ハーモニー
ソファの上にだらりと寝そべる。リンはいそいそとみかんを運んで机の上に並べていた。どうせならバナナも持って来い。そう思ったが、言えば自分で取りに行けと言われるのは目に見えているのでやめた。言われてから動くのは何だか負けたような気分になるので癪だ。バナナは食べたい。
リンはみかんをむきながらテレビを付ける。がちゃがちゃとチャンネルを変えるが、時間帯的にニュースのようなものばかりで少しがっかりした顔を見せた。
「ビデオでも見れば?」
「ビデオ…何か面白いのあったかなぁ」
リンは言われた通りテレビへ向かい、その下に収納されているビデオを漁る。まともにラベルが貼ってないので見てもよくわからない。
「音楽会ってのがある」
「音楽会? 何の」
「さあ…私ら生まれる前のだ」
「マジで? 入れてみろよ」
「……いいのかな」
「いいだろ、ばれなきゃ」
その言葉を聞いてリンがにんまりと笑う。
今日から一週間、マスターが居ない。大きなトランクを持って今朝慌しく出て行ってしまった。旅行の予定を聞かされたときは、嫌だ嫌だと言ってたリンだが、いざこうしてマスターが居なくなってみると……この自由さは、ちょっと楽しい。何かしでかしても、明日も明後日も居ないと思えば心の余裕が出来る。
リンがビデオをセットしている間にレンもバナナを持ってきていた。いつもは制限されているおやつだけど、いくら食べても怒られることもない。
「……何か見たことある気がする」
「ん?」
ビデオに映っていたのは小さなホール。ホームビデオらしく、画像が荒い。確かに、見覚えのある舞台だった。一度か二度、行ったことがある。マスターに連れられて行った場所なのでそう不思議でもない。揺れていた画面はやがて、舞台に固定された。三脚に乗せられたのだろう。何人かが確認の声を上げている。
「あ、ミクさん!」
「お」
舞台に出てきたのはミクだった。レンも興味を惹かれてリンの隣に座る。ミクたちのマスターとレンたちのマスターは仲が良い。だからレンたちもよくミクと会うことになったのだが。
「ネギ持ってる…」
「この頃からかよ…」
ネギを振りながらミクが軽く歌う。発声練習も兼ねているようで、何度か音を変えて、舞台の上を動きながらの歌だった。
「お、KAITOさんだ」
次に出てきたのはKAITO。ミクの動きを止めたあと、カメラの方にじっと目をやる。何だか見られている気分でレンたちの方が落ち着かない。KAITOが何やら声を出した。どうやらカメラの付近に居る人物に声をかけているらしい。間を置かず、今度は客席にMEIKOの姿。すぐにそこから舞台に上がる。客は、ビデオに映っている限りは見当たらない。身内だけでやっているのだろう。
「……みんなで撮ってるんだ」
「だなー。音楽会ってことは…これから歌うんだよな」
「うん」
みかんとバナナを食べながら画面を見る。
予想通り、それからしばらくして歌が始まった。
レンたちはただただそれに見入っていた。
「いいなー、あれ」
「うん」
「楽しそうだった」
「……そういやおれら、あんまり他の人と合わせてないよな」
「だよねー。MEIKOさんとKAITOさんの声とか相性抜群って言われてるしさ。私らもそういうの欲しいよね」
「おれらじゃ声似てるもんなぁ」
それはそれでいいとは思うのだけど。やはり違った声質の人と合わせるのは楽しい。
「マスター帰って来たらお願いしてみようか?」
「うわっ……」
「……どうしたの?」
一瞬にして嫌な顔をしたレンに、リンが不思議そうに聞く。
「……今一週間後って長いって思った」
「……私も」
リンが笑う。
せっかく自由を満喫していたのに。こんなに早く帰ってきて欲しいと思うことになるとは思わなかった。
レンはビデオの終わった画面を見る。録画は一時間ほどで終わっていたが、その後は延々黒い画面が続いていた。テレビは切っていない。
「……なあリン」
「何ー?」
「……一週間、外に出るなって言われたよな」
「言われた。だって留守番だし」
「鍵かけとけば問題ないよな?」
「……今ね、同じこと考えた」
レンとリンが同時に立ち上がる。ついでにレンは時計に目をやった。午前
9時。
「みんな家に居るよな」
「居るでしょー。今日平日だし」
「よし」
それからの行動は早かった。
二人で家の鍵を探しまくり、漸く見つけたあとは一応家中の窓の確認をした。テレビも消して、電気も消して、完全な出かける準備。家中をこうも自由に歩き回ることもないので、それだけでも妙にわくわくする。
「じゃ出発!」
