「あれ〜」
「どうしたの、お姉ちゃん?」
鏡を見つめて首を捻っていると、背後からにゅっ、とミクが顔を覗かせる。鏡に並んだ顔に向かって、MEIKOは答えた。
「あ、ミク。ちょっと下からはさみ持ってきてくれない?」
「はさみ?」
「うん、電話の横にある奴」
「ちょっと待って」
ミクが階段を駆け下りていく。その間も、MEIKOはじっと鏡を見つめていた。鏡に映るMEIKOの顔、ぴんとはねた髪の毛。左手で押さえてみるも、離すとすぐ戻ってしまう。
「お姉ちゃーん、これ?」
ミクが持ってきたはさみを突き出してくる。ちゃんと刃の方を握り締めて渡された。MEIKOは頷いて左手ではさみを取る。一応字や絵を描くときは右手を使うMEIKOだが、そもそも利き手なんてものは存在しない。左手でも出来るだ
ろう。
突然頭にはさみを向けたMEIKOに、ミクが驚いたように声を上げた。
「お姉ちゃん! 何するの!」
「ちょっとこれ切ろうかと思って」
「えええ!?」
ミクが顔を近づけてきて、迂闊にはさみを動かせない。ミクもMEIKOのはねた髪に気付いたのか、MEIKOと同じように手で押さえてきた。
「……寝癖?」
「かしらねー。こんなの初めてだけど」
長時間変な体勢で寝ていれば付くことはある、と聞いた。だが寝ている間は動きを停止するMEIKOたちは最初に正しい姿勢で眠りについてしまえば、それ以上何も起こらないはずだった。そこでMEIKOは昨日の自分を思い返してみるが、どうやってベッドに入ったかも、まるで思い出せない。
「……酔ってたかしら」
「昨日? だったらそうだよ、お兄ちゃんがお姉ちゃん引きずってきた
もん」
「……引きずってきた?」
「……あ、私は、目瞑って寝てたから、わかんない」
声音の変わったMEIKOに、ミクが慌てたような顔で言うが、語尾は段々小さくなる。目を瞑っていた、のは本当かもしれない。だけど多分音で判断できる。どうやらMEIKOは引きずられたらしい。
「……それで変な寝方しちゃったのね」
ミクが手を離しても、やはりはねている髪。
KAITOには後で文句を言ってやろうと思いつつ、もう1度はさみを向けると今度はミクにそれを握りこまれた。
「ちょっ……と! 危ないじゃない!」
「だ、だっていきなり切ろうとするんだもん! 駄目だよお姉ちゃん! 切っても生えてこないよ!」
「わかってるわよ、これぐらいなら影響ないでしょ」
「駄目だよ、絶対おかしいって!」
「ほらこれ! 切ってもその下も髪あるでしょ!」
「そういう問題じゃないよー!」
はさみを持ったままばたばた騒いでいると、ゆっくりと部屋の扉が開いた。隣の部屋で寝ているはずの、レンとリン。
「……何やってんだよ」
「お姉ちゃんたち、うるさい」
夜更かししていたのか、明らかに睡眠が足りてない顔で2人を睨んでくる。MEIKOとミクは思わず動きを止めて、そんな双子を見つめた。
「えっと……」
「リンちゃんたちも止めて! お姉ちゃんが髪切ろうとするんだよ!」
「は?」
「えー何でー」
MEIKOが何か言う前にミクが大声を出す。味方に引きこむつもりのミクに、MEIKOはため息をついた。
「寝癖付いちゃってんのよ。そんなに言うなら何とかしてよ、仕事に間に合わないじゃない」
はい、とミクにはさみを手渡してみる。ミクは手の中のそれを見つめたまま、唇を尖らせる。
「……でも、切っちゃうのは……」
「水とかで何とかなんねぇの?」
「そうだよ、レンとかしょっちゅう寝癖付いてるけど水で濡らせば直
るよ?」
黙って見つめていた双子も、ようやく事態を把握してきたのか、そんなアドバイスをくれる。
「……そうなの?」
「お姉ちゃんやったことないの?」
「駄目だったらムースでも何でも使えよ、人間用のだけど使えるぜ」
「あ、私持ってこようか?」
目をぱちくりさせている間に双子が部屋を出て行く。
MEIKOは思わずミクと顔を見合わせた。
「……やるわね。あの子たち」
「あれが普通なんだと思うなぁ……」
ミクの呟きは、とりあえず聞こえない振りをした。
「ただいまー」
「遅い」
「うわっ、何?」
玄関先で待ち構えていたMEIKOに、KAITOが一瞬後退さる。もうとっくに日は沈み、子どもたちは寝ている時間。仕事もないのに朝から出かけていたKAITOは少し用心深く身構えながらMEIKOに近づいてくる。MEIKOが一歩前に出たとき、その動きは止まった。
