現れたのは見知らぬ双子

「うわぁ……」
 朝起きて、姉たちへの挨拶もそこそこに外に飛び出したミクは一面に広がる銀世界に言葉もなく立ち尽くした。裸足のままそろそろと歩く。自分の体が沈んでいく感じが楽しい。雪の冷たさと柔らかさに感動して、そのまま道路の雪にダイブした。体が埋もれる。雪の感触が心地良い。朝日にきらきらと光る雪が眩しい。
 しばらくそうして埋まっていると、外に出てきた兄が慌てたように駆けつけ てきた。
「何やってるんだミク!」
「あ、お兄ちゃーん」
 寝転んでいるからか、半分夢見心地だったせいか、何だかのんびりとした声が出る。そのまま目を閉じそうになったところをいきなりKAITOに引っ張り上げられた。片手を持ち上げられたミクが不満げな顔を向ける。
「もうちょっと」
「馬鹿。車が来たらどうするんだ」
 KAITOの口調がちょっと怒っているのに気付いてミクは口を閉じた。確かに。あまりに普段と違う景色に車が来ることは全く考えなかった。ミクは反省してごめんなさい、とだけ謝ると掴まれた腕を振ってKAITOから逃れる。そのままさくさくと道路を走り始めた。
「ミク!」
「大丈夫! 車が来たら逃げるから!」
「ミ、」
 兄の言葉が半端に途切れた。走りながら振り返ると雪に埋まっているKAITOの姿。転んだらしい。ミクはおかしくなって笑いながら走り続けた。前日に天気予報を見て、雪見たさに早起きしたのだ。仕事の時間まではまだ間がある。雪は解けてなくなってしまうものだと聞いたから、出来るだけこの景色を見ておきたかった。




