繋ぐ

「何これ……」
「今度のお仕事」
「これ……全部?」
 呆然と見上げるミクたちにMEIKOは小さく頷く。リビング中央。テーブルもソファも壁際に寄せて置いたダンボール3箱分の楽譜。全員が絨毯に直接座り込み、一人立ったままのMEIKOと箱を何度も見比べていた。
「アンドロイドだから覚えられるだろって」
「覚えるのは……出来ても……」
 間に合わないんじゃないだろうか。
 そう、みんなの視線が言っている。何せ、ここに書かれた歌を覚える期限は僅か一晩。つまり、明日が本番だ。本来は練習してきた人間がやるはずだった仕事。事故だか何だか知らないが、事情により急遽代役を立てるはめになったらしい。そして、これだけの量を一晩で記憶するとなると……アンドロイドに頼るしかないのだ。
「文句言ってないで覚えるの! これ、貰ってきたから」
「何それ?」
 MEIKOがカバンから取り出した1本のコードにミクが首を傾げる。リンとレンも不思議そうにそれを見つめていた。
「あ……」
 KAITOが一人、気付いたような声を上げる。僅かに、こわばった声。
「私たちを繋ぐコード。これで、データの転送ができるのよ」
 だからまずは覚えるのは5分の1でいい。
 そう言うとミクたちが顔を見合わせた。
「そんなことできるの?」
「すげー」
「ね、やってみたい! 貸して!」
「リン、遊んでる時間はないんだよ」
「えー」
 不満げにしながらも、リンはKAITOから渡された楽譜に目を通し始める。それを見て、ようやくミクたちも楽譜をめくり始めた。
 コードを置いて、MEIKOも目の前の楽譜を取る。ちらりとKAITOを見れば困ったような顔を返された。ホントに使うの? とその顔は言っている。
 MEIKOは無視して楽譜に集中する。
 今は、それしか出来ないの。





