その行動の目的は

 勢いよく開いた扉からレンは全速力で駆け出した。反動で同じくらいの勢いで戻る扉を今度はリンが蹴り飛ばす。
「ちょっとレン、待ってよ!」
 走り始めが速かったレンにリンはなかなか追いつけない。聞こえてはいるだろうに、レンはスピードを全く緩めなかった。そしてリンはもう1度叫ぶ。
「あんた道知ってるのー!?」
 レンの足が止まった。





「私が……?」
 ミクの言葉を、頭では理解したのに納得がいかず首を傾げる。ミクはベッドの上で上半身だけ起こした状態でシーツを握り締めていた。MEIKOの反応をうかがうように上目遣いに覗き込んでくる。
「うん……。さっき気付いたんだけど」
 『気になるのはマスターではなく、マスターと居るときのMEIKO』
 MEIKOはもう1度ミクの言葉を頭の中で繰り返す。マスターが居ると妙に避けるような態度を取るミクとKAITO。それは、マスターのせいではないとミクは言う。考え込んでしまったMEIKOに、ミクは慌てたように手を振った。
「あ、でも、私が勝手に気にしてるだけだし! わかんない…よ」
 語尾が消える。何と言っていいかわからないのだろう。そんなミクの頭に手を乗せるとMEIKOは優しく微笑む。
「ありがと。私もちょっと考えてみるわ」
 ああ、何と言っていいかわからないのはこちらも同じだ。自分が混乱していることにMEIKOは漸く気付いた。それでも不安を抱かせないよう表情は変えずに部屋を出る。同時にほとんど無意識に通信を開いていた。
『KAITO』
『何? 姉さん』
 答えは早かった。ずっとこちらを気にしていたのだろうか。MEIKOは階段で立ち止まるとそのままそこに座り込む。
『あなたが気になるのも私?』
『……いきなりだなぁ。ミクが何か言った? マスター絡みのことなら、そ うだよ』
 MEIKOの言葉を待たず一気に言い切るKAITO。会話の予想もしていたのだとそれでわかる。
『マスターと居るときの私、何か変?』
『いつもの姉さんじゃないのは確かだね』
『どういうことよ』
『…………姉さんさ』
 KAITOが躊躇うように間を置いた。MEIKOは黙って続きを待つ。
『ホントはおれたち、マスターに近づけたくないって思ってない?』
『な……』
『近寄りがたいってのはそういうこと。拒絶してるのは姉さんだよ』
『……………』
 言葉が出なかった。MEIKOは通信を開いたまま階段を駆け下りる。リビングへ向かおうとして、その前に廊下に目当ての人物が立っているのに気付いた。
「KAITO…」
「……言うべきかどうかわからなかったけど。聞かれちゃったから」
 KAITOは少し笑っていた。苦笑い、だろうか。柔らかい空気のKAITOに少しほっとする。
「……さっきの話だけど」
「あくまでおれはそう思うってことだよ。おれだって気にしてるんだから」
「何を」
「おれが出来てからでしょ。マスターが家に帰ってこなくなったの」
「ああ……」
 ああ……。
 MEIKOは思わず力が抜けてその場に座り込んだ。
 そういうことか。
「ね、姉さん?」
 KAITOが驚いて駆け寄ってくる。MEIKOは少し笑いたくなった。
 マスターのために生み出され、マスターのために歌っていたMEIKO。だけど、KAITOが出来てからそれは確かに減った。MEIKOは外に出るようになり、他の誰かのために歌うことも多くなった。そしてマスターは帰ってこなくなった。そうだ、だからMEIKOは確かに思っていた。KAITOが居るから帰ってこないのかと。ミクが居るから家に居着かないのかと。普段は二人が側に居て楽しいから、そんなことは考えない。考えるとしたらそれは…マスターが帰ってきたときで。
「あのねKAITO」
 心配げにMEIKOを覗き込むようにしているKAITOにMEIKOは笑って言った。
「ごめん!」
「え?」
「あんたが気にしてるとか思わなかったわ。マスターのこと興味ないのかと思ってたし」
「あんまりないけどね」
「……まあともかく。その辺は誤解よ。KAITOたちが居るからマスターが帰ってこないわけじゃない」
 帰れなくなるから、マスターはKAITOを作ったのだ。
 MEIKOが「寂しく」ないように。
 実際にMEIKOが寂しさを感じることなどなかった。ただ一つ、今の楽しさに紛れてマスターとの時間を忘れるのが怖かった。二人だけで居た頃の懐かしい時間。だからマスターと居るときのMEIKOは、どこか必死だったのかもしれない。
 そう言うとKAITOはまた笑った。優しい笑みだった。
「まあ姉さんにとってマスターは特別だからね。そうだね、おれも何か邪魔しちゃいけないって思ってたかも」
 KAITOの言葉は多分本当だろう。それは「マスターのために」作られたMEIKOと、「MEIKOのために」作られたKAITOの違いだ。
「……で、そのマスターは? まだ帰ってこないの?」
 KAITOが玄関へと目を向けた。そうだ、出て行ってからもう随分時間が経っている気がする。
「……私、迎えに行って来るわ」
「え、どこ行ったか知ってるの」
「今日はね。目的があるのよ」
 あの双子のこと。
 MEIKOはそれは口に出さずそのまま外へと向かう。マスターは心当たりがあると言っていた。あの双子を作った人物に。そもそも家に泥棒が来たときから予想はしていたらしい。そういえばミクはその泥棒に会っている。ミクの語ったその姿が、何かを思い出させたのかもしれない。
 MEIKOが靴をはいているとKAITOがいつものように見送りの位置に立つ。
 同時にどたどたと音が響き、ミクが階段から降りてきた。
「いってらっしゃい!」
 KAITOの隣に立つと片手を上げて声をあげる。話は聞いていたのかもしれない。先ほどとは違う明るい笑顔にMEIKOも安心した。
「いってきます」
 マスターが与えてくれたものに間違いはない。MEIKOはそれも実感した。





