兄姉

「KAITOー」
 玄関からの自分を呼ぶ声に、KAITOは立ち上がる。そろそろ日が沈もうかという時間帯。KAITOたちは今日の仕事を終え、夜からはMEIKOが一人ライブの手伝いに出る。そのMEIKOからの呼び出しだった。
 KAITOが玄関へ向かうと、リビングで一緒にテレビを見ていたはずのミクも着いてきた。 テレビはほぼニュース一色で、退屈なのだろう。
「どうしたの姉さん」
 玄関で座り込んで靴を履いていたMEIKOは、KAITOの姿を確認すると黙って上を見上げた。つられて天井に目をやれば、ちかちかと不規則に点滅する電球。
「……切れかけてるね」
「今予備がないのよ。買ってきといてくれる?」
「今から?」
「今からじゃないと私が帰ったとき真っ暗じゃない」
「別に気にしないでしょ姉さん…」
「頼むわよ」
 KAITOの言葉には答えず、MEIKOはバックを手にそのまま出て行ってしまった。KAITOはもう1度その電球を見上げる。そういえば以前、ライトの点いてない玄関から上がりこもうとしたミクが盛大に転んで頭をぶつけたときのことを思い出した。誰にも言ってないがKAITOにも経験がある。……MEIKOにもあったのかもしれない。
「買い物行くの?」
 ミクがKAITOの袖口を握り締めて上目遣いに見上げてくる。これは、何かお願いをされるときの雰囲気だ。
「電球を、だよ?」
「うん」
「ミクはレンたちと留守番だよ」
「私も行きたい」
「……電球買うだけだってば」
「でも行きたい」
 やはり、暇なのだろう。
 それほど反対する理由があるわけでもないのでKAITOは仕方なく頷いた。ミクが顔を輝かせてリビングに戻る。何か準備でもあるのだろうか。KAITOもとりあえず、財布を取ってこなければならないが。
「買い物ってどこ? スーパー?」
 リビングへ帰ればソファに座ったまま顔だけこちらに向けてきていたのはレン。会話が聞こえていたのか。いや、はしゃいでるミクが言ったのかもしれない。KAITOはとりあえずミクの方に顔を向ける。
「ミク、ネギは持って行っちゃ駄目」
「えー……」
 ネギを握り締め、不満げな顔をするミク。KAITOはそのままレンに答えを返した。
「スーパーだよ。何か欲しいものある?」
「………………」
「レン?」
「………別に」
 少し長い沈黙のあとレンは首を振る。突然聞こえた笑い声は、リンのものだった。
「欲しいって言えばいいじゃんー。KAITO兄ィ、私みかん欲しい」
「みかん? もう買いおきなかったっけ」
「あと一個」
「じゃあ買ってくるよ」
 棚から共通の財布を取り出しながらリンに答える。そしてもう1度レンに目を落と した。
「……何だよ」
「……バナナ、残ってる?」
「……あと一本」
「………………」
「………………」
 レンはそれ以上は何も言わない。沈黙したまま見詰め合ってる二人に痺れを切らしたのか、ミクが間に割り込んできた。
「じゃあレンくんはバナナね! お兄ちゃん行こう!」
「あ」
「私はネギ買っていい?」
「ネギはまだあるでしょ」
 ミクに引きずられるまま、仕方なくKAITOはリビングを後にした。出来ればレンの口から言わせたかったが。そもそも本当にバナナだけで良かったのか。何か言いたそうにしていたレンに通信を送ってみるかと思うが、雑音が入るだけだった。KAITOたちとレンたちの間の通信は、まだたまにしか上手くいかない。早く直して欲しい。
 玄関を出る寸前、廊下を誰かが走ってくる音がした。レンだ。
「何?」
「……ジャンプ買ってきて」
 レンがぼそりと言った言葉にKAITOは一瞬首を傾げる。
「ジャンプ? あ、漫画か」
「……わかる?」
「……書いてあるよね? 多分わかるよ」
 不安げな目で見てくるレンにKAITOは笑顔を向けるが、レンの表情は晴れない。
「……一緒に行く?」
 レンが顔を上げた。同時に、再びばたばたと廊下を走る音が聞こえた。今度は、リ ン。
「レンが行くなら私も行くー!」
 レンの返事もないまま、リンがそう叫び、結局全員で向かうことになった。





