識別方法は人それぞれだけど

 今日のミクは楽しそうだな。
 テレビの撮影現場を遠くで眺めながらKAITOは思う。広い体育館の中。小学生たちに囲まれながら歌っていたミクは、今は子どもたちとの会話に夢中になっている。ミクの声は聞こうと思えば聞けるのだが、目の前のスタッフが喋り続けているのでどうしてもそちらに意識を取られていた。まあ楽しくやっている分には問題はない。
「KAITOさん、そろそろ撮影終わりますので」
「あ、はい」
 ずっとミクの方に目をやっていたKAITOに、背後からスタッフが声をかける。目の前にいた男もそれを合図に話を切り上げて立ち上がった。
「今日のミクちゃん、良かったですよ」
「ああ……ありがとうございます」
「これなら今回はこのまま放送できるかな」
 スタッフの笑いにはKAITOは少し複雑になる。
 小学校を舞台にした撮影はこれが二度目だ。
 一度目のとき、現場が酷いことになったのはミクが原因ではないと思う。
 知識が足りない、「お馬鹿な」ミクは大人には可愛がられても小学生辺りには馬鹿にされる傾向があるのだ。特に男子からのそれが酷い。周りの大人たちは「愛ある悪口」などと言うが、ミクははっきり傷ついていた。それが表情にも歌にも影響を与え、放送できるよう編集するのに苦労したと、何度もスタッフから聞かされた。
 ミクが悪いわけじゃない。
 それでもKAITOの結論はそれしかなかった。



「お兄ちゃん!」
 撮影が終わり、しばらく兄の姿を探して見回していたミクは、スタッフに混じってスタッフと同じ格好をした兄をようやく発見し、思わず大声で叫んでいた。
 兄がぎょっとしたように後退さる。周りのスタッフが慌てて手を振ってるのを見てミクも気付いた。背後に居た小学生たちがざわついてこちらを見ているのを感じる。
「お兄ちゃん……居ない…かな〜」
 今日はミク一人で来ていることになっている。撮影に関係なくても同行していることの多いKAITOの存在は、前回小学生にからかわれたことの一つだ。今日は兄が居なくても大丈夫なんだというところを、見せなければならないのに。
「居ない…よねー」
 つっかえつっかえ棒読みの台詞だったが子どもたちは特に何も言ってこなかった。ざわついたまま、先生に促されて外に出る。ミクはそれを音だけで確認して、ほっと息をついた。
「お兄ちゃん……」
 それでも小声で言って、ようやく兄に駆け寄る。スタッフ用のキャップもかぶったままのKAITOがお疲れ様、と返した。ミクはそんなKAITOをじっと見つめる。
「……何?」
「何か……お兄ちゃんじゃないみたい」
 特徴的な髪の色、服装。
 それを隠してしまうとKAITOは簡単にスタッフに混じってしまうのだと、初めて気がついた。「そう?」と気軽に返してる兄だがミクは何だか妙に落ち着かない。
「あれ、それ何?」
 KAITOの方は気にする様子もなく、すぐに視線をミクが胸に抱えたスケッチブックに移した。正確にはスケッチブックとクレヨン。今回の訪問のお礼にと小学生たちから貰ったものだ。
「あ、そうだ、お兄ちゃんこれ見て!」
 一枚目には児童の描いた絵がある。ミクには上手い下手はわからないが、それでもそれは誰だかすぐわかった。
「ああ。おれたちか」
「うん!」
 兄にもわかったことが嬉しい。
 中央に水色の髪で笑っているミク。隣に青い髪でマフラーをしたKAITO。逆隣には何故か蹴りをくりだしているようなポーズをしたMEIKOの絵があった。
「あれ、一枚だけ?」
 スケッチブックをめくったKAITOは、それ以降が白紙になってるのを見て首を傾げる。絵のプレゼントだったと思ったのだろう。
「うん、あとのところは私が描いていいんだって」
「ミク、絵描けるの?」
「描いたことないけど…描けるよ!」
 ミクはその場に座り込むと早速貰ったばかりのクレヨンを開いた。KAITOが一瞬辺りを見回してるのが見えたが問題ないと判断したのかその横に座り込む。周りではスタッフたちが機材の撤収をしていたが、その辺はミクには関係がない。
「これお兄ちゃん」
 黒のクレヨンで人型を描いて、続いて青のクレヨンでマフラーを描く。髪の辺りをぐしゃぐしゃと青で塗ればKAITOの完成だ。
「そうだね……」
 KAITOのテンションは少し低めだ。ミクはそんなKAITOを見て、そこで初めてスタッフジャンバーの隙間から見えているものに気付く。
「あれ……マフラーしてたんだ」
 並ぶと背の高いKAITOの首元ははっきりとは見えない。KAITOがミクと同じ目線に降りたことで漸くそれが見えた。ジャンバーで隠すように、でもしっかりと巻かれたマフラー。
「これは…うん、外しちゃ駄目なんだ……」
 ミクに、というより呟きのようにKAITOは言う。
「何で?」
 KAITOがマフラーを外した姿を見たことがない。それは単純にミクが目にする機会がないだけだと思っていたが。家の中でマフラーというのも、初めからそうだったので疑問を持ったことはない。
「……ミクも、おれがマフラーしてる方がいいと思うでしょ?」
「うーん……」
 マフラーをしていないKAITO、が思い浮かばないためわからない。ミクが考えているとKAITOは右手を突然、ミクが描いた絵の上に置いた。
「あ」
 マフラーの部分を隠すように。
「……誰だかわからないって言われるんだ」
 マフラーがないと。
 マフラー部分を隠されたKAITOの絵。ミクはそれだけ見て思わず頷いてしまった。でも、それはミクの絵の問題で……。
「姉さんに昔『誰?』って言われた……」
 KAITOは何だか遠い目をして話していた。



「酔ってたのよ」
「酔ってた?」
「うーん……ちょっとぼーっとしてたって感じかな」
 帰宅してMEIKOに聞いてみると、MEIKOは苦笑交じりに答えた。マフラーを外したKAITOが、誰だかわからなかったことが実際にあったらしい。
「あのときは慌てたなぁ…。ほんっと落ち込みようが半端じゃなかったから」
 ミクにはどうにも信じられないが、MEIKOにとってKAITOの識別法はマフラーだったらしい。でも確かに、KAITO=マフラーは多くの人の頭に浸透している。今日の撮影時にも「マフラーのお兄ちゃんは?」と言われた覚えがある。そういえば。
「でも私、わかったよ?」
 ちょっと遠目で、声を出してもいないKAITOだったけど、ミクは正確にそれを認識した。身長や体格の比較ではない、はっきりと直感で。
「……長く居るとね、そうなるものなのよ」
 人間相手でもそうよ、知り合いの声や姿は認識しやすくなるの。
 MEIKOの言葉は実感としてあったのでミクは頷いた。
「じゃあまだお兄ちゃんが出来たばかりのときなんだ」
 お兄ちゃんがわからなかったのは。
 ミクが納得してそう言ったときMEIKOは何故か「……ごめん」と言って目を逸らした。
「……一ヶ月前」
「ええええええええっ!?」
 それじゃあ既にミクも居る。KAITOが落ち込んでいたときが……あったようななかったような。
 ミクがKAITOのことを「可哀想」と思ったのは多分これが初めてだった。


あれ、KAITOが不幸だ。

 

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