家族に

 部屋の暖房はつけたまま、冷めたコーヒーの入ったコップを片づける。ミクも辺りをきょろきょろ見回しながら、机に僅かに水滴がついているのを見つけすぐさまティッシュで拭き取った。KAITOが台所から帰ってきても、落ち着かなげに部屋の中を歩き回っている。
「ミク、座ってなよ」
「うん…」
 返事はしたのに、やはり座らない。今度は部屋の入り口から廊下を覗き込んでいる。KAITOはそれを横目で見つつ自分はソファに座った。
「まだかな」
「さっき出て行ったばっかでしょ」
「……遠いの?」
「……さあ?」
 そういえば知らない。そもそもマスターを迎えに行くと言ってMEIKOは出て行ったのだ。行き先を知らない。通信しようかとも思ったが、マスターと一緒かもしれないと思って止めた。結局、二人きりのときには気を遣ってしまう。
「ねえ」
 ミクがようやくドアから離れた。KAITOの前に座り込む。ミクはソファがあまり好きでないのかどうか、床に直接座ることが多かった。KAITOの膝に手を置いて下から覗き込むようにKAITOを見上げる。
「マスター帰って来たら、何て言ったらいい?」
 言った後胸の辺りを抑えて拳を少し握り締めていた。緊張している。まるで、これから初めてマスターに会うかのうように。
「……お帰りなさい、でいいんじゃない?」
 ミクの頭に手を乗せた。最近は嫌がることも多くなってたが、ミクは大人しく「うん」と小さく頷いて目を閉じる。KAITOの膝にその額を当ててきた。
 顔を伏せてしまったミクから目を離し、KAITOももう1度部屋の中を見回した。暖房の温度は、多分これでいい。飲み物は特に用意する必要はない。あと何か必要なものはあっただろうか。
 ああ、自分も全然落ち着いてないな。
 KAITO自身も、初めてマスターを迎えるような気持ちだった。どこかでずっと思っていたのだろう。マスターは「MEIKOのマスター」だと。自分たちを作り、歌を与えてくれた人なのに。
 ……謝ったら変な顔されるだけかな。
 KAITOはソファに背を預けて目を閉じる。
 とりあえず、このまま待てばいい。
 だがマスターの帰りよりも早く、突如入ってきた通信にKAITOは驚いて身を起こした。





「……いらっしゃい」
 KAITOのその優しげな声が聞こえるまで、ミクはただ目を丸くして固まっていた。目の前に見える黄色い頭の二人。ちょっとだけ男の子の方が背が高いんだ、とそんなどうでもいいことを考える。二人は僅かに緊張気味で、そしてどちらもミクの方に視線を向けていた。
「いらっしゃい、じゃないわ」
 その二人の奥からMEIKOの声が聞こえる。顔を上げると目が合った。
「お帰りなさい、よ」
 MEIKOが二人の頭にぽん、と手を置く。
「二人にもね」
 頭に手を乗せられた二人は僅かに俯き気味で、ミクたちの反応を探るように上目遣いに見つめてくる。ミクは一瞬意味が理解できなくて、首を傾げそうになったとき、リンが言った。
「……ただいま」
「え」
「お帰り」
「え」
 KAITOの言葉が変わる。
「ええええええ!?」
 驚きの声を上げたミクに対し、双子はやはり不安げな眼差しのままだった。





