大きなのっぽの古時計

【あなたに「おじいちゃん」はいますか。頑固ですか。考えが古いですか。盆栽を大事にしてますか。邪魔だと感じることがありますか。おこづかいをくれますか。叱ってくれますか。誉めてくれますか。戦争の話をしてくれますか。……】

   時計だらけの部屋。
   壁や戸棚に時計が置かれている。
   中央に大きな振り子時計。
   振り子時計は止まっている。
   後の時計も時間はばらばらだ。
   真梨奈が入ってきた。

真梨奈 ただいま、おじいちゃん。

   真梨奈、かばんを下ろす。

真梨奈 ごめんなさい。今日も学校行けなかった。ずっと公園で寝てたの。宿題はちゃんとやったんだけど。……怒ってる?
貴彦の声 真梨奈ー。帰って来たのかー?

   真梨奈、はっとしてかばんを持って隠れる。
   貴彦、入ってくる。

貴彦 真梨奈ー。あれ。いないのか。

   ノックの音。  

裕子 ごめん下さい。
貴彦 あ、はい。

   貴彦、ドアの鍵を開ける。

貴彦 ああ、裕子ちゃん。
裕子 今日は。あのこれ、今日のプリントです。

   裕子、プリントを出す。

貴彦 あれ……。真梨奈、今日も学校行かなかったのか?
裕子 え?はい。
貴彦 おかしいな……。今日はおれと一緒に出たんだけど。
裕子 来てませんでしたけど……。
貴彦 ったく。あいつ、いつになったら学校行くつもりだよ……。もう九月だってのに。君も毎日悪いね。
裕子 いえ、これでも学級委員ですから。
貴彦 あ、そうなんだ。
裕子 それに家、近いですからね。
貴彦 そっか……。じゃあ来週からは無理かな……。
裕子 え?
貴彦 明日、引っ越すからさ。転校するわけじゃないけど。ちょっと遠くなるかな。
裕子 引っ越しって……そんな、急に……。
貴彦 急でもないけど。もう家具とかほとんど移してあるしね。引っ越しの連絡もしなきゃいけないから今日は学校行けって言ったんだけど……。こんなことなら昨日、君に言っときゃ良かったな。
裕子 いつから決まってたんですか。
貴彦 引っ越し自体は半年前から決まってたよ。だけどずっと家探してたから。日が決まったのは一ヵ月くらい前かな。
裕子 じゃあ夏休みですか。
貴彦 そうだな……。8月だ。決まってすぐ言や良かったかな?でもやっぱりあいつが言いにいった方がいいと思ってね……。
裕子 真梨奈さん、家は出たんですよね。
貴彦 ああ。途中まではおれも一緒だったけど。あいつのことだから親が仕事行くまで公園で時間潰してたんだろうな。
裕子 その後帰ったんでしょうか。
貴彦 帰ったんじゃないか?まあおれが帰ってくる前にまた家出たんだろうけど。あっ、じゃあ今公園かな。そんなことしてもどうせバレるのに。
裕子 ばれたら怒られますか。
貴彦 うーん……ウチの両親はもう諦めちまってるから。じいちゃんが生きてりゃ、怒るだろうけど。
裕子 じいちゃん?
貴彦 真梨奈が学校さぼったらいっつも怒鳴ってたからなあ。無理矢理学校まで手、引っ張ってったこともあるし。じいちゃんがいる間はあいつも恐くて休めなかったんだろ。
裕子 亡くなったんですか。
貴彦 2年生になっていきなり忌引きとっただろ。あん時。
裕子 じゃあもう半年近く立つんですね。
貴彦 あいつが不登校初めてからと一致するだろ。
裕子 私は真梨奈さんと同じクラスになったの初めてですから……。よく知らないんです。
貴彦 あ、そうなの。そういや2年になってからあいつ、学校行ってんのか?
裕子 一度だけ見たことありますよ。初日、自己紹介があった時。
貴彦 ひょっとしてそれ以来会ってない?
裕子 はい……。家に行っても出るのはお兄さんだけですし。
貴彦 あいつ部屋に閉じこもりっぱなしだからな。たまにここにいるみたいだけど。後は公園にいるかな。
裕子 よく知ってますね。
貴彦 じいちゃんが死んでから真梨奈の面倒は全部おれに押し付けられてるから。まあ母さんたちは仕事があるから無理ないけど。おれだって受験生だっちゅうの。
裕子 受験生なんですか!?じゃあひょっとして高3……?
貴彦 中3に見えるかよ、おれが。
裕子 見えないこともないですけど。
貴彦 あのな。
裕子 でもそういえばいつも家にいますね。帰宅部なのかと思ってましたけど。部活、引退したんですか?
貴彦 帰宅部だよ、おれは。君こそ、毎日来る時間早いじゃないか。まだ2年だろ。
裕子 月、水、金は部活なんですよ、一応。その3日は遅いじゃないですか。
貴彦 そういえばそうだな……。いつもおれが帰った時間に来るから気付かなかったな。おれの学校、月、水、金は7時間あるから。
裕子 7時間もあるんですか!?うわあ、やっぱり高校って大変なんですね。
貴彦 高校にもよるんじゃないか?あ、でもこれからもっと早く帰れるな。駅がかなり近くなるんだよ。引っ越すと。
裕子 いいですねえ。ここからじゃほんとに駅は遠いですからね。あ、じゃあ新しい住所教えてもらえますか。
貴彦 ああ、そうだな。学校に持ってってもらわなきゃ。ちょっと待っててくれ。

