何でわかる

 さわさわと風が頬を撫でるのを感じる。かっ、かっという間近で聞こえる不規則な音に、白はゆっくりと目を開いた。
 身じろぎをした白に気付いたのか、音が途切れる。無意識に体を起こすと、白の右半身にあったぬくもりがゆっくりと離れ、静かな声が響いた。
「すまない。起こしてしまったか」
 零の声。
 白は頭を振って辺りを見回す。鴉羽神社の裏手側。日当たりのいい大きな木の下に、零と白は隣り合って座っていた。どうやら、零にもたれかかって居眠りをしていたようだ。日の高さは、ここに来たときとそう変わっていない。何時間も寝ていたわけではないだろうと判断しつつ、白は零の方に視線を戻した。
「……お主は何をしておるのじゃ」
 ふぁ、と一つ欠伸をしたあと、その手元を覗き込む。零の右手に握られているのは古ぼけたナイフ。左手には、奇妙な形をした大きな木の枝のようなものがあった。
「……犬を、彫ろうかと思って」
「犬?」
「……七代が、以前喜んでくれた」
 そう言って、零は動きを再開する。かっ、かっとナイフが木の表面を削っていく。先ほど聞こえていたのはこの音か。
「そういえば何やら木彫りの犬を持っておったの。あれはお主が作ったのか」
「ああ。洞に潜るときは、よく身に着けてくれていた」
 ただ待っているより、七代のために何かしていたいと言う零は妙に幸せそうに見えた。
 3学期が始まり、七代は再び学園に通っている。冬休みの間はずっと一緒に居たせいで、妙な空虚感があるのは確かだった。こんな静かな時間は久々かもしれない。その方がいい、などとここに来る前に零に対しては言っていたが。強がりだ。零にもそれはわかってしまう。
 だから白はそれ以上言わず、零の手を何となく見つめ続ける。奇妙な形、と思えたそれが少しずつ犬の形をかたどっていくのがよくわかる。七代も持っていた犬の彫り物。完成すれば、七代に渡される。喜ぶのだろうか。喜んだと言っていた。受け取るときの七代を想像する。だが、上手く思い描くことが出来ない。
 白は、七代にこのような贈り物をしたことはない。
 白は沈黙し、しばらくナイフが木を削る音だけが続く。そしてふ、と零はその手を止めた。まだ完成はしていない。
「な、なんじゃ?」
 思わずそれで我に返る。見上げれば、零の目も、こちらを見ていた。
「──白も、やってみるか?」
 優しげなその瞳に言葉が止まる。
 そしてもう1度、白は零の手元に目を落とした。
「……べ、別に、そんなもの……妾がする必要はないであろう」
 目を伏せたままの応えに、零が首を傾げる。
「そうか? やってみたいのかと思った」
 おかしいな、そう感じた、と続ける零に何だか白は居た堪れない気分になる。自分はそう、思ったのだろうか。
「……お主は、器用なのじゃな」
 そして妾には無理じゃ、と小さく呟くように言った。やはり思ったはずはない。自分は彫り物などやったことはない。
「そうか? 白にもきっと出来る」
 なのに、零はそう言うと、何の気負いもなく持っていたナイフを白の方へと差し出してきた。刃の部分を零が握り、柄の部分が白の目の前に来る。
「………」
 思わず伸ばした手が、その柄を掴む。そしてその大きさに少し驚いた。
「……妾の手には合わんな」
 体格差、があるのだ。零にはぴったり合っていたナイフも、白の手には余る。小さな手が一度柄を握り締め、そのまま離れて行く。零も少し戸惑ったようにそれを見ていた。
「……困ったな。おれはこれしか持っていない」
「だから、別に妾は──」
「いらなかった、か?」
 そう言った零の声は少し寂しそうだった。
 何故お主がそんな顔をする──。
 白は思わず立ち上がる。
「ないふぐらい、千馗──いや、千馗の友人たちが持っておろう。聞くだけ聞いてみれば良い」
