その喜びを歌いましょう

 真夜中に目が覚めた。
 レンは体を起こすと、自分の体に刺さるコードを引き抜く。充電はとっくに完了していた。だけど、起きる予定の時間にはまだ間がある。カーテンの外は真っ暗だ。何故目が覚めたのだろう、と辺りを見回してみる。隣のベッドで眠るリンは、きっちり目を閉じていて、動かない。触れてみても何の反応もない。完全に寝入ってい る。
 レンは音を立てないようにベッドから降りて、ゆっくりと廊下への扉を開けた。もう1度眠りに入っても良いのだが。
 音が、聞こえた気がした。
 ドアを開ければ、やはりいつもと空気が違う。
「レン」
 レンが1歩足を踏み出したとき、突然その声がかかった。
 びくっと大げさなほどに体が揺れる。悲鳴が上がらなかったのが奇跡だ。歯を食いしばって声を抑え、それからゆっくりと息を吐き出した。
「レン?」
「しっ、静かに」
「?」
 背後からぼんやりした目で現れたのはリン。寝入ってたはずなのに。やはりレンが起きると目が覚めてしまうのか。そういえばお互いの寝顔を見ることは、あまりない。
「どうしたの?」
 理解はしたのか、顔を近づけて小声で話すリン。レンは何と言っていいかわからず、とりあえず階段の方向を指した。
「何?」
「何か……声が聞こえた気がした」
「えっ」
 リンが驚きの声と同時に辺りを見回す。何をしているのかと思ったが、部屋の中のデジタル時計に目を留めたことで納得する。
「……こんな時間に?」
「……ああ」
「……泥棒?」
「さあ」
「……お父さん?」
「……それこそこんな時間に…」
 言いながら思い出す。
 そういえば、一度この家に忍び込んだことがあったのだったか。
 だけど今は、この家のマスターと和解したはずだ。和解と言っていいのかわからないが父の家に一緒に住み始めたのだから和解なのだろう。今更ここに忍び込む理由も ない。
「……私たちの顔みたいとかー…」
「だから、だったら堂々と来るだろ」
 話していても埒が明かない。レンはそのまま音を立てないようゆっくりと階段に向かった。リンがレンの腕を握り、着いて来る。慎重に、慎重に階段を下りて、その半ばでレンは足を止めた。
「……明かり」
「うん」
 リビングから明かりが漏れていた。普段はあまり閉められない廊下側への扉はきっちり閉じられていたが、僅かな隙間から部屋の中の明るさが見て取れる。レンは今度は耳を済ませた。瞬間、笑い声が聞こえた。
「あ……」
 リンの呟き。レンは咄嗟に脳内通信に切り替える。
『リン、喋るな』
『え?』
『ここまで来たらこっちの声聞こえるかもしれない』
『でもあれ…ミク姉たち…』
『……だろうな』
『KAITO兄とMEIKO姉の声もした』
『……ああ』
 ぎゅっ、とレンの腕を握る手に力がこもる。何を考えたかは今度はすぐわか った。
 レンも同じことを考えたのだから。
『……何で、3人だけ?』
『…………』
 それ以上言うな。
 そう思うけど言葉にしたくはない。
『………ねえ』
 疎外感。
 というのだろうかこれは。
 ミクたちのライバルとして作られた自分たち。だけど、家族として受け入れたミクたち。
 本当に、そうなのだろうかとは思ってた。だけど、考えないようにしていた。
 父が自分たちを必要としなくなった以上、自分たちが居る場所はここにしかないのだから。
『……レン』
『…………寝よう』
 何も見なかった。何も聞かなかった。
 彼らはずっと3人だったのだ。それに、入ることは出来ないのだ。
 ゆっくりとまた階段を上がり始めたレンは、リンの手が離されたのに気付いて驚いて振り向く。ミクたちのところに行ってしまうのかと思ったが、意外にもリンはその場に留まったまま、今度はしっかりとレンに腕を絡ませてくる。
「リン……」
 思わず声が出た。
『……私たちは、一緒だから』
 ああ……。
 小さく頷いて、2人で階段を上る。
 その後は、何も言葉を発せず、眠りについた。





