忘れ物

「……あれ?」
 がさがさとカバンの中から教科書やノートを机の上に放る。筆記用具を取り出したところで、花村陽介はふと中身の違和感に気付いた。
「……あれ……」
 椅子に座ったまま、カバンを抱き込むようにして中を漁る。最後には机の上に全て引っくり返したが、目当ての物がない。
「…………」
 陽介は記憶を探りながら、再びカバンの中を詰めていく。
 普段教科書類はほとんど机の中に入れっぱなしだが、宿題があったため、それに必要なものだけカバンに入れた。そのときカバンの中身を……出した、だろうか。
「……クマ、お前おれの眼鏡知らねぇ?」
 陽介のベッドに勝手に横になり漫画を読んでいるクマに声をかける。漫画ににやついていたクマは顔を上げることもなく気のない声で答えた。
「知らないクマよー。大体ヨースケ、眼鏡なんてかけて……」
 そこまで言って言葉が止まった。
 驚いたように顔を上げて、ようやく陽介を見る。
「ま、まさか! クマのあげた眼鏡なくしちゃったクマか!?」
 大声を上げるクマに陽介は顔をしかめる。
「まだなくしたとか言ってねーだろ! ってかカバンに入れといたはずなんだよ。今日はテレビん中行ってねーから出すわけないし……」
 クマに貰った眼鏡は、眼鏡ケースに入れて持ち歩いている。
 テレビの中へは学校帰りに行くことも多いため、常にカバンの中に入れっぱなしだった……はずだ。
「……おっかしいなー。一旦外出したか?」
 宿題のことを指摘され、慌てて机の中を漁ったのは覚えている。そのとき…そのとき……?
 頭を抱えて悩む陽介に、クマが何故か心配そうな顔で体を起こす。
「また誰かに取られちゃったクマか?」
「またって何だ! 前のは落としたの拾われただけだっつーの!」
 クマが言っているのは一週間ほど前に携帯をなくしたときのことだった。
 割と大騒ぎしたので印象深いのだろう。はあ、と息をついて陽介はカバンを放り投げた。
「……ま、落としたとしたら学校だろーし、明日学校行ったとき探しゃいいだろ」
「明日は日曜クマよ?」
「……そうだった…」
 まあ、でも明日探索に行くという話にならなければ関係はない。
 気まぐれなリーダーは連続して潜ったり何日も入らなかったりとペースが読めないが、なんならこっちから先に遊びに誘ってしまうという手もある。今は誰かが中に閉じ込められているわけでもない。大抵の誘いなら乗るだろう。
 そう思ったとき、携帯が音を立てた。
「おっ、センセイからか?」
「馬鹿、こりゃ里中だ」
 着信音で分かるようになっている。電話を取れば、もしもしと言う間もなく元気な声が聞こえてきた。
「はあ? 終わってねーよ、今からやるところ……って、何でそうなるんだよ! ああ!? ちょっと待てあいつもそう言った……ああ、もうっ!」
 こちらの言葉はほとんど聞かず一方的にまくしたてて電話は切れた。もうすぐテレビで目当ての番組が始まるから用件だけだと。メールを打つ時間が惜しかったのだろう。そんな言い方をされてはかけ直すわけにもいかない。
「どうしたクマか?」
「……明日、テレビん中行くとよ」
「お? 本当クマか? じゃあ今日は早く寝ないとねー」
 何故かうきうきしてるクマは読みかけの漫画だけはしっかり持って自分の布団に戻ろうとする。
「……クマ、お前さっきおれがした話覚えてるか」
「え? さっきはヨースケが……あああっ!」
「忘れんなっ! おれ今眼鏡ねーんだよ、どうすんだよ!?」
「明日朝早くに取りに行くとか…」
「日曜は学校入れねーよ! ったくあいつも了解したっつうし、どうすんだよ……」
「ヨースケ、お留守番か?」
「冗談じゃねぇ! ……けど、眼鏡なしじゃ無理だよなー、あそこは……」
 学校以外に眼鏡を置き忘れた可能性を考えてみるが、思いつかない。今日はバイトもあったからほぼ真っ直ぐ帰宅したはずだ。体育や移動教室もなかったから、カバンから離れてもないだろう。誰かがいじった可能性もない。そもそも、昨日は確実にあったとも言い切れないのだが。
 漫画本を抱えて突っ立っていたクマは、悩む陽介の姿をしばし眺めたあと、ひらめいた、と言うように指を立てた。
「なら、クマに任せるクマよー。明日までに何とかすればいいクマね?」
 にっこり笑うクマを、陽介は一瞬ぽかんとして眺める。
 すぐに理解して頷いた。
「そうか…あれ、元々お前が作ったもんだったよな」
「そうっ! 明日までなら余裕クマ! ヨースケは宿題でもしてるクマー」
