没ネタ04

 雨の音がうるさい。
 もう何時間それにうたれているのだろうか。息の切れない体で走り続け、重くなったコートを脱ぎ去る。唐突に、光と共にその姿を見つけた。
「MEIKO……!」
 眩しさに、反射的に視界の光度を下げる。バイクにまたがった彼女は片手でヘルメットを持ったままこちらを見ていた。暗い、逆光気味のその表情は無表情にも泣いているようにも見える。
「もう止めろ! 君は、そんなことしなくていいんだ…!」
 駆け寄ってバイクを掴む。言いたいことは山ほどあったはずなのに上手く言葉が出てこない。MEIKOが、僅かに視線をこちらに向けた。
「…………」
「え?」
 小さな呟き。KAITOの耳は確かにそれを捉えたのに、何を言っているかがわからない。頭の中で高速の解析が始まったと同時、エンジンがかかった。
「メ……」
 バイクに掴まったままだったKAITOを振り落とすように、一瞬左に揺れてそのまま走り出す。追いかけようとして、何かに躓いた。
 MEIKOの持っていたヘルメット。アンドロイドに、こんなものは必要ないかもしれないけれど。
 KAITOはそれを手にとったあと、ただMEIKOが去っていった方角を見つめ続けていた。





「ただいま帰りました。マスター」
 返事はない。MEIKOはびしょぬれの体を見下ろしながら、どうしたものかと考えていた。このまま家に上がれば部屋を濡らしてしまう。かといってマスターにタオルを取ってきてもらうわけにもいかない。MEIKOは服を脱ぐとその場でそれをきつく絞る。ついでに下着も外した。マスターの靴が濡れないように注意しながら絞り終えると、それで体をざっと拭く。風呂場まで数メートル。水滴さえ滴り落ちなければそれでいい。
 服を丸めて持って廊下へ上がりこんだとき、奥の部屋からマスターが出てくるのが見えた。じっ、とMEIKOの姿を上から下まで見つめる。
「…………」
 マスターの声は小さかったが、慣れたMEIKOは正確に理解した。裸のまま、マスターの元へと向かう。その瞬間、殴り飛ばされた。
 手にした服を気にしてカバーが間に合わず思い切り床に頭を押し付ける。まともに拭かれていなかった髪からぼたぼたと水滴が落ちた。
 すっ、とその頭付近に影が差す。マスターが、MEIKOの側にしゃがみこんだの だ。
「…………」
 やはり小さな声で、マスターは囁くように言う。MEIKOが頷くとようやくマスターの顔に笑みが浮かんだ。嫌な笑み、というのだとMEIKOは思う。マスター以外の顔を見ることはほとんどないのでわからない。
 髪を持たれて引っ張り上げられる。MEIKOはそれに合わせて体を起こした。人間と違って、抜けたら生えては来ない。「見目」は重要だと、マスターも言っていたことなのに。
 促されるままMEIKOは寝室へと向かう。まだ体が濡れている。服は廊下に転がったままだ。だけど今は、マスターの命令が優先。
 ベッドの上に乱暴に転がされのしかかってくるマスターを見ながら、MEIKOは最近よく見るようになった顔を思い出した。特徴的な青い髪は、見ただけでアンドロイドだとわかる。ああいった型も需要があるのだろうか。自分たちは、より人間に近くなければ価値がない。MEIKOは、そう信じていた。例え今、痛みも快感も感じなくても。マスターは、それを求めるから。
 ぼんやりしていると、がっ、と口に指を差し込まれた。声を出せ、とい う合図。
 胸を潰れるほど握りこまれてもMEIKOは何も感じない。だけど、声を出す。それがMEIKOの役割だった。





