巻き込まれる当事者
やばい、遅刻する。
七代は全速力で高校に向かって走りながらも、冷静に残り時間と現在の速度を計算していた。
このままのペースで走れば5分前。
疲れや信号に引っかかる可能性を考慮して、ぎりぎりか。
完全に間に合わないとなれば開き直って遅刻してもいいのだがこの時間は中途半端だ。鍵はわかってて引き止めたのではないかと思わなくもない。今日に限って朝子は先に向かっている。朝子のことなので、先に向かっているからといって先に着いているとも限らないが。
「ん……?」
そんなことを考えながら走っているとき、前方に見慣れた後姿が見えた。
木刀片手に走っているのは後輩の長英。
ぐんぐん迫る背中に向かって、七代は声をかけてみた。
「何だ、お前も遅刻か?」
「えっ、あっ、七、代先輩っ……! い、いや、間に合うように家は出たん、じゃがっ、途中で忘れものに気付いて、のっ……!」
どこから走っていたのか、随分息が切れている。長英に合わせたため、七代のペースが少し落ちた。
──間に合うだろうか。
「1時間目の数学で使うんじゃぁっ……。せ、っかく蒐が教えてくれた奴、じゃけんっ……!」
「そうかー。でもそれで遅刻じゃ意味ないな」
「まだじゃあ! 諦めんかったら道は、見えるっ!」
「……よし、じゃあ頑張れ」
「あぁっ、七代先輩……!」
七代はペースを上げた。
うん、計算の結果、そのままじゃ間に合わない気がしてな。
殺生なぁ〜! という長英の叫びを聞きながら、七代は駆け抜けていった。
「はいはい、急いで。もうすぐチャイム鳴るわよー」
ようやく正門が見えてきて七代は足を緩める。
再び見慣れた姿を見つけて、そのまま足を止めた。
「巴」
「あら千馗。相変わらずぎりぎりね。朝から運動ご苦労さま」
「おう。やっぱ朝のランニングは気持ちいいな」
「……そういうことにしたいならそれでもいいけど」
「燈治とかマジでやって、遅刻してたりするぜ?」
「そうね。……今日も来てないしね」
すっ、と冷たい目になった巴が校門の外を睨む。
数人の生徒が駆け込んでくる中、燈治の姿は見えない。ずっとここに居たのだろうか。だとしても裏門から入ってくる可能性もある。わざわざ正門を通れば巴に絡まれるのは目に見えているからだ。
「おおい、そろそろ時間だ。風紀委員も生徒会も中に入れ」
校庭側から教師が駆けてきた。校門あたりにたむろしていたのは役員たちだったらしい。裏門も誰かが張っているのか。巴以外に知っている者がいない。どこからどこまでが生徒会メンバーなのだか。蒐はさすがに、こういうときは別なのだろう。
「はい。それでは後はよろしくお願いします」
行くわよ、と巴が声をかけると数人がぞろぞろと後をついてくる。
「おお、女王様」
隣に並んで歩きながら言うと、顔をしかめられた。
気に食わなかったか。
「……たかが数人じゃあ格好つかないわね」
「あれ、そっち?」
そういえば完全に別行動を取っている集団も居る。
あれが──風紀委員か。
「全く。遅刻者取締強化月間を提案したのはこっちだってのに。好き勝手やられちゃ、こっちの効率も落ちるわ」
「風紀委員と生徒会ってホント仲悪いな……」
「別に仲が悪いわけじゃないわよ。相容れないってだけ」
「おかしいよな、何かおかしいよな……」
「大体風紀委員程度に、あの問題児が何とかなるわけないでしょ」
「え、ん?」
「あの問題児。千馗も見付けたら教えてよ?」
「一応聞いとくけど誰のこと」
「あんたの相棒よ。結局今日も遅刻じゃない」
「多分どっかで絡まれてんだよ」
「あいつの場合自分から絡んでんでしょ」
「意味なく絡みゃしないけどなぁ。人助けの場合情状酌量の余地は?」
「お年寄りを家まで送ってたとか、妊婦さんを病院まで運びました、って言うなら考えてあげてもいいわよ」
「それも有り得なくはない気はするけど、いやおれそんな状況なった覚えないけど」
「そうでしょ。そもそもそうよくあるシチュエーションでもないわよ。ただの喧嘩なら酌量の余地はなし。というわけで、発見次第報告お願いね」
「えー、嫌っつったら?」
「共犯とみなすわ」
「理不尽だ……」
友情的には庇ってやるべきなんだろうな。
大丈夫、事件の手伝いとかの罰なら一緒に受けてやる。
勉強なら逃げる。
「で、遅刻者への罰は?」
