自覚
・男主女主同時存在&卒業式後生きてるパラレルワールド。
静かな病室内に、鉛筆の動く音だけが延々と響いている。
窓も閉め、カーテンも閉め、ひたすら没頭して鉛筆を動かしていたチドリは、ふと廊下の物音に手を止めた。
枕元近くに置かれた時計に目を向ける。
そろそろ、順平の来る時間。
チドリはスケッチブックをめくると、白紙のページに再び線を入れる。
だが、その手はそれ以上動かない。
「…………」
再び元のページに戻る。
画面いっぱいに描かれた順平の絵。
開いていたら、見られてしまう。
でも、新しい絵を描こうにも、順平の顔しか浮かばない。
「……馬鹿みたい……」
結局チドリはスケッチブックを閉じた。
それ以外にやることはない。絵を描くか、順平と話すか、順平を待っているか。ただそれだけの時間。
チドリは鉛筆を持ったまま、無意識に胸を押さえる。
もうすぐ順平が来る。
そう思うだけで。
こんなにも胸が苦しい。
……順平が、悪いんだ。
やがて扉がノックされ、しばらくしてから返事も待たずに扉が開く。明るい、いつも通りの能天気な声がチドリの耳に響いた。
チドリは右手の鉛筆をその順平に投げつける。
順平が驚いたように足を止めた後、チドリは順平を睨みつけながら言った。
「……もう、来ないで」
イラつきの混じった、低い声だと他人事のように思った。
「……何だそれ」
「何だそれじゃねーよ! おれにもわけわかんねーんだって!」
「ホントにわかってないの? っていうか随分前にも全く同じこと聞いたはずなんだけど」
「……いや……そーなんだけど……」
順平はでもなぁ、とぶつぶつ呟きながら肩を落とす。昼休みの時間帯。順平の目の前にはまだ袋から出されてないパンが置かれたままだ。胸が痛くて食べられないらしい。そんな馬鹿な。
机の角を挟んで順平に横顔を向けている神谷は、食べる手を止めて順平の相談に乗っている。順平の正面に座る恭子はひたすら山と積まれたパンを食べていた。何で男たちの方が量が少ないんだろうとたまに疑問に思う。
「良かったじゃんか。2度目の恋〜とか何とかはしゃいでたのはお前だろ。まさか、まだその発言の理由がわからないとかじゃないだろ?」
「……そー……なんだけど……」
順平の顔が心なしか赤い。
まあ、出てけといきなり言われて彼女がおれに恋をした! とか言える男もなかなか居ないだろう。いくら同じ経験があるとはいえ。
あのときのように諦めずに通え、と神谷が言っている。こんなに喋っている神谷は珍しい。自分のパンを食べ終わった恭子は、そんな男の姿を見つつ、こっそりその前のパンを奪う。
「でもさ……。やっぱきついんだぜー。好きな子にああいう風に言われんの。本気で嫌がってるように見えるし……」
「本気で嫌がってるんだろ」
「お前なっ!」
「だって彼女は、お前に苛々する理由わかってないし」
神谷のパンを食べながら恭子も頷く。どちらも恭子のことは見ていなかったが。
言いたいことはあるのだが、とりあえずパンを食べ終わってから。
恭子はそう思いつつ2人を眺めていた。
「……どうしたらいいと思う?」
結局順平の相談事はここなのだろう。彼女が順平を好きになっているとどう気付かせるか。そんなこと直接言葉に出来ない。恥ずかしい。
「そうだな……。……また死んでみるか?」
神谷が右手で銃の形を作り順平に突きつけた。順平の顔が引きつる。
「洒落になってねー……」
「前はそれで気付いたろ」
「だからって同じこと出来っか! ってか思い出させんなよ、もう。何か心臓痛くなる」
