5.修行

  何だか騒がしい。
  ソファの上でいつの間にかうたた寝をしていたレンはぼうっとする頭を振って、目を閉じたまま聴覚機能を高めた。眠るときは自然と下がっているその機能が普段の値まで戻ったとき、その音が2階からのものだと気付く。レンはちらりとカレンダーに目をやって、今MEIKOとKAITOは留守の時間なのを確認した。
  夕方4時。
  何をするにも中途半端だ。
  レンは立ち上がってのそのそと2階へ向かう。リンとミクの声は先ほどより更に強く響いている。ミクの部屋にいるな、と見当を付けて、レンは真っ直ぐそこへと向かった。




「……何やってんだ、お前ら」
  ドアが開いた瞬間、ぴたりと声を止めて振り返ってきたミクとリン。しばし時間が止まった後、レンは搾り出すような声で言った。
  部屋の中央に漫画雑誌を積み上げて、その上にお盆。更にその上には……火の付いたろうそくがあった。
  雑誌はレンのものだが、捨てる予定でまとめておいたものなので使われるのは別にいい。だけどそんな不安定な台座の上にろうそく。これは何なんだ。
  レンの訪問で一度ぎょっと体を強張らせていた2人は、それでも安心したように力を抜いた。MEIKOたちかと思ったのだろう。ミクは少し笑顔になってレンに近づいてくる。
「修業だよ、修業!」
「……何の」
「何かね。ろうそくの炎を揺らさずに歌を歌いきったらいいんだって!」
「レンの持ってた漫画に書いてあったでしょー」
  リンがフォローするように楽しげに。レンは黙ってミクを押しのけると、ろうそくを吹き消す。無言の動作に、少し2人が沈黙した。
「何考えてんだよ」
「えっと……」
「火を……」
  一瞬、大人の居ないところで火を使っちゃいけません、という文句が浮かんでさすがに口に出せなかった。KAITOなら真顔で言いそうだが。
「……危ねぇだろ」
「で、でもちゃんと水も用意してるよ」
  ミクが指した先には水が大量に入ったバケツ。
「ふざけんな」
「ごめんなさい…」
  せめて台座がこれでなければマシだったとは思うのだが。
  ミクたちの肩付近まで積み上げられた雑誌は角すら揃えられていない。
「っていうかこれやってのか、ずっと?」
「だって、やってみたいじゃん」
「お兄ちゃんたちに言ったら怒られるかなーって」
「わかっててやってんのかよ…」
  ああ、今自分は口うるさい兄貴たちと同じことをしてるんじゃないか。そう思うと急に恥ずかしくなって、レンは話題を逸らすように大きな声を上げた。
「そういや何かで読んだなー、何の漫画だっけ」
  話題自体は繋がってしまったが、声の調子が変わったのに気付いたのだろう。ミクとリンがぱっと顔を明るくする。
「タイトルは読めなかったけど、何か戦ってる奴だよね」
「そうそう。刀とかバズーカ出てた!」
  読めなかったということは難しい漢字か英語か。レンの記憶にも薄かったのでそこは流す。
「炎が揺れないって何か意味あんのか?」
「さあ? 漫画ではみんな苦労してたから、私たちならどうかなーって」
「ほとんど揺れなかったよ! 私もリンちゃんも!」
「当たり前だろ、息してないのに」
「あ」
  2人が固まった。
  「息を吸い込む」「ため息をつく」そんな歌や感情表現としての呼吸はするが、自分たちVOCALOIDに、呼吸は必要ないのだ。
  それなりに成功を喜んでたのだろう。肩を落とした2人に何となく、レンは何も言えなくなってしまった。




  数日後。
「………おい………」
  今度はろうそくを手に持って。しかも風呂場で歌うミクを発見した。
「……人間は歌うとき、これが揺れるでしょ! だから人間らしい呼吸で歌うなら揺れなきゃ駄目なの!」
  一応燃えるのものは自分の周りから遠ざけたらしい。服は普通のものだから意味がないと思うが。
「……気を付けろよ」
  無理矢理息継ぎを組み込みながら、炎を揺らそうと頑張っているミクに、レンはそれだけ言って風呂場を後にした。


 

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