「現在はトイレ掃除を予定してるわ」
「……悪いな相棒」
「素直でよろしい」
教室の前まで来て巴と別れる。
いや別に掃除が嫌なわけじゃない。でもあの、いかにも罰を受けている感じは嫌だ。多分半端じゃ許されないしな。
うんまあ、遅刻してくる奴が悪いってことで。
「あ、おはよう千馗」
「おはよー弥紀ー。燈治は?」
「まだ来てないみたい……あっ」
チャイムが鳴った。
「遅刻決定か……」
掃除は放課後にやるから、しばらく燈治とは一緒に帰れそうもない。
待ってる、という選択肢は当然の如くなかった。
「落ち着かねぇ……」
休み時間。
ざわざわした教室を抜け出して、七代は一旦トイレへと向かった。背後からつけてくる気配を感じる。さすがに中までは入ってこないが。遅くなると見に来るだろうか。つけてきたのは男子生徒だったと思う。
「ううん……」
トイレの窓から上を見上げる。
足を引っ掛けるところはあるので、ここから降りるのも上るのも何とかなりそうだが。
「何やってんだ七代ー? さっき生徒会長が探してたぞ」
「あーやっぱりかー……」
休み時間ごと、誰かが尋ねてくる。
3時間目が終わり、いまだ燈治は姿を見せていない。
何度も行方を聞かれたが、知るわけがない。メールを送ってみてもいいが、そこまでやってやるのも癪だ。大体、さすがに取り締まりに協力までしてやることもない。
「……さて」
トイレの窓から身を乗り出し、上を見上げる。
「おいっ七代!?」
「大声出すな! 今見たことは忘れろよ……!」
クラスメイトに声をかけ、窓を抜け出した七代はするすると上へと向かう。柵を乗り越えれば屋上の中。天気はいいが、この寒い中わざわざ上ってくるものはいない。
「……んー……?」
歩き回ってきょろきょろしていると、頭上から声がした。
「千馗、こっちだ」
「……やっぱり居たか」
壇燈治。
生徒会や風紀委員が追っている問題児。
「お前なぁ、来てるんならとっとと顔出せよ」
「いや、なかなかタイミングつかめなくてな」
よっ、と声と共に燈治が降りてくる。屋上扉の上に居た燈治は、そのまま扉の真横へと移動した。
「どこもかしこも生徒会連中が張ってるだろ。何だありゃ」
「遅刻者取締強化月間だと。まあ、実質生徒会VS風紀委員?」
「あぁ、あれ風紀委員か。いつもより人数が多くて、ここまで上ってくるのも一苦労だったぜ」
「多分お前を捕まえられるか勝負みたいなもんだなー。だからとっとと巴に捕まって来いって」
「ごめんだ。大体何でおれで勝負してんだ」
「そりゃ一番手強いからじゃねぇの」
長英は生徒会に捕まったらしい。
1時間目の授業自体には何とか出られたらしいが、その後呼び出しを受けていた。
よく考えたら、遅刻者は普通教室に居る。
わざわざ包囲網を敷いて捕まえなければならないのはこの男ぐらいだろう。
「お前が捕まらないとおれも共犯扱いなんだよ。いいから捕まってこい」
「はぁ? おれの遅刻はお前に関係ないだろ」
「犯人庇えば一緒なんじゃねぇの。お前見つけたとか言いつけに行くのも嫌だしなー」
だから自首しろ、と言い切れば燈治は頭をかいてため息をついた。
「……しょうがねぇな……」
他人を巻き込むのは本意ではないのだろう。
諦めたような顔に笑っているとき、屋上へと続く扉が開いた。
「あ」
「あ……」
入ってきたのは1人の女生徒。
最初に七代と目が合って、つい反射的に燈治を見てしまった七代の目線を追い、女生徒が燈治を見つけた。
「……だ、壇燈治っ……! 壇燈治発見……!」
屋上の扉を支えたまま、何やら下に向かって叫ぶ。
七代と燈治は顔を見合わせた。
「これは……生徒会か?」
「風紀委員よ! みんな早く! チャンスよ!」
女生徒はさすがに自分で捕まえられるとは思わないのか、応援を呼ぶために叫ぶ。屋上の出入り口を塞ぐようにして立っているのは、逃がさないためか。
「……燈治、おれと巴の友情のためにここは逃げとけ」
「お前なぁ」
「どうせなら生徒会に捕まれよ! 何風紀委員に見付かってんだ!」
「お前が来なきゃおれはずっと隠れてただろうが! ああ、もう、逃げるぞ!」
「あ、待て、おれも行く!」
軽く柵を乗り越えた燈治を女生徒が唖然として見る。
大丈夫大丈夫、飛び降りるわけじゃない。