 楽しそうに去って行くクマを少し眺めて、陽介は椅子をくるりと回転させ机に向き直った。とりあえずそちらの問題は解決。
 あとは教科書とノートを広げ宿題の態勢。
 だが。
 ……わかんねぇ。
 問題数はそう多くないが、難し過ぎる。解ける気がしない。
 千枝も同じようなものだったらしい。なのに何故テレビの中に行くという発想が出るのか。現実逃避しても宿題は終わらないぞ。
 ……ま、明日会うんならあいつに教えて貰やいいか。
 結局数分で諦めて、陽介はそのままベッドにダイブした。
 まだ眠るつもりではないが、眠ってしまったときのために携帯の目覚ましだけはかけておく。
 テレビん中入ったら疲れるし……あいつなら先に終わらせてるかな……。
 考えている内に案の定、陽介はそのまま眠りに入っていた。










 翌日。
 一旦フードコートに集まった面々が、いつもの如く客の居ない家電売り場からテレビの中へと入っていく。真っ白な空間。少し離れると互いの顔がぼやけた影にしか見えないこの感じは久々だった。いつもは、入ってすぐに眼鏡をかけるから。
「おい、クマ」
「むむむぅ……」
 何やらごにょごにょ言っているクマは、後ろから軽くはたいてやるとようやく目を覚ましたようにピンと背筋を伸ばした。着ぐるみなので雰囲気だけだが。
 やたら寝起きの悪かった今日。夜更かししたのは眼鏡のせいかと少し気になる。手を出した陽介にクマも手を出しかけて……引っ込めた。
「……おい?」
「……き、昨日の漫画凄く面白かったクマよ」
「……おい」
「ヨースケ寝てるからちゃんと起こさないようにこっそり続き探してね……」
「…………」
「…………」
「…………」
「おーい、どうしたのー?」
 無言で見詰め合ってる陽介とクマに、千枝が気付いたように声をかける。仲間たちも集まってきた。
「あれ? 花村先輩眼鏡どうしたんスか」
「あ……」
「え、まさか忘れたの?」
「違ぇよ、ちゃんとクマに……」
「そ、そう、ちゃんとあるクマよ、ね!」
 そう言ったクマは異様な素早さで陽介の手に眼鏡を追しつけてきた。そのままずずっと後ろに下がる。
「……おい」
 再びの呟きにクマがびくっと反応するのがわかった。
「……鼻眼鏡じゃねーかよ!」
「そそそ、それも立派に使えるクマよー!」
 かつて冗談で作ったはずの鼻眼鏡。
 ちゃんと霧は見通せる仕様にはなっている。
 というかこれは以前投げ捨てられたはずじゃなかったか。わざわざ拾ったのかまた作っていたのか。少なくとも昨日作ったものでは……あるまい。漫画に夢中になって時間がなくなったと。つまりはそういうことだ。
「何? 忘れたどころかなくしたの?」
「いや、多分学校にあるんだって!」
「じゃ、やっぱ忘れたんじゃない!」
 クマは素早く千枝の後ろに隠れてしまい、千枝と対峙することになる。ああ、霧が濃くて顔もよく見えない。
「なら今日はそれをかけるしか……ぶっ」
「はいはい雪子、想像で笑わない」
 既に肩を震わせている雪子に千枝が呆れた目を向ける。それも陽介からは確認がし辛い。かといってこれをかけるのは……。
 陽介は手元の鼻眼鏡に目を落とす。
「せめて鼻外せねーのかよ……」
「あ、それは無理クマ。ずれないようにきっちり接着してあるクマ!」
「威張って言うな!」
 試しに引っ張ってみたが、言葉通りのようだった。
「あの……」
 陽介は辺りを見回し、何とか影の高さで完二を判断して目を向ける。
「完二、今日お前のサングラス貸せよ。これと交換で」
「な、何言ってんスか! 横暴っスよ!」
「いーじゃん、完二なら似合いそうだし。少しは優しく見えるんじゃないー?」
「うるせー! お前は黙ってろ!」
「何よ、その言い方ー!」
「あのさ……」
「っていうか花村今日行くの? 眼鏡ないなら大人しく残ってればいいじゃん」
「動かなくても見えねーと頭痛ぇよ、これ」
 既に今の状況も結構ストレスだ。慣れた仲間ではあるので表情も動きも予測は出来る。だが……見えない。
「あの、皆さんちょっといいですか?」
「ん?」
「どうした直斗」
 それまで黙っていた直斗が何故かおずおずと言ってくる。どこかに視線を向けたらしいが、少し動いたということしかわからなかった。
「あの、先ほどから何か言いかけてたようなので……」
「えっ、嘘何?」
「ごめん気付かなかった」
 千枝と雪子が同時に顔を向けた先──さすがに体格でわかる。相棒の姿。みんなからの注目が集まって、ほっとしたように息を吐いたのがわかった。