 ここで七代に頼るのは少し違う気がする。
 それに、やはり白には同じものを作れる気はしなかった。
 いや、やりたいわけではない。ただ自分に合うナイフはあった方がいいかもしれない。
「何をしておるのじゃ。お主が言い出したことじゃ、付き合え」
 白は七代たちの通う学園へと足を向けると、少し振り返り零に言う。
 おれは何か言っただろうか、と戸惑う零を無視して、白はそのまま歩いて学園へと向かった。










「何じゃ? まだ授業中ではないのかえ」
 聞き慣れた声に燈治は目を開けた。
 屋上の壁にもたれかかって眠っていた燈治は、ふっと辺りが陰るのを感じる。見上げれば、そこにあったのは雉明零の姿だった。
「……雉明?」
「こんにちは……」
「……おう」
 微笑む零のすぐ後ろに白らしき着物の端が見える。燈治が声を上げても、零は体を引かない。仕方なく、燈治の方が体をずらして白を視界に入れた。
「全く、少しは出るようになったと千馗は言っておったのじゃがな」
「4時間目は自習だ。ここに居たって変わんねぇよ」
 さすがに3年のこの時期ともなると、自習時間にも勉強している者が多い。いや、自習といえば本来そういう時間なのだが。
 一応大学受験を予定している燈治も、最初は教科書などめくってみていたのだが結局途中で諦めてここに来た。どちらにせよ自分が居ても邪魔なだけだろう。この季節に屋上か、と七代は呆れていたが、寒さには慣れている。実際今の時間まで、意識することもなく眠りについていた。
「っていうか、お前らどうしたんだ一体?」
 立ったまま燈治を見下ろす2人が、その言葉に顔を見合わせた。学校が始まってしまい、七代が居なくて暇なのだろうか。というかどこから入ってきたのだろう。白は以前からよく飛んで来ていたが。零が飛べるという話は聞いたことがない。
「お主はないふを持っておらぬか?」
「……は?」
「白。壇の手も大きいから──」
「ぬう……やはりそうかの」
「何の話だ一体」
 考え込む2人に少しため息をついて、燈治は2人を座らせる。妙に礼儀正しく座った2人が、順番に燈治に事情を説明してきた。
 犬を彫っていたと零が。
 別にやりたいわけではないと白が。
 白の手にはナイフが合わなくて困っていると零が。
 だから別にやりたいわけではないと白が。
 何かいい手はないだろうかと零が。
 だからなければないで別に構わないのだと白が。
「……なるほどな」
 白の方は事情説明にはなってないのだが、何となくそちらも理解した。
「そういや何か持ってたな千馗。同じ奴作ってんのか?」
「ああ……まだ途中だが」
 そう言って零が懐からそれを取り出す。
 燈治が見たものと、形も大きさもほぼ同じ。七代は気に入ってくれた、という零に、褒められると際限なく同じことを繰り返す子どものようだなと苦笑した。
 そこを教えてやるべきは七代か。
 だが七代は、上手く言えるだろうか。悪気は無いが言葉選びの下手な七代は、相手を傷つける言い方をしてしまうことがある。その度に落ち込む彼の姿を思い出して、燈治は何となく口を開いた。
「どうせなら──お前も別のもんにしたらどうだ? 他の物も作れるんだろ?」
 自分も口が上手い方じゃない。ならば方向だけ変えさせてやるかとの思いだった。零は少し考えるように宙を見る。
「犬──以外はあまり作ったことがないな。七代は──何が好きだろうか」
「寿司ではないのか? よく作っておるぞ」
「あれは実用品みたいなもんだと思うけどな……っていうか食べ物は違ぇだろ」
 自分も好きなものはと言われたらカレーだが、木彫りのカレーなど貰っても困る。
 むしろ野球系か。七代なら──何だ?