 走り続けて数分。ミクはようやく足を止めた。KAITOが追ってくる気配はない。まいたのか諦めたのか。通信が来てる気もしたが、ミクは気にしないことにした。常に持たされている携帯も、電源は切ってある。
「あれ……」
 気付けば公園に辿り着いていた。雪に埋もれた遊具。人の姿は見当たらない。朝早いしね、と思いながら足を踏み入れると木の影になった場所に子どもが居るのを見つけた。木にもたれかかって俯いた少年は足で雪を蹴り上げていた。いつからそうしているのか、少年の周りだけ雪が妙に少ない。
「ねえ」
 思わず話しかけたミクに、少年がぎょっとしたように振り返った。ミクの姿を上から下まで眺めて、そのまま視線が止まる。ミクは少年の視線に合わせて自分の足元を見下ろし、初めて自分が裸足だったのに気が付いた。服装はいつものノースリーブ。これは、冬に人間がする格好じゃない。
「……寒くねぇの?」
 少年は僅かに引きつった顔でそう言った。ミクのことは知らないらしい。ミクは頷いたあと、少年もまた、半袖半ズボンという冬に相応しくない格好をしていることに気が付いた。
「君もこんな格好で……」
 思わず手を伸ばす。少年の腕に触れると少年は驚いたように後ずさった。
「ほら、冷たい! 駄目だよ、風邪引くよ」
「あ、あんたの方が冷たいだろうが! 何だよその手! 風邪引いてるとかってレベルじゃ、」
「それは私がボーカ…」
「レンー! お待たせー!」
 二人の言い合いを遮ったのは背後からの元気な声だった。公園の入り口辺りから聞こえてきたその声に思わず振り向く。目の前の少年以上に薄着の少女が右手に持ったコンビニの袋を振り回しながら駆け込んでくるところだった。ミクはぶつかりそうになって慌てて避ける。少女は止まりきれず、咄嗟に前に出した袋が少年に激突していた。うわー、と思わず声を上げそうになったミクだが、少年は倒れることもなく鼻をちょっと押さえただけで軽く目の前の少女を睨む。
「ああっ、ごめんっ! 大丈夫? 潰れてない!?」
 少女は少年に謝りながら、それでも覗き込んだのはコンビニ袋の方だった。
「どっちの心配してんだっ! お前少しは力抑えろよっ」
「抑えてるよ! でも急げって言ったのレンでしょー!」
「普通でいいんだ、普通で!」
「普通って何よ、私は普通に急いだの!」
「お前の普通はおかしいんだよ!」
 喧嘩が始まってしまったのを見て、ミクはこれは仲裁するべきなのかどうか悩む。喧嘩には放っておいてもいい喧嘩と悪い喧嘩があると姉から聞かされたことがある。男女の喧嘩は放っておいてもいい確率が高かったはずだ。この場合どうだろう、ととりあえず半端に伸ばした手をふらふら彷徨わせていると、少女の方がミクに目を向けてき た。
「……誰?」
「知らねぇよ」
 即答したのは少年だった。そういえば自己紹介をまだしていない。ミクが声を出そうとするが、少女はすぐに興味なさげに目を逸らす。
「変な人と知り合ってる場合じゃないでしょ、もういいから早く帰ろ。お父さんに怒られるよ」
「まだ寝てんだろ。せっかくなんだからもうちょっと遊ぼうぜ」
「でも、」
「明日になったら時間なくなるんだし、今日ぐらい許してくれるだろ」
「お金勝手に使っといてー?」
「明日からおれらが稼いでやるんだろ」
 二人の会話を聞きながらミクが突っ立っていると少年がもう1度ミクに目を向けてきた。
「あんたいつまでそこに居るんだよ。風邪引くぞ」
「そ、それはそっちも、」
 急に振られて少し慌ててミクが返す。そうだ、そういえば服装の話をしていたのだったか。二人はミクから見ても子ども……おそらく中学生ぐらいだと思うのだが、こんな朝早い時間に子どもだけで居るのもよく考えたらおかしい。先ほどの「お父さんに怒られる」「お金勝手に使っといて」の言葉も思い出し、ミクは妙な義務感に目覚めて言っ た。
「それより二人とも勝手に家出てきたの? お父さん心配するでしょ。早くおうちに帰りなさい」
 あ、最後の言葉はお姉さんぽい。
 ミクは自分の言葉に満足して一人勝手に頷くが少年たちは冷めた目で見上げてくるだけだった。
「うるせぇな。いいんだよウチは」
「そーそー。お姉さんこそそんな格好で出て怒られるんじゃない?」
「う……」
 それは確かにそうだった。兄の制止を振り切ってきたし、裸足で外を歩くなんて「非常識な」ことはしてはいけないのだ。夏場でもマフラーをしてる兄もあまり言えたことではないと思うのでミクにはいまいちその基準がわからないのだが。
「って、危ないっ!」
「は?」
「あっ……」
 どさっ。
 ミクは自分の頭に一気に重さがかかったのがわかった。自分は、地面に倒れてい る。
「な、何やってんだよ」
「何って……」
 少女の言葉に怯んでいたミクは、何気なく上を見上げたとき少年の側の木から大きな雪のかたまりが落ちてくるのに気付いたのだ。咄嗟に少年を押し出したが、代わりに自分が雪をかぶるはめになったらしい。あんなに柔らかかったものなのに、思った以上の重量があった。少年に当たらなくて良かったと思っていたが少年は何やら不満 げだ。
「お姉さん……大丈夫?」
 声をかけてきたのは少女の方だった。地面に座り込んでしまっていたミクはその声の方へ振り向こうとして頭を振る。同時に雪が飛び散って、少女の顔に直撃した。
「きゃっ……」
「あ、ご、ごごごめん!」
 体を引いた瞬間尻餅をついてしまった少女に慌てて謝る。俯いてしまった少女におろおろしていると、突然雪玉が飛んできた。
「ええっ?」
 ぱん、と少女の顔で破裂した雪玉に呆然としていると、今度はミクの頭にも衝 撃。
「ちょっと、何やってんのよっ」
「それだけ雪まみれになりゃ一緒だろっ!」
 投げているのは少年だった。少年もまた、ミクが押し出したときに尻餅をついており、体が雪まみれだ。また喧嘩か、と思ったが何故かミクまで巻き込まれている。
「お姉さんっ、雪玉お願い!」
「あ、2対1かよ!」
「覚悟ー!」
 あ、雪合戦だ。
 これは雪合戦だ。
 怒っていたように見えた少女の顔は間違いなく笑っていた。ミクが雪玉を作りながら見ると、少年も楽しんでいるように見える。
「よーっし、いくよー!」
 ミクもしっかり握り締めた雪玉を思い切り放り投げる。見当違いの方向に飛んだ気がしたが、それはどうでも良かった。何の話をしていたかもすっかり忘れたが。
 雪まみれになりながら遊ぶミクたちのもとにKAITOがやってきたのはその30分後のことだった。