   貴彦、去る。
   裕子、何となく時計を眺めたりしている。
   持ってみたりもする。
   貴彦、すぐ帰ってくる。

貴彦 これ、新しい住所が書いてあるから。
裕子 あ、はい。
貴彦 ん?その時計、気に入った?
裕子 え?あ、いや、その……。すごい数の時計だなって……。
貴彦 そうかな?大分減った方だけど。
裕子 ここ時計屋さんだったんですか。
貴彦 いや、修理屋。ほら中古ばっかだろ。
裕子 そういえばそうですね。でも新しそうなのもあるじゃないですか。
貴彦 買ってすぐ壊す馬鹿がいるから。じいちゃんがよく愚痴ってたけど。
裕子 おじいさんがやってたんですか。
貴彦 そ、父さんは店継がなかったから。もうここも潰すんだよな。
裕子 時計はどうするんです。
貴彦 全部処分だな。連絡しても取りに来ないし。あ、気に入ったのあったら持ってっていいよ。
裕子 いいんですか?取りに来た時なかったら困るんじゃ……。
貴彦 取りにこない奴が悪いんだよ。それにどうせ処分するっつったろ。
裕子 勿体ないですねえ。
貴彦 中古ばっかだぜ?ま、じいちゃんが修理した奴だからちゃんと動くこた動くけど。
裕子 あれは止まってるんですか(振り子時計を指す)
貴彦 止まってるつうか止めてるっつうか…
…。ねじ巻き式のやつだからな。巻いてたのじいちゃんだし。あれはじいちゃんの時計だから。
裕子 おじいさんの?
貴彦 うん……。修理品じゃないんだよな、何でここにあるのかはおれもよく知らないけど。
裕子 あれも処分するんですか。
貴彦 だってあんな古くて重い時計、邪魔なだけだろ。ねじ巻かなきゃ動かないし。
裕子 でもインテリアに良さそうですね。
貴彦 いる?
裕子 もらっちゃいましょうか。
貴彦 君んちまでなら持ってってやるぜ。君の部屋に置くか?置きに行ってもいいぜ。
裕子 (笑う)遠慮しときます。ウチも今の時間両親いないですから。
貴彦 そりゃ好都合。
裕子 冗談ですって。それじゃあ、そろそろ帰ります。
貴彦 ああ。今日で最後になるのかな。
裕子 それも淋しいですね。何かすでに毎日の習慣ですから。
貴彦 それも悲しいな……、
裕子 あ、真梨奈さんに伝えといてくれますか。
貴彦 ん?
裕子 もうすぐ体育大会ですから。是非、学校に来て下さいって。
貴彦 体育大会?あいつ、運動苦手だからな。
裕子 結構盛り上がってますよ。真梨奈さん、美術部ですよね?パネル作りなんか参加してくれると嬉しいんですけど。
貴彦 ああ。一応言っとくよ。
裕子 それじゃあ、さようなら。
貴彦 ああ。

   裕子、出ていく。

貴彦 さてと、真梨奈は帰って来ないかな、……公園に行ってみるか。

   貴彦、出ていく。
   真梨奈、出てくる。

真梨奈 おじいちゃん……時計がもうすぐ処分されるんだって。処分ってどうするんだろ。売るのかな、壊すのかな、捨てるのかな。……まだ動くのにね。

   真梨奈、時計を持ち上げようとする。

真梨奈 駄目か……。向こうの家まで運んじゃおうと思ったのに……。ごめんね、おじいちゃん。私、力ないから。お兄ちゃんにやってもらおうかな……。

   ノックの音。

老人 ごめん下さーい。

   真梨奈、出ない。

老人 ごめん下さーい。
真梨奈 お兄ちゃ……、

   真梨奈、兄がいないことに気付く。

老人 ごめん下さーい。

   ドアが開く。

老人 おお?開いとるんか、不用心やな。ごめん下さい。

   老人、入ってくる。

老人 おお真梨奈ちゃん。お父さんお母さんおるかね?

   真梨奈、首を振る。

老人 お兄ちゃんは?
真梨奈 今、いません。
老人 そうか。じゃあちょっと待たせてもろてええかな。
真梨奈 …………。

   老人、勝手に入って勝手に座る。

老人 おお、おお。時計もすっかり減ってしもたなあ。何か殺風景やわ。
真梨奈 あの……。
老人 ん?真梨奈ちゃんも座りや。そんなとこ立っとらんと。
真梨奈 …………。
老人 相変わらず無口な子やな。おじいさんの前ではようしゃべるのに。
真梨奈 おじいちゃん……祖父の……お友達ですか?
老人 お友達かあ、お友達やな。あいつとは生まれた時から一緒やから。
真梨奈 生まれた時から……?そういえば……しゃべり方がおじいちゃんと一緒……。
老人 おお。生まれも育ちも一緒や。こっち出て来たんも同時やし。住んどったとこも一緒や。離れとったんゆうたら戦争の時くらいやな。
真梨奈 はあ……。
老人 真梨奈ちゃんのこともこおんなちっちゃい頃から知っとるで。昔から人見知りの激しい子やった。
真梨奈 …………。
老人 その困ったような顔!変わらんなあ。いっつも兄ちゃんの陰に隠れてじっとしとったわ。
真梨奈 兄のことも知ってるんですか。
老人 知っとる、知っとる。真梨奈ちゃんのお父ちゃんのちっちゃい頃までよう知っとるで。あんたは、多分お母さん似なんやな。
真梨奈 そうなんですか……。
老人 ああ。兄ちゃんはお父ちゃんそっくりやから。俊高にもよう似とる。
真梨奈 おじいちゃんに……?
老人 似てない思うか?
真梨奈 兄は……その……軽いし……。
老人 ははは、俊高は重いか。
真梨奈 いや、そういうんじゃなくて……。
老人 何、軽い軽い。あんたのおじいさんかて相当軽いで。なにせおばあさんとの出会いは海。ナンパや。
真梨奈 そうなんですか!?
老人 おお、驚いたな。忘れもせんで。50年前の夏。海で10も年下の娘、引っ掛けてきてな。翌年には結婚や。
真梨奈 へえ。
老人 聞いたことなかったか。
真梨奈 ありません。おじいちゃん、子供の頃とか、戦争の話とかはよくするけど……。
老人 いっちょ前に照れとんやろか?それともそんなんゆうたら示しがつかん思とんのかな。
真梨奈 つきませんか。
老人 つかんやろ。ガミガミうるさい頑固じじいが昔は海でナンパしよったなんて。
真梨奈 面白いですけど。
老人 面白いわなあ。あんたの兄ちゃんもその内、若いの、引っ掛けてくるかもな。
真梨奈 お兄ちゃん、まだ17ですよ。
老人 後10年もしたらや。俊高なんか29ん時、19の娘連れてきたんやから。
真梨奈 そういえばおじいちゃんとおばあちゃんって……10歳違いですね。
老人 気付かんもんやろ。年取るとな。あんま関係ないなるけんな。
真梨奈 というか……おばあちゃんの方が亡くなったの早いですから。
老人 ああ、それもあるか。あんたのばあちゃんは早かったな。俊高は長生きした方か。あいつはいつまでも元気やったな。
真梨奈 100まで生きるって言ってましたけど。
老人 かなわんかったなあ。まだ20年も残っとる。いや、79やったんか。誕生日も迎えんと逝ってしもたからな。
真梨奈 明日ですよ。おじいちゃんの誕生日。
老人 そうやな。わしの誕生日や。
真梨奈 え。同じなんですか。
老人 言うたやろ。生まれも育ちも一緒やて。死ぬんも一緒が良かったがな。まあ80年生きりゃええ方か。
真梨奈 ……早いですよ。
老人 へ?
真梨奈 だっておじいちゃん、私の花嫁姿見るって、
老人 ああ、言いよったな。
真梨奈 後5年くらいだったのに。
老人 ははは。5年後言うたら19やないか。19で結婚か。おばあさんと一緒やな。いや、おばあさんは結婚したんは20歳か。じゃあ真梨奈ちゃんのが早いな。ひょっとして相手おるんか。
真梨奈 いませんけど。
老人 見付けるんか。
真梨奈 はい。
老人 見付けれるんか。
真梨奈 はい。
老人 学校もいかんとか。
真梨奈 …………。

