世話焼き

 ぴぴぴぴ、ぴぴぴぴ、と僅かずつ大きくなっていく電子音。
 一定の音量に達した時点で、それ以上の変化は止まる。
 定期的に繰り返される言葉が何十回かになったとき、ソファで眠っていたガブリエルがようやく頭を起こした。
『おはようございます。ドクター・カンニガム』
「あぁ〜……?」
『起床予定時刻を30分オーバーしています。間もなく診察室に患者が入ってきますので準備をお願いします』
「ああー……は?」
『復唱が必要でしょうか』
「あ〜、えーと、ちょっと待ってくれ……」
 がしがしと頭をかきながらガブリエルは一つ大きな欠伸をする。見慣れた病院内の自室。薄暗いが、カーテンから差し込む光はすっかり朝だ。そこでようやくガブリエルは壁にかけられた時計に目をやった。
「んがっ!? もうこんな時間か! 何で起こしてくれねぇんだよっ!」
『お言葉ですがドクター。設定された時間より、電子音を鳴らし続け、1分置きの呼びかけは行っておりました。それから、』
「あー、もういいっ。っつうかもう患者来てんのか?」
『受付は開始しております。通常ですと、連絡が入って5分以内には患者が診察室に到着します』
「ああ、そうだよな、って、ん? 白衣どこだ?」
『ソファの後ろです。昨日、ハンガーにかけた方が良いと申しあげましたところ、そんなものはないのでここにかけておく、と、』
「あー、そうだったっと」
 拾って適当に埃を払い、着込む。
 とりあえずもう1度ソファに座って煙草に火を付けた。
『ドクター、そんなことをしている時間はありません』
「うるせぇ、朝の一服ぐらいさせろ。これがないとおれは死んじまうんだよ」
 言ってすぐさま続けた。
「あー、そんなわけないとかいちいち言わなくていいからな? 煙草の害とかいちいち説明する必要ないからな?」
『…………』
 適当なところで火だけ消してガブリエルは再び立ち上がる。
 外に向かいかけたとき、RONIが言った。
『……もう少し身だしなみを整える必要があるかと思います』
「何だ? 患者は若い女なのか?」
『いいえ。50代男性です』
「気にする必要ゼロだな。覚えとけ」
 そしてようやくガブリエルは診察室へと向った。
 どうせあちらの端末ともRONIは繋がっているのだが、ここから先は、仕事の話だけだ。










「おーい、ゲイブー」
 昼を大分回った頃、マリアはガブリエルの自室をノックする。返事がないのを気にせず、そのまま開けた。鍵はかかっていない。
「ゲイブー? 居ないのかー?」
『ドクター・カニンガムは、現在昼食のために部屋を出ています。ドクター・トレス』
「うおっ、びっくりした! 何だ、えーと……RONIだっけ? 昼食? って随分遅いじゃねぇか」
 薄暗い部屋の中、ぼんやりと光る画面に目を向ける。突然の声には驚いたが、ゲイブとやりとりをしているところは何度か見たことのあるコンピュータ。ゲイブと同じように気軽に質問をしてみれば、丁寧な答えが返ってきた。
 どうやら立て続けの患者に、抜ける暇がなくなったらしい。マリアの救急ほどではないが、診断専門医も予定外の患者を抱え込むことは多い。大人しく時間まで待っていられる症状ばかりではないのだ。
「さっき出てったのか? いつ頃帰って来る?」
『36分前に部屋を出ています。これから5分内に帰って来る確率は、これまでの昼食時間から計算して約70%と思われます』
「うっわ、微妙だなオイ。ってかあいつ、昼食に40分もかけんのか。あーまあどうせ一服したりハンクらにちょっかいかけてんだろうな…」
 食事は手早く済ませる主義のマリアとはその辺が合わない。まあ昼食時間というよりは休憩時間だというのは理解しているつもりだが。
「じゃあこれどうすっかなー……」
 通りすがりに医局長に頼まれてしまった届け物。一応直接渡せとは言われているが、自室に置いていくなら問題ないだろうか。だがこの部屋は鍵もかけられていない。
「……お前に預けるってわけにもいかねーしなぁ……」
『物理的に所持することは不可能ですが、監視、伝達を行うことは出来ますが?』
「あー、もうそれでいいかなぁ…」
 こんなところで待ってる時間も勿体無い。探しに行ってもすれ違いそうな微妙な時間帯。
 とりあえずその辺に居ないかと一旦部屋から顔を出そうとしたとき、入ってきた人物にぶつかりそうになった。
「うわっ……と」
「あ、ごめんなさい…ミス・マリア?」
「え、あれ、トモエ?」
 そこにいたのはトモエ・タチバナ。この病院の内視鏡専門医で忍者だか大和撫子だかって奴だ。いつものように日本の民族衣装の上から白衣を羽織っている。
「何してんだ? ゲイブに用か?」
「いえ、扉が開いたままになってましたので気になって……」
「あー、そうか悪ぃ、すぐ出るつもりだったから…」
 ただ通りかかっただけだったらしい。ゲイブの私室を気軽に覗き込める数少ない人間の内の一人だ。
「カニンガム先生はいらっしゃらないんですね」
「ああ、昼食中だとよ」
 中を覗き込んだトモエに軽く答える。トモエはそのままマリアの隣を擦り抜けて、中に入ってしまった。
「ん? どうした?」
「シャツが床に……随分汚れてますね」
「うわ、ホントだ。埃だらけじゃねぇか…」
 床に落ちていたシャツをトモエが拾い上げる。いつからそのままなのか、軽くはらうだけで埃が舞う。丁寧にRONIが解説してくれた。
『三日前に洗濯をすると言って机の上に置いていたものが落ちたものです。おそらく、忘れているものと思われます』
「あー、だろうなぁ…。って、おーい、トモエー。別にんなことまでやる必要ないだろ」
 頭をかきながらRONIの言葉を聞いていると、シャツを軽く畳んだトモエは更に机の上に散らばるスナックを拾い、まだ中身の残っている袋を丁寧に閉じていた。灰皿からこぼれ落ちた煙草も拾い集め、辺りを見回している。
「どこかにタオルはないでしょうか」
『冷蔵庫の上、ソファの前のテーブルの下に確認できます。どちらも一週間以上前から洗濯はされておりません』
「ほんっと詳しいなお前…」
「これですね。茶色の染みはコーヒーでしょうか…」
「トモエー。いいからもう行こうぜ。私もこれ置いて帰るし」
「すみません、ここだけでも…」
「はぁ…マメだねぇ、あんたも」
『ドクター・タチバナ。冷蔵庫の中にはおそらく賞味期限切れのものが多数、』
「いや、お前も何言い出してんだよ!」
 入り口付近に突っ立ったまま、マリアはひたすら突っ込むことしか出来ないでいた。