「誰のとこ?」
「MEIKOさん!」
一番近い。
家に鍵をかけて、二人はMEIKOの住むアパートへと向かった。
「あれ」
「あ」
「えー!」
途中、何となく二人で歌いながら歩いていると前方から見覚えのある人物がやってきた。初音ミク。ネギを腰につけたその格好には今更疑問も覚えない。それよりも、今この場所で会ったことの方が意外だった。
「ミクさん、何やってるの?」
「えー、それはこっちの台詞だよー。今日からお留守番じゃなかった?」
「あ、知ってるんだ……」
「ちゃんと鍵かけてきたから大丈夫だよ。それよりミクこそ留守番じゃねぇ
の?」
レンたちのマスターは大学生だが、ミクたちのマスターは社会人だ。この時間は普通に仕事に行っているはず。そう言うとミクは首を傾げた。
「私も鍵かけてきたよ? 今日はこれから公園」
「公園?」
「え、何で」
ミクはにっこり笑うと、ついてきて、と言うように手招きした。二人は顔を見合わせてその後ろに続く。
「毎日毎日家に閉じこもってても面白くないでしょ?」
「うーん…」
「そうだけど…」
正直、それほど意識はしていなかった。何せレンにはリンが、リンにはレンが居る。二人で居れば退屈しない、と言い切れるわけでもないが、確かにたった一人で家の中に居るミクたちとは感覚が違うだろう。マスターが居ない間はよくゲームもしている。もっともレンたちのマスターは大学に行ってるはずの時間帯でも唐突に帰ってきたりするので油断は出来ないが。
「だからね、KAITOさんとMEIKOさんと一緒に…」
「え、あの二人も?」
「そうだよー。……あ、リンちゃんたちどこか行くとこだった?」
「……MEIKOさんのとこ」
「今誰も居ないと思うよ?」
「ちょうど良かったじゃんか」
どうやら3人はマスターが居ない時間は一緒に何かやっているらしい。今まで知らなかったことに少し疎外感を覚える。あまりボーカロイドの知り合いが居ないせいか、仲間という意識が強いのだ。
「あそこ!」
やがてミクが足を止めて叫ぶ。
言われるまでもなくわかった。
公園から、歌声が響いてきている。
「歌ってんのかよ!」
思わず駆け出しながら言うとミクは大きく頷く。
「それが一番楽しいでしょっ!」
走りながらの言葉が大きく響いた。それで気付いたのか、MEIKOとKAITOの歌が止まる。
「私も入るー!」
MEIKOたちの前には子どもが数人居た。ライブ状態になってるらしい。
ミクがMEIKOに飛びつくように割り込んで、倒れかけたMEIKOを慌てたようにKAITOが支える。このノリで、レンたちも足を止めるわけにはいかない。
「おれも!」
「入れてー!」
レンとリンが飛びついて、結局5人まとめて倒れた。服が砂だらけだ。これは、後で何とかしないと怒られる。
「ど、どうしたんだよいきなり」
「今日からしばらくマスター居ないの! 一緒に歌おっ!」
「前からKAITOさんたちと合わせたいと思ってたんだよ。こんなことしてるなら早く教えてくれよ」
僅かに拗ねた口調になったのに気付いたのかKAITOとMEIKOが笑う。
「……いや、おれたちも誘おうと思ってたんだけどさ」
「なかなかタイミングがねー。でもちょうどいいわ。曲はちゃんとマスターに相談してあるんだから」
MEIKOが立ち上がって、ようやく5人その場に並ぶ。子どもたちは既に去ってしまったもの、何が面白いのかじっと見つめ続けているもの、様々だ。
「やっと5人揃ったね!」
ミクが嬉しそうに笑う。
「やっと?」
「あと二人欲しいって。ずっと言ってたもんねー」
「あなたたちが出来る前から用意はされてたのよ。ウチに楽譜があるわ。せっかくだから、マスターが帰って来たら驚かせる?」
「あ、それいい!」
「おお、たまには自分たちでやれるとこ見せてやろうぜ!」
「その前に……」
リンとレンが乗って、MEIKOの元へ向かおうとしたときKAITOが言った。目の前に座る小さな子を見つめて。
「一曲歌ってかない?」
全員で知ってる童謡でも。
これには、みんなで頷いた。
「どうせならハモりたいな」
「五部合唱がいい!」
今まではどうやったって出来なかったこと。
初めての、5人揃ったハーモニーが、その公園に響き渡った。
客は小さな子どもが一人。初めてで、まだまだ完璧とは言い難いけれど。
「……一週間の予定決まったな」
「やっぱり歌だよね」
リンとレンはそっと囁きあった。
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