「あら、おはよう」
「あ、おはよー」
「お…おはよう」
「おはよう…」
 朝のリビングは騒がしかった。今日は全員仕事は午後からのはずなのに、朝早くからミクとMEIKOはきっちり着替えて何やらソファの移動をしている。それだけで部屋の様子が随分違う。リンとレンは並んで顔を見合わせた。
「あ、二人ともおはよう、ちょ、ちょっとどいて」
「え」
「あ、ごめん」
 リビング入り口に突っ立っていた二人に後ろからKAITOが声をかける。少し体を避けただけだったリンを、レンが後ろを向いたあと引っ張った。KAITOが何か大きな荷物を抱えている。完全にドアの影から出ないと邪魔だ。
「KAITO兄何それ」
「ん? キーボード」
「あ。ホントだ」
 リビング中央の机に置いたのは布のかかったキーボード。レンたちの元居た家にもあった。布を取るとぶわっと埃が舞う。白い鍵盤の上にも点々と埃が落ちるのが見えた。
「ちょっとKAITO! もっと慎重にやりなさいよ」
 MEIKOが慌てて広がった布を押さえる。
「うわーすごい…」
 ミクはただ瞬いてそれを見ていた。ミクの服にもいくつかの埃。KAITOがそれを払いながら謝った。
「ごめん、ここまでとは…」
「ミク、掃除機取ってきて」
「はーい」
 ミクがぱたぱたと廊下に向かい、レンとリンは再びそれを避ける。何をやってるのだろうと思うが何となく口を挟めない。そこへ今度はMEIKOが目を向けてきた。
「二人とも。ちゃんと着替えてらっしゃい。今日は朝ご飯は後」
「ええ?」
「髪も! 自分で出来るんでしょ?」
「で、出来るよ!」
「レンは下手だよ」
「お前余計なこと言うな!」
 思わずリンに顔を向けるとにやにや笑っていた。何だか脱力する。
 確かに、レンは自分の髪をくくるのはあまり上手くない。そもそも結びにくくないか。後ろって。
「私がやるからいいよー。じゃ、行こう」
「あ…うん」
 リンに引っ張られて2階へ向かう。廊下で、掃除機を引っ張り出してるミクと会った。
「あ、レンくん、これ手伝って…!」
「え…何だ?」
 階段下の収納スペースに掃除機があった。あったが…上にもいろいろ積まれていて、下手に取り出すと雪崩を起こしそうだ。リンとレンが慌てて掃除機の上のものを押さえる。
「掃除してないのかよ普段!」
「え、ええと……掃除機は…あんまり」
 思わず叫べばミクに苦笑いを返された。その間にずるっと掃除機が引っ張り出された。上のものも崩れず、一息つく。
「っていうか…何なの、今日?」
 大掃除?
 漸く聞けた。リンが、だけど。
 リンが口にした言葉にミクはきょとん、とした後、少し迷うような素振りを見せて、にっこりと笑顔になる。
「ないしょ」
「ええ?」
「えええええ?」
 はっきり笑って言われたその言葉に、怒るよりも驚いた。そういう「意地悪」な発言が、とてもミクらしくないと思ったから。
「今日はね、マスターたち来るから。おめかしするんだよ!」
「おめかしって…」
「やっぱり飾りとかあった方がいいよねー? 時間ないしゴミになるだけだからとか言うんだよお姉ちゃんたち!」
「えー、そういう問題じゃないよねー」
「ねー」
 リンは理解したのか、その場のノリだけか、何だかミクと頷きあっている。
 ……一瞬、リンとまで離れてしまった気がした。
 リンは直ぐにレンに顔を向けると「行こう!」と笑顔で階段を駆けて行ったが。レンがミクを見ると、ミクも小さく頷く。
 レンは階段を上りながら、リビングへ戻るミクの足音に耳を向ける。
 「こんなに早く起きてくると思わなかった」
 「予定が狂ったわねー」
 そんな会話が聞こえて、一瞬足を止める。
 どういう意味だ。自分たちが起きてきたことがまずいのか。
 レンは頭を振り、大きく音を立てながら階段を上って行った。





「考え過ぎじゃない?」
 床に座り込んでいるレンの後ろで、そのレンの髪をときながらリンが言う。膝立ちのリンの声が僅かに上の方から聞こえてきた。
「……考え過ぎって何だよ」
「うーん…。何か、ミク姉見てたら、やっぱり深く考えてないだけかなーって」
「そりゃあの人は何も考えてなさそうだけど」
「だからさ。昨日だって…私ら誘うの忘れてた…と…か」
「…………」
 リンの語尾が少し小さくなった。レンは何も言えない。否定したい気持ちと、そう信じたい気持ちと。
「……忘れてたってのも何か嫌だろ」
「……そうだけどさ…。ミク姉たち何かほら、抜けたとこあるし」
 リンは、信じたい気持ちの方が強いのだろう。ミクを庇う発言は、最初敵視していた罪悪感からか。だからレンは…どちらにもつけない。元々ミクに対してそれほど強い感情を持っていたわけではないのだ。
「……今日マスター来るって言ってたよな」
 結局レンは話題をそらす。いや、一応繋がってる話なのかもしれないが。
 ぎゅっ、と髪を引っ張られる感覚がした。
「マスターたち、って言ってたからお父さんも?」
「だろうな。……おれたちのことどう思ってるんだろ…」
 この家に来てから一週間、結局一度も顔を合わせなかった。電話だけ一回。同棲を始めたこの家のマスターとののろけしか聞かなかった気がする。
「……できたよ」
 背中にあったリンの気配が離れた。髪を結び終わったのだろう。レンは頭に手を伸ばしてそれを確認する。
「……降りるか」
 もう着替えは済ませている。リンも髪を整えてリボンとヘアピンをつけて、いつもの格好だ。
 言った瞬間、玄関が開く音がした。
「あ」
「お父さん?」
 リンとレン、二人同時に立ち上がる。ついでにばたばたと廊下を走る音も聞こえた。
「お帰りなさいー!」
 ミクの声が聞こえる。
 二人は階段を駆け下りた。