 夜が明け始めている。小鳥の声を耳にして、MEIKOはそれに気付いた。ボーカロイドは徹夜で活動したって問題はない。エネルギーさえ切れなければいい。エネルギーは電気だから、こういう暗譜時には同時に充電することだって出来る。だから休憩を取る必要もない。MEIKOはちらりと自分の後ろに積みあがった楽譜の山を見た。一人一人で手にとって、覚えて、後ろに回す。絨毯の上に置かれたダンボール箱は、そろそろ底が見えてきていた。残りは数部。KAITOが手を伸ばす。MEIKOも同時に手にしていた楽譜を覚え終わった。
「あと3部……!」
 MEIKOのすぐあとにレンが手を伸ばす。レンが楽譜を取って、残りは3部。おそらくミクとリンが、最後の1部はKAITOかMEIKOだろう。
 疲れ、なんてものはない。ないはずだ。現に体の機能は全てが正常に動作している。同じ速度、同じテンポで暗譜していく。
 だけどMEIKOが覚え終わってそれを後ろの山に置いたとき、思わずほっと息が漏れた。箱の中にはもう何も残っていない。終わった。ひとまず、だけど。
 まだ他の4人は楽譜を見ている。先に味わう達成感に浸りながらもMEIKOは側に置いたコードに手を伸ばした。まだ、これからの作業は残っている。
 MEIKOは立ち上がってカーテンを開ける。外が明るくなっていた。確か、舞台が始まるのは11時。現在ちょうど朝6時。データの転送は10分もあれば済む。1人に4人分送って40分。40×5で200分。約3時間半。移動時間もあるが、何とか間に合いそうだった。
「姉さん」
 外を眺めているとKAITOから声がかかる。
「終わったよ」
 多少疲れた声で。それでも表情は崩さずKAITOは言った。
「じゃ……始めましょうか」
 KAITOが背筋を伸ばす。リンとミクは体を乗り出してきた。
「それって旧…兄ちゃんたちとおれらも繋げんのか?」
 動かないまま疑問点だけ挙げてくるのはレン。勿論、それはMEIKO自身も疑問に思ったことなので既に聞いてきている。全て同じデータ、とはいかないが、それでも覚えた楽譜ぐらいならば100%正確に伝わるから問題はない、との答えだった。そのまま伝えればレンは納得したのかしていないのか、ふーん、と気のない返事だけ返してくる。
「じゃ、誰からやる?」
 4人の前に座れば、真っ先に手を挙げたのはリンだった。続いて、ミク。
「私! 私やりたい!」
「わ、私も!」
「じゃあ先に二人を繋ぐわね」
 普段は隠されている端子にコードを差し込み、二人の体をコードで繋ぐ。MEIKOが離れると、二人はきょとんとして見上げてきた。
「……で、どうやるの?」
「え……?」
 リンとミクがお互い顔を見合わせている。MEIKOは戸惑いながらも言った。
「じゃあ…まずはミクが、リンにデータを送って」
「……どうやって?」
「えっと……」
 予想外の事態に少し慌てる。差し込めばわかる、とコードを渡してきた相手からは言われたのだ。実際に以前MEIKOとKAITOでこのコードを使ったときは、特に意識することもなくデータの交換を行ってたはずだ。
 MEIKOがKAITOを見ると、KAITOも同じように首を傾げる。
「何か頭の中に浮かばない?」
「何も……」
「おかしいな……」
 KAITOが手を伸ばして、手近に居たリンのコードを外す。そのまま自分の体へと繋いだ。
「……どう?」
 全員で固唾を呑んで見守る。データ交換が出来なければ、もうどうやったって間に合わない。KAITOは何やら険しい顔をしつつも、うん、と頷く。
「何か…感じ違うけど、何とか……」
 ミク、送るよ。
 KAITOがそう言った瞬間、ミクが声を上げて蹲った。レンとリンが、慌てたようにミクの体に触れる。
「な…何っ、これ……!」
 頭を抑えるミクに、KAITOが目を閉じたまま言う。
「ごめん。ちょっときついかもしれないけど、すぐ慣れるから。目は閉じてた方がいいよ」
 一気に流れ込んでくるデータに混乱するミクに、KAITOは優しい声をかけた。目を閉じるのは、自分自身が得る情報を少しでも抑えるためだ。だからリンたちにも、出来るだけミクに触れないよう目で合図する。リンとレンが、おそるおそると言った感じで離れた。
「…………これ、やるんだ…」
 4人分。
 ぼそり、とリンが呟く。ようやく、最初のKAITOの反応を思い出したのだろう。僅かに睨みつけるような目をしたリンに、KAITOが苦笑いを返す。仕方ない。あのとき言ったところでどうしようもなかった。
 それでもしばらくするとミクは落ち着いてきたのか、体を起こして目を開く。大丈夫? と声には出さずにリンが覗き込むとミクが頷いた。
「……何か、ちょっと面白いかも」
 慣れが早い。既に笑顔を向けているミクにMEIKOが呆れていると、ミクが「あ!」と声を上げた。
「今お兄ちゃん、ミクのこと凄いって思った!」
「……思ったよ」
「ええっ、わかっちゃうの!?」
 リンが目を丸くして問いかける。そういえば、それを言ってなかったか。
 リンたちの視線にはとりあえず頷いておく。
「送る側の思考がね。全部が全部じゃないけど勝手にデータ化されて転送されちゃうことあるから。まあ大した問題じゃないけど…」
「大問題だろ…!」
 突っこんだのはレンだった。リンも大きく頷いている。ミクとKAITOは、首を傾げていた。
「送ってる間に考えたことだけよ? 変なこと考えなきゃ問題ないわ」
「えええ〜、どうしよう。そんなこと言われたら余計考えちゃう…!」
 リンが焦ったようにきょろきょろと辺りを見回す。KAITOとミクの間のデータ転送が終わっても、コードに触れようとしなかった。
「……リン」
「うう……」
「何も考えないのが難しいなら、ひたすら同じこと考えてるって手もあるわ よ?」
「同じこと?」
 リンが、おそるおそる渡されたコードを繋ぐ。コードの先はKAITO。
「みかんが食べたい! とか、ロードローラーに乗りたい! とか。何でもいいわよ、伝わって問題ないこと一生懸命考えなさい」
「そっか!」
 みかんみかんみかん、と呟き始めるリン。データの転送が始まっている。KAITOが、MEIKOに恨みがましい目を向けてきた。
「……姉さん」
「何」
「きついんだけど」
「慣れなさい」
 ただでさえ新型から旧型へのデータ転送は負担がかかっているだろう。それにリンの思考データが混じってくればきついのはわかる。だけどここは、KAITOたちが我慢するべきところだ。
 リンからのコードを受け取るとき、MEIKOも同じ覚悟を決めていた。


 

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