「これ、ここ置いといていいのか?」
「ああっ、待って! 持って行く! でもちょっと待って!」
「私持ってくよー。ミク姉、どこに置いたらいい?」
「え、えと…ま、待って!」
 混乱しながら叫んでいるミクに双子は大人しく待っている。僅かに面白がるような様子も見えるが、まあそれぐらいは当然か。ばたばたと廊下を走るミクを邪魔にならないよう階段脇で眺めながらMEIKOは通信を開く。繋いだ瞬間、相手から先に言葉が来た。
『もう着くよ』
『……随分遅かったじゃない』
『全部まとめてたら時間食っちゃった』
 全部?
 MEIKOは階段下を振り返る。MEIKOの部屋とミクの部屋の往復を繰り返しているミクを横目で見ながらMEIKOはそのまま階段を下りた。玄関を開けようとして、その脇のガラスに僅かに影が映ったのに気付く。
 扉を開けると、大荷物を持ったKAITOの姿があった。
「……全部ね」
「全部。まだ出来て一週間ぐらいって言ってたけど、いろいろ揃えて貰っ てるよ」
 KAITOの抱えた荷物には机や椅子まで含まれている。きっちり2人分。リンとレンの、自宅にあった私物だ。KAITOの力なら重量的には問題ないのだろうが、よくもまあ落とさず抱えてきたものだと少し呆れる。ロープでぐるぐる巻きにされた家具や荷物を覆うシートに、MEIKOは動く気にもなれない。
「……とりあえず…下ろして」
 どこに、とは言わなかった。このまま玄関には入れない。玄関から門までの距離はほとんどない上に段差がある。全て下ろすのは不可能だ。KAITOも漸くそれに気付いたのか、辺りを見回して困ったような顔を浮かべた。
「……一個ずつ上から取るとか」
「崩れるでしょ、どう考えても」
「だよね…」
 KAITOはもう1度外を見て、今度は玄関からも見える階段に目を向けた。
「鏡音姉弟は?」
「まだ片付け中。ミクの部屋完全に開けないと運び込めないわよ」
 2階は3部屋しかない。それぞれMEIKO、KAITO、ミクの3人で使っていた。鏡音姉弟はこれからミクの部屋に入る。ミクが、代わりにMEIKOの部屋に移ることになっ た。
 KAITOはしばらく沈黙して考えているようだったが、やがてぽつりと言った。
「……待ってる」
「……わかった」
 別に放置していても問題はないだろう。動かなければ荷物を落としてしまうこともない。そう思って再び2階へ向かいかけたとき、レンが降りてくるのが見えた。
「あっ、KAITO…KAITOさん…! ちょっと待って、すぐ行くから!」
 KAITOの大荷物に一瞬ぎょっとしたように足を止めたレンだったが、直ぐに笑顔で駆け下りてくる。KAITOの荷物に手を伸ばすレンを見ながらMEIKOは聞いた。
「上は? もう終わったの?」
「まだ。でももう運べるよ。ってかMEIKO…さんも手伝って!」
 名前が不自然に途切れる。元は呼び捨てしてたのだろう。まあテレビや雑誌で見る相手に敬称をつけないのは普通のことだろう。レンたちの場合、親がそう呼んでた影響もあるのだろうが。
 一応さん付けはしようとしているレンに、それでも気になってMEIKOは言った。
「MEIKOでいいわよ? もしくは姉さん」
「ええ?」
「あ、そうね。あんた弟なんだからお姉さんがいいわ」
 自然と口にしたあと気付いたようにMEIKOは言う。
 弟。
 そんなこと考えてもなかったが。だけどミクは二人を弟妹だと主張している。二人もミクのことをミク姉と呼んだ。ならば自分たちはその更に上だ。姉さんで何の問題もない。正直…さん付けも呼び捨ても何だかおかしな気はする。
 MEIKOの言葉に一瞬ぽかんとしていたレンだったが直ぐに嬉しそうに頷く。
「じゃあMEIKO姉ちゃん。で、えっと…」
 レンはKAITOの方に目を向ける。KAITOは笑顔で言った。
「兄貴でいいよ」
「兄貴!」
「……ちょっと待って」
 何だか酷い違和感があったので思わず止める。だが二人にはきょとんとした顔を向けられただけだった。まあ…レンがいいならいいのか。
 KAITOも男の兄弟が出来たのが実は嬉しいのかもしれない。
「レンー、荷物来たの?」
 そのとき更にリンが2階から降りてくる。レンと同じようにKAITOを見て一瞬足を止めて、また笑顔になった。
「すごーい! KAITO兄凄い! それ凄い!」
 はしゃぐリンはごく自然にKAITOを兄と呼んでいた。少し心配していた顔合わせだけど、本当に何の問題もなかったようだ。
 KAITOが荷物を下ろす。道路側にはみ出たものを双子が急いで運び始めた。MEIKOも手伝いながら、並んだKAITOに声をかける。
「マスターのこと聞かないのね」
「え?」
 MEIKOはただ鏡音兄弟が一緒に住むことになったと。それしか伝えなかったの だ。
 何を問うこともなく受け入れたKAITOだったが、信頼されているというよりは何だかどうでもいいことのように思われている気がする。案の定、KAITOは言った。
「……忘れてた」
「……あんた今日ちょっと説教していいかしら」
 惚けた弟は、えーと不満げな声を上げながらも何故か頷いている。
 マスターは、多分また帰ってこなくなる。だけどこの先、連絡は取りやすくなるだろう。マスターが居るのはリンたちの家。ここから、そう遠い距離じゃない。電話だってある。
「お兄ちゃん! タンス動かすの手伝ってー!」
 部屋に入れば、ミクがタンスにしがみついたまま泣きそうな声で叫んでいた。そんなに慌てるものでもないと思うのだが今日のミクは妙にせわしない。
 KAITOは荷物を下ろし、手伝おうとしてふと動きを止める。
「……これ、姉さんの部屋に入れるの?」
「無理よ。ミク、中だけ出して私の部屋のタンスに入れなさい。どうせ大して入ってないでしょ」
「あ、そっか」
 ミクもまた、双子が来ることは素直に喜んでいた。KAITOよりは多少戸惑いを見せていたが、ミクにとって「よくわからない」は日常茶飯事なので流してしまったのだろう。こちらははっきりと兄姉に対する信頼だと思う。
 服を抱えたミクがMEIKOの隣を通り過ぎるとき、少し足を止めて言った。
「マスター、帰ってくるよね?」
「え?」
「まだお帰りなさい言ってない」
 ちゃんと言うから!
 そう言ってミクは部屋に駆けて行く。何だか吹っ切れた感じだった。MEIKOは何となく、タンスの前に突っ立ったままのKAITOに目をやる。
 挨拶には行かせよう。
 お帰りなさいじゃなくてもいいのだ。二人がマスターを、自分たちのマスターだときちんと認識してくれればそれでいい。
「KAITO兄ー! 車来たー!」
「棚が邪魔! 何とかしてー」
 階下で双子の声が聞こえる。最初の声はレンだった。兄貴は止めたのだろ うか。
 駆け下りていくKAITOが、ミクと同じようにMEIKOの側で足を止める。
「騒がしくなりそうだね」
「……ホントにね」
 ミク以上に元気な鏡音姉弟。
 一気に増えた家族にため息をついて、それでもMEIKOは自然笑顔になっていた。


 

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