英語って難しい
「ハロー」
「こんにちは」
「アイラブユー」
「愛してます」
「サンキュー」
「ありがとう」
真夜中、といってももう朝に近い時間帯。MEIKOとミクのやり取りを黙って聞いていたKAITOは、言葉が途切れた隙を狙ってミクに言った。
「ミク、アイガッチュベイビ」
「え、えと、」
「アイニージュベイビ」
「私は……」
「アイウォンチュベイビ」
「あ、それわかる! ちょっと待って、ええと…」
ミクが必死に考えているのを少し真剣に見守っていると、MEIKOが少し冷めた目をKAITOに向けてきた。
「KAITO、意味は?」
「え?」
「あんたがさっき言った奴の、意味」
「それはミクが…」
「ミク、ちょっと耳塞いでてね?」
MEIKOがにっこり笑って言うと、ミクは素直に両耳に手を当てた。ボーカロイドの聴力は人の何倍もあるのでこれだけでは無意味だが、調整は自由だ。多分実際に何も聞こえていない。
KAITOはため息をついて言った。
「好きだ」
「……どれが?」
「……全部そういう意味だって聞いた」
「信じてるの?」
KAITOは目を逸らした。
以前、歌わされた曲に出てきた歌詞。KAITOたちはアルファベットは読めるが、英単語となるとさっぱりなので、振られた仮名の通り歌い上げただけ。勿論意味など全くわからない。最近英語を勉強中のミクに、問題の形を借りて教えてもらおうとしたのだが。
「もういい?」
「ああ、ごめんなさい、いいわよ」
ミクが耳を塞いだまま問いかけてきたのでMEIKOがそっとその手を下ろす。KAITOはもう1度、ミクの答えを待った。
「で、ミク、さっきのは?」
「アイウォンチュベイビーは……私は赤ちゃんが欲しい!」
「え、そうなの?」
間接的というか、いや直接的なのか、確かに人間にとっては好きだって意味かなぁ、とKAITOが考えているとMEIKOは何故か黙ってしまっていた。
「じゃあ前二つはなんだろ」
「……お兄ちゃん答え知らないの?」
「あ」
しまった、と思うが今更訂正もきかない。KAITOは正直に頷いた。
「でも好きだ、って意味らしいよ」
「赤ちゃんが?」
「ええと……」
あれ、これは教えていいんだっけ。
いや、待てひょっとしてそもそも赤ちゃんが好きって歌だったのか?
KAITOが助けを求めるようにMEIKOを見る。MEIKOは何やら考え込んでいた。
「MEIKO?」
「あいうぉんちゅ……あい、うぉん…」
ひょっとしてMEIKOも知らなかったのだろうか。
MEIKOは自分に比べれば英語歌詞を歌う機会が今まで多かった。渡される度にきちんと勉強していたような記憶があるのだが。
「KAITO」
「ん?」
「今の歌詞、アルファベットで書ける?」
「え、書けるけど…」
1度覚えた歌詞は忘れない。それはKAITOに限らずミクやMEIKOもそうだろう。楽譜には全て平仮名で書かれていたとはいえ、漢字英語交じりのきちんとした歌詞も最初に渡されている。KAITOは記憶を辿り、ミクが使っていた紙にその歌詞を書き込んだ。
「あ、ユーがある」
「ユー?」
ミクがそれを見て気付いたように声を上げた。疑問を返したKAITOに、ミクが黙って歌詞の部分を指す。
「you……これか」
「あなた、って意味よ」
「うん、だからあなたの赤ちゃんが欲しいって意味だね」
「……よく知ってるなぁ」
英語の歌詞の意味など大体でしか聞いていなかった。やはり自分も少しは勉強するべきだろうか。そう思い、KAITOは素直に疑問を口に出す。
「赤ちゃんはどれ?」
「ベイビ。最後の奴」
「あ、じゃあ前の二つも赤ちゃんって入ってるんだ」
KAITOは面白くなってきて前二つの歌詞も書き込む。よく見れば二番目の単語を除けば全て同じなのだ。なるほど、こうやって考察していくのは面白いかもしれない。
「すっごい赤ちゃん欲しいって歌なのかな」
「うーん…おれは男が好きな女に向かって歌ってる歌だと思ってたけど」
他の部分を思い出してみる。実はKAITOはコーラス参加だったので実際に歌った部分は少ない。メインの男性歌手はまだ10代で、あまり赤ちゃんという感じでもなかったが。
「やっぱ違う!」
「え、何?」
「どうしたのお姉ちゃん?」
黙り気味だったMEIKOが突然声を上げた。MEIKOは少し得意げな顔になると、KAITOの前にある紙を手にする。
「ベイビーってのは可愛い女の子に対する呼びかけでもあるのよ」
「へー」
「お姉ちゃんすごーい!」