「あまり、難しいものは彫れないと思う」
「おれからしてみりゃ犬も十分すげぇけどな……そういや何で犬だったんだ?」
 七代は犬が好きだったろうか。
 ドッグタグで会うカナエさんにはそれほど反応を示してなかった気がする。
「初めて彫ったとき、近くに居た」
「それだけかよ……。じゃ、見ながらなら彫れるんじゃないか? 例えば──」
 燈治はそこで辺りを見渡した。
 だがさすがにこの屋上から見れる動物は──
「…………」
「…………」
「な、なんじゃ?」
 燈治と零の視線が白に止まった。
「……鴉」
「それなら出来そうだ」
「お前、ちょっと鴉の姿になってやれよ。参考に」
「あ、阿呆なことを抜かすな! なんで妾が」
「大丈夫だ。白の姿なら──見なくても彫れる」
「そういう問題ではないわっ!」
「いいじゃねぇか。千馗も喜ぶぞ」
「ぬう……い、いや、駄目じゃ! こら零! 何を彫り始めておるか!」
「……駄目なのか?」
「…………」
 白の言葉が止まり、燈治は思わず笑い出しそうになるのを堪える。
 あいつは直球過ぎて対応に困る──以前七代が言っていた言葉が浮かんだ。
「……ならば、妾はお主の姿で作るぞ? それでも良いのかえ」
 白がすっと目を細め、ふふん、と笑いながら言う。一息ついて、少し余裕を取り戻した言葉に「ああ…」と燈治は思わず納得の声を上げた。
 そうだ、鴉の姿は──白の真の姿(今は違うのかもしれないが燈治はよく知らない)。確かに自分の姿の彫り物を渡されるのは妙な気分だろう。というか、間違いなく恥ずかしい。
 それに思い至らずからかう形になったことを少し反省する。
 だがきょとん、とした零はおそらくそんなことは承知の上だっただろう。白が仕返しとして選んだ手段が、零にとって仕返しになっていないので戸惑っているのかもしれない。
「おれの姿は──多分難しい」
「そこかよ」
「……まあ、確かに妾には無理じゃな」
 そうじゃそもそもないふを、と白が言いかけたとき、ちょうど授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。全員が何となく言葉を止める。
「こうなったら……本人に直接聞くか?」
 4時間目が終わった。おそらく七代がこれからやってくる。これ以上ここで相談も無理だろう。
 おれが聞いてやろうか、と続けると零と白はまた顔を見合わせた。
「どうせそろそろ……」
 言いかけた瞬間、屋上の扉が開いた。
 反動でばんっと大きな音を立てて扉が戻るほど激しい勢いで。
 飛び込んできたのは自他共に認める燈治の相棒──七代。
「よっしゃ、おれの勝ちー!」
「……誰と勝負してんだお前」
 昼飯らしい袋を掲げて叫ぶ七代に、燈治は呆れた目を向ける。
 同時に少し悔しい。
 何なんだ。勝負ならおれも混ぜろ。
「え? そりゃぁ長英と──ん?」
 振り返った七代は、扉が閉まっているのに気付いたのだろう。そういえば反動で戻るとき、再び凄い音がしていたが。
「来ないな? 結構競ってたのに」
「いや、それひょっとして」
「七代──」
「おう零。2人して何やってんだー」
「それより放っといてよいのかえ? かなり思い切り頭をぶつけておったようじゃぞ?」
「は? 何が……」
 全く気付いていない七代にため息をついて、燈治は立ち上がって屋上の扉を開いた。
 案の定──そこには倒れた長英の姿。
 戻った扉で頭を打ったのだろう。
「な、長英!? 何でこんなことに!」
「お前のせいだろっ!」
 騒がしくなってしまった昼休み。
 結局、2人の訪問の理由を告げることは出来なかった。










「……燈治」
「何だ?」
「あれは、何をやってるんだ?」
「見りゃわかるだろ?」
