不満げに口を尖らせる。
「そうだよねー。女の子はもう選り取りみどりだしね」
「3人しか居ないだろ」
「もっと欲しいの?」
「あー……おしとやかで天然じゃない女の子ならいいな」
 皮肉も込めて言ってみたが、何故か反応したのはKAITOだった。
「マスターみたいな?」
「何でそこでマスター出すんだよっ!」
 その余計な突っ込みには思わず大声が出る。もう何を言ってもやぶへびの気がする。
 というかあれだって天然だろ、という突っ込みが喉元まで出かかったがやめておく。
 レンは話は終わりとばかりにそっぽ向いた。
 そもそも誰が来ようとも、この家に住むことになるわけでもないだろう。新しいボーカロイドには、ちゃんと新しいマスターが居る。
「これから、どんどん増えるのかな。ボーカロイド」
 少し沈黙が落ちた部屋で、ぽつりと呟いたのはミクだった。俯き気味の呟くような言葉に驚く。ミクならもっと喜ぶかと思うのに。実際にリンとレンの存在を知ったときのミクは、弟妹が出来ることに喜んでいたはずだ。
「多分ね。マスターがそう決めたんだから。喜ばなきゃ」
「……うん」
 ミクは笑顔にはならなかった。頷きつつも首を傾げている。
 自分の感情の意味がわからない。そういう顔だと思った。





「お仕事は好き。ファンの人も大好き。みんなの歌だって大好き。……取られたりとか、しないよね」
 またミクは誰かから余計なことを聞いたのだろうか。
 無垢で無邪気に、と言いながら余計な情報を与えるのはいつも仕事先の大人たちだ。
 苦笑いが浮かびそうになりながらも、MEIKOはその不安げな顔を笑い飛ばす。
「リンとレンが来て、仕事を取られたとかファンを取られたとか思った? お兄ちゃんお姉ちゃんを取られたとか感じた? 嫌だった?」
 MEIKOがそう言うとミクは一瞬きょとんとした顔を向ける。そしてすぐに大きく首を横に振った。
「ううん。増えた! 一緒の仕事もいっぱいあったし、リンちゃんたちのファンが出来るのも嬉しかったよ」
「じゃあそれが答えでしょ」
 実際に会えば、ミクはそんな考えは初めから吹き飛んでしまうに違いないのだ。ミクはちゃんと、偏見なしに目の前の人物を判断できる。
 そもそもどんなVOCALOIDが来ようとも、マスターの認めた人に間違いはない。
 ホントは間違いだらけだった気もするが、MEIKOは自分にそう言い聞かせた。
 せめて弟妹たちは楽しみに待っていてくれないと、仲良くなるきっかけも掴みにくい のだ。
 そして自分だけは、冷静に相手を判断しよう。
 VOCALOIDの名に傷つけるようなことだけはあって欲しくないから。


 

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