対立したいわけじゃない

「お疲れさまでした」
「お疲れ様でしたー。ありがとうございました!」
 元気良く頭を下げるリンの隣で、レンも一応会釈を返す。何となく、リンほどに愛想を振りまくのは恥ずかしい。それでも頑張って笑顔を作ってみると、プロデューサーも笑いかけてくれた。それじゃ、と軽く手を上げて去っていくプロデューサーを見送って、リンと二人で顔を見合わせる。
「……大丈夫だったかな?」
「おーけーおーけー! 印象ばっちり!」
 ぐっと親指を立ててリンが楽しそうに頷く。
「でも、もーちょっと明るくしてもいいんじゃない?」
 顔こわばってるよー、とリンがレンの頬を引っ張ってきた。やめろ、とそれを振り払ってリンから逃げる。
「お前だけで十分なんだろ、そういうのは」
「うーん、でも実際やってみるとねー」
 両腕を伸ばしてリンがちょっと上を見上げてみせる。考えているらしい。その辺に関しては一応親──自分たちの作り手──とも相談したのだ。売り出すためのキャラ作りについて。結局は、下手なことをするより素のままでいった方がいいということになったはずだが。そもそもレンはそういう点あまり器用ではない。笑顔を作るのすら苦労したのだ。短気な性格でもあるので、今回関わったスタッフに嫌な奴が居なかったのは本当に幸いだったと思う。初仕事で問題を起こすわけにはいかない。
「あ」
 楽屋に向かって歩いているとき、レンは遠目に見えた少女に気付いて声を上げ た。
 きょろきょろと辺りを見回す。長い廊下に並んだ楽屋。自分たちの部屋はまだ遠い。後ろにはちょうど入ってきたばかりの曲がり角がある。
「リン、こっち」
「え、何なに?」
 考え事をしていたからか前を見て居なかったのだろう。まだ気付いてないリンの服を引っ張って角に引きこむ。そのまま下の方から目だけでその少女の姿を追った。
「何よ」
 リンが後ろから小声で問いかけてきた。隠れている、というのは理解したらしい。レンは少女が楽屋に入っていくところまで見届けてから、その問いに答える。
「ミクだ」
「……え、あの初音ミク!? …あっ」
 大声を出したリンはすぐさま自分の声に気付いて口を閉じる。レンは無言で頷い た。しばらく見詰め合ったあと、リンが少し真剣な表情になった。
「……どうする?」
「……どうするかな」
「一人だったの?」
「いや、誰か居たけど楽屋に入ったのはミク一人だ」
 ミクの背後に居た男を思い返す。おそらくスタッフの一人だと思う。ミクと行動していることの多いKAITOなら、そのまま一緒に部屋に入ったはず。何よりマフラーはなかった。
「そっかー。初仕事で早くも遭遇かー」
 リンが口元に手を当てた。抑えきれない笑みがその隙間から漏れていた。レンはそれにちょっと笑う。
「……やるか?」
「ね、どの部屋入ってった?」
 レンの問いには答えずリンが聞いてきた。レンはもう1度廊下を覗き込むと先ほどミクが入った位置を確認する。
「おれたちの楽屋の隣の隣。おれたちの方が手前」
「じゃあとりあえず中入って相談ね!」
 リンがレンを追い抜いて小走りに楽屋へ向かった。ちょうどすれ違ったスタッフに笑顔で挨拶をしている。
 好印象なんだろうなーあれ。
 その後ろを追いかけながらレンは思う。
 そういえば、ミクも挨拶はよくする子だと言われていた。今日仕事をしたスタッフからの言葉だが。マスコミ側はレンたちとミクとの初対面についてもいろいろ考えているらしい。実際にはちょうど昨日、レンたちはミクと会っているのだが。あのときはレンもミクのことを知らなかった。いや、存在は知っていたが顔を知らなかったというべきか。よく考えればわかることだったのに。あとからやってきた男も、ミクがお兄ちゃんと呼んでいたことから考えてKAITOだろう。何より青いマフラーをしていた。それも、知っていたはずなのに。