「……混ざりたい」
「完成するまで待っててやれよ」
「……やっぱおれにか、あれ」
 その日の放課後。
 午後の授業には出た燈治は、その間零と白が何をしていたかは知らない。
 ただ、真っ直ぐ帰らずあちこち校舎内を探索していく七代に付き合っているとき、図書室で零たちの姿を発見した。
 勉強している生徒たちの中、隅っこで新聞紙を広げて彫り物をしている零。隣には何故か折り紙を折っている白。ナイフは諦めたのか。まあその方がいいのかもしれない、そういえばそちらの相談にも乗ってやる暇がなかったな──そんなことを思っていたとき、突然背後から声をかけられた。
「おおい、入り口近くで留まるんじゃない。入るなら入れ。ああ、七代。今日はお前は立ち入り禁止だ」
「はぁ!?」
「……あんたの仕業か、あれは」
 牧村だった。邪魔になっていたのは確かなので、七代と2人で少し入り口から離れる。
「仕業とは何だ? 無断侵入を見逃してやって、おまけに場所と折り紙、資料まで提供してやったんだ。あの2人は感謝しているだろうさ」
「代わりに絶対何かやらせただろうが……」
 隙あらば──何かとこじつけて生徒に仕事を手伝わせる牧村だ。大体、あの作業、昼休み終わりからずっとやってあの進行速度ということはないだろう。
「……って、資料? そういや雉明は結局何彫ってんだ?」
「それは出来上がってからのお楽しみというところか。ほら七代、お前はとっとと帰れ。完成するまで知らない振りをするのが礼儀というものだろう」
「……ま、それについては同感だがな」
 だから、おれが聞いてやろうかと言った。零たちが直接聞いたのでは意味がない。
 それでも、燈治自身も少し気になる。窓に近付いて思わずじっと眺めていたところ、牧村にはたかれた。
「怪しい動きをするんじゃない。七代、こいつも一緒に連れて帰れ」
「はいはいー。じゃ、帰ろうぜ燈治」
「おう……」
 七代も気になる様子で振り返っていたが、やがて吹っ切ったのか視線を戻して歩き出す。
「また犬じゃねぇだろうな?」
「それはないだろ……ってか、やっぱ犬じゃ駄目なのか?」
「いや、犬はいいんだけどなー。同じ物貰ってもしょうがないだろ」
「……お前それ、雉明には言うなよ」
 やっぱりそういう物言いになるのか。まあ作る前に言うなら構わないか。
 それより燈治は、零の持っていた資料が気になって仕方ない。
「……自分の趣味で作らせてねぇだろうな、牧村……」
「ま、いいんじゃね。お前らの作るものなら何でも嬉しいよ、とか返すべきかやっぱ?」
 多分冗談交じりにしたいのだろう七代が笑いながらそう言う。
 だけど。
「素直に喜びそうだな。特に雉明は」
「あいつ意外に鋭いからなー。本気で喜んでたら伝わっちまう」
「……いいじゃねぇか」
「本音はごまかしたい男心もわかってくれると嬉しいんだけどな!」
 ああ……素直じゃない人間が、零とは付き合い辛くなるのだろうか。
 最初から本音で対応すれば、何の問題もないだろうに。
「まあ、結局何貰っても嬉しいのは嬉しいんだろ?」
「……そりゃ……まあ、な……」
 途端に口ごもってしまう七代だったが。
 何を思っているのかはよくわかる。
 何だ、やっぱり結論はそれなんだな、と燈治は納得して勝手に頷く。
「何だよ?」
「いや……まあ、楽しみに待っとけよ」
 それだけ言うと、七代はにやりと笑う。
「おお! 何か付属効果ありそうだしな!」
「それかよ!」
「それもだよ!」
 貰ったら早速洞に行くから付き合え、と言われて、苦笑しながら頷く。
 それも照れ隠しなんだろうと思い込むことにした。


 

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