   間。

老人 学校は出会いの場やで。特に学生時代はな。家と公園の往復じゃ出会いもなかろ。
真梨奈 知ってるんですか。
老人 知っとる。知っとる。あんたのことやったら何でも知っとる。ほら、これ、覚えとるか。

   老人、時計を出す。

真梨奈 あ!
老人 あんたが欲しい欲しい言うて、だだこねた時計や。懐かしいやろ。
真梨奈 無くしたと思ってたのに。
老人 そうか?忘れとったんやろ。
真梨奈 うん……。
老人 あん時はおじいさん、大変やったんやで。修理頼まれとった人に逆に頼み込んで。向こうも修理に出すくらいやから結構気にいっとった時計やったみたいでな、一週間もその人んとこ通いつめとったわ。
真梨奈 知らなかった……。最初に怒られちゃったから。それに渡してくれたのはおばあちゃんだったし。
老人 素直やないからな、あいつ。一度怒ってしもた手前、自分から渡すわけにあかんかったんやろ。
真梨奈 おじいちゃん、すぐ怒る人だったから。
老人 短気やったか。
真梨奈 うん。
老人 恐かったか。
真梨奈 うん。
老人 嫌いやったか。
真梨奈 うん。……ううん。(慌てて否定)
老人 (笑って)どっちや、それ。
真梨奈 怒った時は恐かったけど……。お話は楽しかったし。
老人 そうなんか。つまらん話聞かせよるんやないかて気にしとったけどな。楽しかったか。
真梨奈 聞き飽きた話もあるけど。
老人 ああ、おんなじ話、何度もするけんな。別に前にしたんを忘れとるわけやないで。
真梨奈 そうなの?……そうだと思ってた。
老人 ははは。あんたは指摘せえへんからな。兄ちゃんの方は聞いた話はすぐ「それ聞いた」言うで。そんで続き聞かんからな。ちゃんと伝わっとるんやろか、て心配しとった。
真梨奈 伝わる?
老人 真梨奈ちゃん、覚えとるかな。おじいちゃんの子供の頃の話。
真梨奈 いろいろあるから……。でもだいたい昔は食べ物がなかったとか……物を大事にしてたとか。男は強かったとか。
老人 何か抜粋すると有りがちな説教みたいやがな。
真梨奈 有りがちかな?
老人 へ?
真梨奈 おじいちゃんの他にそんな話する人いなかったから。
老人 ああ、そうやな。それも……そうやな……。

   間。

老人 ……しかし他のもんはまだ帰ってこんのか。お母さんら帰ってくるん、いつぞ。
真梨奈 だいたい7時頃……。
老人 遅いな。兄ちゃんは?
真梨奈 いつもなら家にいるけど……。私を探しに公園に行ったみたい。
老人 あんたを探しに?何で。
真梨奈 私がいつもそこにいるから……。
老人 今日はここにおるやないか。兄ちゃん、知らんと出て行ったんか?
真梨奈 …………。
老人 あんたなあ、兄ちゃんが心配しとるんやろ。何で追い掛けてやらんのよ。
真梨奈 …………。
老人 あんまり兄ちゃんに心配かけんな。いつまでも甘えとったってあかんで。
真梨奈 うん……。
老人 学校行くだけでみんなが安心するんやったら安いもんやろ。それとも心配して欲しいんか?

   真梨奈、首を振る。

老人 それやったら行きや。毎日来てくれるお友達もおるんやろ。きりのええとこでいっとかんといつまでもずるずるいけんなるで。
真梨奈 うん……。……ごめんなさい。
老人 明日は学校行くか。
真梨奈 明日、日曜日。
老人 あ、明後日行くか。
真梨奈 うん。
老人 よし。ほったらわしも帰るわ。
真梨奈 え?
老人 今日は真梨奈ちゃんの顔見れただけで良しとしとこわ。真梨奈ちゃん、学校行く言うてくれたし。それじゃ、また来るわ。あんたは兄ちゃん呼びに行き。
真梨奈 うん。

   老人、ドアへ向かう。

真梨奈 あ、
老人 ん?
真梨奈 ……ばいばい。
老人 ん。

   老人、去る。
   真梨奈、しばらく迷って兄を探しに行く。
   貴彦、裕子、入ってくる。

貴彦 ただいまー。
裕子 お邪魔しまーす。

   貴彦、入る。裕子、迷ってる。

貴彦 どうしたの?
裕子 ここ……靴のままでいいんですか。
貴彦 ああ。うん。靴脱ぐところは奥にあるから。ここは土足でいいよ。
裕子 変わってますね。
貴彦 そうか?ここは店の入り口だからな。店は普通土足だろ。玄関は裏手にあるし。
裕子 そうなんですか?こっちにも表札出てるから、
貴彦 こっちが玄関だと思った?
裕子 はい。だってお兄さん、いつもここから出入りしてるんじゃないですか?
貴彦 学校や公園行くんならこっちの方が近いからな。玄関から出たらぐるっと回らなきゃならない。
裕子 はあ……ここの裏手ならそうですね。行ったことないですけど。
貴彦 おれの部屋からだと本当は玄関の方が近いんだけどね。(奥へ行って)あれ?真梨奈、靴ねえな。
裕子 帰ってないんですか?
貴彦 公園にいなかったから帰ってると思ったんだけど……。
裕子 あ、あれ、真梨奈さんのかばんじゃないですか。
貴彦 ほんとだ。一応帰っては来たんだな。なら心配ないか。