 失敗した。
 昨日の夜ニュースでミクの姿を知ってそう思った。だから。今度こそは。






 畳敷きの楽屋は気持ち良い。
 ミクはごろごろと寝転がりながらそう思う。置いてあった机は真っ先に壁に寄せた。今日の楽屋は結構広い。思う存分転がれるのが楽しくて夢中になっていたせいか、ノックの音に気付くのが遅れた。
「居ませんかー!」
「あ、はいはーい!」
 ごんごん、と強めのノックと呼びかける声が大きく響いた。慌てて起き上がったミクは、扉へ向かおうとして鍵をかけていないのに気付く。
「いいですよー」
 そのまま入ってこれる、という意味でそう叫ぶとしばらく間があったあとドアが静かに開いた。
「あ!」
 そこに居た見知った顔に思わず声を上げる。少女と、それから少年が続いて入ってきて、二人は後ろ手にドアを閉めた。かちゃ、っと小さな音がしたが何の音かはわからない。それよりもミクは驚きのあまり思わずその場に立ち上がっていた。
「どうしたの!? 何でこんなところにいるの」
 近寄ると二人は顔を見合わせる。先に答えたのは少女の方だった。
「初めまして! 鏡音リンと言います! こっちは弟の鏡音レン。弟と言っても双子なんで同い年です!」
 元気が良い。大きな声が耳に響くが、不快ではなかった。「初めまして」の言葉に疑問を覚えつつもミクは同じように張り切って返す。
「私は初音ミク! リンちゃんとレンくんだね。よろしくね!」
 そういえば昨日は結局名前は聞かなかった。あのあとやってきたKAITOに何故か全員で雪をぶつけて、二人は逃げるように去って行ってしまったから。ミクはとりあえず二人を座らせようと奥に引っ込み手で畳の上を示す。
 だが双子はその場から動かず、更にミクにとって驚きの言葉を吐いた。
「はい。ボーカロイドの後輩ですのでよろしくお願いします!」
「ぼ…ボーカロイド!?」
「はい!」
 ミクの反応にリンがにやけた。何を考えているのかはわからない。考える余裕もない。
「え、でもボーカロイドって…え?」
「ミクさんと同じバージョンです。つい一週間前に完成しました」
「ええー……」
 とりあえず声だけ出しながらミクは必死で考えていた。難しい話ではないのに、頭が混乱する。
「でも、お兄ちゃんたち、何も…」
「ミクさんを驚かせようと思って」
 上がっていいですか、の言葉に頷きながらミクはKAITOへの通信を開いた。とりあえず聞いてみようとしたのだが、何故かノイズが酷くて繋がらない。あまりのうるささにミクはそのまま切ってしまった。
 まあ……帰ったら聞けばいいや。
 そう思ってミクはとりあえず目の前の双子に意識を集中する。
「じゃあ、えっと…ひょっとして、私の妹になるのかな…?」
 おそるおそる尋ねてみるとリンは一瞬驚いたように固まった。だが、それも気のせいかと思うほど素早く笑顔になって頷く。
「はい! あ、じゃあミク姉って呼んでいいですか!」
 手を取って下から見つめられる。ミクも嬉しくて何度も頷いた。
「あ、レン。あんたも来なさいよ」
 気付けばレンはまだドア近くに立ったままこちらを見ている。入ってこれない雰囲気だったのだろうか。ミクは笑顔で一生懸命手招きをする。こっちは弟だ。そうだ、ミクはお姉ちゃんなんだ。
 レンは無理矢理笑顔を作っているような、固い表情のまま、それでも中に入ってリンの隣に座った。そしておもむろに右手に下げていた紙袋から何かを取り出す。
「? 何?」
「あ、そうだ。ミク姉にこれ」
 答えたのはリンの方だった。レンが手にしてたものをそのまま奪い返してこちらに見せてくる。
「……みかん?」
「正解です!」
 見たことはあった。テレビアニメで、だが。これが本物かとまじまじと見つめていると、リンはミクの目の前でその皮をむき始める。
「これをこうしてですねー……あっ!」
「ひゃっ……!」
