男が仙人になった日

 皆守甲太郎が新宿に帰ってきたのは、約1年振りのことだった。
 海外での仕事が立て続けに入り、帰る間もなく次の依頼。今度の仕事も3ヶ月はかかるだろうと言われていたものだったが、奇跡的に1ヶ月足らずで終了したため、ぽっかり空いた時間を利用して、皆守は単独で帰省した。ただし、実家に帰るつもりは毛頭ない。
 皆守はタクシーの中、自分の携帯に来ていたメールを読み返す。
 新宿に新しいカレー屋が出来たと。
 八千穂に取手、七瀬に何故か阿門まで。
 かつての仲間たちから立て続けに来ていたメール。
 店の詳細から、そこで食べた報告まで、結局10人近い人物からそこに関する連絡を貰っていた。
 最初のメールが、確か一ヶ月ほど前だ。
 仕事がやたら早く終わったことは、それとは関係ない。
 関係ないと言い張っているが、九龍は愚痴っていた。そのやる気をいつも出せと。
 本当に、そんなつもりはなかったのだが。
「謎のインド人ねぇ……」
 八千穂の言葉だけなら適当に流していたが、他の仲間からもそういった書き方をされていた。どうやら自称らしい。
 怪しいことこの上ないが、店のメニューに惹かれるものがあるのは確かだ。
 ただ本場のカレー、というだけなら既に皆守は各地で味わっている。
 本場であればいいというものではない。様々な味を楽しめることこそ、カレーの魅力だ。
 皆守が携帯を閉じ、顔を上げたとき、ちょうどタクシーが止まった。
 金を払って降りたところから噂の店が見えている。
 昼時を少し外しているせいか、静かなものだった。まあ美味い店には必ず行列が出来るというものでもない。
 皆守はまっすぐその店へと向かう。
「スワガトヘー! 魅惑のカレー桃源郷へようこそぉ!」
 店の主人は、確かに謎のインド人だった。