「スーパーって何時まで開いてるの?」
「一番近いとこは10時までだったかな。ちょっと離れたら24時間のとこもあるよ」
 ミクはKAITOの手を握り、歩幅の大きいKAITOに対して少し小走りについて行く。KAITOが気付いたのか、速度を落とした。
「ネギはある?」
「普通のスーパーはあるよ。でも駄目」
「……今日はまだ食べない」
「そういう問題じゃないの、まだ家にあるでしょ」
 KAITOの声は優しいが、きっぱりとした言葉にこれ以上言っても無駄だとわかる。わかっているのに、どうしても言ってしまう。
「お兄ちゃん、アイス買わないの?」
「…………買わない」
 間があった。
「本当に?」
「まだ残ってるからいいんだよ」
 ミクはじっとKAITOを見つめてみるが、KAITOは視線を返してこなかった。もう一歩押したいのに。唇を尖らせて不満を伝えようとしたとき、頭の中に微かな雑音が入る。
「………?」
 後ろを振り返ると並んで歩くリンとレンの姿。おそらく、二人が通信を使ったのだと思う。通信を使ったということは、内緒の話なのだろうが、ミクはそれでも聞かずにいられない。
「どうしたの?」
 何の話? と言葉に出さず問えば、二人は少し気まずそうに顔を見合わせた。再び、小さな雑音。だけどリンが直ぐに言葉にした。
「……ミク姉ってさ」
「うん!」
「…………ネギ好きだよね」
「? 大好きだよ?」
 KAITOが足を止めたので自然とミクの足も止まる。完全に後ろを振り向いたミクだが、リンの問いには首を傾げつつ答えた。ミクがネギが好きだなんて、わかりきってることだと思うのに。KAITOの手が離され、ミクの肩に移動する。
「わがまま言うから呆れてるんだよ。ミクももうお姉ちゃんだろ」
 KAITOの言葉に振り向いたときには、既にKAITOは歩き出していた。ミクを置いて。
「お兄ちゃん!」
 慌てて追いかけるが、手を掴めない。突然変わったKAITOの口調は、まるで自分に言い聞かせるようでもあった。
「お兄ちゃん、手……」
 KAITOの左手に、右手を伸ばす。
 そこでようやく気付いた。
 もう、お姉ちゃんなんだから。
 お兄ちゃんと、手を繋ぐんじゃ駄目だ。
 ミクは立ち止まるとすぐ後ろのレンたちの間に入り込む。
「え、」
「な、何?」
 ミクは両手を出して二人の手を取った。
「み、ミク姉……!」
「えええ、ちょっと……!」
 そのまま小走りにKAITOに向かえば、二人は引きずられるようについてくる。
 お姉ちゃんなんだから。
 今度はミクがレンたちの手を引くんだ。
 ミクはそう理解していた。