「何で着いて来てんだお前」
「残ってたら追求受けるだろうが。っつうか今日もずっとおれんとこ来てたぞ! お前の行方知らないかとか!」
「……そりゃ悪かったな。お前も、」
「あっ、ちょっと待て燈治! 下、誰か張ってる!」
「げっ……。いや、まあ下まで降りる必要もねぇだろ」
下に居た男たちがこちらを指差し何やら叫び声を上げている。
あれは生徒会だろうか、風紀委員だろうか。
「教室戻んのか?」
「自首すんなら生徒会室か? ま、とにかくこっから──」
よっ、と声を上げて燈治が足場に捕まったまま器用に窓を開ける。3-2の教室。いつもの燈治の出入り口。さすがに慣れている。
七代もそれに続こうと足場に手をかけ、下に降り──
「あ……」
がしゃん、と下ろした足が窓ガラスを突き破った。
きゅっきゅっとマジックを走らせる音だけが、よく聞こえる。
騒がしいことの多い生徒会室も、今日は静かなものだった。
「まぁ、弁償は当然として……窓を割った罰としては、こんなところが妥当かしらね」
わざわざホワイトボードに書き連ねていた巴が、ようやくそこで振り返る。
床の上に正座させられている七代と燈治が情けない顔でそれを見ていた。
「っていうか何かまとめられてないか? おれの罰は遅刻だけだろ!」
「遅刻のあと逃げ回ってたのも追加ね。一緒に居たんだから同罪よ。ま、私の仕事手伝うって言うなら半分に減らしてあげるけど?」
「それでも半分かよ……」
「はい! おれ、やります!」
「あっ、千馗、てめっ」
「決定ね。じゃ放課後もう1度生徒会室に来ること」
「勝手に決めんな!」
「諦めろ燈治。相棒ってのは一蓮托生だ」
「何で面白がってるんだよお前は」
「え、生徒会の仕事なら面白いんじゃないか?」
「ただの書類整理でもか?」
「…………」
七代が巴に目をやると、巴はにっこり笑って側の書類の山に手を置いた。
「安心して。頭脳労働させるつもりはないから。ただ処理済の書類を仕分けしてまとめて欲しいだけよ」
「…………」
「あ、あと明日から遅刻者取締にも協力お願いね。いろいろ打ち合わせもあるから始業1時間前には学校に来ること」
「ええええええっ」
「……だから言っただろうが」
「私に逆らおうなんて思わない方がいいわよ?」
「それは……それはもう肝に銘じてますよ……」
窓を突き破って教室に入ってしまった七代たちを取り囲んだのは、生徒会と風紀委員両方だった。
逃げる2人を即座に大人しくさせたのが巴だと、風紀委員まで認めてしまった。
いや、巴に目の前に立たれると、つい。
「ああ、もう昼休み終わるわね。じゃ5、6時間目頑張ってね」
「……おれたち、昼ご飯食べてないんですが」
「さぼったりしたら罰則は増えるわよ?」
「はーい……」
燈治と2人、ようやく立ち上がる。
まだ生徒会室で良かった。教室でやられてたらいい見世物だ。
「燈治、昼何か買ってるか」
「買ってねぇよ。朝から騒がしかったしな」
「休み時間……しかねぇか」
5時間目と6時間目の間。
10分で購買に走って、食べ終える。
「……勝負するか?」
既に生徒会室を出たあと、そんなことを燈治が言ってくる。
それにかぶさるように巴の声が響いた。
「廊下を走るのも校則違反だからね」
「……だそうだ」
「歩いて間に合うわけねぇだろ……!」
本格的に放課後まで飯抜きだろうか。
いや、放課後も何やら付き合わされるらしい。さすがに食べないと何も出来ないぞ。
「あ、お帰り2人とも。遅かったね」
「話が長いんだよな、あいつは」
「お昼買ってたんだけど……もう食べる時間ないよね」
弥紀が少し残念そうに持っていた袋を持ち上げる。
微かに見えるカレーパンや食パン。
「穂坂……」
「ありがとうっ! マジで……!」
感動のあまり抱きつきそうになった。
燈治に首根っこ捕まれて引き戻されたが。
とりあえず食事は確保出来た。
10分で食べるなら、十分可能!
「早食い勝負か……?」
「お前何でもそれだな……よし、受けて立つ!」
ちょうどそこでチャイムが鳴った。
体育でも移動教室でもないのがありがたい。
授業中はほとんど寝てた気がするが、そこまで違反認定はされないだろう。多分。
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