 見つめていると突然オレンジの汁が飛んできた。目に直撃して思わず目を閉 じる。
「ああっ、大丈夫ですか!?」
「だ、大丈夫……」
 瞬きしてみるが、視界がぼやける。何か拭くものはないかときょろきょろしていると突然目を誰かにこすられた。
「な、な」
「すみません、拭いてますから今!」
 何やらリンの声が楽しげなのは気のせいだろうか。ああ、リンも姉に会ってテンションが上がってるのかもしれない。
「終わりました!」
 目を覆っていた何かが離れていった。確かに視界はすっきりしている。だけど何で拭いたのかはわからなかった。既にリンは手に何も持っていない。
 あれ、みかんも仕舞っちゃったのか。
 畳の上にも何もない。ミクが戸惑っていると、レンがまた何かを取り出した。
「こんなのもあるんだけど」
「ええと、それは……」
 レンはやはりテンションが低い。きっと恥ずかしいんだ、と勝手に結論付ける。ずいっとミクの前に差し出したのは、白い液体の入ったビンだった。ラベルも何もない。だけどミクは自分の知識を総動員させて答え る。
「牛乳!」
「はい正解」
 レンは軽く流して蓋を開けた。飲むのかと思えばミクに向かってつきつけて くる。
「え?」
「牛乳飲んだら胸大きくなるって知ってる?」
「え?」
「え?」
 ミクと同時に何故かリンも反応した。レンが呆れた顔でリンを見る。リンは慌てて目を逸らしていた。
「ミク姉に飲んで欲し……あっ」
「ああっ」
 レンが差し出した牛乳は微妙に傾いていたため中身がこぼれだし…それに慌てたレンは思わずビンから手を離した……ようだった。
「うっわー」
 ミクのスカートから畳に向かって、牛乳が広がる。慌てて立ち上がったが逆に牛乳を撒き散らす形になってしまった。
 ……どうしよう。
 慌てかけたミクはちらりと見たレンの表情に動きが止まってしまう。
「レンくん…」
「ごめんなさい……」
 俯いて、唇をかみしめて。
 ああ、怒られると思ってるんだ。ミクはともかく、畳にこぼした牛乳はこのままにしておけない。
「……スタッフの人、怒るよね」
 リンもしゅんとなって俯く。ミクはそんな二人を元気付けるように大声を出す。胸の中に湧き上がってくるこの熱い気持ちは何だろう。
「大丈夫! 気にしないで。私がやったことにすればいいから!」
「え」
「え、でも」
「お姉ちゃんに任せなさい!」
 これが言いたかった。
 ぽかん、とする双子に満足げに頷く。服や部屋が汚れたことより、これからスタッフに怒られるかもしれないことより、これが言えたことが嬉しい。
 双子は気まずそうだったが、失敗の直後だから当然だろう。
「またねー!」
 帰っていく双子を手を振って見送る。
 とりあえず、兄には連絡しなければならない。
 ノイズは、少しずつ小さくなっていた。






「KAITO、聞いてる?」
「あ…あ、うん、ごめん」
 MEIKOのイラついた声が耳に入り、KAITOは慌てて視線を戻した。左耳に当てていた手を不自然にならないようゆっくりと下ろす。通信が入ってきた気がしたのだが、微かな雑音が聞こえるだけでわからない。それもすぐに切れた。今はとりあえず話に集中するべきだろう。二人はMEIKOの部屋でそれぞれ椅子とベッドに座って向かい合ってい た。
「……盗まれた、って言ったよね」
 先ほど聞いたばかりの言葉を繰り返す。MEIKOが頷いて話が元に戻った。
「ええ。ミクの設計図だけね。KAITO、覚えてる? 前にこの家に泥棒が入ったときのこと」
「ああ……」
 それほど昔のことでもない。ミクが泥棒に遭遇して、ネギを貰っていたのだったか。大したものは盗まれていないと言ってたはずだが……。
「……あのとき盗まれたんだ」
「……マスターの部屋のものはね。私もよくわからないのよ」
