風邪

 風邪を引いた。


 小鳥の鳴き声が聞こえる、もう朝か、などとベッドの中でぼんやり思っていたのに携帯を見ると12時前だった。2度寝したのか、さっき鳴いていたのかはよくわからない。日曜だったが、特に着信は入っていなかった。いつもはうるさいぐらい鳴りっぱなしの電話なのに。まあどうせ断らなきゃならないからいいんだけど。
 思いながら携帯を枕元に放る。だるい。喉が痛い。動く気になれない。ああ、だけど水が欲しい。
 もう1度目を瞑ったまま携帯を取る。
 ぼんやりする視界から順平のアドレスを呼び出してメールを打った。

  件名:風邪
  本文:水持ってきて

 送信画面をぼんやり眺めてまた目を閉じる。
 返信は早かった。ああ、でも隣から全く音が聞こえないということは。
 携帯を手にメールを開く。

  件名:Re 風邪
  本文:悪ぃ。今外。誰もいねぇの?

 あー……。
 何となく窓の方に目をやった。きちんと締められていないカーテンの隙間から漏れる光が眩しい。
 昼まで寝てることも多い順平が昼前に外に居る。ということは友達と遊びにでも行っているのか。
 どうしたものかと携帯を手にしばらくぼんやりしていると、ちょうど廊下から足音が聞こえた。がちゃり、とドアの開く音。静かにしているせいかいやに響く。
 ……真田だ。

  件名:Re2 風邪
  本文:居た

 送信画面に眠気が来る。
 真田へメールを打たないと、と思うのに手から力が抜け、携帯が滑り落ちた。
 しまった、と思う間もなく携帯はそのまま床へと激突する。かつん、と軽い音がしてまた静かになった。
「…………」
 拾わなければ。
 もうそれならいっそ起きて水ぐらい取ってくるか。
 迷っていると再びドアの開く気配がした。
 足音が遠ざかる。
 これから昼食…ぐらいか。
 外に行かれたらどうしよう。
 のろのろと布団から手を伸ばし、携帯を取る。そのまま滑り落ちるように床へと降りた。
 あ、寒い。
 熱っぽくて気付かなかったが、意外に室内の気温が低い。布団から出たことで震えが来る。
 ぼーっとする頭を振りつつ携帯を持ったまま扉へと向かう。
 そういえば部屋には鍵がかけてある。どちらにせよ起きなきゃどうにもならなかった。
 階下へと向かう途中にもう1度順平へメールを打つ。

  件名:Re2 風邪
  本文:帰りにプリンかよーぐるとかあいす

 お腹が空いているがそれくらいしか食べる気がしない。
 後半変換が出来てない、読み難いなと思いつつもそのまま送った。
 何かツッコミが来るかと思ったが、返信は「了解」の一言だけだった。










「たっだいまー」
「あ、お帰り。遅いよ順平」
「え、まだ6時台じゃん」
「薬は?」
「ほれ」
 三つ持っていた袋の中から一番小さなそれを放る。昼過ぎにゆかりから買って来いとメールされたものだった。ソファに座っていたゆかりは投げるな、と言いながらそれを受け取る。そのままそちらに向かうと、ちょうど順平から死角になっていた位置に何やら妙に着膨れした我らがリーダーの姿が見えた。
「すげー格好だな。起きて大丈夫なのか?」
「……だるい」
「大丈夫じゃねーじゃん」
「ご飯ぐらい食べろって言ったからねー。朝から何も食べてないとか言うんだもん」
「あー、風邪引いてるときってそうだよな。あ、そうだこれ」
 残った二つの袋の内一つ。二番目に小さな袋にはヨーグルトとアイスが入っている。
「おー……」
 礼も言わずに受け取った男はしばらくじっと中身を見てから、順平を見上げてくる。
「……両方?」
「一つはオレの! ま、別に両方でもいいけど」
 言いながらようやくその隣に腰を下ろす。
 残った最後の袋に入っていたのは、自分用のコンビニ弁当だった。温めてもらったのでヨーグルトやアイスとは袋が別になっている。
「あ、ちょっと、食べるんならご飯の後にしなさいよ」
 袋を空け、取り出したところで聞こえたゆかりの声に一瞬動きが止まるが、言われたのは自分ではなかったらしい。隣を見れば既にヨーグルトの蓋を開けていた男が悲しそうな顔になっている。
 というか結局両方食べる気なのか、それならアイスから食え溶けるだろ。
「出来たよー! 大丈夫、ちゃんとおかゆになった!」
 頭に浮かんだそんな言葉は、口にする前に台所方向からの元気な声に遮られた。どたどたとこちらに駆けて来るのはエプロンを付けて何故か炊飯器をそのまま抱えた山岸風花。ゆかりは気にすることもなく立ち上がると笑顔でそちらに向かった。
「お、やるじゃん。どう? これなら食べれそう?」
 炊飯器がどかっと机の上に置かれる。
 順平も一緒に覗き込むと、確かに中にあるのはおかゆだった。かなり水分が多めな気がするが、まあ食べられないことはないだろう。……余計なものが入っていなければ。何だ、あの緑…はまだともかく、黄色や赤や黒は。
 同じことを思ったのか、風花を見上げるタイミングは同時だった。風花は一瞬きょとんとして少し苦笑いになる。
「あの、元気が付くようにっていろいろ入れてみたの。だからお水も増やしたんだけど、ちょっと多かったかな…」
 そこじゃねえ。
 順平は思わず、俯いてしまった男の肩をぽんと叩く。
 風邪とはいえ勇気は漢だ。
 きっと完食するのだろう。
 ゆかりと風花がおかずを取りに行っているのを横目に、順平は弁当を食べ始めた。



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