「ねー。一度家帰ろうよー」
「…………」
 当てもなく歩き続けるレンの後ろでリンが疲れた声を上げる。レンが全く言葉を返してこないのでずっと独りで喋っている状態だ。こうなったら自分だけ帰ってしまおうか、そうしたらレンも歩くのを止めるだろうか。そんなことを考えていたとき、唐突にレンが足を止めた。
「え、どうしたの」
「ここ」
「ん?」
 レンが足を止めた場所には何もない。だが辺りを見回してようやく、以前ミクに会った公園がそこにあるのに気付いた。せめて視線を向けてくれたらわかるのに。
「あーあのときは変な人だと思ったよねー。一緒に雪合戦したっけ」
「…………」
「……だから何か言ってよ」
 リンは思わずレンの足に軽く蹴りを入れた。レンはそこで大きくため息を つく。
「おれ、馬鹿だな」
「何で」
「おれたち、馬鹿だな」
「その言い直し何よ」
 いきなり自分も含められてリンは唇を尖らせる。レンはさらに続けた。
「っていうか父さんが馬鹿だ!」
「……それは確かに」
 先ほど家に帰ったとき。尋ねてきてたのは何とミクたちのマスターだった。話し合いをしている部屋には入るに入れず、立ち聞きをして……真相を知ったのだ。
 ミクたちは敵だと煽ってきた父の意図はただ……相手のマスターの目を自分に向けさせることだった。
「……そんな理由で生み出されたとか馬鹿じゃねぇ?」
「私たちが生まれたのはファンのため! それに……いいんじゃない、恋のためってのも」
「どっちだよ」
 ミクたちのマスターが女性だということさえリンたちは知らなかった。音楽家、科学者、変人、と伝えられる要素からは何故か想像できなくて。
「で、あの二人上手くいくと思う?」
「……そっちの話になるのかよ」
 話を聞いたあと、レンは家を飛び出した。それはミクたちに会いに行くためだった。同じことを考えたリンもわかる。ただ、会ってどうするのかまではリンも、そして多分レンも考えていなかった。ただミクに会わなければと思ったのだ。だけど。
「なーんかね、あっちは謝っても首傾げられそうだし」
「……鈍そうだったしなー」
 ミクの家に行くのを諦めてその場で会話をしていると、ふと通信に何かの雑音が入った。リンが顔を上げると少し遠くにこちらに向かってくる女性の姿。露出の多い赤の服。綺麗な人だと思って思わず眺めているとレンがリンの服を引っ張って きた。
「何」
 小声で言うとレンは通信で返してくる。
『真冬にあの格好、おかしくねぇ?』
 言われてもう1度その女性を見る。確かに。まさか。
 リンが結論付ける前に女性がこちらに気付いた。
「あら……あなたたち」
 雑音が入る。ミクたちと私たちは、通信の相性があまり良くない。
「鏡音姉弟ね」
 雑音の中も、女性の声はよく響いた。


 

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