 一応マスターにも確認はしてもらったはずだ。ただそれは口頭だったため実際はほとんど伝わっていなかったのだろう。泥棒が入ったことを告げても、マスターはすぐには帰って来なかった。
「じゃあ、あの鏡音って…」
「盗んだ奴か、盗んだ奴が誰かに売ったかしたかで」
 とにかく、マスターが作ったものじゃないのよ。
 MEIKOの声には間違いなく怒りが滲み出ていた。あれからマスターを探し、問い詰め、この結論が出るまで不安で仕方なかったのだろう。
「基本はミクと同じなんだ?」
「そうね。詳しくは実際見てみないとわからないだろうけど」
 MEIKOはちらりと自分の手元に目を落とす。そこには今日発売の雑誌が握られていた。鏡音兄弟が特集されている。既に大きなスポンサーが付いているのだろう。
「……どうするの?」
 MEIKOの怒りや不安にはいまいち共感は出来ない。だけどMEIKOが選んだ答えにはおそらくKAITOは乗ることになるだろう。KAITOは昨日会ったばかりの双子を思い返す。公園で漸く見つけたミクはその二人と雪合戦をしていて、何故か巻き込まれた。というか一方的に攻撃を受けた気がする。
 笑いながら雪玉をぶつけてくる二人には悪意を感じず、ただの悪ガキにしか見えなかったしミクは二人と一緒に居て楽しそうだった。だけど、お互いの立場を知ったときどうなるのかはわからない。
「別に悪い子たちには見えなかったけどね」
 それでも一応それは伝えておこうと思った。KAITOの印象などあてにはならないかもしれないが。MEIKOはKAITOの言葉を聞いても考え込むような姿勢を崩さない。聞いてないわけではないだろうと思い、KAITOはそのままMEIKOの言葉を待った。
「……この前ね」
「うん?」
「ミクが風邪引いたでしょ」
「あー……」
 ウイルスにやられたときのことだ。もう自分たちの間では「風邪を引いた」という認識になっている。人間に置き換えれば、それで間違いないだろう。
「あれもね…。ミクの機能を知り尽くしている人なら……」
「…………」
 どうなのだろう。
 KAITOは一体どこまでが「普通の人では知りえない情報」なのかわからない。自分たちの構造だってよく知らないのだ。設計図など見ても全く理解できないだろう。ただできること、できないことを知っている。それで十分だと思っているから。
「この二人に悪意があるのかどうかはわからないけど。なるべく、ミクには近づけさせないようにね」
「……そんなに、」
「何?」
「いや……」
 KAITOの目はMEIKOの持つ雑誌を見ていた。そんなに、気にするほどのことなのだろうか。
 双子と遊んで楽しそうにしていたミクの姿を思い出す。
 悪意があるかどうかなら、直接聞いてみればいい。
 MEIKOには言わずKAITOは頭の中だけでそう決心する。悪いマスターの元に居るのなら、何とかしてやらなきゃいけないし。
 KAITOは知らず知らずの内に双子を「自分たちの仲間」と判断している。ボーカロイドに対する仲間意識は、多分3人の中で一番強いのだ。
「さあ、わかったらあんたはミクのとこ行ってきなさい。今日からはまたしばらく一緒に行動するのよ」
「わかった」
 局に行けば、双子と会う機会もあるかもしれない。どうせミクが仕事中は暇にな る。
 KAITOがMEIKOの部屋を出て外に向かう途中、ミクから通信が入る。
『ミク?』
『あ、お兄ちゃん! やっと繋がった! 何で言ってくれなかったの?』
『え?』
『リンちゃんとレンくんのこと。私たちの妹と弟なんでしょ?』
『ミク…』
『さっきね。楽屋に挨拶に来てくれた! 私、ちゃんとお姉ちゃんしたんだよ!』
 嬉しそうに話しているミク。KAITOも自然笑顔になった。
 やっぱり、心配することはないかもしれない。


 

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