 カーテンを開けると暗い空が目に入ってきた。雨はもう止んでいるようだが、朝の光は感じない。今日も降るのだろう。天気予報を見る気すら起きない。
 ミクはもう1度カーテンを閉めるとテレビの前でぼんやりしている兄の側に座る。朝のニュース番組は、つい昨日の夜に起きた強盗事件を移していた。破壊された壁。気絶させられ、病院に運ばれた警備員。乱暴で強引な手口は、ここ最近連続して行われている。おそらく違法改造されたアンドロイドの仕業だろうと、マスコミは決して言わないけれど誰もがそう理解している。ミクはちらりと兄の顔を盗み見みた。兄は、この犯人を知っている。ずっと、追っている。最初の事件の際偶然遭遇した。目撃者である兄に躊躇いもなく攻撃を仕掛けてきた女アンドロイドを、ミクも影から見ている。
「……捕まらないね」
 出来れば、早く警察に何とかして欲しかった。あのアンドロイドは、危険だ。KAITOは、右手を潰された。対アンドロイド犯罪対策として通常よりもパワーを持っているはずの、KAITOが。
「……お兄ちゃん」
 ニュースが終わると同時に、KAITOは立ち上がる。椅子にかけてあったマフラーとコートを手に取った。外へ出るつもりだと気付いてミクは慌てて追う。
「どこ行くの」
「レンのとこ。ミク、留守番頼む」
「待って、私も行く!」
 振り返りもしない兄はもう玄関前だ。ミクの言葉に足を止めたものの、付いてくるな、とその目が言っている。だけどミクは気付かない振りをして、そのまま兄の背にくっつ いた。
「今日はお仕事お休みでしょ。たまには妹の相手してよ」
「……お前いつからそんなにワガママになった」
「今日から。待って、用意してくるから」
「ちょっと待てミク!」
 ミクはリビングに戻ると自分のバッグだけ引っつかみ一度鏡に目をやる。
 緑の髪に、耳につけたヘッドフォン。どちらも、アンドロイドとしての特徴。最近のアンドロイド犯罪の増加で、あまりそれをさらけ出して歩くことはない。怖がられてしまうから。
「ミク、おれはもう行くぞ」
「あっ、待って!」
 だけど、兄は気にせず歩く。隠す方がいけない。人の恐怖を煽るのだと。
 ミクは諦めて結局そのまま家を出た。怯えられてもいい。今日は兄と一緒だから。





「いらっしゃーい」
 ちらほら見えていた人がさりげなく遠ざかっていくのを見て、店に入るのを躊躇っていたミクたちに明るい声をかけたのはその店の店員リン。アンドロイドだが周囲からはそう思われていないらしい。KAITOの影に居たミクは、その姿を見て飛び出した。
「リンちゃんお久しぶりー!」
「あー! ミクちゃん! もー何やってたの、いつでも来てねって言ってたのにー」
 はしゃぎながら同じく店を飛び出すリン。道のど真ん中で2人して手を取り合った。
「だってお兄ちゃんが外に出してくれないんだもん」
 ミクはそこで唇を尖らせて軽くKAITOを睨む。目が合ったKAITOが気まずげに視線を逸らした。
「……別にリンのとこぐらいくればいいだろ。あんまり出歩くなってだけで…」
「留守番してるときは家出るなって言うじゃない」
「家出たら留守番の意味ないだろ」
「鍵かけてればいいじゃんねー。ねえ、リンちゃんも何か言ってやってよ!」
「過保護が過ぎるとウチのレンみたいになります、お兄さん!」
 リンが元気良く右手を挙げて発言した。それと同時に店の奥から声が聞こえた。
「どういう意味だリン」
 のそっと顔を出したのはリンと同じ顔をしたアンドロイドレン。リンと対として作られているが、世間的には双子の姉弟ということで通している。レンはちらりとKAITOに目をやると、また店の奥へと引っ込んだ。リンの言葉を追求する気はないらしい。KAITOは黙ってその後に続く。ミクはリンの手を取ったまま、どうしようか迷ったが、リンは気にせず店の方へと向かったので結局4人揃って店内へと入った。
 小さく暗い店は雑貨屋、と言うことになっている。店をやっていた老人が亡くなり、孫という名目の2人がきりもりをしている。老人がアンドロイドに殺されたときの事件が、双子と初めてあったときだった。一年ほど前のことになる。
「何か情報はあったか?」
「いいから上がれ。そこで話すな」
 店の中で話かけるKAITOにレンが冷たく返す。レジの更に奥にある階段をとんとん、とレンが軽く上っていく。そのあとにKAITO、リンが続いたのを見て思わず足を止めた。
「あれ…いいの? お店」
「ん? 大丈夫大丈夫。どうせ人あんま来ないし。来たら2階に居てもわかるよ」
 言いながらリンは自分の耳を差した。アンドロイドならではの聴力。なるほど、と頷いてミクはそのまま3人に続いて2階へと上って行った。