   貴彦、かばんを持っていく。

貴彦 おれの部屋こっち、2階だから。
裕子 あ、はい。

   貴彦、裕子、去る。
   ドアが開く。

老人 あら、また開いとる。全く。どうして店のドアを開けっ放しにするんやろ。おーい、ごめん下さーい。

   間。

老人 ごめん下さーい!
貴彦の声 はいはーい。

   貴彦、入ってくる。

老人 おお貴彦君やないか、今日は。
貴彦 ……誰ですか?
老人 どちら様ですか、やろ。
貴彦 どちら様ですか。
老人 そんな投げ遣りに言わんでもええやろ。今、貴彦君、一人か。
貴彦 (自分の部屋の方を気にしながら)ええ、まあ。
老人 ほんとか?女の子でも連れ込んどるんちゃうか。
貴彦 ……何の用ですか。
老人 図星やな。あんたもやっぱおじいさんそっくりや。若い子、引っ掛けたんやろ。
貴彦 …………。
老人 また何か物やったんか?
貴彦 また?
老人 また、や。えっと……ああ、これや、これ。懐かしいなあ。おい、貴彦君、これ覚えとるか。
貴彦 あ……。
老人 おまえが昔、勝手に女の子にあげた時計や。あん時もおじいさん怒っとったやろ。あんたは何でもすぐ人にやるんよな。
貴彦 子供の頃のことですよ。
老人 どうかな。また女の子にここの時計あげよとしとるやろ。
貴彦 もういいんですよ。店は閉めてますし。どうせ処分するんですから。
老人 処分なあ……。売るんか、壊すんか、捨てるんか。
貴彦 知りませんよ。それぞれじゃないですか?売れるようなの、ないでしょうけど。持ち主が取りに来ないのは価値がないからなんでしょうね。
老人 じゃあ捨てるんか。
貴彦 親に聞いて下さい。ぼくが捨てるわけじゃないですから。
老人 この時計は。じいさんが大事にしとった時計やろ。
貴彦 それは……。その……。
老人 女の子にあげるんか。
貴彦 どうでもいいじゃないですか。
老人 こんなんもらっても迷惑なだけやろ。ねじ巻かな動かんし。
貴彦 動かなくてもいいんですよ。別に。
老人 これは時計やで。時計として使わんのやったら捨てた方がええわ。
貴彦 そうですかね。
老人 当たり前やないか。道具は使うためにあるんやで。
貴彦 鑑賞用、も立派な使い道じゃないですか。
老人 屁理屈やな、そんなん。ところで真梨奈ちゃんは。
貴彦 出掛けてます。
老人 どこに。
貴彦 知りませんよ。公園にはいませんでしたから……本屋かな。
老人 真梨奈ちゃん、本読むんかい。
貴彦 よく読んでますよ。漫画の方が割合多いですけど。友達いないから暇なんじゃないですか。
老人 友達おらんのかい。
貴彦 作ろうとしないんですよ。もう2学期になったってのに学校行かないし。夏休み中は行く、って言ってたんですよ。今日だって……、
老人 怒っとんか。
貴彦 え。
老人 怒っとるな。真梨奈ちゃんが学校行かんから。
貴彦 ……そりゃそうですよ。中2にもなって甘えてばっかで。別にいじめられたわけでもないんですよ?成績悪いわけでもないし。毎日来てくれるような友達もいるのに……。誰かに言われなきゃ行かないんですよ。
老人 君が言うたらええやんか。
貴彦 ぼくが言っても駄目ですよ。今日だって行くって言ってたのに。結局またさぼってるんですから。
老人 真梨奈ちゃんは学校が嫌いなんやろか。
貴彦 さあ。昔はちゃんと行ってましたけど。
老人 いつから行かんなったんよ。
貴彦 祖父が死んでからですかね。中学入ってよく休むようになって……祖父が死んでからは一度も行ってませんよ。
老人 何でかな。
貴彦 それがわかれば苦労しませんて。
老人 今日は学校行く言うたんやろ。
貴彦 ええ。
老人 あんたが言うたんか。
貴彦 いや……。母が。引っ越しの連絡ぐらいしにいけって。
老人 なるほどなあ。好美さんが言うたんか。好美さんのことはわしもよう知らんからな……。
貴彦 おじさん……誰です?
老人 はは、最初の質問に戻ったな。わしはあんたのじいさんの古い親友や。
貴彦 親友……。
老人 もう80年からの付き合いや。長い長い。
貴彦 葬式では見かけなかったですけどね。
老人 うん……一緒に埋葬して欲しかったわ。
貴彦 は?
老人 いや、冗談冗談。今日はな、貴彦君に聞きにきたんや。
貴彦 何をですか。
老人 あんた、おじいさんの話、覚えとるか。
貴彦 祖父の?どの話ですか。
老人 全部。
貴彦 覚えてるわけないじゃないですか。あんなどこまでほんとかわからない話。
老人 わからんか。
貴彦 特に戦争中の話とかは。泣く泣く家に置いてきた犬が南方の方でピンチにかけつけたとか。
老人 忠犬やないか。
貴彦 戦争中、気が付くとお花畑にいたとか。川を渡ったとか。
老人 そら臨死体験やないか!
貴彦 そんな話ばっかですよ、でも。ほとんど戦争の話です。真面目な顔して変なこと言うんですよ。
老人 覚えとるか。
貴彦 覚えてませんよ。聞き流してましたから。
老人 何でや。
貴彦 それは……。
老人 じいちゃんのこと、嫌いやったか。
貴彦 嫌いじゃないですけど……好きにはなれませんよ。
老人 はっきりしとるな。
貴彦 古いんですよ、考え方が。男は強くなきゃあかん!とか。女は家を護るもんや!とか。
老人 古いか。
貴彦 古いですよ。わしはお国のために戦ったとか、いまだに言ってるんですから。
老人 おかしいか。
貴彦 騙されてたってことくらい、すぐ気付くでしょ普通。
老人 あいつもわかってなかったわけやないやろ。
貴彦 え?
老人 あいつかて戦後50年も生きたんやで。わかっとらんわけない。
貴彦 わかってませんよ。あの人の頭の中じゃいまだに鬼畜米英とかって単語がありますから。
老人 それやったら外国製の時計なんかいじるやろか、
貴彦 へ?
老人 ほら、えっと……これや。メイドインアメリカ。
貴彦 読めなかったんじゃないですか。読めたにしたって仕事だからでしょう。
老人 そんなにじいちゃん、アメリカ嫌いやったか。
貴彦 イギリスもね。ぼくが英語使うと怒りますよ。ドイツ語ならいいんでしょうかね?朋友ドイツとか言ってましたから。
老人 ええんかもしれんな。でもあいつもそんなにこだわっとったわけやないと思うで。
貴彦 こだわってますよ!戦争賛美者じゃなかったみたいですけど、完全なる国粋主義者ですよ。そりゃ、そういう教育受けてきたからでしょうけど。
老人 それでも間違いにくらいは気付くわ。ただ簡単に否定したくなかったんやろ。わしの前でもようこぼしとった。昨日の敵が今日の友、なんてわしは単純な頭しとらん!とかな。
貴彦 頑固なだけですよ。
老人 頑固か。
貴彦 筋金入りです。
老人 そんなにひどかったかな。
貴彦 ひどいですよ!知らないんですか。ぼくが女の子といるとすぐ軟弱者、とか言うんですから。
老人 (爆笑)ははは、こらええわ。あいつ、そんなこと言うとったか、
貴彦 言ってましたよ。
老人 ほったらあいつも軟弱者やわ。戦争帰って来てから女のケツばっかり追い掛けよったからな、ええ年して。
貴彦 そ、そうなんですか。
老人 ほうや。何せ奥さんとの出会いもナンパやからな。あいつの友達には戦争のショックで不能になったんもおるゆうのに。
貴彦 じゃあじいちゃんっておれとおんなじ……?
老人 ははは。似とる、似とる。若い子好きなとことか。おんなじや。
貴彦 別にぼくは若い子が好きなわけじゃ……。
老人 その内わかる。自覚する。あんたのじいさんもそうやった。
貴彦 あんまり言わないで下さいよ。ショックなんですから。
老人 ショックか。
貴彦 じいちゃんに似てるなんて。初めて知りましたよ。まあぼくはああはならないですけど。
老人 ならんか。
貴彦 なりません。
老人 なって欲しいな。
貴彦 何でですか!
老人 世の中から老人がおらんなるで。
貴彦 はあ?
老人 年取ったら年取った分、頑固にならな。
貴彦 何言ってるんですか。