「そうか、おれもだ」
「は?」
胸を押さえて宙を仰いだ順平に、神谷が淡々と言う。
そして右手を伸ばしてがしっとその頭を掴んだ。
恭子の位置からその顔は見えないが、笑っているのか怒っているのかはちょっと気になる。
「お前、完全にチドリと2人の世界だったけどな? お前が撃たれるの目の前で見たおれらの気持ちも考えろよ?」
「……ゴ、ゴメンナサイ……」
ぎりぎりと力をこめられて、順平の顔が歪む。痛みだけではないだろう。ああ、怒っているのか。
神谷の気持ちには正直同意したかったので恭子も一緒に睨みつけておく。相変わらず2人はこちらを全く見ていないが。
そして、ようやくパンを食べ終わった恭子は、売店の袋にゴミをまとめ声を出した。
「じゃあさ、こういうのはどう?」
「ん?」
男2人の視線が向く。
恭子が真っ直ぐ順平と目を合わせているのを見て、神谷はとりあえず自分のパンを食べようと目の前に手を伸ばした。
見当たらないパンをきょろきょろと探し、机の下まで覗き込んでいるが、恭子はそれには目を向けない。
「順平、今日も見舞い行くでしょ?」
「あー……まあ……」
「じゃ、私も一緒に行くから!」
「……へ?」
「大丈夫、任せて!」
元気良く宣言した恭子に、順平は押されつつも頷いた。
神谷は途方に暮れたような顔をして、まだパンを探していた。
コンコン、と控えめなノックが聞こえて、チドリは口を開いた。
順平の来る時間。
心臓が跳ね上がる。
何も言わなければ、順平は勝手に入ってくる。今は駄目だと言えば、ずっと廊下で待ってくれる。だから、言わなきゃ。
入ってくるなと。そもそも、何でまた来たんだと。
チドリはスケッチブックを胸に抱いたまま声を出そうとするが、結局ゆっくりとその口を閉じた。
がちゃ、といつもより遅いテンポで開いた扉から、目が離せない。
「よ、よおーチドリ」
遠慮がちに入ってくる順平を睨みつけようとしたチドリは、次の瞬間目を見開いた。
順平の隣で、順平の左腕に両腕を巻きつけるようにして、1人の女性が立っている。
「こんにちは。お久しぶりー!」
片腕だけ外して元気にその手を上げた女性は、見覚えがある。
順平と同じような制服。順平の──順平の、何だ?
確かに見た覚えはあるのに、声を聞いた記憶も話をした記憶もない。それは順平以外に対する全ての記憶がそうだった。最初からチドリは、「あの人」以外はどうでも良かった。なのに…なのに今は順平が、「あの人」への思いを邪魔する。
「……帰って」
だから、そう言ったのに。
順平はやってきた。しかも、女の子を連れて。
女は再び順平の腕を取り、こちらを見て笑っている。何かを企んでいるようないやらしい顔。自然、チドリの目が険しくなる。気に食わない。小さな声でその女の名らしきものを呼ぶ順平も。何もかも。
「まあまあ。少しくらいいいじゃない。ねー順平?」
「おい恭子、これ……」
順平は少し困った顔で女を見下ろしていた。だが、振り払うようなことはしない。順平の腕を掴んだまま女が側に寄って来る。
「ねえ、たまには私ともお喋りしようよ?」
「……順平から離れて」
「え、何?」
「…………」
女は順平を掴む腕に、益々力をこめた。まるで胸を順平の腕に押し付けるかのように。順平が少し赤面しているのがわかって、益々苛立ちが募る。
「順平から離れて!」
大きな声が出た。順平が驚いた顔をしていたが、それには構っていられない。女はにんまり笑うと「何で?」と挑発するように言ってくる。
何で?
