8.過去と未来

「何か面白いものあった?」
  背後からかかった声にミクはびくりと肩を揺らす。ばっと振り向けばMEIKOが驚いたような顔をしてミクを見ていた。その更に後ろに思い思いに歩き回り、足を止めている人々。壁の展示をじっと見つめていたミクは急に現実に戻ってきたようなふわふわした気持ちでしばらく瞬きを繰り返す。MEIKOが少し笑ってため息をついた。
「随分熱中してたみたいね。何、それ?」
  MEIKOが近づいて覗き込む。兄弟全員で訪れていたのはある作家の資料館。ミクはその作家のことも、作家の作品もよく知らなかったが、名前を聞いたことはあったので、有名な人なのだと思う。招待券を貰ったのがきっかけで、ちょっとした兄弟でのお出かけだと思っていたミクは、いつの間にか全員に置いてけぼりにされていたのにようやく気付いた。
「年表……ミク、こんなのに興味あるの?」
  ミクが足を止めて熱心に見ていたのはその作家の人生を記した年表。生まれたときから順番に追って行って、もうすぐ亡くなったときまで辿り着くところだった。
「何か面白いなって」
「何が? 確かに結構波乱万丈な人生だけどねー」
  MEIKOが年表の前ですっとなぞるように指を動かす。ミクはそれに少し首を傾げた。
「うーん……そうなんだけど……そうじゃなくて」
「?」
  MEIKOが振り向いたとき、聞き覚えのある声が館内に響くような音量で聞こえた。MEIKOもばっと視線を動かす。
「ふざけんな! 先に言ったのお前だろ!」
「何よ、レンの方が悪いんじゃな」
  レンの声。それに続いたリンの声が不自然に途切れる。喧嘩をしているのは直ぐにわかった。更に、今度はボーカロイドの聴覚でようやくわかる程度の暴れるようにばたばたと床を蹴る音。「二人ともいい加減にしろ」というKAITOの声も聞こえた。
「あいつら……何やってんのよ」
  MEIKOが顔をしかめて、声の方向に駆けていく。ミクは少し迷ったあと、結局後を追いかけた。順路のある場所だが、そんなに混んでるわけでもない。多分引き返してもいいだろう。それより、リンとレンが周りに迷惑をかけてるといけない。先ほどの大声で、館内は一瞬静まり返ったし、いまだに戸惑うように声の方向に視線を向けている者もいる。
「リンちゃん、レンくん」
  角を曲がると姿が見えた。二人は部屋の中央あたりに置かれたソファにふてくされて座っていた。側に立っていたKAITOが気付いたようにミクたちに視線を向ける。
「……何やってんの」
「喧嘩してた」
「聞いてりゃわかったわよ。二人とも。喧嘩するなら時と場所わきまえなさい」
  レンはMEIKOの言葉に視線を逸らす。リンは俯いて小さく「ごめんなさい」と言った。
  それから直ぐにレンの方を向く。
「レンも謝ってよ」
「何でだよ。MEIKO姉に謝ってどうすんだよ」
「私に謝ってよ」
「何でおれが謝るんだよ!」
「ああ、もう止めろ」
  KAITOがレンの口を無理矢理塞ぐとため息をついてその隣に座った。KAITOはそこでMEIKOと目を合わせ、その視線を館内の隅に展示されていた等身大パネルのようなものに向ける。
  MEIKOが向かったのを見て、ミクも続いた。等身大パネルの横には「背比べをしよう!」という小さな表示。
「……背比べか」
「これが原因かしらね」
  ミクの言葉にMEIKOが頷く。ちらり、と後ろのレンたちを振り返っていた。
  リンもレンも。「成長」という言葉には敏感だ。大きくなりたい、大人になりたいという気持ちを求められていながら、成長しない体。その不満は、たまに何かの形で爆発する。
  それもまた、14歳に求められる行動の一つなのかもしれないけれど。
「さっきね」
「うん?」
「年表ずっと見てたでしょ」
「うん」
「私もね。ああいうのいいなぁって思ってた」
「……ああいう人生?」
「……かなぁ。最初は赤ちゃんで、少しずつ大きくなって学校とか行って。大人になって結婚して、子どもが出来て。……何もなくても、自分の体が大きくなって変わっていくのって面白いなって思う」
「なるほどね……」
  青春だわねー、とMEIKOはよくわからないことを呟いてミクを見て笑う。ミクは少し不満げにそれに返した。
「お姉ちゃんは思わないの? 私たち、過去も未来もずっと変わらないのに」
「それはそれでいいんじゃない? ミク、あんた今幸せ?」
「……うん」
「……間が空いたわね。まあ、私は幸せだから。楽しいときを変わらない家族といつまでも一緒に過ごせる。人間じゃ味わえないわよ」
「………」
「何よ」
「……うん」
  何と言っていいかわからずとりあえず頷いた。今度はMEIKOが何か言いたそうにしたが、ミクはそれを聞かずKAITOたちのところへ戻る。気付けば何故か3人とも笑い合っていた。
「お前っ、ちょ、それは反則だろ……!」
「だーめ、って、お兄ちゃん足も押さえて足も!」
「こら! バカイト離せ!」
「頼むときにバカイトはないなぁ」
「お兄様お願いします離して……ってふざけんな!」
「あはははは!」
  レンの口調にリンが大笑いをしている。何だかわからないが楽しそうだ。また大声を出してるのは注意しなければいけないと思い、3人の前に仁王立ちして言った。
「3人とも大声出さないの。迷惑でしょ」
  出来るだけ姉を真似て言ったのに笑われた。
「ミク姉、これ見てこれ」
「何ー?」
  リンが持っていたのはこの資料館のパンフレット。作家の子ども時代の絵が漫画のような形でいくつか描かれている。
「これ、レンに似てない? で、この人、昔はこのポーズでアイデア考えてたんだって!」
「ええと、左手は上に上げて……」
「おれの体でやんな!」
  怒るレンも笑っている。声は普通のレベルになったのでこれ以上注意は出来ないだろうか。
  それにしても先ほどの喧嘩は何だったのやら。
  変わり身の早さにはいつも呆れてしまう。これも、変わらない。最初に会ったときからずっとそうだった。
  これが私たちの楽しさなのかな。
  そう思いつつミクはKAITOに協力すべくレンの足を掴んだ。


 

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