   裕子、入ってくる。

裕子 あの……。
貴彦 あ、裕子ちゃん。ごめん、すぐ行くから。
老人 ここで話したらええやないか。
裕子 でも……。
老人 あかん。若いもん同志二人っきりにするわけにあかん。こっち来い。
裕子 はあ……。
貴彦 あなた……じいちゃんそっくりですよ。
老人 そうか、どこが似とる?
貴彦 古いです。
老人 はっきり言うな。
貴彦 じいちゃんの方がちょっときついですけど。
老人 じいちゃんよう怒鳴りよったからな。ほれあんた、こっち座り(裕子に)
裕子 はい……。
老人 何や、えらいおとなしなってしもたな。この兄ちゃんとしゃべっとる時の元気、どしたん。
貴彦 知ってるんですか!?
老人 わしは何でも知っとる。君も毎日毎日ご苦労なことやな。
貴彦 知ってますね……。
老人 君、ほんとはこの兄ちゃんに会いとうて来とったんちゃうか。
裕子 違います。
貴彦 さ、さらりと否定するな……。
裕子 私は真梨奈さんのことが心配なんです。
老人 ほう、よう言うた。普通やったら先生に頼まれてとか言うで。
裕子 頼まれてませんから。
貴彦 え、そうなのか?
裕子 先生も半分諦め気分ですよ。でもそんなこと言ったら益々真梨奈さんが来れなくなると思って。
貴彦 まあそうだろうけどなあ。へえ、君、ほんとに真梨奈のために来てくれてたんだ。
裕子 何だと思ったんですか。
貴彦 いや……。
老人 でもえらいなあ、なかなか出来ることやないで。素晴らしい!
裕子 ……や、やっぱりクラスメイトは全員揃った方がいいじゃないですか(照れてる)
老人 うんうん。その通りや。兄ちゃん見てみ。これが新日本女性や。
貴彦 それ五十年前の言葉ですよ。
老人 やかましいっ!意味は大して変わらん。
貴彦 そうかなあ……。
老人 ところで嬢ちゃん、この兄ちゃんのこと、どう思っとる?
二人 へ?
老人 少々軽いけどええ男やろ。
裕子 は、はあ……。
貴彦 何言ってるんですか、おじさん!
老人 あほ、真梨奈ちゃんよりはお前の方が年上やから、嫁さんくらい見とこ、思とるんやないか。
貴彦 ……は……?

   真梨奈、帰ってくる。

真梨奈 ただいま。あ、おじさん、お兄ちゃん。
老人 おお、真梨奈ちゃん帰ってきたか。じゃあわしはそろそろ帰るかな。
貴彦 何しに来たんだよ、あんた。
老人 忘れてしもたわ。記憶喪失やろか、
貴彦 記憶力を喪失してんじゃねえか。
老人 言う言う。その方がお前らしい物言いや。じゃあな。

