きく
「駄目。全然駄目」
レンの歌をただじっと見つめて聴いていたリンは、そうばっさり切り捨てた。リビングのソファの上に足を上げて座り込むリンの目は真剣で、レンは言い返すことも出来ない。そのまま自分もソファに勢いよく倒れこむ。
「あー……やっぱりか」
「やっぱレンには難しいんじゃない?」
だが次に聞こえてきた台詞にはさすがに不満を感じて、ソファに倒れたままリンを睨んだ。
「うっせ。おれはやる!」
「うん。まあ頑張っては欲しいんだけど」
リンが楽譜に目を落とした。
今レンが挑戦しているのは別れの曲。それも、永遠の別れの曲。その感情を理解できているか、と言われれば答えはNOだ。経験したことのないものを完璧に理解することは出来ない。だけど、想像することは出来る。出来るはずだ。
「何か上の空じゃない? すっごい悲しい曲なのに。どうでもいいことみたいに聞こえる」
リンの的確な批評に頷いて、その後レンは体を起こした。
「っていうかな」
「何?」
レンはリンから視線を外し、テレビの前で床に直接座り込む二人に目をや
った。
「ミク! KAITO!」
兄と姉の名を呼び捨てる。
ゲームに夢中になって騒いでいた二人は、その声でようやくこちらを振り返
った。
「何ー?」
「どうした、レン?」
呼び捨てにされたことには突っこまず、呑気な顔で二人が聞く。レンは立ち上がってそちらに近づいた。
「こっちは別れの歌練習してんだぞ、側でそんな騒がれてたら冷めるだろう
がっ!」
半分は八つ当たりだ。
だが、最初から感じてた不満でもあった。
悲しみを表現しようとしているときに横で笑い声が聞こえるときほど気の抜けることはない。真剣にやってる自分が恥ずかしくもなる。リンも笑いながらこちらにやってきた。
「まあねー。お兄ちゃんたちレンの歌聞いてた?」
「え……」
「いや、えっと……」
テレビはポーズがかかったまま停止するゲーム画面。一瞬そのまま切ってやろうかと思う。何となく、自分の歌よりゲームに興味を惹かれてる様子は気に食わ
ない。
しばらく睨んでいると、KAITOが少し真剣な目になった。
「でもな、レン」
「……うん」
「どんな状況でもきっちり歌えてこそプロだぞ?」
「…………」
その眼差しに、何も言えないで居ると、ふとしゃがみこんだレンの上に影が出来る。KAITOが軽くはたかれる様子が見えた。見上げるまでもない。MEIKOだ。
「ごまかしてないでちゃんと聞いてあげなさい。別れの歌うたってる側でぎゃーぎゃーわめかれたら追い出すわよ私」
「姉さんはそうかもしれないけど」
KAITOは苦笑いしたあと、レンを見てごめん、と言ってきた。ごまかされていたのか。この兄の本気はいまいちわからない。
「じゃあレンくん歌って!」
ミクは既ににこにこと聞く体勢だ。KAITOも見ている。リンも見ている。見上げれば、MEIKOとも目が合った。
「……うん」
立ち上がる。位置に迷って、結局少し離れた場所で全員を視界に入れた。立っていたリンとMEIKOも絨毯に座り込む。間にある机が少し邪魔だ。
「それでは鏡音レンが歌います、別れの、」
「ちょ、ちょっと待て!」
リンが笑顔で口上を述べはじめてさすがに止めた。お膳立てされると、それはそれで嫌だった。全員の視線が突き刺さる。
「レンー?」
「ま、待て待て。じゃ、歌うから」
落ち着いて一度深呼吸。大きく息を吸い込んだ。
曲は、別れの歌。
レンが想像するのは、今目の前に居るみんなとの別れ。それぐらいしか思いつかない。
リンが居なくなる。二度と会えなくなる。
ミクが消える。その存在がどこにもない。
KAITOが壊れる。動かなくなる。
MEIKOが眠る。もう起きない。
一つ、一つ想像して、レンはその悲しみを歌った。
「………あれ?」
歌い終わって。
無意識に閉じていた目を開いた。しっかりと、目の前の4人の姿を確認する。想像だけで胸が痛かった。だから、少しほっとしたと同時に4人に全く動きがないのに気付いた。ぞくりとする。
「あの……」
リン、ととりあえず一番右端に居た姉に声をかけてみる。一瞬びくっと揺れたリンはしばらく呆けた顔をしていたが、慌てたように首を縦に振った。
「凄い、凄かったよ今の」
何だか感情がこもっていない。
何だよ。この反応は何なんだよ。
レンは次にKAITOに目をやる。KAITOは難しい顔で黙り込んでいる。何かを考えているような。KAITOにしては珍しい表情。そのままその隣のミクと目を合わせた。ミクが顔を歪ませる。
「……ミク姉……?」
言った瞬間、ミクが立ち上がった。真っ直ぐレンに向かってくる。その勢いに思わず身構えたがミクはそのままレンの側を通り抜け走って行ってしまった。だだだだ、という音は階段を駆け上がっている音。多分部屋に戻ったのだろう。