「おい……何だこりゃ」
「遅ぇよ。メシ食うのにどんだけかけてんだよ」
「は? 単なる休憩時間だろうが、っていうか、それよりこれは何なんだ」
「私に聞くな…」
 マリアは頭を押さえて呻くように言う。手伝おうにも何だか手を挟めず、結局ずっと入り口付近から部屋の中を見守る形になってしまった。
「この本はこちらでよろしいですか? RONI」
『Yes、ドクター・タチバナ。普段開かれていないため埃が溜まっていると思われます。ご注意下さい』
「ああ、ではここも拭き掃除した方が良いようですね」
 まくりあげた袖を軽く確認して、トモエがタオルを手に取る。あちこち拭いて、既に真っ黒だ。
 部屋の中は、この十数分で見違えるように綺麗になっている。
 代わりにトモエの頬は少し黒ずんでいた。汚れた手で触れてしまったのだろう。
「……いや、ちょっと待てRONI。あの本は手元にあった方が便利だから、」
 そんなトモエの状況より、とりあえずガブリエルはたった今行われようとしている整理について突っ込みたかったようだ。RONIがぴぴっ、と音を立ててガブリエルに答える。
『中のデータは全て入っていますので、この端末で確認可能です。また、ドクターがあの本を最後に手にしたのは、私の記録では一ヶ月半前となっていますが』
「ああ、まあお前に聞く方が手っ取り早いんだけどよ…」
 ガブリエルが頭をかいている。いつ使ったか、そんなことまで把握されているのか。
 こいつ、常時監視されてるような状態なんじゃねぇの、とちらりと思ったが本人は気にしてなさそうだ。理解してないのか、いや頭が考えるのを拒否してるのかもしれない。
 そうこう言っている間にも、棚の掃除が終わり、本がそこに仕舞われる。
「RONI、他に気になるところはありますか?」
 振り返ったトモエは、そこでようやくガブリエルの姿に気付いたようだ。まあ、と驚きだけ口にして2人の前まで寄って来る。
「すみません、気付きませんでした。お部屋の方、勝手に整理させてもらいましたが大丈夫でしょうか。一応、全ての物の場所はRONIに記録を取ってもらってますが」
「ああ、いや、大丈夫だ、っていうかその……すまん?」
 突然部屋の掃除をされたガブリエルは何だか戸惑い気味にそう言う。謝罪ではなくお礼が適当ではないでしょうか、と何故かRONIに突っ込まれていた。
「いえ、私が勝手にやったことですから。あ、冷蔵庫の中のものはほとんど処分してしまいましたので、これから買出しに行って来ますね」
『いや、そこまでする必要ねーって!』
 思わず叫んだマリアの声と、ゲイブの声が見事に重なった。
 あー、とガブリエルが唸ってトモエの頬に手を伸ばす。汚れを手で拭き取られて、トモエが少しくすぐったそうに身をよじった。
「ありがとな。どうも俺は整理とか掃除ってのが苦手でな…」
「けど、これっきりだぜー? 嫁と別れたんなら自分のことぐらい自分できちっとしろよな」
「何でお前が言うんだ。お前どうせ見てただけだろうが!」
「私は一般論を言ってるんだっつーの! 私だってなぁ、自分の部屋ぐらいはちゃんとやってるぜ!」
「どうだかな。どうせ大雑把で適当な掃除ばっかだろ。知ってるか? 四角い机を丸く拭くって奴」
「やらないよりマシだっつーの!」
「あの……」
 2人のテンション高いやりとりにも、トモエは落ち着いた声で入ってくる。
「今日のお仕事終わりに時間はありますか? 食材と、ついでに調理器具を買ってみてはと思うのですが…」
「はぁ?」
「ああ、そういやRONIが言ってたな。お前料理もまともにやってねぇんだろ」
「それはこいつが役に立たないからだなぁ、」
『私のデータベースに登録されているレシピは完璧です。しかし調理器具や調味料の不足までは補えません』
「ってことをさっきも言ってたわけよ」
 放っといたらトモエがわざわざ買い揃えそうだし、ここはきっちりガブリエルを引っ張っていこうと決めていたのもついでに思い出す。
「鍋ぐらいなら私が使ってたのやるよ。ちっとは自炊して自活しろ!」
 買物を勝手に決定事項にして軽くガブリエルを小突く。
 何だかんだで世話されてしまうと益々何もしなくなりそうだし。
『では、この部屋に足りないと思われる調理器具をリストアップします』
 もっとも、この最大級の世話焼きがいる限り完全な自活は無理かもしれない。


 

戻る