起動

 ただ、眠っているだけのように見える二人の少年少女。リンとレン。
 だけどまだ「命」は吹き込まれていない。そこにあるのはただの、人の形をした機械。
 ミクとKAITOが身を乗り出して二人を見ている。あれは、これから自分たちの家族となる存在。MEIKOは、その少し後ろから二人の様子を眺めていた。
「あ……」
 少女の目が開く。起動。奥の少年が体を起こす。全身に血が通うような感覚。
 場が、少し明るくなった気がした。
「はじめまして…」
 リンは僅かに俯いたまま、呟くように言葉を出す。何かの確認のように。そして一つ頷いて目の前のミクとKAITOを見た。
「初めまして!」
 明るい笑顔。ぴょん、と台から飛び降りたリン。もう、ただの眠った人形ではない。そこにははっきりとした「個性」があった。元気な挨拶とその動きにミクとKAITOが思わず微笑む。後ろから顔を出したレンは、少し生意気そうな顔で「はじめまして」と棒読み気味に言った。それは機能の問題ではなく、性格の問題。
 ミクが一つ頷いてずっと手に握り締めていたものを前に出す。KAITOも。
『初めまして! これ食べる!?』
『……はい?』
 二人ずつ、見事にハモった声に後ろのMEIKOが笑いをもらす。初めて会った仲間と、最初に言われた言葉と、与えられたもの。
 頭の中はフル回転しているだろう。
 それでもリンとレンは、大人しくそれを受け取っていた。





「絶対ネギっ!」
「アイスの方がいいって!」
「男の子がアイスばっか食べるのホントはおかしいんだよ! みんな言ってるもん!」
「可愛いとも言われる!」
「私だって言われる!」
「ミクが可愛いのは当たり前だろ!」
「アイスはかっこよくないんだよ、でもお兄ちゃんはかっこいいの!」
 キッチンで何やら言い争いの声が聞こえてきた。かみ合ってるんだかかみ合ってないんだかわからないやりとりは、何だかとてつもなくくだらない。MEIKOは入り口付近でドアに寄りかかったまま、それを眺めていた。とりあえず、何の話かぐらい理解しようと思ったのだ。
 だがそれより先にミクとKAITOがMEIKOに気付いて視線を向けてくる。
「姉さん、アイスがいいよね?」
「ネギだよー!」
「……何の話よ」
 KAITOがアイスがよくて、ミクがネギがいいのは当然だ。それはもう決まりきったことだ。まさかMEIKOがどちらがいいかという話ではあるまい。MEIKOは酒だ。今手にしているワンカップだ。これは譲れない。
「リンちゃんに」
「レンに」
『最初に上げるもの』
 二人はまるで打ち合わせをしたかのように台詞を分けて、的確にそれを伝える。あー、とMEIKOは納得したような声だけ上げて、止まった。
「……好物をどうしたいかって話ね?」
 聞くと二人が頷いた。
 ボーカロイドの好物は、最初から設定されているわけではない。そもそも好物が出来るなんて開発者は思ってもいなかったらしい。
 MEIKOが人間の飲んでる酒にちょっと興味を持って、こっそり飲んで。ハマって。一時周りが大慌てしていたのを覚えている。何故か酔っ払ってしまったのと、棚にあった酒の半分を消費してしまったことから。たくさんあったから半分ぐらい飲んでも問題ないと思ってたのだが。
 KAITOの場合は最初に歌わされた歌が問題だった。
 アイスクリームの歌を渡されて「アイスって何?」とくるのは当然の話だろう。与えてみればそれにハマった。要は最初に何を飲んだか、食べたか、なのだ。
 ミクは気付けばネギを持っていたので、誰が企んだことかは知らない。
「二人とも自分の好物に合わせたいわけ?」
「うん」
「やっぱり、一緒に食べる人が居る方が楽しいでしょ」
「私も! 一緒にネギ振りたい」
 そもそもミクはネギを食べ物と認識しているのだろうか。いや、食べてるが。
「あ、でもお姉ちゃんは……やっぱりお酒がいい?」
 ミクがそこでMEIKOが手にしたワンカップに目を落とす。何か言うより先にKAITOが大声をあげた。
「駄目だよ! リンとレンは未成年なんだから! 姉さんだって最初は未成年に酒飲ますなんて、とか言われたせいでわざわざ大人っぽい服着せられて年齢設定上げられたんだから! 嫌だよ、おれより年上の弟とか!」
「何だか初耳の事実が聞こえた気がしたけど、どっちにしても酒は駄目」
「何で?」
 ミクが首を傾げる。
「飲み仲間欲しくないの?」
 こっちはKAITO。
 MEIKOはわざと大きなため息をついて、その酒を目の前に出した。
「今ここにはワンカップ一つしかないの」
「うん」
「これは私のものよ」
「……うん」
「はい、そこにネギがあります」
「うん」
「今ここにリンも居ます」
「……うん」
 律儀に返事をしているミクだがちょっと辛そうだ。想像の範囲になるとミクは途端に混乱する。
「ネギは誰の?」
「ミクの!」
「………」
 止まってしまったMEIKOにKAITOが笑っている。やっぱり仮定がいくつもあると駄目か。
「リンちゃんも欲しいって言ったらどうする?」
 KAITOがそれにフォローを入れる。こちらはもう理解したらしい。
「え、でも、ネギは私…」
「リンちゃんの好物をネギにしちゃったら?」
「……駄目」
 わかったようだ。
 ミクはぎゅっとネギを握り締めて頷く。
「駄目! リンちゃんには絶対ネギ渡さないっ!」
「何がいいかな、先に別のもの与えとくべきだよね」
 KAITOは既に次の行動に移っていた。アイスはとっくに冷凍庫の中だ。万一アイスを先に見たら大変だ、とぶつぶつ呟きながら台所内を探索している。阿呆だ。
「一つ言っとくわ」
「何?」
「あんまり高い物にしないように」
「ああ、姉さんの酒代結構馬鹿にならないしね」
「ネギは安いよ長持ちだよ!」
 何故かそこでネギの良さを主張するミク。確かにミクが一番燃費がいい。
「水じゃ駄目かな」
 そしてミクの言葉には反応せず、KAITOは真顔でそんなことを言う。
「さすがに好物とは認識しないと思うわよ、それ」
「あ、ねえねえこれは!?」
 一緒に探索に参加しているミクが何かを見つけた。リンとレンの好物は、打算的な兄姉たちによって決められる運命らしい。