「伝説のカレーのレシピだぁ!?」
 九龍の叫びが天井の高い遺跡内部に響き渡る中、皆守はいつものように悠然とアロマを吹かしていた。ここはとある高校の閉鎖された焼却炉の下。蓋を開けるとそこへ降りるためのロープが下がっていて、こういった隠し遺跡の好きな九龍は興奮しまくりだったが、そこで聞かされたのは予想外にも程がある話だった。
 ここで手に入るのは、幻のカレーのレシピだと。
「お前、こっちは彼女とのデート放り出して来たんだぞ!」
 遺跡を見付けた。他の奴が既に攻略中だが見たいなら来い。
 そんな連絡が来たのはつい昨日のこと。
 任務終わりで、最近出来たばかりの外国人の彼女とデート中だった九龍は、結局それを放り出して帰ってきた。まあ、うん、何かぎすぎすしちゃってたしこれ幸いって気はあったけど。何かもう決定的に振られたと思うけど。
 付き合い始めてすぐ1ヶ月連絡なし状態だったのを責められていたところだったので、もういいかとも思ってしまう。
 それでも一応そんな言葉を返してみるのは、カレーのことになるとどこか回線の飛ぶ親友をとりあえず詰ってみたかったからかもしれない。半分は八つ当たりだ。皆守もそれはわかっているのか、鼻で笑って流す。
「何だ、まだ振られてなかったのか」
「おお。まだだよ、まだ!」
 言われたわけじゃない。九龍は開き直ってそう叫ぶ。
 電話もメールも返事がなくても、まだ。実際ここから何事もなかったかのように続く場合だってあるんだからな!
「……で? カレーのレシピだって?」
 とはいえ、これ以上突っ込まれたくない話題でもあったので、とりあえずそちらに乗ってみる。
 皆守は口元でパイプを揺らしながら笑う。
「ああ。……ま、噂程度だがな。試してみる価値はあるだろう?」
「そりゃお前にとってはな……」
 幻のカレー、かぁ。
 つまり秘宝、に置き換えりゃいいんだな。まあ、九龍はそもそもお宝自体にはそれほど興味はない。探索が出来ればそれでいいのだ。
「けど、よりによって封札師の仕事、と……」
 カミフダと呼ばれるオーパーツの一種を専門に扱う封札師は、トレジャーハンターと比べてもなかなか数が居ない。普通の人間には見えないものを見る目が必要なのだ。ハンターたちの間でも、カミフダの関わる遺跡には介入しないのが暗黙の了解となっている。勿論、勝手に破って無理矢理遺跡を突破する無茶なハンターも過去に居たことは居たのだが、痛い目にあって退く者の方が圧倒的に多い。
 九龍はそこで辺りを一通り見渡した。
 焼却炉下にあった遺跡には三つの扉がある。どれも既に解放されているようで、閉じた遺跡独特の人を跳ね付ける雰囲気を感じない。だが、普通の人間である九龍が入るには大きな危険が伴う。少し特殊な皆守も同様だ。
 見えない敵、というだけなら危険を覚悟で飛び込んでみてもいい。暗闇の中、勘で戦うのと同じことだ。だが、見えない扉、見えない足場、そしてカミフダを使わねば解除出来ない仕掛け。それらは、九龍にはどうにもならない。
「ここに、その……レシピがあんのか?」
「正確には違うな。新宿に、まだ遺跡が眠っている。だが、目当ての場所はまだ解放されてないんだ」
「あー、その、今攻略中のハンター……じゃなくて、封札師が辿り着いてないってことか」
「ああ。いつになるかわからないし、お前で解けるんなら、と思ったんだが」
「ああ、お前結局最初からここに連れて来る気だったな?」
 見たければ来い、とか言っといて。
 見たいに決まってるだろ、でも来て欲しいんなら最初から言えよ!
「デートが終わってからでも良かったんだがな?」
 皆守がにやりと笑って、九龍はがっくりと肩を落とす。
 そこで気を遣ったんだと言われたら返す言葉もない。いや、言われてないが。
「……どうかなぁ。まずは入ってみるか?」
 どちらにせよ、九龍は入る気は満々だった。
 攻略は出来なくても、見たことのない遺跡。興味はある。
 それに、カミフダの関わる遺跡は──別世界のような光景が広がっていると。そんな噂もあった。是非確認したい。
「ああ。HANTがあればそうやばいことにもならないだろ」
「お前、目当てはHANTかよ!」
「それもあるな」
「この正直者」
 見えない扉でも、空間さえ察知すれば爆弾で吹っ飛ばすという手もあるか。
 見えない敵でも、HANTが反応ぐらいは示してくれるか。
「……行くか」
 九龍は考えながらも、躊躇いもせず目の前の扉を開いた。
 土を踏む感触が続く。
 あちこちに生えた草と……その先には稲穂。
「おお、すげぇ……!」
「……へぇ……話には聞いてたが、本当に遺跡内部とは思えないな…」
 皆守は驚きというより少し呆れているようにも見える。
 超古代文明の神秘だ。この類は九龍も初めて見る。
「ってか、お前どこまで調べたんだ? 中までは入ってないんだよな?」
「今日お前が来なかったら一人で行ってみるつもりだったがな」
「何その情熱。お前ホント、本業でもそれ出せよ」
 単独で遺跡探索?
 この面倒臭がりが。
 それを言うと皆守は訝しげな顔で答える。
「ああ? これも本業だろうが」
「金にならない仕事は本業とは言いません」
「伝説のカレーのレシピだぞ? 金に換算出来るか!」
「……何かごめんなさい」
 だからお前、カレーに関しては人が違うって!
 誰だよお前!
「……ま、いいや。とにかくまあ、やってみりゃいいんだろ。フォロー頼むぜ」
 何はともあれ、遺跡だ。探険だ。
 目的はともかく、楽しんどこう。
「ああ、任せとけ」
 こんなやる気の皆守も、滅多に見れるもんじゃないしな……!