ミクが感心して飛び上がっている。じゃあこの歌詞の解釈は…と言ってるのを聞きながらKAITOは頭の中でMEIKOに直接通信を送ってみた。
『……カンニングしたろ』
『情報を検索しただけよ? 自分たちの特技はちゃんと利用しないと』
しばらく黙っていたMEIKOは、通信で誰かに聞いたか辞書にアクセスしていたのだ。さすがに付き合いの長いKAITOは何となくそれがわかった。突っ込んでみてもMEIKOは悪びれる様子もない。
おれがやったら怒るだろうになぁ。
ミクには完全に「英語がわからないお兄ちゃん」と認識されただろうが、こういうのは役割分担だ。多分。
「お兄ちゃん、もっと他になかったの?」
「え、あ、何が?」
一瞬考えに集中してたKAITOが少し慌ててミクに返す。ミクは既に答えを出したのだろうか。しまった、聞きそびれた。
「英語の歌詞」
「KAITOはあんまりないわよねー、そういうの」
「ああ…えっと」
英語の解釈にすっかりハマってしまったのだろう。楽しそうなミクを見てKAITOも思わず笑顔になる。ミクが興味を持ったことをどんどん学んでいく様子は素直に嬉しい。普段はなかなかこうはいかないから。
「さっきの歌はもうないの? 英語部分」
「ライオンとかあったよ」
「ライオン……?」
「それ英語?」
動物だよね、と言うミクには一応違うと首を振る。
「ちゃんとアルファベットで…」
「ねえ歌って!」
「え」
唐突に、ミクが思いついたように言った。
「そうね、どうせなら歌ってみたら?」
MEIKOがそれに乗る。二人の視線が同時にKAITOに向けられた。何かを期待するように目を輝かせているミク。MEIKOもどこか、楽しそうに。
「……うん」
歌ってと言われて、断れるわけがない。
KAITOはちらりと窓を見た。夜はまだ明けていない。かなり高いコーラス部分だが、近所迷惑になるというほどでもないだろう…多分。
KAITOは息を吸い込むと、それでも少し控えめに、その部分を歌った。
「アガッチベイ、アニッチベイ、アオッチベイ、ライオン!」
「………」
「………」
歌ってから気付いた。
この歌詞の部分、KAITOはどうしても速さについていくことが出来ず、最初に渡された歌詞からさらに言葉を削られていたのだ。プロデューサーが頭を抱えていた場面も一緒に思い出される。
「……ごめん」
そしてその記憶からつい、KAITOの口をついて出たのは謝罪の言葉だった。当時はあんな速さ歌えるわけないじゃないかと思っていたけど。単に自分の技術不足だったことに今更気付いてしまった。ミクならきっと歌える。
「お兄ちゃんて……」
「ミク、誰にでも得意不得意ってのはあるのよ」
ああ、姉さんがおれのフォローをしている。何て珍しい光景なんだ。
KAITOは何だか他人事のようにそのやり取りを見ていた。
「今更ショック受けてんの?」
「……ミクって凄いなぁ」
あれから数日後。
全英語歌詞の歌を見事に歌い上げるミクの収録をKAITOはMEIKOと二人で見守っていた。
「あれから勉強したの?」
「誰でも得意不得意ってあるよね」
「諦めてんじゃな・い・わ・よ……!」
言葉の区切りに合わせてMEIKOがぐりぐりと拳を押し付けてきた。怒ってるというよりは呆れている。気持ちはよくわかる。
「そういえば姉さん」
「何よ」
ボーカロイドなので特に痛みを感じはしない。姉の攻撃はさらりと流してKAITOは言った。
「ベイビーってミクに言ったらおかしいかな?」
「……一応日本人ってことも忘れないでよ、あんた」
「え、でも日本人使うよね?」
「……どうかしら。私は歌以外で聞いたことないけど」
「おれ前に言われたことあるよ」
「は?」
あの後思い出したのだが。KAITOは確かにベイビーと呼びかけられたことがある。あのときは意味がさっぱりわからなかったが。
「あれって女の子以外にも使うの?」
「あんた……多分それは」
『未熟者って意味で使われたんだと思うわ』
MEIKOは何故かその部分だけKAITOへの通信で伝えてきた。気付けばミクが収録が終わってこちらにむかってきている。
「未熟者……」
KAITOは思わず声に出してしまったが。
『英語って難しいね姉さん』
『そこだけ通信してんじゃないわよ』
駆け寄ってきたミクは無言の会話をしている二人を不思議そうに見つめていた。
I got you baby, I need you baby, I want you baby, right on!
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