「座って」
「……何これ」
「いいから座りなさい」
 ぞろぞろとリビングへ向かえば、いつの間にか机は端に寄せられ、ソファの位置も変わっていた。テレビに向かうように並んだソファ、3人分。父はにやついた顔でその一番端に座ると、そのままレンたちに手招きした。
「姉ちゃんたちは…?」
 父の隣のソファの前に立つ。その更に隣にリン。残りのソファが部屋の中にない。ミクたち3人はレンたちの前に突っ立ったままこちらを見ている。視線を動かせば、ミクたちのマスターの姿。台所にあった椅子を運んできて壁に向かって座っていた。そしてその前に──棚に乗せられたキーボード。布は取り去られ、汚れも綺麗に拭かれているように見える。
「……まさか」
「レン、早く座ってよ」
 気付けばリンは既にソファに体を沈みこませている。リラックスした様子に力が抜けた。
「お前何でそんな落ち着いてんだよ」
「慌てたってしょうがないじゃんー」
 仕方なく座れば、よし、と言う小さな声が聞こえた。
 ソファに座った3人はミクたちを見上げる姿勢になる。リビングはそれほど広くない。距離が近い。
「ええと…」
 中央に居るのはミク。レンから見て、その右側にKAITO、左側にMEIKOが居る。兄姉が見守る中、ミクが元気良く発言する。
「これから、リンちゃんとレンくんの歓迎会を始めます!」
 え……。
 呆気に取られているとMEIKOが続けた。
「今更って気もするけどね。でもやっぱりこういうのは必要でしょ?」
「な、何で…」
「んー…何か、いまいち馴染めてないっていうかいろいろ気にしてるでしょ」
 KAITOの言葉は直球過ぎて思わず目をそらす。そらした先に父の姿。そっぽ向いてる。そもそもこの気分は誰のせいだ。
「……ごめんね。ミクが言うまで気付けなかったんだ」
「……ミク姉…」
 驚いた。ミクはにこにこと笑っている。今度はリンの方を見てみる。俯いていた。恥ずかしいのだろう。先ほどのリンとの会話を思い出す。ああ、リンの罪悪感は増している気がする。
「でも歓迎会ったって…おれら、午後から仕事だし…」
「うん。あんまり時間ないでしょ? だけど、歌うぐらいなら出来るかなって」
「歌?」
「うん」
 そのとき、壁の方を向いていたミクたちのマスターが振り返った。目が合ってしまってどきっとする。そういえば、このマスターの顔をはっきり見るのも初めてだ。以前見たときとは少し雰囲気が違う。後ろでくくられた髪もきちんと手入れされている気がした。薄っすらと、化粧もしている。微笑まれて、慌てて目をそらした。
 そらす前に見たのはキーボードにあった数枚の楽譜。レンの位置からでもはっきり見えた。楽譜の上に、ミクの文字。
「作曲はマスターだけど、歌詞は私たちで考えたから!」
「……ほとんどミクだけどね」
「ミクの初作詞。貴重よ」
 それじゃ、とMEIKOの言葉と共にマスターが頷いてキーボードに向かう。
 ピアノ音の、伴奏。
 体を乗り出し気味だったレンも、音と共に自然と力を抜いた。
 3人の歌が響き始める。
 歌を歌う喜び。歌を聞いてもらう喜び。誰かと一緒に歌う喜び。
 全てを分かち合う人との、出会い。
 直接的ではなかったけれど、レンは理解した。
 これは、自分たちに捧げられた歌だ。




 自然と出た拍手に3人は照れたように笑った。そんな反応も新鮮だった。
「凄い! これいつ練習したの!」
 リンが立ち上がって叫ぶ。言葉にならなかったレンに比べて、リンは率直というか反応が素直だ。
「夜だよー。お兄ちゃんたちとこっそり」
「あ……」
 ミクのいたずらっぽい笑みにリンが一瞬凍る。
 ああ、そうか。そうだ。
 レンも立ち上がってリンの隣に並んだ。
「……ありがとう」
 自然に出た言葉は自分でも意外だったけど、ミクは「どういたしまして!」と的確に受け取る。
「今度……」
 レンの言葉が止まった。すぐにリンが引き継いだ。
「今度は私たちも一緒に歌いたい!」
 そうだ。初めから言えば良かった。ただ、それだけだったのだ。
「うん!」
「当たり前でしょ」
 曲はお願いね、とMEIKOがマスターに顔を向ける。マスターは微笑んで、そのまま自分たちの父に視線を移した。父が苦笑いで頷く。
 今度はホントに全員で。
「楽しみだね!」
「おお」
「うん!」
 本当に、心の底からそう思った。


 

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