「ただいま……」
「お帰り。大変だったみたいね」
 疲れた顔をして帰ってきたKAITOにMEIKOは笑いかける。KAITOは頷いてコートを脱ぐ。雪まみれのそれは転んだせいだけではなさそうだった。
「ミクは間に合ったの?」
「多分。とりあえずタクシーには乗せといた」
 早起きしたはずのミクは、朝一番にどこかへ行ってしまい、仕事の時間になっても帰ってこなかった。MEIKOも探しに出たのだが、先に見つけたのはKAITOで、MEIKOはそれを聞いてとっとと自宅へ帰っていたのだ。見つけたという連絡から帰ってくるまでにやたら時間がかかったので何かあったのだろう。KAITOはコートを台所の椅子にかけると、そのままMEIKOの隣に座った。
 今日はMEIKOもKAITOも仕事がない。KAITOは普段ならミクの仕事についていくのだが、雪まみれの格好でタクシーに乗るのは遠慮したらしい。一息ついたKAITOに早速何があったか聞こうとしたのだが、それより早くKAITOが声を上げた。
「あ」
「何?」
 KAITOの視線はテレビに向かっていた。KAITOが帰ってくるまで見てた朝のニュース番組だ。つられるように目をやると、そこには金髪の少年少女が映っていた。写真のようで、下に書かれたテロップには「VOCALOID2」の文字。
「ボーカ……ロイド!?」
 何となく読み上げながらMEIKOはようやくその言葉の意味に気付く。KAITOを振り返るとKAITOは人差し指を唇に当てそのままもう1度テレビを見るように促した。
 テレビでは「明日デビュー予定」と書かれた二人の写真を背景に、キャスターたちが何か喋っている。ミクと同じバージョンのVOCALOID、ミクに続くアイドル、ミクのライバル、14歳の双子、情報の羅列を何とか頭に入れるが深く考える余裕はない。キャスターが楽しみですね、と締めて番組がCMに入ったあと、ようやくMEIKOは我に返った。
「……マスターから何か聞いてる?」
「聞いてない。……聞いてないわよ、こんなの」
 VOCALOIDはMEIKOたちのマスターが一人で開発し、作り上げたものだ。海外には別タイプのVOCALOIDも居るが、日本のバージョンは間違いなくMEIKO、KAITO、ミクの3人だけ。新しいVOCALOIDを作るというのならMEIKOにも連絡が来ているはずだった。
「……プロデューサーの名前とか聞いた?」
「聞いてない。ごめん、途中から見たから」
「……そうよね」
 ちょうどKAITOが帰ってきた辺りから始まったニュースだったのだろう。とりあえずMEIKOはソファに座り直す。座り直して初めて、自分が立ち上がっていたことに気が付いた。
「あの二人、今日見たよ」
「え」
「それで今目がいったんだけどね…」
 予想外だなぁ、これは。
 KAITOの口調はどこか呑気だった。KAITOにとっては自分の知らないところでマスターが何かやっていても驚くことではないのだろう。いや……これは本当に自分たちのマスターがしたことなのだろうか。
「あ、通信来た」
 KAITOが軽く左耳を抑える。先ほどのニュースに対する問い合わせだろう。MEIKOの元にもメールや電話が複数来ているのに気付いたが、今答えられることは何もない。KAITOにも無視するよう伝えるともう1度続きを聞く体勢になる。
「私たちのこと知ってたの?」
「ん? ああ、あの子ら? いや。ミクのことも知らなかったよ。ミク、裸足で出てたから変に思われたみたいだし」
 そういやあの二人も半袖だったなぁ。そうかボーカロイドだったのか。
 KAITOは後半は呟くように言った。
 自分たちのことを知らないボーカロイド。
 MEIKOは急激に不安になって頭を抱え込んでしまった。それに気付いたKAITOが驚いたように言う。
「どうしたの?」
「いや……ちょっと……」
 混乱する頭の中から何とか出してきた結論をMEIKOは口にする。
「マスターに会ってくる」
 MEIKOの表情を見たせいか、KAITOも不安げに眉をひそめて言う。
「……付いてこうか?」
「え」
 KAITOの言葉は意外だった。思わず自分の顔に手を当てる。ここまで心配させるほどの表情をしていたのだろうか。確かに何だか怖いとは思ったが。
 怖い。
 ああそうだ、怖いのだ。
「姉さん?」
「うん、まあ大丈夫よ」
 マスターの気持ちがわからないなんていつものことだ。新しく弟や妹が出来たからといって何が変わるわけでもないし。
 会えばきっと何か言ってくれるだろう。
 MEIKOは再びちらりとテレビに目を落とす。もうニュースは全然別のものになっていたけれど。
「鏡音リンと鏡音レンか…」
 名前は覚えた。新しくデビューするボーカロイド。
 MEIKOたちにとってどういう存在になるかはわからない。自分はただ、マスターを信じればいい。
「KAITO」
「うん」
「あんたも覚えときなさい」
 いずれにせよ、自分たちに関わっていく存在になることは間違いないのだから。


 

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