何で。
そんなこと、どうでもいい。
ただ、女が気に食わない。
思わず振り上げた手を──受け止めたのは順平だった。
「ちょっ、待てってチドリ! 恭子、お前もこんな、ってどわっ!」
イラついたまま、チドリの手を止めた順平の腕を引く。
だが、女も負けじと順平の腕を引っ張った。
「ちょっおっ! 何コレ!? 何この状況!」
「大岡裁き?」
「じゃあ離せよっ!?」
順平が叫んだのは女の方だった。
2人の引っ張り合いで順平の体は止まっているが、チドリにはそれほどの力はない。どちらかといえば、引っ張る女に対して順平の方が抵抗している。順平は……こちらを見ない。
順平を離して。
順平を、
「ほら! 順平痛がってるから離すのよチドリ!」
「いや、別に痛くはねーけど……」
「余計なことは言うなー!」
「そっちが……離してっ……!」
力をこめる。
「順平は、私の……」
搾り出すような言葉が出たとき、──ぱっ、と女が手を離した。
両手を開いてこちらに見せた姿が目に入った瞬間、順平がチドリの側へと倒れてきた。
「あっ!」
「うおっ……!」
「きゃっ……!」
慌ててベッドに付いた順平の手がシーツで滑る。半端な位置から落ちかけた順平に思わず手を伸ばし──滑り落ちるシーツに巻き込まれるように、2人して床に落ちた。
「だ、大丈夫?」
「痛ぇ〜」
「あ……」
予想外だったのか、少し慌てた声を出した女の声は後ろから聞こえた。チドリは──ほとんど痛みがない。
体に巻きついたシーツと……クッションになった順平のおかげで。
「あっ、チドリ! 怪我ないか!」
順平の上に乗ったまま、順平に肩を掴まれる。少し痛い。
焦った声と、心配する表情に、何かを思い出しかけた。
それはでも、心の中にあった何かが消えていく思い。
「……チドリン……?」
俯いてしまったチドリに、順平の声が途端に弱気になる。
駄目だ。やっぱり駄目だ。
「……帰っ……て……」
声が震えた。
泣いているわけではないのに。
「順平が居ると……忘れちゃう。楽しいのも苦しいのも、全部、あの人のものだったのに。いやだ、もうこれ以上、」
私に入ってこないで。
そこまでは言葉に出来なかった。
上半身だけ起こしていた順平が、そのままチドリの頭をその胸に抱きこんだのだ。
「…………!」
抱きしめ、られている。
数秒遅れてそれに気付く。
「……ごめん」
順平の声がやけに間近で聞こえた。
押し当てられた順平の胸からも、響いている気がする。
「それでもおれは……おれが、その……」
どくどくと、順平の鼓動が早まっているのがわかる。
ぎゅっ、と思わず目の前のシャツを握る。
「チドリを、好きだから……」
順平の搾り出すような声が静かになった病室に響く。チドリの背後で少し気配が動いたが、順平もチドリも気付かなかった。
チドリの手から力が抜ける。
「ち、チドリ……?」
完全にもたれかかってきたチドリを慌てて順平が支える。
「あ、あの、もし、チドリが……その、人のこと、忘れらんなくても、」
途切れ途切れに言う順平に首を振る。
順平が戸惑うように言葉を切った。
もう、わかった。
「……見付けた……」
「え……?」
心臓の音。
上書きされていく気持ち。
違う。
ただ、重なっていた。
「私も……」
小さく呟き始めたチドリの声に重なるように、背後で静かに扉が閉まる音がした。
(おまけ:順平←女主の場合)
極力音を立てないように。極力気配を消して。
恭子は扉を閉めてゆっくりと息を吐いた。
自分も少し緊張していたらしい。
予定とは大分違った気がするが、上手くいきそうだ。
にやけそうになる顔を抑えて扉から離れる。
「良かった……」
自然、そんな言葉が口をついて出た。
外に出ようと歩き出して、すぐ側に立っている男に気付く。
神谷だ。
無言で、じっとこちらを見ている。
「良かった?」
そして先ほどの呟きを聞いたのか、鸚鵡返しにそう聞いてきた。
「うん、良かった」
笑顔でそう言って神谷に近付く。
順平とチドリが上手く行きそうで。
そして。
「……良かった」
並んで歩き始め、ふいにこみ上げた感情に足が止まる。
「ホント、良かった……」
笑顔なのに、声が震えている。
ぽん、と肩を叩かれて、恭子は呟くように続けた。
「……告白しなくて、ホント良かった……」
笑おうとしたけど、笑顔は作れなかった。
1月に。
チドリの復活をまだ知らないときに。
ひょっとしたら自分は。
「……帰ろっか」
それ以上は考えないようにして、恭子は一度首を振ると神谷の手を引く。
もう、笑顔は戻っていた。
大丈夫だ。
私は、今まで通りでいい。
順平の一番の親友でいい。
ちらりと神谷の姿を振り返ってから、恭子は元気に駆け出した。
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