「へー……」
「何かひどーい」
 バナナとみかんを食べながら聞いていたリンとレンがそんな感想を漏らす。結局色的にも値段的にもちょうどいいんじゃないかと選ばれたのがそれだった。
「でもみかんで良かったー。ネギとか渡されてたら嫌だよ」
「おれもアイスじゃなくて良かった…。いい大人がアイス好物とか間抜け過ぎんだろ」
「誰がいい大人? レンとお兄ちゃんで交換してれば良かったのにねー」
「バナナも微妙だと思うけどね…」
 バナナをくわえるKAITOの顔を想像して、どちらにせよ間抜けだとMEIKOは笑う。まあ可愛いとでも言われればKAITOは満足だろうが。
「あなたたちはみかんとバナナで良かったの?」
「うん!」
「おいしいじゃん。まずいもん渡されてたらきついけど」
 最初に食べたから美味しいと認識しているのだと思うが。ミクだって何がいいのか年中ネギをかじってる。
「でもやっぱり自分で選んでみたかった気もするね。次の人が起動のときはさ、何かいっぱい並べてどれがいい、とかやってみる?」
「あー、いいな、それ。とりあえずバナナだけは置くなよ」
「私だってみかんは置かないもんー」
「こっそりアイスいれといてやるか?」
「えー。お兄ちゃん可哀想」
 ああしよう、こうしようと話し合う姿はまさに以前のミクたち。
 結局後に生まれたものは、先に生まれたものの都合に振り回されることになるのだ。
 長姉はただただ他人事のようにそれを面白がっていた。
 自分は、一番上で良かったと思いながら。


 

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