風邪にはネギとか言わないで
「ミク、朝だよ」
ミクを起こしに来たKAITOは部屋のカーテンを開けながらミクに声をかける。寝起きのいいミクは大体これで目が覚める。だからKAITOはいつも通りそのまま部屋を出ようとして──ミクの声が聞こえてこないのに気が付いた。
「……ミク?」
振り返って、もう1度ミクのベッドに向かう。ミクは身じろぎ一つしない。
「ミクー?」
とんとん、と布団の上からその肩を叩く。それでも反応がないため、頬を軽く突いてみた。
起きない。
珍しいこともあるもんだと思いながら、KAITOは今度はミクの枕を乱暴に引き抜いた。寝起きの悪い姉によく使う方法だ。姉はこれでも起きないことが多いが。
「んー……」
漸くミクが声を出す。起きたか、と覗き込んだ瞬間ミクががばっと身を
起こした。
「わっ……」
「あっ……」
ごつん、と派手な音がしてKAITOは体勢を崩してベッドに倒れこむ。ミクも同じ勢いでベッドに戻ってしまった。
「……ぁ……」
ミクの小さな声が聞こえる。KAITOは身を起こすと「ミク?」とまた呼びかけた。ばっ、と振り向いたミクの顔を見てぎょっとする。その顔は今まで見たこともないほど不安に彩られていた。
「み、ミク?」
さすがに慌てるKAITO。何があったのかと問う前にミクは何故か首を振ると突然KAITOの頭に通信を使って直接呼びかけてきた。
『お兄ちゃん……』
『どうした? ミク』
『声が……出ない……』
『え……』
泣きそうな表情でKAITOを見つめてくるミク。その口だけがぱくぱくと動いて
いる。
「ええええええええ!?」
通信を忘れて思わず上げた大声に、一階に居たMEIKOも何事かと階段を駆け上がってきた。
「全く出ないの?」
MEIKOの問いにミクは首を振る。そして一呼吸置くと、覚悟を決めたように言った。
「へん゛、なごえ゛しか。でない…」
掠れたような、濁ったような音声。それを必死に紡ぎ出している。ミクの声とは思えなかった。KAITOとMEIKOは顔を見合わせる。
「他には? 何か変なことはない?」
「ごえ……」
ミクは言いかけて、すぐ口を閉じた。自分の声を聞くのも嫌なようだ。替わりに二人に通信を送ってくる。
『体が重くて頭が熱い』
『熱い?』
それを聞いたKAITOが隣に座るミクのおでこに手を当てる。続いて首、そしてむき出しの腕。どこもが確かに普段ではありえなほどの熱を持っていた。
「放熱機能が上手く働いてないのかしら……」
「重いって言ったよね。ミク、何か変なもの食べた?」
ボーカロイドは物を食べることは出来るが、それは見かけ上の話で消化出来るわけではない。食べれば食べた分だけ体重は増える。ミクは少し考える表情をしたあと首を横に振った。嘘をついている表情でもない。KAITOは念のためミクを立ち上がらせるとその体を持ち上げてみる。
「どう?」
「……変わらないと思うけど……」
物理的に重くなったわけではない。つまりはやはり機能不全なのだろう。体が上手く動かない=重いと感じているわけだ。
「……前に水浴びたときそんなだったよ、おれ」
「そうね。それに近いのかしら」
『でも……熱い』
ミクの言葉は通信で来た。
確かに、以前KAITOたちが大量の水を浴びせられたときは熱を発するということはなかった。むしろ蒸発する水に熱を奪われて体はどんどん冷えていた。明らかに、そのときとは症状が違う。
「とにかく私たちじゃどうにもならないわ。今日の仕事は休ませてもらって…誰かわかる人に…」
「マスターは?」
「こっちから連絡は取れないわよ」
ミクは不安げな表情のままKAITOたちを見つめている。こんな事態はKAITOたちも初めてなのだ。とりあえずMEIKOがミクの仕事先に連絡を入れる。KAITOはふと思いついて廊下の階段下にある物置に行った。何故かミクが付いてくる。KAITOは何も言わず、中から扇風機を取り出した。
『あ』
「とりあえず冷やす?」
ミクが頷く。放熱が上手くいってないのなら、外から冷やすのもありだろ
う、多分。
リビングで扇風機の風を浴びるミクを見ながらKAITOはMEIKOに目をやった。
「仕事は?」
「……何とかなるわ。1個私に代わりに来て欲しいって」
「何時から?」
「昼過ぎになるわね。私はそれまでマスター探しに行ってくる」
「……不便だね、こういうとき」
「こんなこと起こるなんて思わないからね」
出かける支度をしているMEIKOを見ながらKAITOはため息をつく。本当に。こんなとき自分たちは何も出来ない。
「あ、そうだ」
玄関へ向かうMEIKOを見送りにKAITOが付いていく。靴を履きながらMEIKOが思い出したように言った。
「何?」
「プロデューサーにミクが熱が高くて体が重くて声が出ないって言ったらね」
「うん」
「風邪引いたのかって言われた」
「風邪……」
「私たち、風邪引くのかしらね?」
「まさか……」
言われてみればそれは人間で言う風邪の症状だったけど。
MEIKOもあまり気にしてないようで、それだけ言うと出て言ってしまった。行ってらっしゃい、と小さく声をかけてKAITOはリビングへ戻る。
「あ゛ー」
そこには、まともな声もでないのに扇風機に向かって叫ぶミクの姿があった。
こういうとき、人間ならどうするんだっけ。
ミクの隣に腰を下ろしながらKAITOは考えていた。
「ウイルス……」
「それも、完全にミク用に作られたものね」
通信で感染するけど、私たちにはうつらなかったから。
MEIKOは難しい顔でKAITOに語りかけていた。MEIKOの後ろにはソファの上でぐったりと横になっているミクがいる。結局今日は一日こんな感じだった。毎日聞いてる声を聞けないだけでこんなに寂しくなるとは思わなかった。
「性質の悪いいたずら…」
「で、すめばいいんだけどね」
KAITOの言葉を遮るようにMEIKOが言う。何とか連絡の取れたマスターは外からミクの頭にアクセスして、すぐにワクチンを作ると連絡してきた。今回はこれで問題ないのだろうが…。
「……また何かあるかもしれないわ」
「……だね」
用心しなければならない。通信も今まで以上に制限しなければ。それはとても悲しいことだけど。
「……何でミクがこんな目に合うのかな」
「人気が出ると敵も多くなるものよ」
あんたも少しは感じてるでしょ。
MEIKOの言葉には正直心当たりがなかったので首を傾げる。MEIKOはため息を
ついた。
「あんたもミクも、悪意に鈍いことが救いだわ」
「何か怖い言葉だねそれ」
「怖いことなのよ」
兄さんなんだから自覚しなさい。
MEIKOの言葉には、KAITOはわからないながらも神妙に頷いた。
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