何で。
ミクの去った方角に顔を向けていたため、突然後ろから肩に触れられてびくっとした。振り返れば、MEIKOが苦笑いをしてレンの耳に口を寄せる。
「泣かせちゃったわね」
「は?」
どこか面白がるような口調。真実、次に顔を向けたときのMEIKOは笑っていた。
「泣かせるって……泣かないだろ、おれら」
アンドロイドだから。涙は出ない。そう言うと唇を尖らせてわかってるわよ、と返された。そしてふと気付くと、隣にリンが居た。睨まれている。……としか思えない。
「………ばか」
「は!?」
リンはぽつりと呟くと、ミクと同じようにそのまま廊下へ向かってしまった。階段を上がる音は、ミクより静かだけれど。
呆然としていると次に隣に来たのはKAITOだった。何か言われるより先にとりあえず不満をぶつける。
「何なんだよあれっ。おれの歌……おれの歌、何か悪かった?」
それでも急に不安になって、レンは聞く。KAITOは柔らかく笑うと首を振った。
「リンは凄いって言ったでしょ」
「……何か、本気っぽくなかった」
「感情抑えちゃったんだろうねー」
「それにミク姉は、」
「あれこそ最大級の賛辞だと思うけど」
「賛辞って……」
「聞いてきたらいいじゃない」
MEIKOが言う。疑問の視線に、MEIKOは顎で廊下の先を示した。
「……謝れってこと?」
「何で謝るのよ」
MEIKOがため息をついてKAITOが笑う。
確かに何も悪いことはしてないのだけれど。でも、おれが泣かせたとか、あ
れ?
何だか混乱してきた。それでもKAITOまでが黙って廊下を指したので、結局レンはそのまま階段へと向かった。ミクとリンは、それぞれ自分の部屋に居るのだろうか。自分がまず行くべきはどっちの部屋なのか。
思いながら、結局レンはミクの部屋へ入った。リンとは同室だから、多分今じゃなくてもいい。
「ミク姉……」
ドアを開ければ、部屋の中央にうずくまってるミクの姿。ノックなんてしなかった。ミクはのろのろと振り返り、レンの姿を見たあと迷うように視線を彷徨わ
せる。
涙なんか流れていない。だけどやはり、泣いているように見えた。
「えっと……」
呟きながらミクの目の前にしゃがみこむ。目線の高さを合わせてレンは言
った。
「……ごめん」
違うだろ、と即座に頭の中で突っこみが浮かぶ。案の定というべきか、ミクはきょとんとした顔を向けて、やがて笑顔になった。
「何で謝ってるのーレンくん」
ああ、まあ笑ってくれたのならそれでいいのか。
「何か、おれの歌が、悪かったんだろ」
とりあえずそう言ってみた。違う、という否定から理由に入ってくれればいいと思ったから。だけど意外なことにミクはそれに頷く。
「そうだよ。酷いよレンくん」
「な、何がっ!」
「私たちが居なくなるって想像したでしょ」
「…………」
ばれてたのか。
目を丸くしたレンにミクは視線を落とし、無意味に手を動かしながら言う。
「悲しい辛いっていうのが凄く……伝わって……」
ミクの声が震える。
やばい。
何かこう、ここで抱きしめたらかっこいい気がする。
そんなこと思ってる時点で駄目か。
動けないでいるレンにミクがようやく顔を上げる。涙は、ない。
「良かったよ」
「え」
にっこりと、ミクは笑った。
「レンくんの歌」
「……そうなの」
「昔お姉ちゃんたちが言ってた。自分たちの歌で人間が涙流したら最高だって」
「あ、賛辞」
「うん、賛辞」
先ほどのKAITOの言葉を思い出して言えば、伝わったのか頷かれた。
「私たちは泣かないけど。泣くってこういうことだと思うよ」
でもしんどいからもう嫌だ。
そう言うミクの笑顔がいつもと違うのはわかった。
「……おれ、喜ぶとこなのかな」
「だって凄かったよ」
「……何かタイミング逃した」
物凄く褒められている気がするのに、妙に冷めてしまった。自分の歌で泣かれたら、普通はショックだ。そういう歌だった、というだけなのだけど。
レンは立ち上がる。ミクは座り込んだまま見上げた。
「とりあえず…リンのとこ行って来る」
こうなったらリンにも褒めさせよう。
部屋を出れば何故かミクも付いてくる。
「何?」
「私はお兄ちゃんたちのとこっ」
今一人で居るの嫌だよっ。
ミクはそう言って階段を駆け下りて行った。自分から部屋に戻ったくせに。
「リンー?」
とりあえずは、リンだ。
部屋の前で呼びかけてみる。返事はない。
リンはどんな顔して、どんな風に褒めるのだろう。
先ほどとは違った気持ちで、レンは扉を開けた。
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