「ロゼッタの人間が訪れるのは久々だな」
「別に仕事で来たわけじゃないがな」
 数日後。
 皆守は喫茶店で一人、フレンチトーストを食べていた。
 カレーを食べたあとなのでコーヒーだけにする予定だったが、長話になったついでだ。
 カレー屋の主人と意気投合し、気付けばここを紹介されていた。求めているのは──伝説のレシピ。それは、古代インドの伝承でのみ知られる究極にして禁断の知識。元々、海外でも耳にした話だったのだ。それを、カレー屋の主人も知っていた。そして求めるそれが──ここにあると。
 僅か数日で遺跡の場所や、そのレシピの入手方法を調べ上げ、トレジャーハンターまで引っ張ってきた。幻のカレー、を鼻で笑わないだけの情熱ぐらいはある。カレーに関しては。
「それに、正確にはロゼッタの人間じゃない。ロゼッタの人間の雇われだ」
 秘宝に関する情熱は、言われてみれば薄いかもしれない。
 だからか、皆守はずっとそういう立場だった。
 パートナーとして正式に登録することも出来るらしいが、組織に所属することにはいろいろと面倒が伴う。手続きの段階から、九龍は面倒臭がったし、その点は皆守も同様だった。お互い細かいことにこだわる方でもないので、適当になあなあで済ませたままここまで来ていた。とりあえず特に問題は起きてない。
 皆守がHANTを持っていないのは、そういう理由だ。
「で、どうなんだ? それじゃあ紹介は出来ないか?」
「いや……肩書きは関係ない。ちょうど最近よくやってくれている封札師が居る。まだ若いが、仕事の腕は確かだ。……任せてみるか?」
 喫茶店のマスターというには渋みのある眼帯の男は、低い声でそう皆守に問いかけた。
 ドッグタグという名のこの店は、裏で封札師への依頼を請け負っている。結局、あの遺跡はカミフダを扱えるものでなければどうにもならないと、九龍との探索で判明した。
 つまり、封札師でなければこなせない仕事。それが皆守がここに来た目的。
 皆守が返事をするために顔を上げたとき、にわかに入り口辺りが騒がしくなってきた。ちらりと目をやれば、学生服の男女が数人、雑談をしながら入ってくる。そういえば、そろそろ下校時刻か。注文も入るだろうし、ざわめきが落ち着くまで少し待つかと、皆守は口を閉ざしまだ熱いコーヒーに口を付ける。
 学生集団は意外なことに、真っ直ぐにカウンターへと向かってきた。
「あれ、マスター、絢人は?」
「あいつに用か? 残念ながらついさっき輪に引っ張られて出て行ったところだ」
「あー、いや、別に用ってほどじゃないからいいや。とりあえずこれ、この間のクエ……えと、アレ」
 懐から何かを取り出した男は、ちらりと皆守を見て言いかけた言葉を止める。一般人に聞かせるものではない、ということだろう。だが皆守の目は、既に男が右手にはめたグローブを捉えている。
 封札師の力を、日常で抑えるためのグローブ。
 なるほどこいつか、とマスターに目で問えば、微かに反応を返された。
 現在遺跡を攻略しているのも、この男かもしれない。よく見れば、遺跡のあった学園の制服を着ている。
「よくやったな」
 受け取った袋の中身を確認し、マスターが奥にそれを仕舞い込む。代わりに取り出された封筒を、男は嬉しそうに受け取った。おそらく、クエストの報酬。
「他にあるか?」
「いや、今日はいいっす。よっし、奢るぜみんなー!」
「カレー」
「早ぇ!」
 カレー、の言葉に思わず目を向けた。
 即答でそれを頼んだのは既に奥の席へと着いている同じく学生服の男。目の前には女生徒が2人。封札師らしき男が席へ着き、騒がしくなる。マスターが皆守に一言断りを入れて、そちらに注文を取りに向かった。
 そして封札師らしき男も、カレーを注文する。
 ──良し。
 思わず笑みが浮かんだ。
「すまないな、注文が入った」
 奥へ引っ込みそうなマスターを、皆守は立ち上がって止める。
「いや、もういい。清算してくれ。あと──これを」
 用意していたいくつかの依頼。
 封札師としての実力を見るためのものだ。
 宝探し屋のために、仲間に、親友に。カレーを食わせたい、自慢したい、投げつけたい、と様々な文が並ぶが内容に特に意味はない。ところどころ本音が混じっているのは確かだが。
「その『若いの』に頼んでみてくれ」
「ああ。……わかった」
 少し笑って、マスターはそれを受け取った。
 一応付けておいた写真をちらりと見て、皆守に問う。
「……名前はどうする? 適当にこちらでつけてもいいが」
 名前、というよりは認識のための呼び名だろう。
 さすがに本名を出す気はない。
「あー……そうだな」
 写真は、以前海外の任務中に撮ったものだった。顔が隠れているし、何気に気に入っている。そもそもそれ以外だと証明写真ぐらいしかなかったのだ。
「……謎のカレー仙人とでもしといてくれ」
 伝説のレシピを求める男には相応しいんじゃないかと思う。
 皆守も、大概何かに毒されている。
 自覚はなかった。


 

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