うた
「あーーーー」
声を出す度にモニターの波形が揺れる。面白くて何度も声を出していると、モニターの向きを変えられてしまった。じっと見ていたのに気付いたらしい。そのまま目の前の男は、何やらキーを打つのに集中し始めてしまう。
ミクは手持ち無沙汰になってきょろきょろと部屋の中を見回した。どこかにカメラが付いていると聞いていたが、ミクの視界には入らない。ぼーっとしていると一枚の紙を渡された。簡単な楽譜。歌詞が付いていない。首を傾げたが、男は楽譜を渡したあとはモニターに目を向けている。声が来ないことに気付いたのか、もう1度ミクを見た。
「どうしたの?」
「えと……」
「らーでもあーでもいいから。ドレミでもいいよ、声出して」
「あ、はい」
楽譜通りに「あ」で統一して声を出す。
白衣を着た男は、指で軽くリズムを取りながらそれを聞いていた。
「おっけー、戻っていいよ」
「はい」
楽譜を返そうとしたが、やはりこちらに目を向けてこない。ミクはどうしていいかわからず、結局それを持ったまま部屋を出た。病院のロビーのような場所にはソファにだらしなく座る兄弟たちの姿があった。
「ミク姉、終わった?」
「うん。何も言われなかったけど」
手前のソファに座っていたリンとレンに目を向けて、ミクはその後ろに座る。その更に後ろのソファに居たKAITOが身を乗り出してきた。
「まあ歌や声に関してはね。問題あったら仕事中気付くから」
ろくに聞かれなかったでしょ、と言われてミクは頷くかどうか迷う。確かに、あまり集中している様子ではなかったが。
「だよなー。これからが本番だよな。あーめんどくせー」
ずるずるとレンの頭がソファの影に沈む。隣に居たリンはソファに乗りあがってこちらを見ていた。
「何がそんなに嫌なの? メンテなんてほとんど寝てたら終わりじゃん」
「そーだよ、私は今日は一日みんなと一緒だから嬉しいなー」
ミクの言葉に再びレンがまた顔を出してくる。今度はミクの方を向いていた。
「一緒の時間なんてほとんどないだろ。順番に呼ばれるし……って姉ちゃんは?」
「あれ?」
そういえばMEIKOの姿がない。MEIKOは一番最初に発声診断を受けていたのでここにいるはずなのに。尋ねるようにKAITOを見ると、KAITOがロビーの出入り口近くに目をやった。入り口と言ってもここは2階なので階段だ。KAITOが何か言うより早く、そこを上がってきたMEIKOと目が合った。
「あ、お姉ちゃん」
「どこ行ってたのー。レンが心配してたよ」
「何でだよっ!」
リンの言葉にはレンしか突っ込まず、MEIKOも何も言わずミクの隣に座った。
「これ、下で貰ってきてたの」
「何これ」
「パンフ?」
MEIKOが抱えていたのは数冊の薄っぺらいパンフレット。アンドロイドのメンテを専門に行っているここでは、当然それ関係のパンフが1階に置かれている。メンテ待ちは暇なのでいろいろ漁って来たのだろう。
「あ、オプション」
リンが手を伸ばしてその中の一冊を取る。ミクもMEIKOと一緒に一枚のパンフを広げる。後ろからKAITOも覗き込んできた。
「あー、やっぱ暗視センサー欲しいなー」
リンがパンフをめくりながら呟きにしては大きな声で言う。
「おれはそれより背伸ばして欲しい」
「キャラ設定は無視しちゃ駄目だよ、レン」
「そんなこと言ってカイ兄ィ、おれがかっこ良くなってファン取られるの怖いんじゃないか」
「うん」
「頷くなっ!」
「私もなー胸は…やっぱ駄目だよねー」
「リンはそれがいいんだよ」
「兄ちゃんが言うと洒落になんないよ」
レンはリンの持つパンフを一緒に見ている。
「ミクは? 何か欲しい?」
「空飛びたい」
「そりゃ大改造ね」
「頭しか残らないよミク姉」
「頭が残るなら髪も残るのかな」
どうでもいいことに突っ込むのはKAITO。後ろから勝手にミクたちの見ているパンフをめくる。
「あ」
「……これ」
「……ついにパンフにまで乗るようになったわねー」
「……嫌だなぁ」
そこにあったのは痛覚センサーのオプションだった。ミクたちアンドロイドは痛みを感じない。だけど、それでは不都合なことが多いらしい。最近は動きの悪いアンドロイドへの痛覚センサーをつけるぞ、はお決まりの脅し文句になっていた。
「おれたちみたいな感覚センサーあるアンドロイドは比較的簡単に付けれちゃうみたいだね」
「痛みかぁ…。そんなもん必要か?」
「レンみたいな子には必要なんでしょ」
「だよねー。あんた気付いたらあちこち怪我してるんだもん」
「怪我じゃねぇよ、ちょっとすりむいたりしてるだけだろ!」
「……私もすりむくなぁ…」
レンは無茶な行動が多く、ミクは集中すると他が目に入らないためか、兄弟の中で比較的怪我が多い。動きに支障の出るほどのものであれば一応警告は感じるのだが。皮膚を切ったりこすれたり、表面上の傷だと気付かないことが多い。人間のように自然治癒するわけではないので、確かにそれを感じることは必要かとも思う。
「メンテの度に皮膚の修復だしね…。レンが一番多いよ」