「あのまんまでいいのかよ?」
「……ええと」
「ミク姉のこと」
「わかってるよ」
 雑誌が並ぶ棚の前でKAITOは苦笑を返す。スーパーに入ってすぐ、リンがミクを連れて行ってしまった。残ったレンがすぐさまKAITOの側に来たことから、通信で相談の上でのことだろう。
「ミクは、少しずつだけどちゃんと成長してる」
「成長させていいの?」
「え?」
 意外な言葉に思わずレンを見る。漫画雑誌を手にしていたレンは、ずっとKAITOを見上げていたようだった。すぐに目が合う。
「そういう要望だったんだろ? ミク姉を無邪気なままでって」
「……あれは多分元の性格もあるけどね。でも、ミクは成長したいんだから」
 それに任せようって決めたんだ。
 以前MEIKOと話し合ったことをそのまま言えば、レンはそれでも納得していないような顔を向ける。
「今のままじゃ中途半端じゃねぇ? やり方が。さっきだって何か普通に手繋いでる し」
「うん…あれは、癖かな」
 KAITOたち自身が、どうしてもミクを子ども扱いしてしまう。
 先ほどミクとリンが離れていったときも、リンが居るなら大丈夫かと思ったのだ。リンやレンの方がしっかりしていると──認識してしまっているのだ。それは、現時点で間違いではないけれど。
「……兄ちゃんたちにとっては妹だからいいんだろうけどさ。あれを姉ちゃんって呼ぶおれたちは複雑なんだよ」
「……そっか」
 言ったあと、レンは少し慌てたように早口で言う。
「別に、嫌いとか、嫌ってんじゃないんだけどっ。何か、見てて」
「うん、わかってる」
 レンの言葉を遮ってKAITOは微笑む。心配されている。それが少し嬉しい。KAITOはレンの頭の上にぽん、と手を置いた。
「ミクも頑張ってるから、もう少し待ってあげて。おれたちももっと自覚を持つ。レンたちは弟だけど、今は教えてくれていいから」
 ミクは素直な子だよ。
 そう言うとレンは苦笑いのような変に歪んだ笑みを見せた。笑おうとしたのか、むしろ呆れたのかもしれない。
「……もう一つ」
「ん?」
「兄ちゃんもアイスで悩まないでくれ」
「ええー?」
「姉ちゃんは惚けててもまだ可愛いですむけど! 兄貴はかっこよくなきゃ嫌だ」
「……そう言われると頑張るしかないのかな」
 おれも可愛いとは言われるんだけど。
 さすがにそれは口にせず、KAITOは頷いた。弟が求める兄貴像には、近づきたいと思 う。
 ああ、そうだ、これだ。
「レン、それからリンにも」
「何だよ」
「やっぱりもっとミクをお姉ちゃん扱いして。そしたらもっと頑張るよ多分」
 KAITOたちの側では、どうしてもKAITOたちが求める「可愛い妹」に近づきたくなるだろう。お姉ちゃんになりたいと、ミクがもっと思えばいいのだ。
「……ファンはどうなるんだ」
「ミクはファンの前ではどんな風にでもなれるよ。それはおれたちの中で一番凄い」
「……うん」
 レンたちはミクの凄いところをちゃんとわかっている。だから、もう一歩だ。





「ただいまー」
「電気……」
「あ、やっぱり切れてるね」
 寄り道して、帰るのが遅くなってしまった。もうすっかり日は沈んでしまっている。
 レンは手探りで明かりのスイッチを入れるが、点かない。
「あっ」
「ああっ」
 がしゃん、ごん、と派手な音。レンの目に映るのは蠢く黒い影。
「お兄ちゃん!」
「KAITO兄、大丈夫!」
 KAITOが、転んだらしい。
 レンは慎重に手を伸ばして、躓かないよう廊下に上がる。KAITOの持っていたスーパーの袋を手に取った。中の電球は無事のようだ。
「KAITO兄」
「……はい」
「おれらじゃ届かないよ」
「うん、おれでも無理。台所から椅子……あ、いや、肩車でいけるかな?」
 レンががさがさと電球を取り出している間に、KAITOが廊下に上がりこむ。ぱっ、と廊下近くの明かりがついた。いつの間にかミクが台所に上がりこみ、台所の電気を付けた のだ。
「KAITO兄」
「ん? 準備できた?」
「……やっぱり先に兄ちゃんらしくなって欲しい」
「え、どういう意味」
 KAITOの肩によじのぼりながら言えば、KAITOは驚いたように返してくる。すっ、とレンの体が持ち上がった。
 力は、あるのだけれど。
 それは、かっこいいと思うのだけど。
 やっぱりちょっと、情けない。


 

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