   老人、帰る。

貴彦 何だよ、あいつ。真梨奈。お前知ってるのか。
真梨奈 うん。さっき会ったから。
貴彦 そうじゃなくて、
裕子 ねえ、……竹内さん……よね?
真梨奈 え……?
貴彦 あ、真梨奈。この子、いつも来てくれてる子だよ。村上裕子さん。
真梨奈 村上さん……。
貴彦 挨拶しろよ、お前は。
真梨奈 あ、初めまして。
貴彦 お前な……。
裕子 今日は。一度会ってるけどね。
真梨奈 あ、そうなの……。ごめん。
貴彦 毎日来てくれてた子だぞ。今日で最後だけど。やっと友達に会えたんだし、お前もそろそろ、
真梨奈 うん。学校行く。
貴彦 へ?
真梨奈 行くって。
裕子 ほんとに!?竹内さん!
貴彦 どうしたんだ、急に。
真梨奈 私が学校行っちゃ駄目なわけ?
貴彦 そうじゃなくてな……。何でいきなり……、
真梨奈 へへ……今日怒られちゃった。
貴彦 誰に。
真梨奈 さっきのおじさん。
貴彦 はあ?
真梨奈 学校行け、学校に行かないと出会いもない、お兄ちゃんも心配してるぞ、って。
貴彦 んな……在り来りな説教で行く気になったのか。
真梨奈 在り来りかな。
貴彦 在り来りだろ。
真梨奈 でも誰も言わなかったよ。
貴彦 …………。
裕子 あのおじさん……誰なんですか。
貴彦 さあ。
真梨奈 知らない。
裕子 知らないって……。
貴彦 何か……じいちゃんの友達とか。
真梨奈 おじいちゃんそのものだけどね。顔以外。
貴彦 そうだな。
真梨奈 顔はおじいちゃんの方がいいけど。
貴彦 そりゃそうだ、おれの血が入ってるんだから。
真梨奈 それって逆じゃない?
裕子 すっごいおじいさんって感じのおじいさんでしたね。
貴彦 何だ、それ。
裕子 私、あんなに素直に誉められたの初めてですよ。私は祖父も祖母も物心ついた時にはいませんでしたから。
真梨奈 へえ……ウチは全員いたけどなあ。
貴彦 じいちゃんが最後だったよな。一番年上だったのに。
裕子 いいなあ。おじいさんとか。
貴彦 いいか?年寄りなんか考え方古くさいし、頑固だし、いいとこなんかないだろ。
裕子 あー私はいないからそう思うのかもしれませんね。
貴彦 そうそう、いたら絶対邪魔くさいって。
真梨奈 でもいろいろお話してくれたよ。
貴彦 暇だからだろ。あんまり繁盛してなかったもんな、ここ。君もこの辺住んでて知らなかったんだろ?
裕子 そういえばそうですね……。でもこの辺、歩くことってあんまりないから。
真梨奈 私だってこんな小さな店なら見過ごすよ、絶対。移動の時は自転車か車だもん。あ、後電車か。
貴彦 お前、公園までも自転車だもんな。
真梨奈 お兄ちゃんだってそうじゃない。
貴彦 おれは単に時間の短縮のため。歩くと時間かかるじゃないか。
真梨奈 お兄ちゃん、そんなに忙しい?
貴彦 おれは受験生だぞ。
真梨奈 見えない、見えない。
裕子 竹内さんって結構明るいんだね。
真梨奈 え?
裕子 大人しい子って評判だったからさ。休み時間なんか本読んでてあんまりしゃべんないって聞いてたし。お兄さん見てると信じられなかったけど。やっぱり、
貴彦 大人しくなんかなかったろ。こいつ、猫かぶるのは得意だから。
真梨奈 人見知りなだけよ。
貴彦 確かになー。おれ、その人見知りっていうの信じられないんだけど。
真梨奈 お兄ちゃん、初対面でも慣れなれしいもんね。
裕子 あ、私、二度目に会った時はすでに裕子ちゃんって呼ばれてた。
真梨奈 でしょー?特に女の子にははそうなんだから。名前とか覚えるのだって女の子だけは早いんだよ。
貴彦 男の子だけ、だったら気持ち悪いじゃないか。
真梨奈 そりゃそうだけど。
貴彦 そうだ。お前、クラスメイトの顔なんか全然わからないんだろ?お前、ただでさえ人の顔覚えるの苦手なのに大丈夫なのか。
真梨奈 何とか……なるよ。
裕子 私が教えてあげるって。そうだ、竹内さん。明後日から一緒に学校行こうよ。
真梨奈 え?
貴彦 でももう引っ越すんだぞ。
裕子 住所見ましたけど途中で通りますよ。むしろこっちより行きやすいです。
貴彦 そうなのか。じゃあ真梨奈、一緒に行け。学校まで付いてってもらえばさぼることもないだろ。
真梨奈 信用ないなー、ちゃんと行くよ。
貴彦 何度も裏切られてっからな。じゃあ裕子ちゃん、よろしく。
裕子 はい。

   玄関のドア、開ける音。

貴彦 あ、母さん帰って来たかな。それじゃ、今日は……、
裕子 はい、帰ります。
貴彦 ごめんな、誘っといて。
真梨奈 お兄ちゃん、誘ったの!?
貴彦 聞き流せ。気にするな。
真梨奈 するって。
裕子 あの、じゃあ。竹内さん、また。
真梨奈 あ、うん……ばいばい、
裕子 お邪魔しました。

   裕子、去る。

貴彦 さあて、宿題宿題。
真梨奈 誘ったの、お兄ちゃん。
貴彦 まだ半分以上残ってるんだよなあ。
真梨奈 お兄ちゃん。村上さん、誘ったの。
貴彦 あ、化学も何か覚えるのあったっけ。
真梨奈 お兄ちゃんってば。

   貴彦、真梨奈、言いながら去る。
   照明ゆっくりと落ちる。
   音楽。
   薄暗い明かりになった。
   古時計にスポット。
   真梨奈、出てくる。
   古時計のねじを巻いている。
   他の時計をいくつか止める。
   そのまま去る。
   暗転。
   音楽が終わって、
   照明CI。
   貴彦、出てくる。
   古時計以外の動いている時計を一つ一つ止めている。
   鼻歌など歌ってる。
   その内の一つを手に取る。