「とりあえずこっち、昨日捕まったアンドロイド。最近の事件とは無関係だな」
「やっぱりか…」
「何だよ、期待してたのか? そもそもお前が探してんのは女性型だろ。こっちが男だってのは最初から目撃情報であっただろうが」
「繋がりはないかと思ったんだよ。改造の種類とか、同じ人間がやれば似通うもんだ ろ」
「それはその女性型が捕まらないことにはなぁ」
 レンが頭をかきつつ資料をめくる。ミクとリンはその少し後ろで大人しく正座をして聞いていた。リンがミクの耳に顔を寄せてこっそりと呟く。
「最近KAITOさんよく来るよ。レンなんかの情報でも知りたいとかよっぽど切羽詰ってるよね」
「聞こえてるぞリン!」
「わっ」
 リンが慌てて姿勢を戻す。ぺろっと舌を出した様子にレンがため息をつく。KAITOは苦笑いをしてリンを向いた。
「レンの情報は頼りになるよ。こっちじゃおれたち下っ端には回ってこないんだよな。おれらは力仕事ったって情報がなきゃどうしようもないってのに」
 KAITOが軽く拳を握った。犯罪アンドロイドの取締が、兄の仕事。通報を受け、暴れているアンドロイドを取り押さえる。ただ、それだけの力仕事だ。本来は。
「それはお前が関係ないことばっかやってるからだろ。お前の仕事に情報なんかいらないんだよ。その女性型が出てきたら遠慮なく抑えとけ。見逃すこと自体も犯罪なんだよ」
 レンはそんなKAITOに厳しい目を向ける。ミクもそれは同感だった。
 アンドロイドは、好き好んで犯罪を犯すわけではない。マスターからの違法改造と命令。それに従った結果だ。捕まったアンドロイドは裁判が終わるまで証拠品として拘束される。その後に待つのは多くの場合廃棄処分。改造がごく簡単なものであれば、再改造で再び市場に出るが、犯罪を犯した中古品に値は付かない。
 だから、KAITOは救いたがる。マスターから開放しようとする。だけどそれは、犯罪自体をなかったことにしてしまわなければいけない。事件が永久に未解決となることをKAITOは望んでしまうのだ。
「……捕まえること自体が難しいんだけどな」
 KAITOがぽつりと言った。
 訝しげな顔をするレンに、ミクが口を挟む。
「……そのアンドロイド、強いの。お兄ちゃんが本気でかかっても勝てないかもしれないって」
「……嘘付け。ミク、どうせこいつ女型ってだけで手加減してるだけだぜ。しかも女の映像、上に送ってないんだろ。後で囲う気なんじゃねぇか」
「お前はどうしてそういう発想が出来るんだ」
「人間に囲まれて生きてきてるもんで。冗談は抜いても、映像ぐらい出してもらわないとこっちもこれ以上手の出しようがないんだよ」
「……とれてないんだ」
「は?」
 KAITOが軽く頭を押さえて見上げるような仕草をした。
「おれの記憶には残ってる。顔を見ればわかる。だけど映像出力が出来ない。防犯カメラなんかも全部そうだろ? 映ってないわけじゃないと思うんだよな。何かに妨害されて る」
「マジかよ……」
 レンがため息をついて資料を放り出す。そのまま先ほどのKAITOと同じように上を見上げた。
「完全に犯罪のためだけの改造だな」
「けど、MEIKOは、」
「MEIKO?」
「MEIKOって……」
「お前っ」
 耳慣れない名前が出てきて、ミクとリンが思わず声に出す。レンががばっと体を起こしてKAITOに詰め寄った。
「そのアンドロイドの名前だな! 何で黙ってた! っていうか何で名前知ってんだ よ!」
「……言ってなかったっけ?」
「……本気で言ってんのか」
「……名前ったってマスターがつけたもんだろ。それを知ったところでどうにかなるもんでもないと思ったんだよ」
「……いつ知ったんだ」
「最初に会ったとき」
「は?」
 詰め寄ったレンに軽く手をかざしてKAITOは言った。
「おれが聞けば普通に名乗った。MEIKOには…自分の意思がある」
 KAITOの強い目に、レンはゆっくりと手を下ろした。
 誰も、何も言えなかった。


 

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