「どこ行ってたの」
「あー……センターの方」
「は? どっか悪いの?」
予想外の答えに目を丸くする。素に戻ったMEIKOにKAITOが安心したように靴を脱ぐと急いで廊下へと上がった。MEIKOを追い越し、早足でリビングへ向かうKAITOを追いかける。
「悪いっていうか……うん、まあちょっと怒られたんだけど」
「何やったのよ。怪我?」
「……姉さん、覚えてない?」
「え……」
立ち止まり、振り返ったKAITOの顔は苦笑い。何となく覚えのある顔だ。MEIKO自身が、酒に酔って失態をしでかしたとき、KAITOはこういう顔をする。そして記憶が飛んだMEIKOには嘘か本当かわからない話がよく語られるのだ。
「何かやった?」
苦笑いは、作り顔だ。自分だけ知ってるという優越感を僅かに滲ませているのには気付いている。いつか、KAITOの話が嘘だと証明できればいいとは常々思っているのだが、残念ながら他の弟妹たちからはKAITOの言葉を強化する情報しか出て来ない。
「私が悪いの?」
仕方なく、KAITOを責める前にそれを確認する。KAITOがソファに座ってMEIKOを見上げた。
「……悪くはないと思う」
「だから、」
「ここ」
「?」
KAITOが突然自分の髪を摘んで見せた。示すようにしているのに疑問を持ち顔を近づけてみるが、特に気付けることはない。色がおかしくなってるわけでもなければ、何かが付いてるわけでもなかった。
「ここ、直してもらったんだよ、今日」
「……寝癖?」
「は?」
朝の出来事から思わずそう言えば、いぶかしげな顔で疑問を返された。それはそうだ。
「姉さんが切ったんだよ」
「……うわ」
そして告げられた言葉に、MEIKOは思わず手で顔を覆った。そのままソファに座り込んだMEIKOを、今度はKAITOが見下ろしてくる。
「もっとかっこ良くしてやるってさ。大きなお世話だよね」
おれ、かっこいいのに。
最後の呟きはツッコミ待ちだろうが、何か言う気力はなかった。黙ってKAITOを見つめるMEIKOに、KAITOもため息をつく。
「一応罰ゲームで遊んでやったって言っといた。怒られたよ。おれら、髪切ったら戻すの大変なんだからね?」
一日がかりだったのだろうか。
自分たちの体の仕組みなどよく知らないので状況はよくわからない。
ただ、嘘ではなさそうだった。
「……ごめん」
謝ると、KAITOは妙に真剣な顔のまま、言葉を続ける。
「姉さんってさ。覚えてなくても謝るよね?」
「しょうがないでしょ。思い出してから謝るってのもおかしいじゃない」
無責任、と言われたのかと思ったがKAITOは少し慌てたように首を振った。
「そうじゃなくて。おれが嘘ついてるとか思わない?」
「昔からずっと思ってるけど」
「……それでも謝んの」
「あんた嘘ついて人を謝らせるような奴なら姉弟やめるわ」
「姉弟ってやめられるもんなのかな……」
KAITOが笑顔になった。
つられてMEIKOも笑い、何となくそのままソファに並ぶ。
「姉さんアイス」
「はいはい」
それぐらいはしてやるか、とMEIKOは立ち上がり台所へと向かう。その途中、ふと思い出した。
「そういえばあんた、昨日私を引きずったって?」
「……何の話」
「ミクが見てたわよ」
実際は聞いていた、だしミクははっきりとは言い切らなかったが。
そういえば元々その件を問い詰めるつもりでKAITOを待っていたのだった。
ちらりと後ろを振り返ってみると、KAITOは何故か俯いてしまっている。
そして搾り出すように言った。
「……覚えてない」
「嘘つけ」
こつん、と取って来たアイスをKAITOの頭に当てる。KAITOは、今度こそ本当の苦笑いを浮かべていた。
酔って記憶をなくしている間の行動を後で咎められることの多いMEIKOだが、実際は既に仕返しはされているのかもしれない。
今度は酔った振りで確かめてみよう。
何度頭に思い浮かべても実践できていないそれを、今度こそと思いつつ、MEIKOは一緒にとってきたワンカップを開けた。
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