貴彦 お、これなんか裕子ちゃんにいいな。(裏返したりしながら)名前も書いてないし。どうせ捨てるんだ、これもあげようかな。

   ノックの音。

貴彦 はーい。

   老人、入ってくる。

貴彦 あ、昨日の……。
老人 今日は。
貴彦 両親、向こうにいますよ。
老人 ああ、かまん、かまん。あの二人に用事やないけん。
貴彦 おれですか、真梨奈ですか。
老人 両方やな。真梨奈ちゃんは?
貴彦 まだ起きてませんよ、あいつ寝起き悪いから。
老人 まだ起きてない!?もう十時やで。
貴彦 昼まで寝る癖が付いてるんですよ。
老人 両親、何も言わんのかいな。
貴彦 諦めてます。あいつの寝起きの悪さは天下一品ですから。起こしにいけるのはじいちゃんぐらいでしたよ。
老人 あんたは。
貴彦 ぼくが部屋に入ると怒りますから。蹴とばすんですよ。あいつ、ほんとに、何かぼくにだけ反抗期が来てるような気がして……。
老人 両親とは反抗するほどおらんのやないか。
貴彦 そうですね。忙しいですから。父親なんか今日みたいに休日いるのも珍しいんですよ。朝、いたんでちょっとびっくりしました。
老人 まあ引っ越しの日くらいわな。それよりあんたは何しよるんや。
貴彦 時計、止めてるんです。電池も抜かなきゃなりませんしね。どうせ処分するんですから。
老人 そうか。全部捨てるんか。
貴彦 これと(先程手に取った奴)あれ(古時計)は捨てません。
老人 何でや。
貴彦 裕子ちゃんにあげるんですよ。
老人 あんな大きなもんもかい。
貴彦 裕子ちゃんち、広いですから。親子三人暮らしなのにウチよりでかいみたいですよ。
老人 一人一部屋もありゃ十分やろ。
貴彦 そうですかねえ?ぼくの部屋なんか狭いから嫌なんですけど。
老人 贅沢言うな。わしらが子供の頃なんか何人もの兄弟が一部屋にひしめいとったんやで。
貴彦 そんな時代じゃないですよ、今は。ぼくらが大人になった頃には一人に一軒の時代ですかね。
老人 そんなわけあるかい。
貴彦 でもおじいさんの昔から比べたら今の状況だって想像つきました?
老人 ……つかんけど。でもそうやな、例え一人一軒の時代が来ても君らはおんなじようなこと言うんやろ。
貴彦 同じようなこと?
老人 わしらが子供ん頃は一人一部屋やった、ってな。
貴彦 言いませんよ。
老人 言うな。
貴彦 言いませんって。何でそんなに断定出来るんです。
老人 わしらもそうやからや。
貴彦 え?
老人 いつの時代も老人は老人や。年取れば人は頑固になる。お年寄りがおらん時代はないやろ?
貴彦 まあこれからは高齢化社会ですしね。
老人 絶対ああはならん!言よった奴らがそうなるねん。君もそや。頑固じじいになる。
貴彦 なりません。
老人 なる。
貴彦 なりません。
老人 なる。
貴彦 なりません!
老人 ほら、すでに頑固やないか。俊高もそうやった。
貴彦 じいちゃん?
老人 あいつも流行に敏感やったし、ちゃらちゃらしとったわ。あんな頑固じじいになるやなんて誰も想像しとらんかった思うで。
貴彦 じいちゃんが……。想像出来ないですね。
老人 やろ。50年もありゃ人は変わる。だんだん頑固になって、和食が好きんなって、アイドルに興味のうなって、体動かすんつろなって、演歌の方が好きんなって、
貴彦 盆栽とかいじるんですか?冗談じゃないですよ。
老人 冗談じゃないで。ほんとや。朝、目覚めるんが早なる。近くのもんが見えんなる。おしっこ近なって、寝るんが早なる。
貴彦 そりゃ単に老化でしょう。
老人 体の変化が心の変化や。
貴彦 そんなこと言いに来たんですか。
老人 あ、違うけど。うん、でも一部や。
貴彦 は?
老人 わしが何言よるかわかるか。
貴彦 ぼくも老人になるってことですか。
老人 ちゃう。
貴彦 年取ると人は変わるってことですか。
老人 微妙にちゃう。いや、微妙にあっとる。ほとんどはずれや。
貴彦 じゃあ何ですか。
老人 わからんか……。難しいもんやなあ、説教て。あんたのじいさんは上手かった。
貴彦 そうですか?じいちゃんなんか下手ですよ。在り来りのことばっか言うんですから。わかりやすいって言えばわかりやすいですけど。
老人 在り来りが在り来りになるには相当言われなあかんので。やから在り来りなんこそ、いっちゃん言われてきた大切なことやがな。
貴彦 おじさんの説教も似たようなもんですね。
老人 あ、これ説教か。そうやな、一つ加えよ。年取ると説教好きになる、なんてな。
貴彦 それには賛成します。
老人 あら。
貴彦 おじさん、
老人 ん?
貴彦 おじさんは誰ですか。
老人 その質問は二度目やな。
貴彦 三度目です。
老人 あれ?そうやったかいな。
貴彦 おじさんは誰ですか。
老人 これで四度やな。
貴彦 ごまかさないで下さいよ。
老人 ごまかしてないて。答は昨日言うたやろ、
貴彦 じいちゃんの古い親友、ですか。そんな人、心当たりありませんけどね。
老人 ひどいなあ。あんたが知らんでもわしはよう知っとるのに。
貴彦 ぼくは、

   ドアが開く。

裕子 あ、今日は。
貴彦 裕子ちゃん。
老人 おお、どしたんぞ今日は。休みの日に来るやなんて初めてやないか。
貴彦 時計を取りに来たんですよ。
裕子 それと新しい家を見に。
貴彦 へ?
裕子 住所だけじゃわかりませんから。
貴彦 昨日、わかったみたいなこと言ってなかった?
裕子 あれは、
老人 嘘やな。
裕子 そうです。
貴彦 へ?何で、
老人 君も鈍いやっちゃなあ。真梨奈ちゃんのために言うてくれたんやろ。
貴彦 ああ。……そうか。
老人 嬢ちゃんもようあの子のために尽くすな。そんなにあの子のこと気になるか。
裕子 気になってた、ですよ。会ったことなかったですから。
老人 過去形か。
貴彦 どういうこと?
裕子 だってもし真梨奈さんが……、ほんとに、学校行けないような子だったら……、早い内から何とかしてあげなきゃ、と思って。
老人 偉いなあ、ほんと。
裕子 これでも教師志望なんですよ。
貴彦 ほんとにって……どういうことだ?
裕子 ほら、人の目が恐いとか、行こうとするとすぐどこかが痛くなるとか、行きたいのに行けないような、辛くて悩んでる人とか。
貴彦 真梨奈は違うな。
裕子 はい、昨日会ってわかりました。だから安心したんです。
貴彦 前から言ってたじゃないか。あいつは甘えてるだけだって。
裕子 家族の意見だからって鵜呑みに出来ないんですよ。家族が気付いてないことだってあるんですから。
老人 ほんまにはっきりもの言う子やな。
裕子 アメリカ帰りです。
貴彦 マジか?
裕子 母が、ですけど。
貴彦 何だよ……。
真梨奈 おはよおー、

   真梨奈、下りてくる。
   寝癖がついている。
   眠そうだ。

貴彦 お早ようじゃねえよ、
裕子 お早よう、竹内さん。
真梨奈 あ、村上さん!あ、えっと(頭を押さえて)お早よう。
貴彦 髪くらいといてこいよお前。
真梨奈 だって人がいるなんて思わなかったんだもん。
貴彦 何しにきたんだ?
真梨奈 お母さんがお兄ちゃんの方、手伝えって。
貴彦 ああ!そうだ、真梨奈、この中の時計から電池抜いて、そのダンボールにいれていけ。電池はその袋。
真梨奈 ここに入ってるの?(引き出し)
貴彦 そう。
真梨奈 腕時計じゃん。どうやって電池出すの。
貴彦 知らないのかよ。
真梨奈 知らない。
貴彦 じゃあいいよ、そっちの大きい方やれ。
裕子 あ、私も手伝いましょうか。
貴彦 あ、いい、いい。君は座ってて。
裕子 でも……
貴彦 あ、じゃあ先にその時計持ってくか。
真梨奈 どの時計?
貴彦 これ(振り子時計)
真梨奈 どこに持ってくの?
貴彦 裕子ちゃんち。
真梨奈 こんな馬鹿でかい時計を?
貴彦 いいんだよ、インテリアなんだから。……あれ、動いてるな。
裕子 あ、ほんと。
真梨奈 壊れてるわけじゃないもん、そりゃ動くでしょ。
貴彦 そうかもしれないけど。