「リンだって大して変わんないだろ」
「お兄ちゃんは? ないの?」
「おれ? おれはほとんどないよ。ちゃんと気をつけてればそう怪我することなんてないって」
「あんたの場合露出が低いだけでしょう」
MEIKOの突っ込みにKAITOが笑って舌を出す。小さな傷程度は、服を着るだけでカバーできてしまうのだろう。そう考えると、兄の衣装は少し羨ましい気がした。
「あ、これもいいなー、撮影機能」
「撮影関係は高そうだね」
「外部取り付けならそうでもないんじゃない?」
リンが完全に身を乗り出してパンフを突きつけてくる。ミクはふと、以前から欲しいと思っていたものの取り付けはないのかと、まだMEIKOの膝の上に乗っていた残りのパンフを手にする。
「そんなのよりさー、武器とかねぇの? 手からスタンガンとか」
「目からビームとか」
「リンまで乗るか。武器なんか付けたら、そういう場所でしか生きられないよね」
「肝心の歌を外されるんじゃないの。あ、でも万能ナイフ系はあるわね。安全装置つきだけど」
「マスター居ないと外せない奴?」
「そうそう」
「……で、ミク姉は何やってんの」
会話が進む中、ひたすらパンフをめくっていたミクに、リンが不思議そうに声をかけてくる。最後のパンフを手にしたまま、ミクはぎこちなく顔を上げた。
「……ないなーって」
「何が?」
「何か欲しいものでもあるの?」
リンとMEIKOが覗き込んでくる。ミクは再びパンフに目を落としていて、それには気付かない。
「……涙」
ぽつりと言ったミクの言葉に、兄弟たちの動きが一瞬止まる。
「……あー……」
「涙か」
「涙ねー」
どれが誰の発言かはよくわからなかった。最後のパンフをめくり終わっても、その機能は見当たらない。
「……ないわけじゃないと思うわよ」
「一般化はされてないよね。だから高いし、難しいんじゃないかなぁ」
「何で涙なんだよ。撮影のときなんか目薬で十分だろ」
人間もそうしてるし。
レンの言葉にはミクは頷く。それは、そうなのだ。人間だって泣きたいときに泣けるわけじゃない。泣ける人もいるらしいから、よくわからないけど。
「でもあったらいいと思わない?」
「……おれは嫌だ」
「レン、人前で泣くの嫌なだけでしょー」
「……リンたちの涙だって見たくねーよ」
「あ、今の殺し文句」
「何でだよ!」
叫ぶレンに、MEIKOがふと思いついたように言う。
「……むしろ顔が赤くなる機能とかいいんじゃなーい? レンとか」
「……そういや、そんな機能ないんだよなぁ。おれ、たまにレンの顔が赤くなってるように見える」
「あ、私もー」
「私も……」
「お前ら……!」
言い合っていると時間が来てしまった。リンとレンが、呼ばれていく。3人で見送って、ミクは改めてパンフに目を落とす。
「……私たちってね」
「うん」
「料理とか掃除とか、出来なくてもいいでしょ」
「……うん」
いつもは余計なことに突っ込んでくるKAITOが優しく頷く。ミクが一生懸命言葉を探しているのがわかっている。
「計算も出来なくていいし、早く走れなくてもいいし、力持ちじゃなくていいし」
MEIKOが少し笑ってKAITOをこずくのが視界の端で見えた。
ああ、そういえばKAITOは力持ちだ。
ミクはパンフをめくりながら次の言葉を捜す。
「……運転とか、いらないし」
工事現場の写真。ロードローラーが見えたが。
「センサーも、通信も、人間と同じでいいんだよね」
「そうだね」
「そうね」
「だから……人間らしくない機能は要らない」
最初に空を飛びたいと言ったミクは、そうきっぱり言い切ってようやく顔を上
げた。
「……泣きたいって気持ちがあるなら、泣きたいよ」
言いたいことが上手く言えたかわからない。
MEIKOが少し微笑んでミクの頭に手を置いた。
「OK」
「え」
「マスターに相談してみるわ」
「……ホントに?」
信じられなくて、そう言うと、MEIKOがはっきりと頷く。
「姉さん、最初からそのつもりだった?」
「じゃなきゃこんなもの持って来ないわよ」
MEIKOが散らばったパンフを集めてKAITOに渡す。ソファのすぐ後ろにあったKAITOの気配が離れた。
「歌さえ歌ってりゃいいって言われてるけど、どうせならそろそろもう一段階進みたいでしょ」
「涙かぁ……」
「何よKAITO、不満?」
「……さっき、レンがさらっと言っちゃったけど。泣いてるとこってあんま見たくないじゃない」
「泣きたいのに泣けないところよりいいんじゃない?」
「………」
「目に見えてるものだけが全てじゃないでしょ」
そっか、と小さなKAITOの声が聞こえた。
ミクは少し興奮している。涙が、流せるかもしれない。
「……高いんだよね?」
「……稼ぎ次第かもね」
まだ開発段階だしあんまり期待しないで。
MEIKOの言葉はそう締めくくられた。
でも、可能性があるのなら。
ミクは双子の去っていった方向を見る。
早く二人にも知らせてやりたかった。
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