「あー、いや、その、昨日な?」
「お、おう?」
 何故か言い辛そうに近付いてきた相棒に陽介は一瞬怯む。
「帰りに教室寄ったとき、眼鏡ケース落ちてるの見つけて。誰のかと開いてみたらどう見ても陽介のだったから、忘れたか落としたしたんだろうと思って持って帰ったんだよ」
「え……」
「え、そうだったの?」
「ちょっ、それ早く言えよ! じゃお前が持ってんの?」
「ええと……」
「何、どしたの?」
 言葉を詰まらせる男に千枝が首を傾げる。
「……家に忘れてきた」
「…………」
 申し訳なさそうに呟いた言葉に、その場の空気も少し止まった。
「……なるほど」
「いや、どうせ学校で会うしそこで渡そうと思ってて……でも探索行くなら必要だよなとは思ってたんだけど、忘れないように宿題と一緒に置いてたのが裏目に……」
「いや、そんな気にすんなって。そもそも忘れたのおれなんだからよ」
「ホント悪い、今から取ってくるから」
 そう言って中央に置かれたテレビに向かう男に、千枝が慌てたように声をかける。
「え、ちょっとわざわざ帰るの? いーじゃん、今日は花村鼻眼鏡で」
「よくねーよ!」
「だってせっかく来たのにさぁ」
「いや、すぐ戻るから。みんな勝手に先行くなよ?」
「わかってるって。悪いなホント」
「鼻眼鏡……」
「雪子がまだ未練あるっぽいよー?」
 いまだ思い出しながら笑っているらしい雪子を千枝が示す。
「そんな爆笑してたら戦いにならないじゃないか。っていうかおれも笑う」
「笑うのかよ……」
 多分真面目な顔をして言い切っただろうに相棒に苦笑いを返す。ああ、やっぱり見えないとこちらのリアクションも取り辛い。
「あ、じゃあ私先輩と一緒に行っちゃおうかなー」
 一人で行って帰るの寂しいでしょ、とりせがすっとその腕に絡みつく。まあ確かに何かむなしい行動になるとは思うが。
「それに先輩の部屋、一度入ってみたかったしー」
「そこまで行く気かよ」
「いや、駄目だ、部屋に入れたら長い時間を過ごすことになるから……」
「何でだよ!」
 ずれてるような直球のような気のする相棒の言葉にも律儀にツッコミを返す。ちぇー、とりせは軽く言ってすぐに離れた。特にこだわるものでもなかったらしい。
「じゃ、ホントすぐ戻るから」
「おー」
「いってらっしゃーい」
 全員で見送り、相棒の姿がそこから消える。
 陽介はそれを確認したあとその場に座り込んだ。
「大丈夫っスか先輩」
「あー頭痛ぇ。目瞑ってた方が楽だなまだ…」
 周りを見ようとしてつい力が入っているのだろう。こめかみを押さえた陽介に、「鼻眼鏡…」と小さな呟きが聞こえてきた。天城だ。とりあえず聞こえなかった振りをしておく。
「にしても、あのリーダーが忘れ物とはねー。何かそういうのきっちりしてそうなのに」
「普段持たないものですし、学校に持って行くという方に意識が行き過ぎてたんでしょうね。わざわざ宿題とセットで置いていたようですし」
「でも今日の先輩、他にも何か違和感あったような気がするんすけど」
 完二の呟きに陽介は何となく顔を上げる。
 ぼんやりした霧の中、首を傾げているのがわかった。
「そういえばさ……」
 りせは先ほど腕を取ったときの感覚を思い出しているのか、何度か腕をすがるように動かす。
「……先輩、武器持ってなくなかった?」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
 全員が顔を見合わせる。
「……あれ、言われてみるとそんな気がしてきた……」
 千枝は頭に手を乗せて考え込む。
「……あれ、結構目立つもんね」
 雪子の言葉に全員が頷いた。
 木刀袋に無理やり入れられた剣は、大抵木刀には見えない。
「……やっぱり忘れてるクマよ!」
 ひょっとして眼鏡を口実にさりげに取りに行くつもりだったのだろうか。
 それとも忘れたことにも気付いてないのか。そうだとしたら、下手すると二度手間になる。
 立ち上がった陽介に全員が注目しているのがわかった。霧の中でも、視線って感じる。
「行って来るクマー!」
「へいへい……」
 どうせこの霧の中眼鏡なしで居るよりマシだ。
 メールするより追いついてしまおう。
 テレビから出た陽介は、そのまま相棒の家まで駆け出した。


 

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