   突然、振り子時計から時を告げる鐘の音が鳴る。

貴彦 な、何だ。
真梨奈 これよ、この時計。
貴彦 何でこんな半端な時間に鳴るんだよ。
真梨奈 わかんない。

   間。

裕子 ……止まった。
貴彦 今、何回鳴った?
裕子 さあ……。
貴彦 時間、合ってないぞ。やっぱ壊れてんじゃねえか。
真梨奈 壊れてないって。
貴彦 ……真梨奈、これ動かしたのお前か?
真梨奈 え……。
貴彦 お前だな。
真梨奈 うん……。
貴彦 お前な、動こうが動かまいが、一緒なんだよ。どうせこんな大きい時計、ウチじゃ使わないんだ。裕子ちゃんちに置いた方が時計も幸せだろうが。
真梨奈 …………。

   間。

老人 ……そうやろか。

   間。

老人 その時計、じいさんの時計やろ。生まれてからずっとじいさんとおった時計やろ。ほれやったら……じいさんと共に死にたいんちゃうか。

   間。

老人 今日はその時計の80歳の誕生日や。今日燃やしてやるんが一番ええ。

   間。

貴彦 ……今、ダイオキシンの問題とかあるから、簡単に燃やしちゃいけないんですよ。(冗談半分に)
老人 埋めたってええ。(マジ)

   間。

老人 その時計はおじいさんの時計や。
貴彦 生まれも育ちも一緒、ですか。
老人 死ぬんも一緒や。
貴彦 一緒じゃないですよ。
真梨奈 死にたかったの?おじさん……。
貴彦 そんな馬鹿な。友達が死んだからって死ぬ必要ないですよ。
裕子 そうですよ。大切なのは死んだ人の、
老人 やかましわっ!

   間。

老人 こんな……こんなあいつがおらん空間に取り残されとるよりはええわ。80年や、わしはお前らが生きた5倍、あいつと過ごしとるんや。人生の一部や。体の一部や。
裕子 腕がなくたって生きられますよ。
老人 …………。
貴彦 そうだよ、髪が無くなったって、歯が抜けたって、生きてるぜ。そんなもん、老化だ。
老人 ……一緒にすなや。あいつは。わしの。
真梨奈 甘えん坊。
老人 へ?
真梨奈 頑固。
老人 何を……。
真梨奈 意地っ張り。
老人 …………。
真梨奈 短気。
老人 …………。
真梨奈 そっくりだよ。
老人 …………。
真梨奈 私、この半年間、ずっとおじいちゃん代わりにしてきたもん。もうちょっといてよ。
老人 …………。
真梨奈 私が結婚するまでさ。
老人 ほんなん……あんたが結婚するまで待っとったら何十年かかるねん。
真梨奈 ひっどーい。私は十代の内に結婚するんだからね。
貴彦 そっか。
真梨奈 ……何?
貴彦 真梨奈は母親似。
老人 おう、年上好みか。そういや好美さんらも若いな。女の血は女に受け継がれとるんやな。じゃあ……後5年か。
真梨奈 私の子供も見る?
老人 はは……そんなん言よったらキリがないが。
裕子 キリなんかないんですよ。
老人 な、何?
貴彦 いれる限りいてくれよ。それがじいちゃんだろ、
真梨奈 おじさん、おじいちゃんの代わりするために来てくれたんじゃないの。
老人 ほんなん……ちゃうわい。ただ、二人を叱りに来ただけや、それだけや……。
貴彦 何だよ、それ。
老人 ああ、それから誉めに、や。ほんで戦争の話、するために、や。
貴彦 おじさん、戦争行ってないでしょ。
老人 兵隊だけが戦ったんちゃうで。わしがおったとこも半分焼けた。危なかったんやで。
裕子 そういう話の出来る人ってもうおじいさんくらいの年なんですよね。
老人 ……そうや。君らがわしらぐらいになった時、それが足りんのや。
真梨奈 戦争?
老人 子供ん頃の話やったらすることいっぱいあるやろ。50年後がどんな世界か知らんけど今より変わるんは間違いない。あんたらがわしらみたいになるんも間違いない。
貴彦 そうかなあ……。
老人 けどそれだけがない。
貴彦 でも、じいちゃんの子供の頃の話とか、やっぱり貧乏だったとか出てくるよ。
老人 貧乏やないか。お前らも、
真梨奈 貧乏かな?
貴彦 貧乏じゃないだろ、別に。
老人 でも将来は今と比べりゃ大金持ちかもしれんで。昔を振り返れば、物のない時代、なんや。物はどんどん増えてくからな。
裕子 ああ。そうですね。
老人 貴彦君に言いたかったんはこれや。
貴彦 おれに?
老人 俊高の言よったことやから、貴彦は大きなってから人の話を最後まで聞かん、言うて。
貴彦 じいちゃんの話って結末これだったんだ……。
老人 馬鹿にした話でもないやろ。ほんとかどうかはそらわからんわ。未来のことなんやから。
貴彦 じゃあ真梨奈は?
老人 んなもん叱りに来たんや、当たり前やろ。
真梨奈 あ、やっぱり。
老人 ぐぢぐぢ甘えとったから。処分される前に言うとこ思てな。
貴彦 処分はしないって。
老人 処分せえ!わしはもう覚悟は出来とる。

   貴彦、ため息。
   真梨奈、裕子、笑う。

老人 何がおかしい。
貴彦 じいさん、この子んちに運んでやるのもこっちの家から見りゃ「処分」なんだけど。
老人 ほんなん……、
裕子 動きたいならねじ巻きますよ?
真梨奈 もう壊れたふりしても駄目だからね。
老人 お前ら……老い先短い老人の願い、汲んでやろう思わんのか。
真梨奈 いつまでもぐぢぐぢ言わないでよ。おじいちゃんの代わりに100歳まで生きようよ。
貴彦 よし、真梨奈、そっち持て。(時計を持ち上げようとしている)
真梨奈 うん。
老人 おい、お前ら、

   貴彦、真梨奈、持ち上げてドアへ向かい、出ていく。

老人 なあ、わしは、ほんまに、ちょっと!待ってくれや。

   老人、追い掛けようとするのを裕子が止める。

裕子 おじいさん。
老人 な、何や。
裕子 おじいさん。
老人 何?
裕子 頑固で意地っ張りで考えが古くさいおじいさん。
老人 余計なお世話や、
裕子 誉めてくれたの、嬉しかったですよ。
老人 あん?
裕子 叱ってくれるのも、嬉しいんですかね。
老人 …………?
貴彦の声 おーい裕子ちゃん、こっちでいいのー?
裕子 あ、今行きまーす。

   裕子、ドアから出ていく。

老人 ……わからん、若い子の考えとることはほんまわからん。なあ、嬢ちゃん、

   老人、裕子を追い掛けて去る。
   時を告げる鐘が鳴る。
   ゆっくりと照明が落ちて、
   鐘が八つなったところで、

―幕―


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